やさしい手を持ってる

港から歩いて10分。
メインストリートとは路地を一つ挟んで直ぐ隣。
周囲に飲食店が多く、酒場も近い。
好条件じゃねえか。
サンジは腕を組んで眉を顰めた。

なのになんで、安いんだ?




この島のログが溜まるには1ヶ月かかる。
交替で船番しつつ、せっかくの陸での生活も楽しもうとナミが大盤振る舞いをした。
女性陣はウィークリーマンションで二人暮し。
ルフィは今日、明日と船番。
男性陣は珍しく小綺麗なホテルを宛がわれた。

「1泊2食付きで2週間、1部屋5万ベリー?安い!」
安い、安すぎる。
こんな立地条件のいいところで、バストイレ付きの部屋なのにこの安さはなんなのか。
「前金でお願いします」
遠慮がちに言う宿屋の主人も無愛想には見えない。
ナミさんは、なんて掘り出し物を見つけるのがうまいんだろう。
サンジは心底感嘆した。

「いー宿じゃねえか」
ウソップがきょろきょろ辺りを見回して、やはり首をかしげている。
「俺達以外に客がいねえのは、何でかなあ」
隣でチョッパーが妙な顔をしていた。
「どうした」
鼻の頭に汗なんか掻いているので、流石にサンジも気にかかる。
「なんか・・・毛がぴりぴりするんだ」
良く見ればチョッパーの後ろ頭辺りの毛がちりちりと逆立っている。
「なんだあ、寒いのか?」
宥めるように撫でてやると、様子を見ていた主人がカウンターから出てきた。
「あんた方、旅のお人だからいろんな経験・・・してるよなあ。大丈夫とは思うんだが・・・」
歯にモノが挟まったような言い方。
「前金貰っといて今更言うのは悪いんだがね、この宿には・・・出るんだよ」
はい?
「ゴ、ゴキブリか何かか?」
サンジが青い顔で訪ねた。
主人は黙って首を振って、自分の両手を顔の横でだらりと下げる仕草をする。
「ひょえ〜〜〜!!」
ウソップとチョッパーが抱き合って飛び上がった。
「別に何の因縁もない筈なんだが、3ヶ月ほど前から妙なことが起こり始めて・・・」
主人が肩を落としてぽつんとイスに座ったので、全員食堂の椅子に腰掛ける。
「ほんとにそれまでは何も変わったことなんてなかったのに、ある日突然201号室に泊まったお客さんが、出ると騒ぎ出して。
 そうしたら隣の202号室からも物音が煩いだの何か光るだの、大騒ぎになっちまってねえ」
あっという間に噂が広まって、最初のうちは物珍しさから結構泊り客が増えたらしい。
ところがどうにも本当だということが知れて、それ以来客足はさっぱり。
たまに旅人とか豪胆な男が泊まったりするが、1晩ならともかく長期は3日と持たないとのこと。
そう言って主人は悄然とうなだれた。

ウソップは冷や汗を流しながらも、主人の肩を叩く。
「でも前金貰ってんだろ。踏み倒されないんだから、商売としちゃあうまく行ってんじゃないの」
その言葉に主人は顔を上げてきっと睨みつけた。
「うちはもともと商売のためだけに宿屋やってんじゃない。旅の人にホッと一息ついてもらえるような、休んでもらえる場所を作りたくて、
 宿屋やってんだ。金だけ貰ったって客がいなけりゃ、宿の意味はないんだよ」
目に涙さえ溜めて言い返すと、我に返ったように頭を掻いた。
「すまねえお客さん。つい声荒げちゃって・・・お客さんの言うとおりなのに・・・」
「い、いいいや、俺が悪かった。そだよな。あんた本物の宿屋サンなんだな」
どうやら混乱しているらしく言ってることは良くわからないが、ウソップは必死で慰めモードに入った。
ココまで聞いてしまっては、男ウソップ逃げ出すわけには行かないのだろう。
両膝は相変わらずかくかくと震えているが。

「なるほど、で、値段も安いって訳か。そういうことなら納得だな」
サンジはにっと笑って煙草に火をつけた。
「2:2で分かれて泊まろうぜ。部屋割りどうする?」
「俺、ゾロと一緒は嫌だ!」
常にない素早さでチョッパーが叫ぶ。
「お、おおお俺もゾロとは嫌だ!」
ウソップも断固言い切った。
「なんでだ?クソマリモなんざそんなもん怖がらねえし、いざって時幽霊でも斬っちまうんじゃねえのか」
サンジから見れば一番頼りになるタイプではないかと思ったのだが・・・
「なんかゾロ、どんな状況でも寝てそうだから」
「そうだよ、俺らがキャーキャー喚いてても、ぜってーそいつ、起きねえぞ」
なるほど。
サンジは後ろを振り返る。
さっき支払いを済ませたところだというのに、ゾロはもう椅子に凭れて豪快に眠っていた。
これじゃあ頼りにならねえかも知れねえ。

「俺はなあどんな目に遭っても一人でぎゃあぎゃあ騒ぐのは嫌なんだ。強えが構ってくれねえ味方より、一緒に騒いでくれる仲間だ」
力強く訴えるウソップの隣でチョッパーがうんうんと頷く。
「そんとおりだウソップ。一緒なら怖さも半減だ」
怖さ倍増だと思うぞ。
喉まで出掛かった突っ込みをかろうじて抑える。
なんとなく二人の言い分もわからないでもない。

「じゃあそういう事でサンジはゾロと相部屋だな」
改めて言われるとサンジはなんだか嫌あな気がした。
元々気が合うタイプでもないのに、好き好んで陸でも同室になるとは嫌がらせとしか思えない。
荷物を置くだけにしてさっさと外に遊びに行こう。
そう思って荷物を担ぎ上げたとき、宿の小さな扉が静かに開いた。



「ただいま。あ、お客様?」
両手に紙袋を提げた少女が顔を覗かせる。
亜麻色の長い髪を真っ直ぐに垂らした、ナミと同じくらいの年頃の娘だ。
途端にサンジがハート目になる。
「お嬢さん、荷物をお持ちしましょう。そんなか弱くも細い腕で、重い荷物を持ってはいけません!」
素早く紙袋を奪い取って、中へとエスコートする。
サンジの行動にびっくりしながら少女はその前を通り過ぎた。
片足を少し引き摺っている。
「おかえりラアナ、お客さんだよ。2週間も泊まってくれるんだ」
主人が相好を崩していそいそとサンジから荷物を受け取った。
「まあ、2週間も。大丈夫かしら」
「勿論ですよお嬢さんvタチの悪い亡霊などあなたと私の愛の障害にはなりません!」
がしっと手を取って熱く語りかけるサンジに、ラアナは目をぱちくりさせるしかない。

「じゃあお客さん、部屋へどうぞ」
主人に急かされてウソップとチョッパーがサンジを無理やり引き剥がす。
サンジは腹立ち紛れに眠り続けるゾロの腹にタンドロンを決めて、また後でとラアナにウインクをして見せた。
ラアナは頬を赤らめて、その後ろ姿を見送っていた。




「へえ、いい部屋じゃねえか」
そう広くはないが、シンプルで清潔な内装。
ただなんとなく、部屋に足を踏み入れてから、背中あたりがゾクゾクと涼しい気がする。
ゾロは腹を擦りながら荷物だけ置いて、ごろりとベッドに横になった。
瞬く間に眠りに入る。
「こいつのマリモん中はどーっか回路とか抜け落ちてんだろーなあ。寝るか食うか鍛えるか、の三択しかねえのかよ」
タバコを噛みながら悪態を付いても帰ってくるのは寝息のみ。
なんだかつまらなくなってサンジは隣のウソップたちの部屋を覗く。
「おうサンジ、見てみろこれ。対幽霊用ウソップ特製照明弾だ。それからこっちが自動冷気感知器・・・」
よくもまあ在り合わせの材料で色んなものを作り出せるものだ。
チョッパーは強力な作用の睡眠薬を調合している。
なんか楽しそうじゃねえ?
それから3人で何かが出た場合の対処法をシミュレートする。
フォーメーションを何パターンか作っては笑い転げた。
もちろんゾロは数の内に入っていない。


リンリンと階下で鈴の音が鳴った。
「皆さん、夕食の準備ができました」
透き通るような声に真っ先に反応したのはサンジだ。
「はあいラアナちゃん!ただいま参りますぅ」
それから隣に飛び込んでゾロを蹴り起こそうとしたが、予想に反してゾロは起きていた。
「んだあ、珍しいな。てめえが起こされる前に起きてるなんざ」
拍子抜けした顔のサンジをじろりと見て、それからゾロはふんと鼻を鳴らした。

「鬱陶しい女がいるな」
「なんだとオラぁ!」
ラアナちゃんを捕まえて、鬱陶しい女とはなんて言い草だ。
憤慨して蹴りつけるサンジを避けながら、二人して転がるように階段を下りる。
「おいおいおい、宿を壊すなよ」
ウソップの仲裁でようやく席に着くと、ラアナはにこにこして皿を運んできた。
「久しぶりにとても賑やかで嬉しいです。いっぱい食べてくださいね」
「お手伝いします。俺はコックなんで給仕も慣れているんですよ」
皿を受け取る瞬間触れた手に、ラアナがさっと頬を染めて慌てて手を離した。
「お、お客様にそんなこと・・・」
「あーいいんだサンジは。好きな用にやらせてやってくれよ」
口いっぱいに頬張りながらウソップたちは食事を始めている。
ルフィがいないのだから慌てて食べる必要はないのだが、習慣とは恐ろしいものだ。
「良かったらラアナちゃん達も一緒にどうぞ」
大きなテーブルを挟んで宿とは思えないアットホームな食卓を囲む。
「いいなあ、こんなの。どこかの家にお邪魔したみたいだぞ」
「俺、なんか田舎を思い出すなあ」
そう言えば、とサンジは気が付いた。
思い切りトナカイ型でチョッパーが食事しているのに、宿の二人は頓着していない。
主人は少しの酒で真っ赤になりながら、昔の話を語った。
「若い頃、結構あちこち旅をしてね。そこで泊めてもらった農家民宿が忘れられなかったんだよ。大きな宿じゃない、間借りみたいな
 宿だったけどまるで家に帰ったように心地よかった。だからいつか落ち着いたら、旅の人がほっとできる第2の故郷のような宿を
 作りたかったんだ」
ふうんとサンジは微笑んだ。
確かにここは居心地がいい。
この妙な寒気さえなければ。

「旅の人はみんな平等だと思っている。観光客も商人も、盗賊もね」
酒をラッパ飲みしていたゾロが、瓶を下ろして横目でにやりと笑った。
「海賊でもか?」
どうみてもカタギではない、不敵な笑い。
「勿論でさあ。お尋ね者でも鹿でもね」
かかかと酔っ払った主人が豪快に笑う。
「鹿じゃない!トナカイだ!」
チョッパーは青い鼻を膨らませて抗議した。



「いいホテルだね」
「ありがとうございます。助かります」
舐めたように綺麗な皿を積み上げてサンジは手際よくキッチンへ運んだ。
「もう、お父さんったらすっかりお客さんと飲んじゃって・・・」
「いいじゃない。久しぶりの客なんだろ」
サンジはタバコを銜えてから、吸ってもいい?とラアナに尋ねた。
「ええ、どうぞ」
はきはきして、気立てのいい娘だな。
宿に荷物を置いてとっとと遊びに出ようとしてたことも忘れて、サンジは皿洗いを始めた。
「そんなこと私がします」
「いーんだ。俺慣れてるし、なんかしてねえと落ちつかねえってーか。貧乏性?」
ラアナが花のような笑顔で笑っている。
「けど、笑い事じゃねえぜラアナちゃん。今の俺達ですらかなり食っただろう。2日後には恐ろしい胃袋を持った男がやってくるんだ。
 そいつにかかれば通常2週間分の食料が2日でなくなる。いくら幽霊宿とはいえ、この値段じゃあ食費だけで大赤字だ」
顎に手を当ててうーんと唸ってから、サンジは真顔でラアナの顔を見つめた。
「差し出がましいようだけど、俺に台所任してくんねえかな」
ラアナは至近距離で見ると益々可愛い顔をしている。
グレーの瞳は大きく見開かれて、頬は綺麗なバラ色だ。
かーわいーな〜v
またしてもタバコからハート型の煙を出していると、ゾロがどかどかやってきた。
「おっさんが寝ちまったぞ」
弾かれたようにラアナが振り向いた。
「まあ、どうしましょう。父さんったら」
「いいとこで邪魔しやがって」
ぼそりとゾロにだけ聞こえるように耳打ちしたのに、思い切りシカトされた。
「部屋教えてくれりゃぁ俺が連れて行く」
ゾロに話しかけられるラアナは何故だか眉を潜めて、サンジに救いを求めるように視線を送った。
「ああそいつは馬鹿力だから運んでもらうといいよ。俺も一緒に行くから」
サンジの言葉にあからさまにほっとした顔をして、ラアナは部屋に案内した。
1階の自室へと運び入れると泥酔した主人をベッドの上にやや乱暴に寝かせる。
鼻の頭を赤くして実に暢気に熟睡している父の姿にため息をつきながらラアナは深々と頭を下げた。
「それじゃあ俺達も休むから、ラアナちゃんもゆっくりしてね」
早々に退散しようと振り向くと、ゾロの姿は既にない。
「ったく、あいつは顔つきも目つきも悪いし無愛想だけど、わりと無害な方だから・・・」
2週間も世話になるのだ。
一応フォローはしておいた方がいいだろう。
どうフォローしても海賊で賞金首なのに代わりはないのだが。

「ええ、大丈夫です」
だがラアナの表情はどこか強張って見える。
確かにゾロは強面だが、レディから見たら少しは・・・いやかなり魅力的な面のはずだ。
悔しいがその辺りは認めざるを得ない。
「そんなに怖がることはないよ。一般人には迷惑かけないから」
精一杯の笑顔でにっこり笑って見せて、ラアナの笑顔を引き出そうとする。

「でも、あの人の手は血塗れだから・・・」
ぎくりとすることをラアナは呟いて、それから慌てて首を振った。
「いいえなんでもないです!すみません…お休みなさい」
「ああ、ラアナちゃんもいい夢を」
聞き流すふりをしてサンジは部屋を退散した。












どういうこった?
サンジは首を捻りながら自室に戻った。
先に帰っていたゾロはベッドに凭れて持ち込んだ酒をラッパ飲みしている。
サンジはスーツを脱いでハンガーにかけるとつかつかとゾロに近寄った。

投げ出されていた片手を持ち上げてしげしげと見る。
別に汚れちゃあいねえな。
掌を見て甲も見て、よくよく確認してもただの手と変わらない。
タコだらけの分厚い手だ。
爪がギザギザに欠けている。
今度爪切ってやろうかな。
なんとなくそう思って、くんと鼻を近づけた。
ちょっと鉄臭えか?
中途半端に指を開いてされるがままだった手が、がしっとサンジの顎を掴んだ。

上向かされて唐突に口付けられる。
予期しない行動にサンジは手足をバタつかせた。
「・・・ん、ん〜〜〜・・・って、」
かなりの時間食む食むされて、なんとか解放された。
ゾロの手に縋り付く格好でサンジは息を上げている。
「なにしやがる!!陸でまでサカるんじゃねー!!」
「サカってんのはそっちだろ。誘ってんのか」
ゾロは自分の濡れた唇をぺろりと舌で舐めた。
猛獣が餌を前にして舌なめずりしているようにしか見えない。
「ば・・・!誰が誘うか!!てめえの手が汚れてねえか見ただけだ!!」
ゾロの腕ごと払い退けて、後退りする。
確かに自分の行動は軽率だったかもしれない。
なにせ目の前の男は、ところ構わず欲情すれば押し倒す、性欲魔獣でもあるのだから。




実のところ、ゾロとサンジはいつの頃からかそういう関係になっていた。
切っ掛けは酒だったかもしれない。
知らぬ間に押し倒してきたゾロに舌打ちしつつ、目を閉じたのはサンジの方だ。
それからずるずると妙な関係が続いている。
本気で罵り合う、あまり相性がいいとは言えない仲間同士なのに、ゾロが誘えばサンジは断らなかった。
サンジとしては、男に掘られるなど天地が引っくり返ってもありえない、容認しがたい事柄ではあったが、なんせ事実なのだから
仕方がない。
本気で抵抗すればそこそこかわせるかもしれないが、お互い流血沙汰になるのは必至。
下手すると手を怪我する恐れもあるし、なにより強姦というシチュエーションだけは避けたかった。
男が男に無理やりされる。
最悪である。
(相手が)死んでも抵抗したいところだが、なんせ相手は人外の魔獣。
確実に息の根を止められる可能性は0に等しい。
ついでに言うなら、サンジはゾロに死んでもらいたいとは思っていない。
もっと正直に言うなら、夢の一つも叶えて見せろよと心中エールを送ってたりする結構コアな心の友だった。
あくまでサンジの中だけの話。
なもんで、下手に抵抗して無理やり犯されるより、男相手に欲情しちゃった哀れなケダモノに同情しつつ、温かく受け入れて
やっているという態勢を選んだのだ。
これはサンジにしか分からないことだけれど、自分を納得させるって事は結構重要なんである。



「ったく、わかったから先に風呂に入らせろ。がっつくんじゃねえバカ!」
がんと分厚い胸板を蹴って立ち上がった。
さすがに効いたのかゾロは軽く咳をしている。
渾身の力を込めて蹴ったのに、軽い咳で済んでるのがまた癪に障るが。

サンジはどかどかと歩いて乱暴にバスルームの扉を閉めた。
口の中で文句を言いながらシャツを脱いで顔を上げると、正面の鏡にどことなく嬉しそうな男の顔が映っている。
―――げげげ、何顔緩ませてんだよ、俺
慌てて頬を両手でぺちぺちと叩いた。
その時サンジの後ろに写っている壁に掛けられたタオルがするりと落ちた。

・・・なんで、落ちんだよ
振り向いて、床に視線を落とす。
端が引っ掛かってた訳じゃねえだろ。
ちゃんと真ん中辺りで棒に渡してあったじゃねえか。

なんとなく釈然としなかったが、所詮タオルが落ちただけなのでそれほど気にせず拾い上げて肩に掛けた。
先刻までのむかつくやら気恥ずかしいやらの気持ちはどこかに行ったので、鼻歌交じりでシャワーを捻る。
いや、これじゃこれからHするからって浮かれてるみてえじゃねえの。
思い直して顔を洗った。

気を引き締めなければ。
なんせ奴と寝るのは不本意なんだ。
「相手が人間語のわからない見境のないホモだから、仕方ないんだ。ボランティアだ」
ぶつぶつ声に出して呟きつつシャンプーを手に取れば、フローラルな香りが広がる。
う〜んラアナちゃんの趣味だなあ。
一気に気分が高揚してまた鼻歌が出そうになった。
いかんいかんと俯いて、ぎょっとする。
浴室の隅の排水溝に真っ黒な髪の毛がごそりと詰まっていた。

―――なんだこりゃ
泡だらけの手を軽く洗って、恐る恐る摘まみ上げた。
黒くて長い・・・女の髪?
前の客のか?
だが部屋の清潔さからして、ここだけ掃除していないというのは考えにくい。
さすがのサンジも気味悪くなって指を離した。
よく石鹸を泡立てて、隅々まで手早く洗う。

彼にしては実に素早い時間でシャワーを浴び終え身体を拭く。
バスローブはクローゼットかと腰にタオルだけ巻いて浴室の扉を開ければ、とんでもない光景が目に飛び込んできた。
ゾロが寝そべるベッドの上に、長い髪の女が跨っている。
一瞬ぎょっとして慌てて扉を閉めた。

ちょっと待て・・・
扉に頭をつけて数秒考える。
クソマリモの奴、女連れ込んだか?
いや違うだろ。
これから俺と・・・いやそーじゃなくて。
でも今のは・・・
意を決して乱暴に開けると、ベッドの上にはゾロが寝そべっている。
一人で。
「・・・なんだ、さっきからバタバタして」
ゾロが首だけ上げて胡散臭そうな顔で見た。
サンジは「あ」とか「う」の形に口を開けたり閉めたりして、それからむうと怒った表情でどかどかとベッドに近寄り、サイドボードの
煙草に手をつける。
腰を下ろしてスパスパとせわしなく煙を吸い込むと、少し落ち着いた。

「あーその・・・なんだ、おい」
煙草を指に挟んでちょいちょいとゾロを指す。
「てめえ今ここに黒髪の麗しいレディがいたら、いやもし居たとしたら・・・」
そこまでで言い淀む。
ゾロはだるそうに身体を起こすと手を伸ばしてサンジの首の後ろを抱え込んだ。
「ちょ・・・てめえシャワーもまだだろがっ」
「うっせえ、後で入る」
手早くタオルを剥ぎ取ると、全裸のサンジの上に圧し掛かってきた。

明るい室内で、自分はマッパのまま服を着た男に組み敷かれる状況はたまらなく嫌だったが顔には出さない。
抵抗したら自分が惨めになるだけだ。
「跡つけんな。俺だって陸で遊びてーんだから」
サンジの首元に顔を埋めて軽く口付けていたゾロが、不満そうに唸った。
「変態野郎め。陸でまで手出してくんな」
「うっせえ、てめえのが手軽なんだよ」
ちくんと胸のどこかが痛んだが、サンジは敢えて無視した。
その代わりゾロへの憐憫の情を無理やり湧き出させる。
こいつはモノグサで横着なホモ男なんだ、可哀想になあ。
俺が相手してやんねえと板の節穴にでも突っ込むんだぜ。
見境のない穴フェチめ。
ゾロの手が性急にサンジの身体に熱を施す。
その内、胸を占めていたもやもやした感情も分からなくなっていって、サンジは快楽だけに身を任せた。

まあいいや。
俺も気持ちいいし。
突っ込まれるのも大分慣れたし・・・つーかもしかしてこっちのが気持ちいいかも。
とんでもない質量を持ったモノがゆっくりと入り込んでくる。
サンジは浅く呼吸を繰り返して身体の力を抜いた。
それでも息の漏れそうな半開きの口を、ゾロのでかい手が塞ぐ。
――――ああ、男の喘ぎ声なんざ、聞きたかねえよなあ

やっぱり哀しいような切ないような、ちょっと痛い気持ちになってサンジは目を閉じた。


どうやらその時、サンジの中に別のモノも入ったらしい。










刻み込まれた体内時計は陸の上でも狂うことなく、サンジは定刻どおりに目覚めてしまった。
まだ夜は明けきっておらず、カーテンの隙間から差し込む光は柔らかい。
だりーな。
もうちょい寝てるか。
もぞりと寝返りを打つと、抱き込むように隣で眠る固い筋肉に当たった。
乱暴に押し退けても起きる気配はない。
素肌に触れるシーツの所々にざらりとした感触があって、サンジは不快気に眉を顰める。
後でラアナちゃんにこっそり洗濯機を貸してもらおう。
こんなもの、彼女に洗わせたりしたら大変だ。

ラアナの姿を思い描いた途端、サンジの胸の中になんとも言えないじんわりとした温かいものが溢れた。




シャワーを浴びて、空いたままのベッドにもう一度寝直す。
あまり早い時間から客が動き回るってのは、宿主も休まらないだろう。
昨夜と同じ部屋なのに、朝日が差し込むだけで全く違う印象を受ける。
部屋に足を踏み入れた瞬間、背中に下りてきた悪寒に似た空気は何だったのかと改めて思う。
浴室に行っても、昨夜の髪の塊は跡形もなかった。
ゾロが捨てるとは考えづらい。
「夢か?酔っ払ってたのか、俺」
ゾロとの情事は跡を残しているけれど、その前のホラー体験は靄にかかったようではっきりと思い出せない。
隣のウソップやチョッパーも静かだったし、きっと何事もなかったのだろう。
ベッドに横になってそんなことと考えている内に、どうやらうとうとしたようだ。




「飯だってよ」
乱暴な口調とは正反対の優しい手が、額の髪を掻き上げた。
サンジはぱちりとまぶたを開けて、慌てて飛び起きる。
「え、俺寝てたのか」
陽射しはすっかりきつくなり、あろうことかゾロは身支度を終えていた。
「なんてこった、俺がマリモに起されるたあ・・・」
こんな明るい室内で無防備な顔を晒してしまったかと思うと、気恥ずかししくて暴れたくなった。
「先行ってるぞ」
サンジの内心の葛藤など知らぬ顔で、ゾロはさっさと階下に降りる。
寝癖のついた頭を手櫛で直して、サンジも慌てて顔を洗った。