「久しぶり」
不意に声を掛けられ、振り向くより先にその声の主が思い当たった。
そのことに驚いて、つい目と口を開けたまま振り返る。
「なんだ、間抜けな面して」
相変わらず失礼な物言いで、ゾロが立っていた。
「10年ぶりか?」
「そっか、それくらい経つかな」
立ち話もなんだからと、誘われるままバーに入った。
慣れた仕種でいつものと注文し、お前も何か飲めと横柄に顎で示す。
そんな態度は学生だった頃と少しも変わらない。
「この店はよく来るのか」
「ああ」
「いい店だな、表からは店だとわからなかったけど」
「そうだろ」
たまたま入ったら気に入ったんだと、薄く笑った。
暗い照明の下で、うっすらと無精髭が浮いた横顔は頬が削げ、精悍さを増していた。
隣り合って座ると上着からゾロの匂いがして、つい深く息を吸い込んでしまう。
「相変わらず煙草臭えな」
先に言われてしまって、そっちこそと言い返した。
「俺は煙草吸わねえぞ」
心外そうに片眉を上げて見せる。
そんなクセも、昔のままだ。
「マリモ臭えんだよ」
そう言ってやったら、なんだそれと口端だけ上げて酒を飲み干した。
「いま何やってんだ」
「店やってる、レストラン」
「お前の店か」
「おうよ」
「すげえな」
鼻から煙を吐いて、お前は?と顎で示した。
「トレーダー」
「なにそれ、胡散臭っ!」
言い返しもせず、喉の奥でくくくと笑っている。
「結婚したんだろう?」
指輪がないことを見咎めたのか、さり気なく聞いてくる。
商売上指輪はしないと誤魔化すこともできたが、止めにした。
「バツ一」
「逃げられたのか」
「なんで?」
思わずビックリして素で見返したら、図星かよとまた笑われた。
新婚生活は楽しかった。
可愛い奥さんのためにと一生懸命働いて、細かい記念日もちゃんと覚えていてその都度お祝いした。
なのにある日家に帰ったら、奥さんは荷物と一緒に消えていた。
「寂しいからバイバイ」と書かれたメモと、離婚届だけをテーブルの上に残して。
彼女が再婚したと人伝に聞いたのは、それから半年後のことだ。
「お前は尽くし過ぎるんだよ」
「好きな子を大事にして、なにが悪い」
「女相手だから付け上がらせるんだ」
男相手だって付け上がったじゃねえか。
どの口が言いやがる。
空のグラスを掲げ、お代わりと差し出しかけた腕を掴まれた。
なんだよと睨み付けるのに、ゾロの目は相変わらず笑っている。
「久しぶりにホテル行こうぜ」
「ああ?」
ついさっき偶然会っただけなのに。
しかも10年ぶりなのに。
何考えてんだと返す声は掠れていて、その先は続かなかった。
「ありえねえ・・・」
淀んだ空気の中、立ち昇る紫煙が天井近くに層になって溜まっている。
安ホテルの一室で、素っ裸にシーツだけ巻きつけてぼんやりと空を見つめた。
勢いでやってしまった。
知り合いとは言え、ほとんど行きずりの行為に近い。
懐かしさに負けてとか昔馴染みだったからとか、そんな感慨も言い訳も飛び越えて、獣みたいに貪り合ってしまった気がする。
ゾロに抱かれると我を忘れる。
なにもかもかなぐり捨ててこの瞬間のためだけに生きている、そんな気になるから嫌なのだ。
それが嫌で逃げたのに――――
シャワー室の明かりが消え、頭からバスタオルを被って下は全裸のゾロが堂々と出てきた。
まだ拭いきれない雫も気にせず、さっさと下着を身に付けている。
せかせかした動作は、彼が急いでいることを暗に物語っていた。
やるだけやってさっぱりしたら、もうさよならか。
仕上げみたいにガシガシと短い髪を拭って椅子にタオルを投げ掛けると、一旦踵を返して脱ぎ散らかされたサンジの上着を拾った。
勝手にポケットを探って携帯を取り出す。
自分の携帯と通信させて、テーブルの上に置いた。
「勝手になにしてやがるんだクソ」
気だるげに悪態を吐くと、ゾロは自分の携帯を掲げて振り返った。
「これからバンコクに行く」
「は?」
「帰ったら、連絡する」
じゃあなとだけ言い残し、振り返りもせず部屋を出て行った。
軋む廊下の足音も遠ざかってしまってから、ゆっくりと時間をかけて煙草を吸い切り灰皿に揉み消した。
それからのろのろとした動作で床に手を着いて、腕を伸ばしテーブルの上の携帯を取る。
着信を知らせるランプを消して、ほうと大きく息を吐いた。
明日から、日に何度も携帯を確認するクセが付くんだろう。
それが容易に想像できて、ウンザリだなと呟いた。
END