昼間は汗ばむほどの日差しなのに、日が暮れると途端に空気が冷え冷えとして肌寒く感じる。
寒暖の差が激しい季節に入り、ゾロも起き抜けにくしゃみを連発する程度には不調だった。
これも季節の変わり目だろうと、すっかり日の入りが早くなった薄暗い道を軽トラにライトを点けて帰ってくれば、風太と颯太の
激しい鳴き声が出迎えてくれた。
ゾロの帰りをここまで歓迎してくれるということは、まだ散歩に出かけていないということだ。
キャンキャンうるさい声を背に、とりあえず家の中に入って「ただいま」と声を掛ける。
「おかえり」と応じる声に、力がない。

「どした」
「ごめん、なんか熱っぽくて」
押入れの中にしまわれていたふかふか毛布を引っ張り出したか、ぐるりと身体に巻き付けたまま蹲っている。
炊飯器からは終了間近の音と匂いがして、ポットの湯も湧いているが夕食の支度はまだのようだ。
「ごめん、風太達の散歩に行ってない」
「いま行ってくる、とりあえずお前そんなとこでしゃがんでないで寝てろ」
ゾロはテキパキと布団を敷くと、サンジを毛布ごと横たえて上から掛け布団を乗せた。
首元まできっちりと隙間のないように押さえて、額に手を当てる。
「ん、あちいな」
手の皮が厚く体熱も高いゾロの掌であっても、サンジから発する熱は感知できた。
「熱、計ったか?」
「夕方、37度5分くらいだった」
「もうちょい上がってきてるかもな」
冷凍庫からアイスノンを取り出し、タオルで包んで頭の下に敷いてやった
濡れタオルを額に乗せ、もう一度確かめるように首元を軽く押さえて隙間をなくす。
「大人しく寝てろよ、飯も適当に作ってやる」
「ごめん、疲れて帰ってきてるのに」
弱々しい声は、熱のせいと言うよりゾロへの遠慮と申し訳なさの表れだ。
「具合悪い時は、お互い様だろ」
ゾロだって、たまには鬼の霍乱をする。
その時サンジに、あれこれと甲斐甲斐しく世話をされたのはなんだか嬉しかったものだ。
そして今、こうしてサンジの面倒を見る状態になると「面倒」というより「やらねば」といった使命感が湧き上がっていて、正直
テンションが上がっている。
ゾロはもう一度サンジの額に乗せた濡れタオルに手のひらを乗せ、そっと立ち上がった。


―――なにしてたのもう、早く早く!
と言いたげに激しくジャンプする風太の鎖を、手間取りながらも外してやった。
颯太は風太ほど明快なリアクションを見せないが、それでも彼らしくなく落ち着きなく前足をバタ付かせている。
どちらも散歩を待ち兼ねていたのがアリアリとわかって、気の毒と思うよりおかしかった。
「悪かったな、ほら行くぞ」
犬に話し掛けるのもいつしか抵抗がなくなって、サンジが一緒な訳でもないのにゾロはあれこれと呟きながら真っ暗な
田んぼ道を歩いていた。
風太の姿はすぐ闇に紛れるが、颯太の白い尻尾はよく見えていい目印だ。
畦道をぐるりと一回りする頃には二匹はすっかり落ち着いて、いつものペースでふんふんと鼻を鳴らしながら歩いて帰る。

犬小屋に繋いで水をやり、それぞれの皿にドッグフードを入れて置いてやった。
いつまでも子どもっぽくわかりやすい反応を見せるのは風太で、颯太は風太より月齢が低いのにリアクションに乏しく、いつも
冷めたような目でゾロ達を見ている。
それでいて、颯太は風太に服従していた。
風太が口を付けなければ自分も食べないし、風太が歩き出してから自分もその後に続いたりする。
なんでも風太を基準に見ているようで、側にいて安心できるのだろ。
性格は真逆なのにいいコンビじゃないかと、ゾロは他人事みたいに感心してる。

家の中に入ると、サンジは布団の中で先ほどと同じ体勢のまますうすうと寝息を立てていた。
居間の電気を一つ消して薄暗くし、台所の明かりを点ける。
炊き立てのご飯を少しよそい、鍋に入れて水を足した。
弱火に掛けて柔らかく煮直してやる。
冷蔵庫に豚肉があったから、豚肉と白菜ととろとろ煮を作ろう。
そう思い立ったが、少し考えて白菜をレタスに変えた。
少しでもよく眠れるといい。

鍋に取り置きしてあるだしを入れて、荒く切ったレタスを加える。
沸騰してきたところで細切れの豚肉を投入。
豚肉に火が通ったら醤油を回し掛けて、溶き卵を菜箸に伝わせながら流し入れた。
最後に水に溶いた葛を入れ、すりおろした生姜を加えてとろりとしたところで火を止める。

即席お粥を茶碗によそい、隣のおばちゃんから貰った梅干を一つ乗せる。
とろとろ煮を少なめに皿によそって、冷ました緑茶と共にお盆に乗せて居間に運んだ。
サンジは、ゾロが歩いてくる気配に目覚めたか緩く寝返りを打った。
「あ・・・おかえり」
「起きれるか?飯できたぞ」
悪い・・・と消え入りそうな声で呟き、サンジは肘を着いて身体を起こした。
額に乗せてあったタオルがぽろりと落ち、そこで初めてその存在に気付いたようだ。
布団が湿らないようにと素早く拾い、卓袱台の上に乗せた。
「どうだ具合は。頭痛とかねえか?」
「ちょっと痛い、あと背中がゾクゾクする」
「これから熱が上がってくるな」
背中に手を回し、毛布を引き上げてやった。
近付けば、サンジの吐く息の熱さが地肌に触れる。
頬は紅潮しているのに、額から瞼に掛けては青褪めて見えた。
「無理して食わなくていいぞ、食えるだけで」
「いや、できるだけ食う」
半ば意地になりながら、サンジは箸を持ってお粥が入った茶碗を口元に持って行った。
猫舌なのは知っているから、ある程度冷ましてある。
お粥が少し冷めて、柔らかい米の表面だけぱりっと乾いているのが好きだとか、割とどうでもいいことを思い出してしまった。
そんな些細な事柄も、サンジが言った台詞なら記憶に残ってしまって、ふとした折に甦る。

「美味い」
「まだ味、わかるか?」
「鼻詰まりとかねえから、楽」
「喉は?」
「ちょっとイガイガする」
言われて初めて気付いた、という風にサンジは喉を押さえて首を傾げた。
「でも、こうして飯を食うと喉が広がるのか麻痺するのか、ちょっとマシになる気がしねえ?」
「そうかもな」
サンジは真剣な眼差しで一生懸命料理を口に運び、茶碗に半分の粥と梅干1個と、とろとろ煮を食べて箸を置いた。
「全部食べたな、偉い偉い」
「美味かったもんよ」
食事を取ったせいか、サンジの額にも赤味が戻ってきた。
が、瞳は腫れぼったく潤んで見える。
そろそろ本格的に発熱してきたらしい。
「もう寝ろ」
「その前にトイレ行って、歯磨いてくる」
立ち上がろうとするサンジに手を貸したら、そこまでいいと笑いながら手を押しやられた。
ちょっと寂しい。

サンジが洗面所にいる内に、ゾロはサンジの皿を片付け改めて自分の食事を用意した。
とろとろ煮の残りと漬物と、炊飯器に残った飯だ。
サンジがしんどくても出されたものを全部食べたのは、自分の食べ残しをゾロに食べさせたくなかったからだろう。
いくらゾロが大丈夫だと言っても、サンジは風邪がうつると嫌だからと食事も寝床も別にしたがる。
今夜もきっと、客用布団の出番になってゾロは台所に寝かせられるのだ。

ゾロがモグモグ食べている間に、サンジは亡霊のようにふらふらと居間に戻ってきて、そのまま布団の中に潜り込んだ。
枕に頭を乗せてから、ふっと上げる。
「・・・店、どうしよう」
「明日の朝の体温で、判断したらどうだ?」
今日は水曜日で、明日は木曜日。
明後日から3日間、レテルニテの営業日だ。
サンジは毛布の隙間から頭を擡げていたが、諦めたようにしゅんと項垂れた。
「ゾロ、悪いけどお知らせ作って」
「店、止めとくか?」
「ん、風邪だとお客さんにうつす可能性があるから、やっぱ止めとく」
「風邪じゃなくて、季節の変わり目の体調不良なんじゃねえのか?」
別に、鼻や咳の症状は出ていない。
「そんでも、病み上がりの料理人が作る料理なんてお客さん食いたくないだろ」
この辺りの潔癖さは、ゾロが何を言っても譲らない頑固さがある。
「そうだな、無理せずゆっくり休むといい。HPと和々での掲示と、たしぎにも言っとく」
「メールで予約確認しておいて、あとお得意さんにも一応知らせておいて」
「駅のおっさんにもな」
「あー、野菜の仕入れ。魚市場のおっさんも」
「俺から連絡しとくから、とにかくお前はもう寝ろ」
タオルを新しく絞り直して、額に乗せてやる。
体温を測り直せば、38度6分と表示した。
「本格的に出てきたぞ、おやすみ」
「ごめんな、悪い・・・おやすみ」
居間の電気を消して、台所の明かりも小さめにする。
パソコンをつけて、忘れない内にメールで連絡できるところには知らせた。
ついでに緑風舎にも一報入れて、明日はゾロも休みにする。
付きっ切りで看病しなければならないほど重篤ではないだろうが、ゾロだってたまには丸一日サンジを構い倒して一緒にいたい。
本人は熱を出して、申し訳なさで消え入りそうになりながらフウフウと熱い息を吐いているのに。
気の毒で不謹慎だと思いつつも、ゾロはちょっと浮き浮きしていた。

夜になって少し風が出てきて、聞こえてくるのは枝が擦れるサワサワとした葉音。
時折チャラリと、硬い金属音がするのは風太の首輪か。
それとも颯太か。
パソコン画面から発せられる光の前で、ゾロはコーヒーを傾けながらパチパチとキーを叩く。
耳を澄ませば、居間で眠るサンジの寝息がかすかに届いた。
心配で寂しくて、静か過ぎる夜なのに。
どこか満ち足りた気分で、ゾロは音を立てず冷めたコーヒー飲み干した。





End





静寂