Papa told me

俺は繁みの中に潜り込んで途方にくれていた。
血は止まったみたいだけど、やけに目立つ傷だ。
どう言い訳しようかな。
枝に引っ掛けたとか、出ていた釘に引っかかったとか・・・。
う〜んと考えていたら、急に目の前が明るくなった。



お日様を背に受けて、綺麗な金色がふわりと目の前に広がる。
「仔ゾロ?」
煙草の匂いが鼻先を掠めた。
いきなり現れた黒ずくめの男は、長い手足を折り曲げて俺の前にしゃがみこんだ。
「お前、仔ゾロだろ」
いきなり隠れ家を暴かれて、違う名前を呼ばれて俺はむっとした。
「ゾロは父ちゃんの名だ」
「だから仔ゾロだろ」
煙草をくわえたままにやりと笑い、俺の腕に目を落とす。
「怪我してんのか」
差し伸べられた手から逃げようとしたのに、案外素早く俺を捕まえた。
「噛まれたのか?」
「違うよ」
「噛まれてんじゃねーか!」
俺の腕にはキバの跡がくっきりついている。
「なんだ?野良犬か」
そいつの目つきがやけに真剣になったから、俺は仕方なく話し始めた。
「由香ちゃんが犬に唸られてたから・・・」
「うん」
「そいつ野良みたいだったから」
「うんうん」
「俺が追っ払ってやって・・・」
「うん」
「そしたら、飛びかかってきて」
「うん」
「噛まれた」
「やっぱ噛まれてんじゃねーか!」
俺の頭をぺしんとはたいて、いきなり担ぎ上げた。
「なにすんだ!」
「病院に行くんだよ。ビョ―イン」
「こんなのなんともないぞ」
わたわた暴れる俺の尻をぱしっと叩いて、男は大股で歩きはじめた。
「阿呆。獣に噛まれたら、狂犬病やら破傷風の危険があるんだ」
結局俺は強引に病院に放り込まれた。



傷を縫うのは平気だったけど、後の点滴には参った。
ベッドに寝かされて細い針を刺されて、じっと寝てなきゃならない。
その間ずっとそいつはついててくれた。
「保険証は後でもよろしいんですが・・・」
「いやあいいですよ。実費で払いますv」
「かなり高くなりますが、よろしいんですね。あ、お薬お渡ししときますね」
看護師さんと嬉しそうに会話しながら、薬を受け取っている。
こいつ、女好きなんだな。
俺はなんとなく直感でそう思った。



「よかったなあ、仔ゾロ。もうすぐ点滴終わるぞ」
「その仔ゾロっての、止めろ。俺には立派な名前がある」
「いいじゃん、仔ゾロは仔ゾロだろ」
最初からやけに馴れ馴れしい。
でもなんとなく俺にもこの男に見覚えがある気がする。
「父ちゃんの友達か?」
「ああ、そうだ」
なんか似合わねえ。
父ちゃんの友達は大体道場関係で、男臭い奴ばかりだ。
こんなひょろひょろした軟派な奴は似合わねえ。
「あ、点滴終わりそうだな。看護師さん呼ばなくちゃv」
嬉しそうにナースコールしてる。
やっぱり、合わない気がする。








結局、俺の腕には白い包帯がきっちり巻かれてしまった。
「みっともねえ」
「何言ってんだ。レディを守った証じゃねえか。かっこいいぜ」
男は病院を出て早々、煙草に火をつけてにかっと笑う。
「俺、やっぱあんた見覚えあるな」
口に出して言うと、なおさら嬉しそうな顔になった。
「そっか、覚えてたか。お前がほんとに赤ん坊の頃、よく遊んだんだぜ」
本当に父ちゃんと友達なんだな。
そう思ってたら腹がぐうとなった。
おやつ食べ損ねてる。
「お、腹減ってんのか。よかったら家来いよ。なんか食わせてやる」
そう言って早足で歩きだした。
足が長いから追いつくのが大変だ。




そいつの家は俺たちが幽霊屋敷と勝手に呼んでたとこだった。
いつ通っても人の気配がない古びた洋館で、俺達子供にとって興味の的だったとこだ。
でもそいつが中にいると、印象ががらりと違う。
綺麗に掃除されているが、どこかがらんとしている。
「手を洗って席につけよ」
俺と一緒に自分も丁寧に手を洗って、何か台所でごそごそしだした。

俺はとりあえず台所の大きなイスに座って、部屋の中をくるりと眺めた。
広い家だけど、最小限の荷物しかないみたいだ。
台所だけ、やけにたくさん道具が置いてある。
「お前一人で暮らしてんのか」
俺の声に、振り向かないで笑っている。
「そうだぜ。ああごめんな。俺はサンジってんだ」
てきぱき動かしている手元から、何かいい匂いが漂ってきた。
―――サンジ、聞いたことねえなあ。
テレビはないかときょろきょろしてたら、目の前にホットケーキみたいなもんが出てきた。
「即席で悪いな」
それは母ちゃんがたまーに作ってくれる、ホットケーキより薄いけど、とても綺麗な焼き色で
ふわふわしてて、なんだかわからないジャムみたいなものが2つも添えられていた。
それにすっげーいい匂い。
「うまい!」
ひと口食べて、夢中になった。
「あー仔ゾロはいいよなあ。反応が素直でよお」
そいつは、サンジは心底嬉しそうに言い、俺にホットミルクを入れてくれる。
「サンジ、うまいなあ。かーちゃんとえらい違いだ」
「ああ、たしぎちゃんか。確かに得意そうじゃねえな」
なんだ、母ちゃんとも知り合いか。
「こないだ珍しくホットケーキ作ってくれたけど、真っ黒ですんごい分厚くて中が生だった」
サンジは煙草に火をつけながらぷっと吹き出した。
「しかも粉っぽかった」
今度は身を折って笑い出した。
「一生懸命やってんだよ。たしぎちゃんも・・・」
「そりゃあ、わかってるよ」
だって母ちゃんの作ったおやつだって、同じようにおいしいんだから。





結局、夕暮れまでサンジの家で話してた。
サンジは街中のレストランで働いてること。
今日はたまたま定休日で散歩中だったこと。
「俺んちに遊びに来たことないよねえ」
「そうだな」
サンジの青い瞳は、時折寂しそうな光になる。
何でだかわからないけど、俺はそう思った。
気が付いたら真っ暗になってて、俺は慌てて立ち上がった。
「ご馳走様。俺帰る」
「気をつけてな」
食べ終えた皿を流しまで持って行くと、えらいえらいと誉めてくれた。
「病院のこと、ちゃんと言うから」
「いや、言わなくていい」
「なんで?」
あの看護師さん、高いって言ってたのに。
「今日のこと、俺と仔ゾロだけの秘密な」
いたずらっぽい目で、サンジが人差指を立てる。
なんだかわからないけど、秘密ってのはドキドキするな。
「父ちゃんにも言っちゃダメか」
「だめだ」
妙にきっぱりとサンジが答える。
ちょっと腑に落ちなかったがまあいいやと俺は思った。
「また来ていいか?」
サンジは一瞬困ったような顔をしたけど、「いいぜ」と笑ってくれた。
俺はちょっとホッとして、それから家に走って帰った。










「食事中に新聞読むの、やめてください」
「うー」
生返事をして、父ちゃんは新聞に目を落としている。
母ちゃんもそう言っときながら、難しそうな書類を横において、目を眇めながらご飯食ってる。
「おかわり!」
「はいはいはい」
慌ててご飯をよそってくれた。
俺の腕の傷には二人とも気づいていない。
家に帰ってすぐ部屋で長袖に着替えたし、もともと二人とも俺のことを神経質に気にかける
タイプじゃないから。
そう思って油断してたら、母ちゃんがいきなり言い出した。
「そう言えば、隣の由香ちゃん、助けたんだって?」
ぎく!
「犬を追っ払ったそうね。由香ちゃんのお母さんからお礼言われたわ」
「別に・・・たいしたことねえよ」
ご飯をかき込む俺の頭に、父ちゃんがでかい手を置いて、ぽんぽんと軽く叩いた。
よくやったと言ってるんだろう。
父ちゃんは極端に口数が少ない。
必要なこともそうでないことも話さない。
自分の親ながら何を考えているのかよくわからないし、ちょっとおっかないが、父ちゃんのような
男になりたいと思う。










サンジと父ちゃんがどういう友達なのか知りたかったけど、約束だから何も言わなかった。
それから俺は、サンジが休みのたびに家に遊びに行くようになった。
テレビもおもちゃも無いけど、おいしいおやつとサンジがいるから、楽しみでしょうがなかった。
サンジはいつも朝早く起きて夜遅く帰ってくるから、余計なものは何もいらないらしい。
綺麗だけど殺風景な部屋には、生活感がない。
あんなに女好きなのに、恋人もいないみたいだ。
サンジの顔は綺麗で、とてもかっこいいのに何でだろう。
俺がそういうと、「一人のレディに縛られたくないのさ」と変にかっこつけて笑った。



それからいろんな事を教えてくれた。
父ちゃんと母ちゃんの馴れ初めとか。
見合いだったけど、母ちゃんは道場のアイドルで、結婚するまでに父ちゃんはすげえ人数の男と
勝負しなきゃいけなかったこととか、父ちゃんの父ちゃん、つまり俺のじいちゃんが病気で、
結婚を急いだとか。
こんなに一杯サンジは父ちゃんのことを話してくれるけど、俺は父ちゃんの口からサンジの名前を
聞いたことがない。
なんだか不思議で、ちょっと切なくなった。










何時の間にか木枯らしが吹き始め、寒い季節がやってきた。
俺はマフラーをまいてサンジの家のドアを開ける。
いつもは暖かい部屋の中がひやりとしている。
―――留守?
だけどサンジは相変わらずキッチンで何かしてた。
「こんな寒いことで何してんだ」
「おう、仔ゾロ来たか。悪いな、今暖房つけるから」
パイ生地の仕込みをしてたんだよ、と慌てて片付ける。
マジで寒いのに、サンジはめちゃくちゃ薄着でいる。
血の気の失せた白い顔で、俺に熱いお茶を入れてくれた。
俺は走ってきたから、そんなに寒くないんだけど。
カップを受け取る手に触れたら、サンジはうひゃと声をあげた。
「あったけー、お前なんてあったけえ手だ」
ぎゅっと俺の手を握る。
「すげーこんなに小さいのにあったけー」
サンジの手は氷のように冷たかったけど、俺は嫌じゃなかった。
サンジは俺の手をぎゅっと握って、すぐに離した。
「ごめんな。冷たかったろ」
「サンジ、ちょっと」
「ん?」
今度は両手でサンジの手を包んでやった。
「あったけえか?」
俺の手からみるみる熱が奪われていく。
それでも俺は何とかサンジをあっためてやりたかった。
サンジはびっくりしたような顔でじっとしてて、それから少し笑って泣きそうな顔になった。
なんでこんな顔するんだろ。
サンジは何が哀しいんだろ。
聞けなくて、俺も困る。
どうしてサンジは俺のこと名前で呼んでくれないんだろう。
サンジの冷たい手を握りながら、俺は唐突にわかった気がした。

俺は、父ちゃんの代わりなんだ。
父ちゃんのこと話してるサンジはとても楽しそうで、嬉しそうで、だから哀しいんだ。
今度はこっちが泣きそうになった。
サンジが素早く見咎めて、慌てて声をかける。
「仔ゾロ、冷てえんだろ、ごめん」
「ちげぇよ」
サンジの優しい目が覗き込んでくる。
俺は違う方に話を振った。
「どうしたんだ?」
「いや、なんか最近・・・母ちゃんの様子が変でさ」
これも俺には引っかかってたこと。
こんなこと誰にも相談できないし。
「たしぎちゃんが、どうかしたのか」
俺はサンジから手を離して、暖かいカップを手にとった。
「なんか最近思いつめた顔してボーっとしててさ。前からドジだったけど輪を掛けてへまするし。
 それに―――」
つい声のトーンが落ちる。
言ってもいいのかな、これ。
サンジは俺の横にしゃがんで、顔を近づけてくる。
「夜中に起きたら、かーちゃん一人で泣いてたんだ」
「え!」
サンジが絶句したのがわかった。
顔から血の気が引いている。
「それ、ゾロは知ってるのか」
「知らないと思う。言った方がいいのかな」
サンジが不安そうな顔をするから、俺まで不安になってきた。
「・・・いや、俺から話しとくよ」
サンジは俺の頭を撫でて、そっと微笑んだ。
「お前は心配しなくてもいいぞ」
そう言われても、俺の不安はなくならなかった。
母ちゃんだけでなく、サンジまで失いそうな予感がしたから―――。










そしてある日唐突に、その時がやってきた。
俺が家に帰ったら、台所の机の上にぽつんと手紙が置いてあった。
母ちゃんの字だ。
何が書いてあるのかわからないけど、俺は妙に胸騒ぎがして、手紙を握り締めてサンジの家に
駆け込んだ。



窓の向こうに父ちゃんの姿が見えた。
腕を上げて、何か話してる。
「俺は許さねえぞ」
声が怒ってる。
サンジの顔も、なんか険しい。
「選んだのはてめえだろ。親父さんが癌だってわかったときから、もうてめえの道は決まってたんだ」
サンジの声も荒い。
いつものサンジじゃない。
「だからって今さらお前、どこ行くってんだ」
「どこだろうが勝手だろうが!もう縛られるのはうんざりだ。俺は俺の道を行く」
エプロンを机に投げ捨てた。
怒ってるのに、辛そうな顔。
父ちゃんはぎりぎりと歯を噛み締めている。
「俺がやりたい放題生きてんのは、自覚してる。だがてめえを手放すくらいなら―――」
「言うな!」
驚いた。
こんなに喋ってる父ちゃん見たの、はじめてだ。
「キレイな嫁さんと可愛い子供がいて、その上都合のいい愛人まで抱えようなんざ虫が良すぎる
 と思わねえのか!」
よくわからないけど、あんまりサンジが辛そうなんで俺はドアを開けた。


「!!」


二人が俺を見て凍りつく。
「・・・仔ゾロ!」
サンジの声は悲鳴に近かった。
けど俺はその声を無視して父ちゃんの胸に飛び込んだ。
「父ちゃん、かーちゃんの手紙・・・」
俺の手に握り締められた封筒を父ちゃんは引ったくるように取って中を見た。
ひらりと落ちたのは離婚届。
それから――――
じーっと黙って読んで・・・手紙に目を落としたまま
「・・・あのアマ―――」
と呟いた。



「な、なんだなんて書いてあるんだ。おいゾロ!」
父ちゃんの周りで落ち着きないサンジがとうとう業を煮やして父ちゃんから手紙を奪い取った。
目を走らせて、「はあ?」と声を上げる。
「・・・世界刀剣協会って、すげえのか?」
「・・・ああ」
「学術研究員ってすげえのか?」
「さあ―――」
「夫と子供を置いて夢に走る私を許してください・・・て――」
「うー・・・」
父ちゃんががしがしと頭を掻く。
「前からあいつはこれでもかって程鈍かったんだ。そいつに俺らのことがバレてる訳ねえんだよな、
 大体。あの刀バカ、自分の夢叶えに行きやがった」
ぱしっと膝を叩いて椅子に座った。
なんか顔が笑ってる。
「じゃあ思い詰めてたってのは・・・これのこと?」
呆然としたサンジは、父ちゃんの顔を見て、それから俺の顔を見てなんとも複雑な、
哀れむみたいな顔をした。
俺達父子はどうやら、母親に捨てられたらしい。

父ちゃんははたと気がついたように俺とサンジの顔を見比べた。
「ところで、サンジはともかくなんでお前ここ知ってんだ?」
また怖い顔になったから、俺はサンジの前に立ちふさがった。
「父ちゃんこそサンジ泣かせてんじゃねえぞ」
「なんで俺が泣いてんだよ!」
サンジの抗議はこの際置いといて。
「サンジは俺が守ってやんだから。いくら父ちゃんでも承知しないからな!」
父ちゃんは呆けたような顔をして・・・それから眉間に物凄い皺が寄った。
「―――てめえ、人の息子たぶらかしてんじゃねえぞ」
「違う!誤解だ!!このバカオヤジ!!!」
・・・なんか喧嘩が違う方向に行っちゃったみたいだ。











寒い冬が来て、新しい年が明け、風に花の香りが混じるようになってきた。
父ちゃんは結局離婚届を役所に出した。
この先広い世界でかーちゃんが誰かに出会ってもいいように、縛らないようにと思ったそうだ。
かーちゃんが居なくなったのは寂しいけど、俺は結構元気でいる。



サンジは古い洋館を出て、何故か俺の家で暮らしていた。
レストランで働いているのは相変わらずだから、いつもあまり姿を見ないけど家の中はきれいに
片付いてるし、休みの日は一緒にいて、おやつを作ってくれる。
近所のうるさ型のオバちゃんたちとも仲良くやっているようで、時々道で井戸端会議にも参加してるみたい。
変わったことといえば、父ちゃんがよく喋るようになったこと。
前よりは・・・だけど。
サンジとしょっちゅう言い争いしてるし、父ちゃんにあんなこと言えるの、サンジだけなんだろうなあ。
それでも多分、二人は仲がいいんだ。
それから―――
サンジはもう俺を「仔ゾロ」とは言わなくなった。
ちゃんと名前で読んでくれる。



「たしぎチャンから、電話ー」
母ちゃんは時々連絡をくれる。
遠い国で楽しくやってるみたいで、いつも声が弾んでいる。
「―――ああ、入学祝?ランドセルも机ももう買ったぞ。今更何言ってやがる」
母ちゃんと話してる父ちゃんの顔は穏かに笑っている。
サンジはそんな父ちゃんを見ながら、コーヒーを淹れている。
俺にはまだ、ホットミルクね。

「おい、代われってよ」
受話器を貰って、懐かしい声を聞く。
「―――うん、なんも不自由ない。・・・うん、サンジが居てくれるし―――」
母ちゃんが居たときより家の中がキレイだとは言えないけど・・・
前から気になってきたことを、ちょっと聞いてみようと思った。
「ねえかーちゃん。ところで、『都合のいいアイジン』って何?」

 ぶ――――っ!!

後ろで盛大に二人がコーヒーを吹いた。
汚ったねーなあ。
母ちゃんは受話器の向こうで何やら大笑いして、それから声を潜めて俺に言った。

「もし、日本に帰ったら―――、今度は私がそうなろうかな」
結局意味はわからなかったけど、今の母ちゃんの言葉をまだ咳き込んでる二人に伝えたら
どんな顔をするだろう。
試してみたかったけど、母ちゃんのお喋りはまだ終わらないからもう少し付き合ってやらなきゃ――




春はもう、すぐそこまで来てる。




                                 end