誰が見ても不憫な王子に、紫の魔女は一つだけ魔法を授けた。
「王子を大きくすることはできないけれど、王子が唱える呪文で王子が望むものを大きくすることができる魔法を授けましょう」
賢明な国王夫妻でも、俄かに意味はわからなかった。
「この魔法をどう使うのかは、王子次第」
魔女は杖を一振りして、輝く光を王子の手に纏わせる。
「小さく生まれついたのは、王子の宿命。それを変える力は私にはない。ただ、この子の幸せな人生を祈っているわ」
魔女の祝福を受け、小さな王子サンジはすくすくと育っていった。

魔女が授けた魔法の意味を、さほど時を置かずして国王夫妻は知ることになった。
サンジは物心ついてより、何かを作ることに夢中になっていた。
誰の目にも止まらないような小さな花々を束ね、王妃の手のひらに差し出す。
王子が呪文を唱えれば、それはムクムクと大きくなり誰も見たことないような珍しい花のブーケになった。
妹達のドールハウスに住み、おままごとセットをいじっているうちに料理の真似事を覚え、名うての職人に小さい調理セットを作らせた。
最初は卵のひとしずくで見事な卵焼きを作り、呪文を唱えて妹達に振る舞って好評を得、やがてレパートリーの幅を広げて作っては
家族に食べさせるけとに喜びを見いだしていく。
やがて、王子が一言唱えれば、宮殿の豪奢な食卓に溢れんばかりの料理が並べられるようになった。
妹達のお茶会にはいつも王子が同席して、お菓子を作っては貴婦人達に振る舞いもてなしをする。
王子が唱える呪文はいつしか「Bon appetit!(召し上がれ)」に定着し、サンジはまさしく魔法使いの王子となったのだ。

そんな王子の、19歳の誕生日は目前に迫っていた。
普通、第一王位継承者たる王子は20歳までに結婚相手を決める。
毎夜のごとく開かれる晩餐会はそんな王子の花嫁選びの場所でもあるのだが、サンジにとっては違っていた。
誤って踏まれないよう、テーブルの中央のトレイの上に、特別にしつらえられた玉座で寛ぐサンジ。
美しく着飾った淑女達が入れ替わり立ち替わりそんな王子に挨拶していく。
それでいて、彼女達のお目当ては弟王子達なのだ。
サンジはそれがわかっている。
よくわかっているから、いつも笑顔を絶やさないし、もてなしの心も失わない。
人々がこんな優しい王子を心から愛しているのはわかっているのだ。
けれど王子は王妃をめとることはできない。
仮初めの結婚はできても結婚生活は送れないし、子をなすこともできない。
物理的に多分無理。
もちろん、王子を慕ってくれる心優しい姫もたくさんいた。
お嫁にもらってくださいと、目に涙をためながら囁いてくれる姫もいた。
その誰もが「覚悟」の上でそう申し出てくれていることをサンジは知っているから、笑って首を振ることしかできないのだ。
「美しく優しい君を毎夜夜泣きさせる訳にはいかないからね」
王子は小さいのに耳年増だった。

ある晴れた日の朝、サンジは柔らかなベッドからサイドテーブルによじ登り、苦労して窓の桟に渡った。
いつもは危ないから近寄ってはいけないと諭されている窓から外を眺める。
サンジは長い長い間、ずっと待っていた。
窓辺の木々がその枝を長く延ばすのを。
サンジの腕でも伸ばしたら届くほど茂った枝葉を見て、決心したのだ。
この城を出よう。
この国も出て、広い世界を一人で旅しよう。

第一王子として生まれついてしまったけれど、自分にはこの国は治められない。
それどころか、一人の女性すら幸せにはできない。
そんな自分が、愛する民を守ることができようか。
幸い、弟王子達はみな心優しく頭も良い。
誰に王位を譲っても、憂いはなかった。

この日のためにと密かに用意した書き置きをベッドの上に残し(虫眼鏡を使わなければ読めないのだけれど)サンジは意を決して
窓から外に、枝伝いに降りようとしていた。
と、その時―――

黒い影が頭上をよぎったと思った刹那、サンジの身体はふわりと浮き上がり、みるみる内に見慣れた部屋が遠退き、初めて目にする
城全体の姿が見渡せる場所にまで上昇した。
「なにいっ」
見上げれば巨大な黒い鳥が、サンジを咥えて悠々と羽ばたいている。
「は、離せーっ」
呼べど叫べど誰にもその声は届かず、哀れサンジは自分が望む以上に遠い旅路につくことになった。


   


「ふわぁ・・・」
巨大な嘴に咥えられながらも、サンジは眼下に広がる壮大な景色に目を奪われていた。
城壁の周りを取り囲むように色とりどりの屋根がひしめき合っている。
さらにその周囲は緑や黄色の農地がまるでパッチワークみたいに整然と並んで広がり、その間を縫うように道が枝分かれして
どこまでも伸びていた。
時折こんもりと緑が生い茂る森があり、離れた場所に点在する水車小屋はおもちゃのように小さくて可愛らしい。
「すっげー」
こんなことでもなければ、決して目にすることなどできなかった風景だ。
なにせサンジ自身、城の全体像どころか自分の部屋を見渡すことも難儀するサイズで。
家族で出かけても馬車の中から遠くを眺めることしかできなかった。
なのに今、雄大な景色はサンジの目の前に広がっている。

恐ろしいほどの高さにいる恐怖も忘れ、サンジは風に吹き飛ばされそうになりながら目を輝かし見入っていた。
森から山へと連なる稜線の向こう、白く輝くのは話に聞く海だろうか。
不意にぶわっと周囲に木の葉が舞い、烏が森の中に降りたのがわかった。
暢気に景色を楽しんでいる場合ではない。
とっさに服を大きくさせて逃れようかとも思ったが、それだと全裸で落下することになるからと思いとどまった。

烏は急に速度を弱めると、翼の向きを逆にして大きく羽ばたき一瞬中空で停止してから巣に降り立った。
小さな木や草、藁で作られた巣だが、サンジにすれば雑木の間に落とされたような衝撃だ。
「わぷっ」
頭から突っ込んで、さらに翼が羽ばたく風圧でひっくり返される。
頭を上げたときには、烏は再び飛び立っていくところだった。
「くそ、ここはどこだ」
立ち上がって見下ろすにも、サンジには高さも足りない。
恐る恐る巣の端に手を掛けて落っこちないよう身を乗り出した。
木の上のようだが、葉が生い茂っていてどのくらいの高さなのかはわからなかった。
「枝伝いに・・・降りれっかな」
幹にへばりつけばできないこともないだろうが、どの程度枝が繁っているのか見当が付かないから途中で足止めを喰らう可能性もある。
にっちもさっちもいかなくなって、結果落っこちるという危険性は充分にあった。
―――どうしよう。

元から、小さい身体で城を出ようなんて無謀な計画を立てた辺り、なにごとも行き当たりバッタリだったことは否めない。
むしろ烏に攫われるというアクシデントがあったから城から出ることに成功したようなものだが、この先の展開なんて予想していなかった。
と言うか、今の状況がすでに想定外だ。
城から出られてラッキーとか、暢気に喜べるほど楽天家でも阿呆でもない。

―――参ったな。
自前のリュックを抱え途方に暮れていたら、周囲の樹々がざわめき始めた。
と、急に巣が大きく揺れる。
「ふわわっ」
振り落とされないようにと慌てて木の枝にしがみつくが、巣ごと枝からずり落ちそうだ。
ガサリと木の葉が散ったと思ったら、樹木より緑色のものが眼前にぬっと突き出た。



「―――!」
サンジはリュックを抱えたまま、その場で飛び上がりそうになった。
真正面に、金色に光る猛獣の瞳がある。
瞳孔はまるで点のように収縮し、筋状の光彩は夕日を受けてギラギラと輝いて見えた。
いくぶん寄り目気味に焦点を当て、決して大きくはないサンジの頭から足先までをじっくりと眺めた。
―――獣、じゃね?
よくみれば瞳孔は丸い。
縦長でも横長でもない。
けど、なんでだか獣のように見える。
真正面から射竦められて身動きもできなかったが、サンジはようやく冷静に瞳以外も視界に入れることができた。
獣ではなく、人間だ。
人間の男だ。

「なんだ、人形か?」
ぬっと出てきた巨大な指を、サンジは身を翻して避けた。
お、と動きを止めるのに、しゃがんだ状態からすかさず回し蹴りを食らわす。
「お、お?」
指を弾かれ、男は目を丸くした。
そうすると獣染みた雰囲気は消え、より人間臭くなる。
「動いてんな、おいお前卵か?」
「どこに目え付けてんだこのスットコドッコイ!俺のどこが卵に見える」
男は一旦頭を下げて、どうやら地上を見下ろしたらしい。
再び顔を上げ、肩を怒らせているサンジをためつ眇めつ見た。
「鳥の巣かと、思ったんだが」
「巣だろうがよ、卵はねえぞ」
サンジが降ろされた時から無人(無卵?)だ。
「そうか」
しょうがねえなと呟いて、男は頭を下げた。
「おいちょっと待て!」
降りようとするのを、まだ掛けたままの指に縋り付いて止める。
「なんだ」
「なんだはねえだろ、俺を助けろ」
「ああ?」
男は面倒臭そうに再度頭を擡げる。
「お前、そこに住んでんじゃねえのか」
「誰が住むかボケっ、連れて来られたんだ」
ふ〜んと珍しそうに眺めて、ははあと一人頷いた。
「烏だな、あれはピカピカしたもん好きだからなあ」
そう言いながら、ちょいちょいとサンジの金髪を指先で撫でた。
まるで子どもにするような仕種で、それがサンジの癪に触る。
「馴れ馴れしく触んなっ、無礼者!」
再び指を蹴り上げる。

小さいながらも、サンジの蹴りはかなり強い。
妹をからかった弟に教育的指導のつもりで思い切りその指を蹴ったら、骨折して大事になったことがあった。
以来、サンジは一応相手を選んで蹴ることにしている。
「お、すげえな。いっぱし痛えじゃねえか」
「うるせえ、馬鹿にすんな」
立ち上がり抗議したところで、相手の顔半分も背丈がないのだから迫力に欠ける。
それでもサンジは怯まなかった。
なにせ由緒正しく気高き王子なのだから。

「俺をここから下ろせ」
「随分偉そうだが」
「うるさい、俺を誰だと・・・」
言い掛けて、止めた。
一応、サンジは小国と言えども王室の人間、しかも曲がりなりにも王位継承者だ。
迂闊なことを口走って身元が知られ、人質にでもとられては家族に・・・いや、国中に迷惑が掛かる。
家出した身でそんなことになっては目も当てられない。

「ああ、誰だ」
「おおお、俺は旅のコックだ」
「はあ?コック?」
男の声には馬鹿にした響きがあって、サンジは地団太を踏む勢いで声を荒げた。
「このリュックにはなあ、ちゃんと調理器具も揃って入ってんだよ。てめえの腹だっていっぱいにしてみせらあ」
「へえ、そりゃあすごい」
男はまるきり信用していないようだが、それでもサンジに興味が湧いたようだった。
「お前を下まで下ろしたら、なんか食わせてくれんのか」
「おう、なんだって腹いっぱい食わせてやる」
「そりゃどうも」
男は目を眇めて笑うと、横から攫うようにサンジの身体を掴んだ。
「おま、ちょっ・・・」
潰すな!と声を荒げようとして止める。
男の動きは荒く乱雑だが、サンジの身体を潰すほどの力は加えられなかった。
ガッシリとした指で囲いながらも、サンジが落ちない程度の隙間を空けて掴むと言うより手の中に乗せる形で持ち上げる。
そのまま目の高さまで持って言って、もう一度ジロジロとサンジの身体を眺めた後、ふうんと気のない声を出して腹の前に落とした。
「ぷはっ?」
ぽわんと優しく受け止められたが、頭から突っ込まれたからなにも見えない。
もがきながらもなんとか体勢をひっくり返し頭を外に出した頃には、男はもう地上に降りていた。
「なんだあ?」
「そこいいだろ、腹巻ん中だ」
「腹巻、だあ?」
なるほど、男の胴回りをぐるりと取り囲んでいる毛糸の織物は腹巻と言うのか。
確かに、腹を巻いている。
がしかし―――

「・・・くせえ」
「洗ってないからな」
なんというか、独特の匂いだ。
汗とか埃とかと一緒に雄臭いというか獣臭いというか、とにかくむさ苦しいのにどことなくお日様の匂いもする。
今まで芳しい花や香水の匂いに囲まれていたサンジにとって、未知の領域だった。
臭いと思うのに、なぜかクンクン嗅いでしまう。
しかも鼻が慣れてさほど匂いを感じなくなると、もっと強く嗅ぎ取れる場所を探して顔を近付けてしまったりして。
結局腹巻とは反対方向、男のシャツにまで顔を埋めクンカクンカした。
「くせえ」
「だったら嗅がなきゃいいだろう」
男が笑うと、それに合わせて鋼みたいに硬い腹筋が震えた。


突然、地鳴りのような音が響いた。
ビックリして顔を上げたが、どうやら鼻をくっ付けている腹から鳴っているのだと気付き、再び視線を戻す。
目の前の白いシャツがぐなんぐなん揺れている。
「腹、減ってんのか?」
仰向いて聞けば、男は自分の腹を覗くように屈んで答えた。
「おう、なんか食いもんねえかって木に登って、鳥の巣を狙ったんだ」
言って、こくんと唾を飲み込む。
「トカゲやらカエルやら食い飽きたし、てめえじゃちと、食いでがねえしな」
サンジは悪寒を感じて、思わずぶるりと身震いする。
「俺じゃあ腹の足しにもなんねえぞ、待ってろ」
言って男の腹巻の中からうんしょうんしょと這い出て、しゃがんだ膝伝いに地面に飛び降りた。

背負っていたリュックサックを下ろし、中から調理器具を取り出す。
ままごとの玩具以上に小さいが、精巧に作られかなり実用的なのだ。
男にしたら砂にしか見えない砂利石を積み、小さな火打石で火を点けた。
即席の竃を作り、再び仰向いて周囲を見渡す。
「おい、あの木の赤色と黄色の実、あれを取れ」
「ん?これか」
しゃがんでいる男が立ち上がると、まさに天を突くほどの大男に見える。
うっかり踏まれないように気を付けながら、サンジはあれこれと指図した。
「それぞれ3粒ほどでいい、それからこっちの木の葉っぱ。えっと、俺は草を取るから」
男の足元をちょこまかと走り回り、小さな具材を掻き集めているようだ。
それなりに一生懸命な様を、男は興味深げに見つめていた。
「あ、この草の根っこ、これも掘れ」
「こうか?」
「そうそう」
遠目に見たら、男が一人で土いじりをしているようにしか見えないだろう。
小さいながらも随分と偉そうなサンジの命令口調にも、男は素直に従っている。

大きな葉に水を汲んで来させ、根っこを綺麗に洗って鍋に入れ火に掛けた。
木の実には自前の調味料を振り掛け、強火にしてフライパンを揺らし手早く炒める。
小さいながらも鼻腔を擽るいい匂いが漂ってきて、男は再びサンジの目の前にしゃがみグルグルと腹を鳴らし続けた。
「こりゃ、たいしたもんだな」
サンジの手際を褒めてはいるようだが、料理ができあがることへの期待感はなさそうだ。
なにせサイズが違いすぎる。
けれどサンジは済ました顔で、次々と小さな皿に料理を盛り付けて男に手渡し、切り株の上に間隔を開けて置かせた。

「よし、できた」
サンジは男の掌に乗って自分が作った料理を確認すると、まるで指揮棒でも振るように両手を掲げて優雅に揺らす。
「Bon appetit!」
一声呪文を掛ければ、サンジの両手から金色の光の粒が弾けるように振り撒かれた。
それと同時に、切り株の上の料理がぐぐぐぐっと膨らんで行く。
「おお?!」
男が目を丸くしている間に、大きな切り株の上に湯気を立てながら美味しそうな料理が並んでいった。
「さあどうぞ、召し上がれ」
料理が大きくなった分、サンジの存在はもっと小さく感じられた。
こんな、吹けば飛ぶような小さな子どもが目の前のご馳走を作っただなんて、俄かには信じられない。

「お前、凄いな」
心からの感嘆の声に、サンジはへへへと得意そうに胸を張った。
「ほんとにこれ、食えるのか?」
「おうよ、てめえの口に合うかどうかはわからねえが、空腹は最高の調味料って言うじゃねえか。まずは食ってみろ」
横柄な物言いだが、サンジなりにかなり謙遜している。
男は切り株の横に胡坐を掻くと、顔の前で両の掌をぴちっと合わせた。
そうして「いただきます」と唱え、軽く頭を垂れる。
「召し上がれ」
男の仕種に片目を瞠って、サンジは切り株の端っこに腰掛け煙草を燻らした。

持参したフォークを手に取り、男は先ず草の根っこをぱくりと食べて口を閉じたまま目を丸くした。
そのままものも言わず、ただぱくぱくと口と手を動かしていく。
木の実や草でできた料理を次々と平らげ、まるで皿を舐めたようにソースまで綺麗に拭い取ってようやく男はほっと息を吐いた。
「・・・はあ、美味え」
「んだろ?」
口端で煙草を噛みながら、サンジはにやんと笑う。
「よっぽど腹減ってたんだな、お代わりいるか?」
「あるのか?」
途端、男の顔がぱっと明るくなった。
最初の獣の印象が嘘みたいに、なんともガキ臭い表情だ。
「あっちの木の実を取ってくれたら、粉に挽いてパンを作ってやる」
「他に、なにか必要なもんあるか」
「んじゃ、こっちの木の蔓の・・・」
再びあれこれと指図し、必要な材料を揃えてからもう一度男は切り株に腰掛けた。
食べ終えて積み重ねた皿をどうするのかと尋ねる。
「あ、あ〜〜〜俺は料理を皿ごと大きくできるけど、大きくなったもんを元のサイズには戻せねえんだ」
城ではミニサイズの皿は次々と作って貰えたから、後始末のことまでは考えていなかった。
「じゃあ、俺が持ち運ぶといいんだな。これからはこの皿に料理乗っけて食いモンだけ大きくしてもらえばいいんだろ」
「あ、うん、そう」
言ってから、なんだかサンジはくすぐったい気分になる。
これからって、こいつは自分と一緒にいるつもりなんだろうか。
これからも?

「しかしすげえな。魔法か?」
「ああ」
木の実の粉を挽きながら、サンジは慌てて訂正する。
「言っとくけど、俺別に魔法使いじゃねえからな。たまたま料理を大きくできるだけだ」
「たまたま、か?」
「おう、それだけ」
ふうんと頷き、男はそれ以上追求しては来なかった。
最初に出会ったときから気付いてはいたが、どうも細かいことを気にしないおおらかな性格らしい。
というか、単なる面倒臭がりなのか?

「そういや、お前は腹減ってないのか」
今さらなことを聞いてくるから、サンジはくすっと笑ってパンを捏ねる手を休めた。
「俺は城でたらふく食ってから出てきたからな、まだ減ってねえ」
「城?」
「・・・あ、いやいやその」
「どっかの城の、料理人なのか?」
「あ、そうそう、そうなんだ」
男は膝を抱えて座り、ちょこまかと手を動かすサンジをじっと見つめている。
「小人の城か?」
「ちげーよ、小せえのは俺だけだ」
「他に、仲間はいねえのか」
「仲間?家族はいるけど、みんな普通だ」
男はまた片眉を上げて、そっとサンジに顔を近付ける。
「普通って、俺くらいの大きさでか」
「ああ、親も兄弟もみんな」
パンっと勢いよくパン生地を打ち付け、粉が付いた頬を腕で拭う。
「俺だけ、小さい」
にかっと笑ってそう呟くと、男は黙ってサンジを見つめた。
目が合うとこっ恥ずかしくなるような、穏やかで優しい眼差しだ。
さっき木の上で瞳を見たときはギラギラ光るような金色だったのに、今は落ち着いた鳶色をしている。
あれは、夕陽を照り返した光の色だったんだろうか。

「さ、即席だけどパンケーキができるぞ」
小さなフライパンで焼き上げ、花の蜜を集めたシロップを掛ける。
「Bon appetit!」
そう唱えると、大きな皿の上でパンケーキも見る見るうちに大きくなった。
「美味そうだ」
「いっぱい食えよ」
ほくほくと湯気が立つ皿の縁に手を付いて、サンジは男を仰ぎ見るように伸び上がった。
「お前も、一緒に食べねえか」
「ん、俺?」
そう言えば、そろそろ小腹が空いて来たか。
サンジはそれじゃあと、まだ大きくしていない自分サイズの皿を手に取った。

「いただきます」
「いただきます」
男の真似をして、目の前で手を合わせて頭を下げる。
そうして二人で一緒に、甘い甘いパンケーキを食べた。


   


赤々と燃える焚き火に頬を照らされながら、サンジは男の腹の上を定位置にして腰を降ろした。
ここでないと、お互いの声が聞こえないからだ。
「お前、イーストの者か?」
仰向いて問えば、よくわかったなと男は片眉を上げてみせる。
「食べる前に両手を合わせただろう。あれはイーストの、更に極東の風習だと習ったことがある」
「そうだ、習慣ってのはどうしても出ちまうもんだな」
一応サンジは王子だから、諸外国の文化や風習を一通り勉強している。
特に食に精通した自国では、イーストの食文化が独特だということも聞き及んでいた。
「イーストの者が、なんでこんなとこにいるんだ?」
烏に攫われたから正確な距離は分からないけれど、ノースから出てはいない筈だ。
少なくともイーストまで飛んで連れて行かれたとは思えない。
「狩りに出掛けてな、それきりだ」
「いつ?」
「んーもうかれこれ10年くらいになるかな」
「・・・はあ?!」
それはもう狩りとか言うレベルではなかろう。
「10年も、なにしてんだ?」
「獲物を狩ったら戻るつもりだったんだが、どういう訳か通る度に道が変わってな」
それは、呪いかなんかじゃないのか。
「そうこうしてる内に、部族間同士で争ってるとこに出たり、砂漠に出たり、海に行き当たって成り行きで乗せてもらったりして、
 この森に着いたのは半年くらい前のことか」
それで、やっぱり半年もこの森の中にいると、そういう訳か?
「・・・お前、どこかでなにか悪いことでもしたんじゃないのか?」
サンジが問えば、男は心外そうに唇をへの字に曲げた。
「特に心当たりはねえが、一度女を怒らせたことがある」
「はあ?そりゃあ重罪じゃねえか」
サンジの価値基準に頓着しないのか、男はさして突っ込みもせず先を続けた。
「獲物担いで家に帰ろうとしたら、どっかの村に行き当たってな。俺が担いでたイノシシが山を荒らしてたからとかなんとか、
 村のもんにありがたがられてそこで飯を食わせてもらった。そのままイノシシは領主への貢ぎ物にするとかでそいつらにやって、
 新しく狩りに出ようとしたら領主の新しい嫁とやらがやってきた。一宿一飯の恩義と礼を言ったらえらい剣幕で怒り出した」
男の話は要領を得ない。
サンジは腹巻の上で首を捻り、てめえ何を言ったんだと問い掛ける。
「おばさんご馳走さん、と言っただけだが」
あちゃ〜〜〜
「お前なあ、いかにお年を召したレディでもすべからくレディなんだ、おばさんとか口が裂けても言うな」
だが、そんなことで領主の妻たるものがいちいち怒り出すだろうか。
つか、領主の新しいお嫁さんとなったらそれほどお年を召したレディでもあるまいに。
「ちなみに、お前そん時でいくつぐらいだったんだ?」
「ん、10にはなってなかったかな」
―――そりゃあ、いくらなんでも大人気ないよレディ。
実に大人気ない理由で両親を小さくされたサンジは、自分の境遇を棚に上げて男に同情した。
「んで、怒った女が『お前など、未来永劫故郷には帰れなくなると思え』とかなんとか、言った」
「・・・・・・」
サンジは額に手を当ててしばし考え、恐る恐ると言う風に口を開く。
「ちなみに、そのレディは長い巻き毛の黒髪に赤い唇、ナイスバディで実に魅惑的な美女じゃなかったか」
「俺の好みじゃねえが、そんな感じでみんな絶世の美女とか何とか、言ってたな」
ビンゴでしたか。
サンジは話しにだけ聞いている東の果ての魔女に思いを馳せた。
絶世の美女にして希代の悪女。
ただその性格は、邪悪というより幼いほどに短慮で浅薄。
そこがまあ、可愛いと言えないこともないとか。
さすがレディ・アルビダ―――いろんな意味で最強の魔女と呼ばれることはある。

「まあ、呪いなら仕方ねえよなあ」
サンジは心の底から同情して、男との浅からぬ縁を感じた。
同じ魔女に呪いを掛けられた者同士(サンジは直接受けてはいないけれど)、これも何かの導きかもしれない。
「この森で半年も迷い続けて、それでお前はどうする気だ」
ぷかっと煙を吐きながら、サンジは男の顎を伺い見た。
「どうするもなにも、俺はずっと家に帰るつもりでいるが」
至極真面目な顔で答えるのが、妙におかしい。
「お前は家に帰るんだろう?送ってやる」
「や、俺は―――」
折角旅立つために城を出たのだから、この道行きは都合がいいと言えるだろう。
「旅の途中だ、なんだったらこの森を出る方向へ案内するぜ」
「そんなちっこいのにわかるのか?」
男の素直な驚嘆に、むっとした。
「地図読むのにでけえも小せえもねえだろう、てめえこそそんな図体してなに半年もウロウロさまよってやがるんだ」
「この森が動くんだ」
「動くかボケっ」
サウスの方には動く森の伝説があるが、少なくともサンジの庭とも言えるこの界隈にそんな妖しげな森などありはしない。
「仕方ねえ、しばらくてめえに付き合ってやる」
「なんで上から目線なんだ」
「黙れ迷子、これから俺様のナビで動けば間違いねえ」
サンジはリュックから地図を取り出し、目の前に広げた。
生憎、男には小さすぎて読むことすらできない。
「お前は、どこか行くあてがあるのか?」
「ああ」
男に仰向いて答えるのが面倒で、サンジは俯いたままじっと地図を見つめた。
「バラティエっつってな、イーストに食材の宝庫みたいな街があるんだ。そこに行くつもりだ」
「へえ」
同じイースト出身でも聞いたことがないのだろう、男の反応は薄かった。
「とりあえず、目的はイーストってことで合致するだろ」
「そうだな」
男は腹に手を回し、サンジの身体をそっと抱き上げた。
男の手の動きは外見に似合わず丁寧で優しい。
サンジは安心してその指に腕を掛けた。
「俺はロロノア・ゾロってんだ、てめえは」
「俺は―――」
一瞬名乗り掛け、止める。
小国とは言え、オールブルー王国は美食の国として名高い。
そこの第一王子と身分が知られれば、なにかと面倒だ。
「俺はコックだ」
「は?そりゃ職業じゃねえのか」
「ああ、生まれながらのコックになれるよう、コックって名前なんだ」
「へえ」
男・・・ロロノア・ゾロは元から頓着しない性格のようで、あっさりと信じた。
「それじゃあよろしくな、コック」
こうして、思いがけず知り合った二人の旅が始まった。








Bon appetit!

-小さな王子と大きな迷子のおはなし-