-密林の女帝と恋バナ女子会のおはなし 1 -

ムシムシと蒸せる空気の中、サンジはさすがに辛抱し切れず腹巻の中から這い出て悲鳴を上げた。
「あーづーいーーー」
腹巻の中は蒸し風呂状態だが、外の気温もさほど変わらなかった。
風でも吹けば少しはマシかもしれないが、なんとも高温多湿。
どこを向いても熱風ばかりで、気が休まらない。

「砂漠に続いてこれかよー」
「砂漠とは、またちょっと違うな」
砂漠も確かに暑かったが、あちらは陽射しが強いだけで空気はカラッと乾いていた。
陽射しさえ凌げれば何とか息はつけたが、いまは呼吸をするのすら苦しい。
地面から立ち昇る蒸気が陽炎となって揺らぎ、暑さを倍増させてくれる。
ゾロは、巨大な羊歯の葉を捲り上げ、空を見上げた。
鬱蒼とした密林に頭上まで覆われ、白く光ってはいるが青空が見えない。
苔生した樹を伝って長くて足の多い虫がゾロゾロと這い登り、サンジはうぎゃっと悲鳴を上げた。
「やべっ、そっち近付くなゾロ!こっちこっち」
ぎゃあぎゃあうるさいサンジの頭を指先で押して引っ込めれば、腹巻の中でまた「あーづーいーーー」と情けない声が聞こえた。

雨に恵まれた美しい砂漠の国を後にし、一山超えて辿り着いたところはジャングルだった。
高温多湿で、あちこちに生える木はひたすらに巨大だ。
見たこともないような大きな植物の間を多くの虫たちが闊歩していて、サンジはゾロが最初の3歩を歩んだ辺りで早々に
腹巻の中に避難した。
中は暑いけれど、虫には敵わない。
「ゾロ、不用意に葉を捲るんじゃない。あ、そこにヌルヌルなんかいる!あああ、そっちも触るな、手え引っ込めて歩けボケっ」
サンジが喚く声が腹に直接響いてくすぐったいなと、ゾロは腹巻の上から軽く押さえた。
その手の甲に蛭が這っていて、やっぱり中でぎゃーっと叫ぶ。
「もういやだーーーーー」
心の底から訴えたら、まるで天からの恵のように雨が降ってきた。

まさにバケツをひっくり返したような土砂降りだ。
降り注ぐ雨の威力はまともに浴びれば痛いほどで、地面に跳ねる飛沫と相俟って全身ずぶ濡れになる。
大きく枝葉を繁らせた木の陰に避難して、ゾロは濡れたシャツをその場で絞った。
サンジは幸い腹巻の中にいたから濡れるのを免れたが、ここまで暑いといっそ雨を水浴び代わりにした方がましかもしれない。
「どんだけ極端なんだ」
轟音と共に叩き付けるような雨の様子を、二人とも黙って眺めている。
雨が降ったせいで、少しは気温が下がったようだ。
足元を涼しい風が吹き抜けるのを感じながら、サンジはよじよじと腹巻から上半身だけ出して空を見上げた。

すぐそこに、ゾロの顔がある。
口を真一文字に引き締めて睨み付けるように見上げているのは、いつものゾロの表情だ。
怒っているわけでも不機嫌なわけでもない、無表情が普通の顔。
ゾロのことは、多分誰よりも理解していると自負している。
出会ってまだ数ヶ月だけれど、ずっとずっと昔から一緒に旅をしてきたような不思議な一体感があって、心を許せる相手のようにも思う。
けれどそれは、サンジだけの錯覚なのかもしれない。

砂漠の国を出て以降、ゾロの口数が極端に少なくなった。
いつもなにか考えているように黙っていて、本当にうっかりとサンジの指示を聞き逃すこともある。
確かに、何か考えているようで何も考えていないのがゾロの常だったが、いまは本当に思案に耽っているようだ。
それでいて、サンジが「どうした」と聞くと、なんでもないとしか応えない。
そうしながら時折じっと、モノ言いたげにサンジの顔を見つめていることがある。
夜中に目覚めた時や、料理に熱中している時。
ふと気付けばゾロの視線を感じて、振り向くと目を逸らされた。
なんだか、ゾロらしくない。

サンジはモヤモヤしながら、ゾロの腹をよじ登ろうとした。
大きな雨の音に掻き消されないように、耳元で怒鳴ってやろうと思ったのだ。
だが肩の辺りまで這い出た頃、唐突に雨が止んだ。
「お、止んだ」
「あ」
振り返れば、樹々の間から垣間見える山の峰に、大きく虹が掛かっているのが見える。
吹く風は清涼感を伴って、一気に爽やかな気候になった。
「あー気持ちいい」
「今のうちに、先に進むぞ」
ゾロはそう言い、泥まみれの地面を踏みしめながら大股でずんずん歩き進める。
方向だけは間違わないようにと気を配りながら、サンジは、話は後でいいかと思い直した。

巨大な羊歯や蔓を掻き分け、足元をぴょんぴょんニョロニョロ跳ね這いながら逃げる小動物を蹴散らして進めば、目の前に
小さな集落が現れた。

粗末な萱葺きの屋根が並ぶ小さな集落は、しんと静まり返っていた。
ゾロが用心深く近付くのに、腹巻から這い出たサンジが鼻を引く付かせる。
「雨の匂いと泥の匂い、それに料理を煮炊きする匂いと花の香りと・・・芳しき美女の香り!」
そう叫んだ途端、ゾロがその場から飛び退った。
ぬかるんだ地面に数本の矢が突き刺さる。
ゾロは飛びながら抜刀し、飛んでくる無数の矢を無造作に薙ぎ払った。
雨に濡れた羊歯を跳ね上げて、次々と武器を手にした人間が襲い掛かってくる。
それらを迎え撃つゾロに、サンジはシャツにしがみ付いたまま叫んだ。
「ゾロ、斬るな!女だっ」
言いながら肩にまでよじ登り、肌を掠める刃を蹴り飛ばして応戦する。
「ちっ」
サンジを首の裏にしがみ付かせ、ゾロは二刀を振るった。
次から次へと休みなく襲い掛かる敵を弾き飛ばし薙ぎ伏せるが、相手は泥に塗れてもすぐ起き上がり山猫のような敏捷さで
樹木の間に消えてしまう。
「一体・・・」
ひゅうと風を切って、一本の大きな槍がゾロ目掛けて飛んできた。
それを一太刀で真っ二つに裂くと、いきなりしんと静かになった。

さわさわと風が樹木を揺らす音だけが響く。
攻撃されれば応戦するが自分から侵略するつもりのないゾロはぼうっと仁王立ちし、サンジもゾロの肩に立って注意深く
周囲を見渡した。
気配を露にし、繁葉を揺らして取り囲んでいた者たちがゆっくりと姿を見せる。
窪地にある集落を見下ろす位置からたくさんの女が現れた。
いずれも逞しく鍛え抜かれた肢体に布キレのような最小限の衣類を身に付け、武器を携えている。
一目で戦闘力の高さを見抜き、ゾロは警戒を解かないまま対峙した。
「美し〜い、お姉様方ーっ」
緊張した空気の中を、サンジの能天気な雄叫びが響き渡った。
女たちはどこから声がするのかとキョロキョロしたが、目の前に立つ男から発せられたものとは思えない。

ゾロが黙って立っていると、リーダー格らしい女が一人、前に進み出た。
「突然の非礼を詫びましょう、旅の人」
女は目を細め、サンジの姿に目を留めた。
「・・・小人?」
「初めまして、麗しいレディ。貴女のプリンス・・・いや、どうかコックと呼んでください」
よくわからない挨拶をして、サンジはゾロの肩の上で恭しく礼をした。
凛々しい眉を顰めながら、女もゾロとサンジ両方に向かって挨拶をする。
「私はマーガレット、アマゾン・リリーの戦士よ」
「アマゾン・リリー?」
サンジは改めて周囲を見渡した。
遠巻きに眺めているのはいずれも女ばかりだ。
「もしやここは、伝説の女ヶ園」
「なんだそれは」
尋ねるゾロに、マーガレットが応えた。
「ここは女だけが住む村よ。基本的に男子禁制。迷い込んだ男は殺す」
物騒な言葉に、ゾロは片眉を顰めて見せる。
「ただし、私たちに殺されなかった男は歓迎するわ。ようこそ、アマゾン・リリーヘ。貴方の名は?」
「俺は、ロロノア・ゾロだ」
「ロロノア・ゾロとコックさん、こちらへどうぞ」
マーガレットに促され、ゾロはサンジを見た。
サンジは小さく頷いて、言ってみようぜと囁き掛ける。
ここで招待を断っても後々面倒になりそうだし、なにより女の園に興味があるようだ。
ゾロは素直にマーガレットに付いて行った。


「よく参ったの、旅の人」
村の長老だと言う老婆の前で、サンジは改めてゾロの紹介と挨拶をする。
「お会いできて光栄ですマダ…ム?」
ふぉっふぉと笑い声を立てて、長老は杖を着き直す。
「私はグロリオーサ。みなはニョン婆と呼んでおるよ。この村には結婚の形態はないからマダムもマドモアゼルもないよのう」
「そうなんですか…」
男が珍しいのか、連れてこられた屋敷の外にはたくさんの女たちが群がるようにして覗き見ていた。
そのいずれも女・女・女だらけ。
けれど年齢はバラバラで、老いも若きも子どももいる。
「女性ばかりで…なんで子どもとかいるんです?」
口に出してしまってから、無粋だったかと首を竦める。
ニョン婆はふぉっふぉと笑い、杖で指図した。
「その答えはおいおいわかるでしょう。まずはお二人を心から歓迎しましょうぞ」
声を合図に、美しく着飾った女たちが手に手にご馳走を持ってしずしずと広間に入ってきた。
あっという間に豪勢な料理が並べられ、賑やかな宴の場と化す。
「さあどうぞ、飲んでください」
たおやかな女が、ゾロに酌をする。
サンジはちょっとハラハラしたが、ゾロは普通の毒など身体に効かないと豪語しているせいか躊躇わず酒を口にした。
「…美味いな」
「この村のお酒は少々きついと申しますのに、なんてお強いお方…」
女がうっとりとした目でゾロを見つめるのを、サンジはなんとなくムカムカした気分で見上げた。
なぜ自分が腹を立ててるのかはわからない。
これはあれだ。
多分、ゾロがモテてるのにそっけなくて、すかした顔をしているからだ。
こんな美女に囲まれてるんだから、もっと嬉しそうな顔をしたりデレたりすればいいのに。
そうだ、きっとそうだ。

「さ、こちらもどうぞ」
サンジには、小花をあしらった酒が振舞われた。
身体が小さいことを気遣ってか、アルコールの濃度も薄い。
「どうもありがとうレディ」
「なんて可愛らしい方、お食事は召し上がれますか?」
「もちろん」
小さなスプーンで差し出され、デレデレしながらもアーンと口を開けて食べさせてもらう。
甘い花の香りと美女の笑顔に満たされて、サンジにはまるで天国のような村だ。

美しい舞いを見ながら芳醇な酒に酔いしれ、豪勢な料理を堪能した。
すっかり夜も更けた頃、サンジはいい感じに酔っ払って女の膝を枕にころりと転がっている。
それを両手で大切そうに持ち上げて、女は腰を浮かした。
ゾロが腕を伸ばし、転がったサンジをひょいと取り上げる。
「お休みになったようですので、寝床にお運びいたします」
「いい、こいつの寝床はここだ」
そう言って、ゾロは腹巻を引っ張って見せた。
そこにサンジを収納して、大切そうに掌で軽く抑える。
女は「まあ」と呟いて頬を赤らめ、次いで悪戯っぽい表情で微笑んだ。
「潰してしまったりしては、大変でしょう」
「そんな心配はねえ、俺は仰向けで寝る」
「あらそんな」
女は膝立ちで身体を起こすとそのままゾロの前までにじり寄る。
豊満な胸を押し付けるようにして凭れ掛かった。
「激しくしたら、潰れてしまうわ」
「しねーよ」
女の滑らかな肩を抱いて、くるりと向きを変えさせる。
そうしながら立ち上がり、さっさと宴の場から抜けようとした。
「ロロノア様?」
「どこに行かれます」
「どうかこちらへ、皆で楽しみましょうぞ」
おそらくは村でも選りすぐりの美女揃いだろう、あらゆる種類の女達が手を差し伸べて来るのに、いちいち身体を避けて歩いた。
「生憎だが、俺は誰とも寝る気はねえ」
「まさか…」
信じられないと言った風に目を瞠る美女たちに、ゾロは片眉だけ上げて見せた。
「酒になにか仕込みでもしたか?確かに腹の辺りが随分と温もったが、俺には半端な薬効なぞ通じねえぞ」

寝室へと案内されたが、そこにも肌も露わな美女が数人侍っていた。
ゾロはそれらを特に追い払いもせず、面倒くさそうに真ん中を陣取って大の字に寝っころがる。
「ロロノア様、このような状況で眠れるのですか?」
いささか呆れた声に、片目だけ開けてぎろりと睨んだ。
「俺は、生涯ただ一人の相手としか番わねえ」
思わず息を飲んだ女は、おずおずと尋ねる。
「…それでは、今までも誰とも?」
「ああ」
「その年で」
「悪かったな」
憮然として横を向く表情は急にどこか幼く見えて、女心がキュンと刺激されてしまう。
「そのような切ないことを仰らないで、私たちにすべてお任せくだされば…」
「そういう訳にはいかねえんだ」
これで話は仕舞いだと、言いながらも一人の女の膝を枕に頭を乗せる。
「俺の血筋の問題だ。あんたらには悪いが期待には応えられねえ。明日にはこの村を出るから、今日はこのままここで休ませてくれ」
そう言って腕組みし、数秒後には安らかな寝息が聞こえた。
周囲を取り囲んで呆然と見入っていた女たちも、ふと諦めの息を吐く。

「こんなに頑ななのに、なんて無防備な」
「却って無理やりことを成そうとする気持ちまで、萎えてしまうわ」
「寝顔が可愛いのね」
「このまま寝かせてあげましょう」


事の成り行きを、サンジは腹巻の中で息を殺して窺っていた。
思わずこちらも安堵のため息が漏れる。

よかった、ゾロがあの美女たちとどうとかにならなくて、本当によかった。
勿論、ゾロだって健全な男なんだからあれほどの据え膳が並んだら食い散らかしたって誰も責められないだろう。
むしろ美女たちはそれを望んでた。
それらを蔑にして、とっとと眠りに落ちる神経は信じられない。
けど、ゾロには確固たる信念があるのだろう。

――――生涯、ただ一人の相手としか番わねえ。
さきほどのゾロの声が胸に響いて、まだドキドキしている。
ゾロがたった一人と決めた、生涯の番。
いつかそんな人がゾロの前に現れたら、俺はその時どうするだろう。
二人の幸せを願って、いつまでも仲良くいろよと激励して。
笑ってお別れできるだろうか。

いまさら故郷に帰って家族に頼り、安穏と生活などする気はないし、一人で放浪するのは無理がある。
ゾロと袂をわかったら、自分にどんな生き方ができるのか考えただけで絶望しそうになる。
――――ゾロに、頼りすぎてたんだ。
いつまでもこうして、一緒に旅をできると錯覚していた。
けれどゾロがいままで一人で生きてきたように、サンジが王宮で大切に守られてきたように。
ゾロにはゾロの、サンジにはサンジの人生がある。
いつまでも、こうして二人きりで暮らしてなんかいられない。

いつか来る別れの時を思ってセンチな気分になりながら、サンジは規則正しく上下するゾロの温かな腹に顔を埋めた。