Step into the Light 2






 

サンジの勤める七武商事は、主に輸入食品を扱う会社である。
社長の不思議なカリスマ性とその社長がどこからか引き抜いてきた専務と常務の手腕によって、
あっという間に大きく業績を伸ばしてきた。
その進展たるや目覚しいものがある。
さらに一層の発展を狙った大きなプロジェクトを、
社員一丸となってその成功に向けて現在鋭意進行中である。
しばらく空席だった社長秘書の座にゾロが収まったことで、
成功も確実になったと思われた。
実際ゾロは有能だった。
矢継ぎ早に出される社長の指示を的確にこなすだけでなく、言われた以上の事をやってのけた。
流石は社長が惚れ込んで連れて来ただけの事はある、と誰もが思った。
とにかく仕事が早い。
明後日の事まで今日中に片付けようとする。


ところでこのプロジェクトの責任者は常務であるシャンクスなので、
サンジもいつにも増して頑張っていた。
頭の回転は遅い方ではないから、サンジの働きも目覚しいものだったのだが。
一つだけ非常にサンジの苦手としている事があって、それが絡むと異様に仕事が遅れる。
シャンクスもその苦手分野はよく承知していて、普段ならそれはサンジに頼まないのだが、
何しろ非常事態である。



そしてサンジは総務部で途方に暮れていた。
シャンクスと一緒に暮らすようになって、内向的な性格は幾分改善されたのだが、
それでも知らない人と話すのが苦手な所は治っていない。
シャンクスに総務部で印鑑を貰って来るように言われて、書類を数部持っているが、
それを言い出せないのだ。
それ程大きな会社ではないから、総務にいるのは5人ほど。
いつも頼んでいるウソップがいなかったら、頼める相手がいない。
頼みの綱のウソップは間の悪いことに外出中。
至急の判が押されている書類と、忙しそうにそれぞれの仕事に埋没している総務部員たちを交互に眺めては、
小さく溜息をついていた。


「何やってるんだ、お前」


低い声が聞こえて、サンジはほんの少し飛び上がった。
振り返るとそこに声の主、社長秘書ゾロがいる。
てきぱきと何でもこなすゾロに、声が掛け辛いなどと言い出せる筈もなく、
サンジは持っている書類に目を落とす。


「それ印鑑がいるんだろ? 至急じゃねぇか。何やってる」
「あ・・・でも、みんな忙しそうだし・・・」
「んなハンコ押すのに何十分もかかる訳じゃあるまい。貸せ」


ゾロはサンジから書類を引っ手繰るようにして取り上げると、さっさと総務部に入って行ってしまった。
仕方なくサンジはそのあとを追う。
慌てて総務部に入る時、敷居に躓いてつんのめってしまった。
転びそうになった先にゾロの広い背中があって、背後から抱きつく形になる。
ぽすんと、軽い衝撃を感じてゾロは振り返った。


「あ?」
「ご、ごめん」


慌てて体勢を立て直すサンジに、ゾロは何も言わなかった。
ハンコを貰った書類を手渡し、さっさと総務部を出て行こうとする。
書類を受け取って、またサンジは慌てて後を追った。


「あのっ、ゾロっ」


大股に歩いている同僚を走って追いかけるサンジ。


「ありがと、あの・・・すごく、助かった」
「忙しいのはお互い様だろ? 遠慮してたら仕事にならねェぞ。それでなくてもお前大変なんだから」


馬鹿にされると思っていた。
たかが印鑑を貰うだけなのにぐずぐずしているなんて、きっと仕事の出来ないヤツだと思われた、と。
ゾロの口から出たのは、ぶっきらぼうだがサンジを労う言葉で、その言葉にサンジは救われた。
薄い胸がとくんと鳴る。
見た目ほど怖いヤツじゃないかもしれない。
それどころか、親切で良い人みたいだ。
サンジは心からホッとしてニッコリ笑った。
そしてもう一度、その笑顔のままゾロに礼を言った。


愛想は悪いが意地悪じゃない。
すごく仕事が出来るけど、出来ない人を馬鹿にしたりしない。
それが判ってからは、サンジのゾロに対する警戒心は全くなくなった。
秘書室に二人でいても苦にならない。
とは言っても大きなプロジェクトの前で、二人のんびり秘書室でデスクワークなどという機会は殆どなかったが。





サンジがゾロに笑顔を見せるようになって、ゾロは戸惑っていた。
それはもたもたしていたサンジの代わりに総務で印鑑を貰ってやった後、
笑顔で礼を言われた時からずっとそうだ。
あまり感情が表に出るタイプではないゾロだから、誰にも悟られなかったが、
サンジが笑顔を見せる度、ゾロの厚い胸はどくんと鳴った。
終いには違うところまでどくんとなりそうで、ゾロは焦った。
相手は男。
しかも常務の同棲相手。
ときめいていい相手ではない。
そんなゾロの気持ちを知ってか知らずか、サンジはゾロの姿を見かける度にほんのり笑ってみせる。


ああクソ。
あいつなら、男相手もアリだ。
そんな事を考えてしまった。





バタバタとした日々が過ぎ、プロジェクトのメインイベントがやってくる。
ホテルを借りて取引先を招待し、社運をかけた新商品を披露するのだ。
その後実際に新商品を使った立食パーティも開かれる。
招待された取引先が来るのは夕方からだが、サンジたちは朝からホテルと会社を行ったり来たりしていた。
いよいよという時になって、サンジは重要なファイルを会社に忘れて来ている事に気がついた。


「う・・・そ。何度も確認したのに」


だがサンジの鞄の中に入っているのは、同じ背表紙の違うファイルだった。
それには取引先からの質問を想定して、新商品の内容が詳しく記されている。
ファイルがなくてもシャンクスなら上手く切り抜けられるかもしれない。
けれど、敬愛しているシャンクスに迷惑は掛けたくなかった。
何より自分のミスだ。


「俺、ファイル取りに行ってくる」


そう告げるとシャンクスは一瞬目を見開いて、そしてくしゃりと笑った。


「もう時間がねぇからな。大丈夫だ。アレなしでも、何とかなんだろ」
「30分あるから、地下鉄なら間に合うよ」


折りしも時刻は夕方のラッシュアワーに差し掛かっている。
車の往復では到底間に合わない。


「・・・地下鉄も、ラッシュだぞ?」
「なんとかなる。俺、行ってくる」
「あー待て待て。おいゾロ。ちょっとこいつに付き合ってやってくれ」


少し離れた所で二人の会話を聞いていたゾロは怪訝そうな顔になる。
準備は全て整って、これから先は立食パーティまでゾロの出番はない。
付き合う時間がない訳ではないのだが。


「んな面すんな。物事にはそれなりの理由ってヤツがあんだよ」




常務の訳の判らない言葉で押し切られて、ゾロはサンジと地下鉄の駅へ向かった。
夕方の殺人的なラッシュで、危うく逸れそうになりながらも、何とか同じ地下鉄に乗る。
当然地下鉄の中もぎゅうぎゅう詰めになっている。
サンジと向かい合わせに立ってしまって、ゾロは内心舌打ちをした。
この所ゾロの『違うところ』がしょっ中どくんとなるのだ。
サンジが近くにいると。
忙しさにかこつけてあまり近寄らないようにしていたのに、急にこの密着はまずい。
会社まで10分程だが、その間に取り返しのつかない状態になりそうで、ゾロは非常に困った。

目の前にある金色の髪。
柔らかそうで、そのさらさらの髪が揺れるたびにいい香りがする。
白い肌は近くで見ると、きめが細かく滑々だった。
シャンクスがやるようにその頬に触れてみたい。
サンジの視線が逸れているのをいい事に、ゾロはずっとサンジを観察していた。
すると。
どうもサンジの様子がおかしい。
肩で息をしているし、顔色もあまり良くない。
時折辛そうに眉根を寄せる。


「気分でも悪いのか?」


声を掛けると、小さな頭がこくんと頷いた。


「人込み・・・苦手で」


多分シャンクスはこれを予想していたのだろう。
だから自分をつき合わせたのだ。


「背中、擦るか?」
「いや、いい・・・。手・・・握っても、いい?」


心なしか震えているサンジの願いを無碍には断われなかった。
どうせこのぎゅうぎゅう詰めの中では、何をしていても見咎められることはないだろう。
ゾロの熱くて大きな手が、サンジのほっそりした手を包み込んだ。
しばらくそうしていると、だんだん落ち着いてきたようだ。
さっきほど呼吸も荒くないし、辛そうな顔もしなくなった。
が。
突然サンジの身体がびくんと撥ねる。
どうしたのかと顔を覗くと、唇を噛み締めて何かを我慢しているようだ。


「どうした?」


そっと耳元で囁くと、サンジはぎゅっと目を瞑った。
何だか判らないが、言い辛そうだ。


「大丈夫か?」


イヤイヤをするように首を振っている。
噛み締めたままの唇が真っ赤になっていた。


「おい・・・」
「痴・・・漢」


ゾロにだけやっと聞き取れる声でサンジがそう呟いた瞬間、ゾロの頭にカッと血が上った。
サンジの正面はほぼゾロと密着していて、不埒な手が入る隙間はない。
とすると・・・。
ゾロは繋いでいた手を離し、サンジの背に廻した。


「これは俺の手だ。心配すんな」


安心させるようにそう言って、手を下ろしていく。
不自然にスーツの裾が捲くれ上がっており、目指す敵はその下だと判った。
敵に悟られないように少しずつ距離を縮めて、タイミングを計る。
次の一呼吸の間に掴まえた手は、確かに男のものだった。
途端にサンジがほっと息を吐いたので、掴んだ手が間違いなく犯人だと判る。


「どうする。突き出すか?」


サンジはゆるゆると首を横に振った。
だがこんな不埒なことをしておきながら、無罪放免というのが癪に障ったゾロは
離し際に小指を反対側に捻り上げた。
サンジの背後の男が大きく身悶えする。
多分骨が折れたのだろう。
サンジは気付いていないようだが、ゾロの目には非常に危険な光が宿っていた。
激痛に苦しんでいる痴漢男がもしその顔を見たら、こう書いてあったに違いない。
『今度やったら小指一本じゃ済まさない』




会社の最寄の駅に着いて、落ち着く間もなく二人は急ぎ足で会社に向かう。
何しろあまり時間に余裕がない。
サンジの顔色は、人込みと痴漢とで、ちっとも良くなかったが、
それを気にしてファイルを届けるのが間に合わなかったら話にならない。
気持ちが急いていた二人は手を繋いだままなのも忘れていた。


「ファイルが何処にあるかは判ってんだろ? ここで待ってるから取って来い」


繋いだ手を急に離されて、なんだか心細くなりながらもサンジは頷いた。
そのままエレベーターで11階の秘書室に向かう。
目指すファイルは自分の机にあった。
今度こそ中身を確認してからそのファイルを掴んでゾロの元へと急ぐ。


「お、早かったな」


会社の玄関を出た所でゾロは待っていた。
何故かヘルメットを二つ持っていて、その一つを被らされた。


「ゾロ?」
「もう地下鉄は御免だろ。バイクで行くぞ」


前の道路には750と思しきバイクが停めてある。


「これ、ゾロの?」
「あぁ。ほら乗れよ」


促されるままにゾロの後に跨った。


「しっかり掴まってろ。飛ばすからな」


言われた通りゾロの身体に手を廻してしがみつく。
大きくて暖かいゾロの背中に頬を寄せて、サンジはうっとりと目を閉じた。



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