超高級ホテルの最上階レストランで貸切ディナー。
一体何を着ていけばいいのかと、サンジはクローゼットの前で長いこと腕を組んで考えていた。
これが女の子とのデートなら、まだ幾分決めやすい。
けれど仕事関係の…一応上司的立場の人に誘われた訳だし、あまり形式ばっても堅苦しいだろうけど
ドレスコードもあるだろうしと、散々迷った挙げ句に、結局黒のスーツに落ち着いた。
コック一筋のサンジは普通のスーツを持っていないから、これは冠婚葬祭にも兼用している。
「まあいいや、どうせエースだし」
適当なことを呟いていたら、携帯が鳴った。
エースからだ。

「今、お迎えに上がったよ」
「へ?」
サンジは携帯を耳に当てたまま、目を丸くして慌てて窓辺に駆け寄った。
カーテンを開ければ、道路添いの塀の向こうにタクシーの標示灯が見える。
「迎えに来てくれたのか?」
「俺もスクールの帰りだから、ついでに寄ったんだよ。時間は充分あるから急がないでいいよ」
「すぐ行きます!」
慌ててコートを掴み、部屋から飛び出して階段を駆け降りる。
まだバラティエは営業中だから裏口から出て、表通りに回った。

「すみません、お待たせしました」
息を切らして後部座席に乗り込んできたサンジに苦笑しながら、エースはさり気なく手を伸ばし、
乱れた髪を直してやった。
「急がなくていいって言ったのに。忘れものはない?」
言われて、サンジは手元を確認した。
「えっと、ハンカチと携帯と財布とティッシュ。オッケーです。あ、携帯はマナーモードにしときますね」
「よし、んじゃ出発」
エースの声と共に、タクシーは滑るように店の前を通り過ぎた。


「俺、グランドラインホテルに行くのも初めてなんすよ」
「そうか、今度一緒に泊まろうか」
「近場のホテルにわざわざ泊まるなんて、普通ないですよね」
あっけらかんと笑い飛ばされて、エースはハハハと乾いた笑いを洩らした。
「ところで、俺こんな格好でいいんでしょうか」
胸元に手を置いて不安げに聞いてくるサンジに、即座に頷いて見せる。
「もちろん、よく似合ってるよ。俺だって普通のスーツだもの、そう固い席じゃないから」
言われて初めて、サンジは隣に座るエースをまじまじと見た。

いつもジーンズにテンガロンハットとか、カジュアルと呼ぶにも軽すぎる服装ばかりしているエースだが、
今日は随分雰囲気が違う。
仕立てのいいスーツを着こなし、髪も綺麗に整えられてまさしく青年実業家の名にふさわしい出で立ちだ。
「なんか、カッコいいっすね」
素直に感嘆するサンジに目を細め、エースは前を向いた。
「なんせ今日は特別な日だからね」
「そうですね、なんせエターナルポーズで食事なんだからドキドキします」
エースは車窓へと視線を移しながら、やれやれと苦笑を漏らした。






グランドラインホテルのエントランスに降り立った辺りで、サンジの緊張は最高潮に達していた。
「いらっしゃいませ、ポートガス様」
恭しく出迎えるホテルスタッフに案内され、夜景を見渡せるエレベーターで一気に最上階まで昇れば、
そこまはまさしく別天地。
地上の星々を見下ろすかのような、絶景が広がっている。
窓辺に駆け寄って眺めてみたい衝動を我慢して、サンジは大人しくエースの後をついていった。

D一族の試食会と聞いていたから緊張の面持ちで部屋に入ったが、予想に反して通された個室には
二人掛けのテーブルしかなかった。
「え、皆さんは…」
「親類達は別の個室にいるよ。結構人数多いから、大部屋とか中部屋とかね」
「あ、そうなんですか」
あからさまにほっとして、先にサンジが腰掛ける。
「ルフィとナミちゃんも同じようにプライベートルームにいると思うよ」
「いいなあ、完璧にデートじゃないですか」
無邪気に羨ましがるサンジの向かいに座り、エースはワインを選んだ。
「悪いけど、今日は全部俺が仕切らせて貰うよ。サンちゃんは楽しんで食べて」
「ご馳走になります」
ここまで来て気後れしていては勿体ない。
エースと二人だけという気楽な空間のお陰で、サンジは大いに食べて飲んで最高峰と呼ばれる
料理とサービスを堪能した。





「すっかりご馳走になりました」
気が付けば時計の針はもう11時を回っていた。
食事を始めたのが7時頃。
ゆっくりと時間を掛けて食事して、その後バーに場所を移してずっとエースと語り合っていたのだ。

初めて食べたログポースの料理の素晴らしさ。
スクールのこと、ルフィとナミさんのこと、レストランのこと、それから・・・将来の夢のこと―――
少し酔ってたわいもないことを言ってるなと自分でも自覚はあるのに、エースは始終楽しそうに
耳を傾けてくれる。
エースは基本的に聞き上手だ。
人の話を聞き出すのがうまい。
自分でもよく喋る方だと自覚はあったが、ずっと話していても話が尽きないくらい楽しいし居心地がいい。
勿論、エースも色んなことを話してくれる。
話題が豊富で雑学に強くて、長い時間を二人きりで過ごしているのに全然飽きなかった。
でも、もうそろそろ時間だ。
特に門限が定められている訳じゃないけど、同居している以上午前様は避けたい。

ちらりと携帯を見たサンジの仕草で、エースも頃合いを察したらしい。
「名残惜しいけど、そろそろお開きにしようか」
グラスを飲み干し、自ら立ち上がる。
サンジもその後を追い、バーを出たところで眼下に広がる夜景に吸い寄せられるように窓辺へ近寄った。
眠らない街にはネオンが輝き、車のヘッドライトが煌めきながら列を成している。
「綺麗だな…」
思わず呟くと、何時の間にか近付いていたエースが背後から覗き込んだ。
「見事なものだね」
「ずっと見ていたいな」
つい、子どものようなわがままを口に出してしまって、サンジは自嘲した。
けれどエースは笑わない。
「またいつでも、来れるさ」
「まさか」
庶民には縁のない場所だと、サンジは肩を竦めて窓辺から離れる。

エレベーターに乗り込んで、最後の名残とガラスに張りついて景色を眺めた。
ゆっくりと下降する夜の街を背景に、こちらを見つめるエースと目が合った。
「今日は本当にありがとうございました」
きちんと向き合って頭を下げようとして、それは適わなかった。
サンジの動きより先に、エースが触れてきたから。

大きな手がごく自然な仕草で頬に添えられ、仰ぎ見る流れで唇が重なった。
軽く触れながらも、何かを囁くように密かな口付け。
えっと声に出す前に、吐息を分け合うように自然に離れた。

「また、一緒に来ようね」
見つめるエースの瞳はどこまでも優しく穏やかだ。
なんで?と問いただす間もなく扉が開き、明るいロビーへと続く。



サンジが呆然としている間に、エースはエントランスに横付けされたタクシーにサンジを乗せ、
自分はこれでと手を差し伸べてきた。
「行き先は告げてあるから、安心して帰るといいよ。今日はどうもありがとう」
そう言って握手するのに、その手のぬくもりに違う熱を感じてサンジは戸惑った。
「あの、お礼を言うのは俺の方です。ご馳走様でした」
「こちらこそ」
取り澄ましていた顔が、にやんと愛嬌たっぷりに崩れる。
エースの言葉の意味に気付いて、サンジは酔いが回って上気した頬を更に赤く染めた。
「いや、あれはその・・・つか、なんなんですか!」
「誕生日おめでとうの、お祝いだよ」
茶目っ気たっぷりウィンクすると、手を振りながら一歩下がる。
パタンと扉が閉まって、タクシーは滑るように走り出した。

サンジはガラス越しに何度も頭を下げ、ホテルから遠ざかってしまうと混乱した頭を静めるために
両手で頬を押さえた。
―――さっきのあれ、なんだったんだろう
間違ってなければ、エースとキス・・・したような気がする。
勘違いかな。
俺、相当酔ってるのかな。

けど、確かにキス・・・したよな?
唇に触れたよな?
無意識に自分の唇を指で触れて、それからぶんぶんと首を振った。

でもありえねえ。
なんで男のエースが俺にキスするんだよ。

でも、前から悪ふざけが過ぎるタイプだったから、これも悪戯のつもりなのかな。
お祝いのキスって・・・そういうのも、アリなのかなあ。
サンジは額に手を当てて、後部座席に深く座り直した。

やばい、やっぱり酔っ払ってる。
酔いすぎたからだ、贅沢な料理で浮かれすぎたからだ、テンションが上がってるんだ。
だからきっと、平常心じゃないんだろう。
だって・・・

―――男にキスされて、ちっとも嫌な気がしないなんて

「・・・そんなの、ありえねー」
サンジは一人ごちて、窓の外を流れる光の帯をぼんやりと見つめていた。











Strawberry night