女性の笑い声は小鳥のさえずりに似ている―――とサンジは常々思っていた。
そして女性が集う様はまるで、花畑のようだとも。
冬真っ盛りとは言え一度コートを脱げば明るい色合いの装いが春を思わせ、それぞれが身に纏う
香りは花や甘い蜜を匂わせてサンジをうっとりとさせてくれるから。

―――やっぱりレディって最高
女性の団体がいかに素晴らしいかを友人に滔々と語れば、どこか痛い子を見るような眼差しで
見られるのだけれど、サンジはそんなことを気にしたりなんかしない。
なんせサンジはレディ大好きなのだ。
故に、今のバイト(?)はまさに天職。



サンジは今年から、知人が経営するカルチャースクールの臨時講師を引き受けることになった。
元々は、D財閥の跡取り道楽息子が多角化経営とやらで、ほとんど空き家状態だった郊外の
一軒家を買い取って一般開放した文化教室が始まりだった。
日替わり・週替わりでフラダンスや陶芸、英会話に茶道・ヨガ・ギター教室と、金に飽かして色んな
方向で教室を開き、人気のある教室だけを残して今の形に落ち着いた。
サンジが受け持つのは、女性のみを対象とした簡単なお菓子教室だ。
スクールには本格的なお菓子教室もあるのだが、それとはまた別に手軽な材料で気構えずに簡単に
作れるケーキ作りで気軽さに重点を置いている。
教室の内容も、菓子作りの時間より出来上がった後のお茶とお喋りの時間の方が長い。
お菓子作りを習うというより、ティータイムを楽しむ為の教室として位置付けられ、開講初日から中々の
人気になっていた。

「生徒さんは女性限定、これはぜーってえ外せねえ!」
本来はレストランのコックであるサンジを言葉巧みに講師に誘ったのはスクールのオーナー、エースだった。
元々サンジが勤めるレストランの常連客だったが、気安さも手伝っていつしかプライベートなことも話す
友人となり、今回講師の話を持ちかけたのだ。
コックが本職だからと渋るサンジに、何事も経験が大事とレストランのオーナーから先に説得して
公認させ、生徒は女性限定とのサンジの要望も受け入れての開講となった。
それが今ではサンジ自身、週1回開講の教室を何よりの楽しみにしている。







「お疲れさん、今日も賑やかな教室だったねえ」
広いキッチンで後片付けをしていたら、エースが愛嬌のある雀斑顔を覗かせた。
お菓子教室の後に必ずやってくるのは、今日作ったケーキが残っていることを知っているからだ。
調理後のティータイムがメインとなっているため、教室で作るのとは別に、すでに完成品が用意されている。
「お陰様で。ちょっと騒がしかったかな?」
「いんや、楽しそうでよかったよ。他の生徒さん達にもいい宣伝になった」
オーブンを覗き込むサンジの背後から、エースはそっと鼻先を寄せた。
「うん、今日はチョコケーキだね」
「そんなことしなくても、もう匂い立ち込めてんだろ」
クンクンと鼻を鳴らしながら密着してくるエースを、サンジは屈託なく笑って肘で押し返す。
「大人しく座って待ってろ、今コーヒー煎れてやる」
「はいはーい」
おどけた調子で返事をして、エースは先ほどまで奥様方が座っていた椅子に腰を下ろした。


「板チョコで作ってあるけど、結構本格っぽいだろ」
「うん、美味いねー。サンちゃんが作るものはなんでも美味いんだけど」
「ブブー、残念。これは生徒さんが作ったケーキでした」
エースは口いっぱいにケーキを頬張ったまま、子どものように口を尖らせる。
「サンちゃんが切り分けてくれたら、なんでも美味いっての」
「はいはい」
キッチンにエースと自分以外いないことを再確認してから、サンジは換気扇をかけて煙草を取り出した。

「んでもまあ、サンちゃんの我がままに付き合う形で女性限定の教室にしたけど、それでも大盛況だよね」
「我がままで悪かったな」
元来、このスクールは老若男女問わず、誰でも気楽に大歓迎の形を取っている。
一定の入会金を払えば教室の梯子も可能で、その日の気分によって受講内容を選ぶことができるのも
人気の理由の一つだ。
「女性ってのがやっぱ、キーポイントな訳よ。口コミの威力は絶大だし、女性が男性を引っ張ってくることの
 が多い。お陰で他の講座にも人が集まってきて、いい感じにバランスが取れてきた」
手放しで褒めるエースに、サンジは肩を竦めて見せた。
「けど、所詮俺の教室はケーキ作りもどきって感じで、プロから見たらままごとしてるようなもんだろ。
 なんか、肩身が狭くてさあ・・・」
「何言ってんの。プロ級のケーキを作りたければ、上級の菓子作りコースはちゃんと設定してあるんだから
 みんなそっちに行くって。俺がやりたかったのは、自宅でも手軽に作れるケーキの教室さ。肩肘張らず、
 思いついたらすぐ作れるようなケーキ。それを気負わず楽しく作って、しかも皆でお茶して美味しいもの
 食べて帰れるんだから、この教室が人気あるのも無理ないっての」
「・・・オーナー自らお褒めの言葉、ありがとうございます」
おどけて頭を下げるサンジの、柔らかに光る金髪に目を細めて、エースは少し濃い目に煎れられた
コーヒーで喉を潤した。

実際、サンジが講師でなければこの教室もここまで繁盛しなかっただろう
エース自ら人材を確保し構成しているカルチャースクールは、内容よりも講師のキャラクターに重きを
置いている。
講師が個人的にも魅力的であればあるほど、教室の人気も上がるのだ。
サンジは外見だけでも充分合格点に達しているし、こと女性に対して物腰が丁寧で優しい。
明るく可愛らしい性格もあいまって、受講生の間では人気急上昇。
女子高生から年配の婦人にまで幅広く愛されるキャラクターであることを見越して、サンジをスカウトしたのだ。

「ところでさ、俺この教室を始めてから個人的にブログも始めたんだけど、教室で扱ったレシピも随時
 紹介して行こうと思うんだ。・・・いいかな?」
「ああ、それは構わないよ。情報としてレシピを公開するのと教室を開くのとはニュアンスが違うから、
 営業に差し障りはないだろ。却って宣伝になっていいかもしれない」
そう言ってから、エースはふと顎に手を当ててちろりと視線を流した。
「チョコって、やっぱりもうすぐバレンタインだから?」
「うん、やっぱ季節もんだしね。来月まではチョコレート系のラインナップを考えてる・・・安直かな?」
急に不安そうに首を傾けたサンジに、エースはにかりと笑い返した。
「いんや、やっぱり旬が大事だから、それでいいと思うよ。何より、この教室で習ったケーキで本命君に
 チャレンジしてくれる子がいたら、嬉しいじゃないか」
「そーだよな。うん、俺もそうだったらいいなーとか思う」
うっすらと頬を染め、サンジはどこか夢見るような眼差しで呟いた。

「なんてったって、年一度の大イベントだもんよ。普段女の子から告白なんて、やっぱ思い切らないと
 できないっての。んで、その甘くて切ない想いをぎゅっと詰め込んだ可愛いケーキが、野郎の頑固な
 ハートを蕩かしたりするんだろうなあ」
―――そうかあ?
などと、茶々を入れたりはしない。
サンジの女性に対する、すでに妄想としか表現できない激しい思い込みのことはエースも重々承知して
いるので、敢えて訂正したりなどしないのだ。
なんせサンジは、この世でもっとも気高く美しく優しくたおやかな生物は“女”だと信じて疑わないのだから、
その幻想を壊しては可哀想と言うものだ。
だから、サンジが夢見る目つきで女性を語る時、エースは穏やかに微笑んで頷くのみ。

「んで、一生懸命作ってきたケーキを『せんせい・・・これ・・・』とか言って、いきなり差し出されちゃったりしたら、
 どうしようっ」
急な思いつきに、両手で頭を抱えながら本気で悩むサンジの姿は、滑稽だが可愛らしい。
「や、残念だけどそれはないから。悪いけど」
この時ばかりは、エースもやや悪人顔で口元を引き上げる。
なんせ、受講生にはすべて入会時に「講師と個人的な接触はしない」旨、誓約書を書かせてあるのだ。
いらぬトラブルの元は、最初から作らないに限る。

「ちぇっ、エースはそういうとこ抜け目ないからなあ」
「一流の経営者と言ってくれ」
頬にケーキかすをつけたまま空の皿を掲げてお代わりを要求するエースの額を、サンジはポンと手の
甲で叩いた。
「お代わり禁止。放っとくと1ホール全部食っちゃうじゃん。後はウソップ達に分けるの」
「ちぇっ」
頬袋を膨らませて拗ねるエースに、サンジは屈託ない笑顔を向ける。
「しょうがないオーナーだな」
午後の日差しの中で、サンジの笑顔は春の陽だまりより明るく暖かく、輝いて見えた。

―――ああ、やっぱ好きだなあ・・・
今更ながら、エースはつくづくとサンジの笑顔に見蕩れてしまう。
初めて言葉を交わしたときから、いや、レストランで姿を見たときから、エースはサンジにぞっこんなのだ。
講師に誘ったのだって、動機の9割は下心だったに間違いない。
だが天然なのか馬鹿なのか、どれだけあからさまにアプローチしても当のサンジはピンともこないで、
エースをいい友人か人生の先輩程度にしか考えていないようだ。
時にはもどかしくもあるが、エースとて無理強いするつもりはない。
今の関係も充分楽しいし、それほど急ぐ必要もないと思っているが、それでもなんとか友人以上恋人
未満な状態にまで持っていきたいと考えているところだ。

「あ、ところでゾロのことなんだけど・・・」
「ああ?」
ゾロの名を出した途端、サンジの声の調子が変わり眉がぎゅっと真ん中に寄った。
やけに険のある顔つきになる。
「なんだ、あのマリモ頭がどうかしやがったか」
「・・・サンちゃん・・・怖い」

ゾロは、サンジを通じて知り合いになった男だが、この二人仲がいいのか悪いのか・・・いまいち関係性が
掴めないでいる。
「ゾロと、なんかあったの?」
サンジは能面のような無表情な顔つきになり、じっとエースを見つめた。
蒼い深淵を思わせる瞳が、揺らめいている。
見つめられたエースの方がどきどきして、赤面しそうだ。
「エース、ゾロが・・・ゾロの野郎がなっ・・・」
ぶわっと、泣き出す寸前みたいな顔でサンジは喋りだした。

曰く、ウソップ達とコンパに行ったときサンジがいいな〜と思った子はみんなゾロにアプローチをかけていて、
なのにゾロはそれをことごとく無碍にあしらったというのだ。
その上、女の子を無視してサンジに喧嘩を吹っかけてばかりいたので、今度は女の子たちの反感を買って
しまったのだと言う。

「なんで俺が女の子たちに白い目で見られなきゃなんないんだよ〜。こーんなナイスバディな子もいたのに、
 あーんな色っぽい唇した子もいたのに、みんなみんな、なんであんな朴念仁がいいんだよううう」
カップ片手にテーブルに突っ伏して嘆くサンジは、まるでコーヒーに酔っ払った泣き上戸のようだ。
「それは災難だったねえ・・・つか、ゾロが悪い。うん」
口先だけで慰めながらも、エースは内心ゾロGJ!とか思っている。
「んで、そんな朴念仁で女性の敵なゾロ君のことなんだけど」
「くわっ?」
そこにゾロの顔が張り付いているかのように、涙目できっと睨み付けるサンジの頭をよしよしと撫でた。
「サンちゃんからも口添えしてもらえないかなあ、例のフラワーアレンジメントの講師の件。俺としちゃ、
 どうしても諦めきれないんだよね。ゾロが講師勤めてくれたら、今以上に大繁盛なんだけど」
「・・・それは、無理じゃね?」
途端、サンジの顔が微妙な半笑いに変わった。


元々、サンジがゾロと出会ったのは友人の結婚式が縁だった。
サンジが勤めるレストラン、バラティエを借り切ってのレストラン・ウェディングだったが、会場の花の飾り
付けをしたのがゾロだったのだ。
新郎の従兄弟だというゾロは、強面な外見に反してフラワーデザイナーの資格を持っていた。
なんでも学生時代に花屋でバイトした時、見よう見真似でアレンジメントをやってみてすっかり嵌り、独学で
資格を取って趣味で続けているのだと言う。
普段は平凡な会社員。
見てくれ通り幼少時より武道を嗜み、特に剣道は段持ちだが、週末には思うままに花を活けて過ごす
趣味人でもある。
ゾロが大きなバケツ一杯に花を運んでいる姿をはじめて見た時は、男の癖に軟弱な趣味を持っているなと
内心で笑ったのは事実だ。
けれど、無骨な指で活けられる花々の表現に目を奪われ、何より花に対する真剣な眼差しに心打たれた。
新婦でサンジの友人だったビビも、ゾロが活けると花保ちが全然違うと手放しの褒めようで。
花の世界のことはよくわからないけれど、確かにその日ウェディング会場を飾った花々は、新婦の可憐さを
そのまま写し取ったような清楚で優美な雰囲気を形作っていた。
凄い男だと、素直に感服した瞬間でもある。

以来、同い年と言うこともあってゾロとはなんとなく友人関係が続いていた。
ゾロが通う道場に顔を出したり、ゾロがサンジのレストランに食事に行ったり。
時には、同じスクールの水彩画講師でもあるウソップを交えて飲みに行ったりと、そう頻繁ではないけれど
楽しく付き合えていると思う。
だが―――

「ゾロに講師は、無理じゃねえかなあ」
ゾロは、趣味の範囲でしか花を扱っていない。
あの仏頂面で花の角度云々を教えている姿は想像し難かった。
ちょっとは見てみたい気もするのだが。
「そこをなんとか、サンちゃんから口利いてくれないかな。ゾロはルックスもいいしガタイもいい、見た目体育
 会系なのに繊細に花を操れるってえ意外性がめっちゃウケると思うんだ。うちのスクールの目玉になるぞ」
「だからって、なんで俺が…」
渋るサンジの肩を抱いて、エースは片目を瞑ってみせた。
「俺の説得なんて効き目ないけど、サンちゃんなら口説けるって。間違いない!」
「俺に、野郎口説く趣味はねえっての」
サンジは笑ってしなだれかかっていたエースの身体を押し返し、立ち上がった。

「さて、と。まだ片付け残ってっから邪魔だ。事務所に帰れよ」
「つれないなあ」
渋々といった感じでエースも立ち上がる。
「まあ、ちょっとは心ん中に留めといて、ゾロのこと。ゾロにとっても悪い話じゃないと思うし」
「…了解」

サンジは新しいタバコをくわえたまま、エースを笑顔で見送った。
とはいえ、ゾロを講師に勧誘する気などさらさらない。
―――これ以上、あのマリモ野郎に女の子が誑かされて堪るかっての

エースがゾロを誘いたがるのはよくわかる。
確かに、ゾロがフラワーアレンジメントの講師になれば、もの珍しさも手伝ってスクールの会員は一挙に
増えるだろう。
そう容易く想像できるから、サンジは意地でもゾロを引き込みたくないのだ。


「ここは俺の夢の園だもんね」
口端から煙を吐き出して、サンジは次の講義内容を考えるべくテーブルに戻った。










Souffle au chocolat