いつからだったか。
あの強い瞳を捉えたいと願ったのは。























「空が茜色に染まって、鰯雲がキラキラ光ってるね。」
ふと振り返ったくいなが、空と同じ色に頬を染めて目を細めている。
いつもの夕焼けとそう変わらないのに、なんでそんなに幸せそうなんだろう。
「くいなは、空の名前もよく知ってんだな。」
「あら、空の名前じゃないよ。雲の名前。空には名前なんてないから、ただ一つで比類なきもの。」
くいなが見ているのは、きっと果てない空より遠いところ。

それからまもなく、くいなは手の届かないところへ逝ってしまった。










「4658,4659,4660,4661」
「4571,4572」
「4662,4663」
「4634,4635」
「4636,4637・・・?」
どごんっと地響きを立ててゾロが錘を置いた。

「おいクソコック!てめえ・・・」
「おいおいおいもっと静かに置かねえと床が抜けっぞ。ウソップ泣かせてえのかコラ。」
「うっせえ、何が嬉しくて人の邪魔しやがる!」
「それはこっちの台詞だクソマリモ。てめえ俺様がグラスをキンキンに冷やして砕いた氷まで入れた特性ドリンクを、
 溶けて水になるまで放っときやがって!飲み頃に飲まねえたあどういう了見だコラぁ!腕立伏せついでに俺にも
 手えついて詫びろオラ!」
「ああ?」
裏返ったマヌケな声を出してゾロがはじめて気づいたように甲板の隅に置かれた酒樽の上を見た。
グラスについた水滴が殆ど流れ落ちて樽に染みを作っている。
船の動きに合わせてゆらゆら揺れる液体は陽射しを反射して光っていた。
ゾロは無言でグラスを手に取ると一気に飲み干して、首を傾げた。
「おい、ぬりいぞ。」
「だから言ってっだろが!!」
サンジの怒りが爆発した。








「またやってるわねあの二人。」
ナミはウソップに作らせた専用扇風機の前で、ぱらりと新聞をめくる。
「よく飽きないわね。こんなに暑いのに。」
ロビンも分厚い本のページを繰る手を止めて、冷えたグラスを口に運んだ。
ウソップは細かい部品を机の上にバラ撒いて点検中、チョッパーは冷たい床の上を冷気を求めてごろごろしている。
万年毛皮の彼にとってこの暑さは殊の外こたえるらしい。
「ナミ〜ゴムって何度で溶けるんだあ?」
暑さにばてたのか、ルフィはチョッパーの隣で軟体動物と化していた。
「でもよお、面白れえんだぜあいつら。」
ウソップが手を止めてチョッパーを見た。
チョッパーも「ん?」と何か言いたげなウソップを見る。
「なんだ?ウソップ?」
言葉を待って見つめるチョッパーににっと笑うと、ウソップは一人「だろ?だろ?」と頷く。
「普通、話すときは相手の顔見るよな。チョッパーだけじゃねえ、俺とルフィでも、ナミでもロビンでもちゃんと相手見るか、
 せめて相手の方に向くじゃねえか。けどよ。」
ウソップはそこで言葉を切ってつんと鼻を上に向けた。
「あの二人はそうじゃねえ。お互い微妙に角度がずれてんだ。」
へえっとチョッパーが身体を起した。
「じゃあゾロは俺らと話すときはずれてっかってえと、そんなことねえ。サンジもそうだ。あの二人が会話する時だけ、両方とも
 明後日向いてる。一遍注目して見てみろ。面白れえから。」
「そう言えばそうね。」
とナミが新聞から顔を上げる。
「よく考えたらあの二人が正面向き合うのは、喧嘩してるときだけだわ。」
「ああ、だから二人は喧嘩するのか。」
チョッパーは合点が行ったという風にオーバーに首を振っている。
「あれは二人のコミュニケーションなんだな。精一杯の。」
「違いねえ。」
暑い暑いとダレながら、仲間を肴に皆でげらげら笑った。

そんな会話を戸口で聞き耳立てていた男が一人。
サンジだ。
小気味よくゾロの脇腹に蹴りを入れて早々にキッチンに帰ってみれば、自分の話で盛り上がっている。
しかもなんだ?
精一杯のコミュニケーションだと?
冗談じゃねえ!
直ぐにでもウソップを蹴り倒したいが、ナミさんやロビンちゃんの手前、ムキになるのは恥ずかしい。
第一俺とゾロがなんだってんだ。
視線が微妙にずれてるって?
男同士で見詰め合ってどうすんだっつーの。

キッチンに入るわけにもいかなくて、その場にしゃがみ込んで煙草に火をつける。
ふうっと深く吐いて空を眺めた。
真っ青な蒼の中に綿菓子みたいな白い雲がぽつんぽつんと浮かんでいる。
そんなに俺とゾロってあわねーかよ。
俺は普通だけど、確かにゾロの野郎は変だな。
まあガキん時から剣の道ばっかり極めて人付き合いなんて知らねえだろうし、野性の感だけで行動する割に帰巣本能がねえし、
マリモで芝生で光合成だし、俺みたいなスタイリッシュなナイスガイには近づきにくいだろうよ。
なんてことをぐるぐる考えて、ぽつんと浮かぶ雲を見つめる。
おかしいのはあいつの方だ。
だって俺の名前、一回だって呼ばねえし。

実は、結構サンジは気にしていた。
ゾロに一度も名前を呼ばれないことを。
別段名前を呼んで欲しいとか思っている訳じゃあ決してないが、胸糞悪いしいい気分じゃない。
奴が悪いんだ、奴のせいだ。
サンジは青い空を見上げながら不条理な怒りに燃えていた。

「なにやってんだ。」
いきなり声を掛けられて、サンジはンア?と上目遣いにねめ上げた。
内心は飛び上がりそうなほどビックリしている。
ゾロは重いブーツを履いているくせに殆ど足音を立てない。
多分、気配を消して近づいたんだろうが全然気づかなかった。
サンジはヤンキー座りをしたまますぱすぱ煙草を吸いきると、甲板で揉み消した。
「見りゃわかるだろ、一服だ一服。」
言って目の前の海に気付いて、ちっと舌打ちする。
確かに、今自分はゾロを見て話してない。
ならばゾロは。
手すりに腕をかけて廊下の壁を見ていた。
壁に何があるってんだ、壁見て楽しいのかお前。
サンジはつまらなそうに立ち上がると、キッチンの扉を開けた。

もう話題は次に移っている。
後から続いて入るゾロに仲間達から失笑が漏れたが、ゾロは別段気にしていないようだ。
きっと奴の目線は仲間の誰かに移ってるんだろ。
サンジは何故だか面白くなかった。



ウソップに指摘されて気づいたせいか、それとも前からそうだったのか。
このところサンジはゾロの動向が気になって仕方なかった。
ゾロの生活パターンは実に単純で単調だ。
寝る、食べる、鍛錬する、の繰り返し。
間にルフィに遊ばれたりウソップとふざけたりしているが、それほど仲間と接触が多い方じゃない。
反してサンジは、1日の大半を過ごすキッチンには誰かしらが代わる代わる入ってきて、会話を交わさなくても空間を共有している。
サンジにしたら、傍に誰かが居るのは邪魔ではないし、気にもならない。
なのに、時折ゾロが現れて、その時たまたま傍に誰も居ないと、妙な緊張感が漂うのだ。
なんか話し掛けようかとか、何しに来たんだとか、なんとなく身構えてしまって態度がぎこちなくなる。
用が済んだらさっさと出てって欲しいと思ってるのに、無言で出て行かれるとなんだか寂しい気もするし・・・
寂しいって・・・
そこまで考えて「うお?」と思った。
何が寂しいだよ相手はゾロだぞ。野郎だぞ。
麗しのレディならともかく、接触なんか少ないに越したことねえじゃねえか!

セルフ突っ込みで頭が一杯になっているときに、突然ゾロがキッチンに飛び込んで来た。
「って、うわあ、なんだよ!」
「おい、ナミが嵐が来るって言ってる。準備しろ!」
驚いた。
空はまだ綺麗な青だ。
でもナミさんがおっしゃるんなら、きっと直ぐに物凄いのが来るんだろう。
サンジは無言でキッチンを片付けはじめた。



間もなく唐突に雷鳴が鳴り響き、バケツをひっくり返したような雨が降り注いだ。
「まさに青天の霹靂って奴だな。」
軽口を叩きながらウソップとマストの補強を続ける。
強い横風に煽られて、やばいくらい船が傾いた。
バランスを崩したウソップに体当たりされて、危うく手摺から落ちかける。
辛うじて掴まった手を目掛けるように、重い樽がとんでもないスピードで転がり落ちて来た。
―――やべえ!
とっさに指を庇って手を離した。
って、もっとやべ――――!!!
上下反転した体制で、サンジを待ち受けるのは暗黒の海。
荒波がその身体をさらう前に、太い腕ががっしりと抱きとめた。
「アホかてめえは!」
叩き付ける雨の中で、ゾロが耳元で喚いている。
サンジの足はぶらぶら揺れているが、背中越しに抱えられて咄嗟にゾロにしがみついた。
「て、てめ・・・余計な真似を…」
「黙ってろ、舌噛むな。」
とんでもない横波がザバリと二人を洗った。
ゾロは二人分の体重を支えてロープ1本で掴まっている。
「てめーを振るから、上に飛び移れ!」
ありえないほど近くにゾロの顔がある。
サンジを真っ直ぐ見つめる瞳は、琥珀色に光って見えた。
なんだ、こいつこんな目の色してたのか。
場違いに暢気なことを考えつつ、サンジは黙って頷いた。
「いくぞ!」
勢いよく放り投げられる格好で、サンジは甲板へと戻る。
続いて飛び込んできたゾロを介助しようと延ばした腕は、邪険に払いのけられた。
多少危なっかしいながらゾロも甲板に戻る。

「何で、人の手借りねえんだよ!」
「アホか!俺の身体引っ張ったら、てめの腕が傷むだろうが!」
ごうごうと逆巻く雨と風と波の飛沫でぐちゃぐちゃなのに、ゾロの声だけはやけにはっきり聞こえた。
「商売道具だろうが。大事にしろよ。」
憮然とした表情で言い捨てて、向こうで転がってるウソップを拾いに行った。
サンジは少しぼうっとしてから、慌てて船室へと入る。



来たときと同じように唐突に嵐は去った。
ぽっかりと空いた雲の切れ間から、天使の梯子が何本も降りてきている。

「いつまでたっても、ここの天気には慣れねえなあ。」
塩水を思い切りかぶってへたれたままのルフィがにししと笑った。








−2−




もっさりと、纏わりつくような熱気を孕んだ夜風が甲板を吹き抜けた。
昼間の嵐に疲れて、クルー達は早々に眠っている。
サンジも早めに仕込みを切り上げて見張り台へと足を運んだ。

常より少々疲れてはいるが、見張りに影響するほどではない。
空を見上げれば、厚い雲の切れ間から丸い月が覗いた。
青白い月光が昼間のように船縁をくっきりと浮かび上がらせる。

見れば船首の近くに一人座って月を見上げるゾロの姿があった。
いつもは広い肉厚な背中がなぜか頼りなげに見えて、思わず近寄る。
そう言えば昼の礼も言ってねえ。
ゾロ相手に借りを作りたくはないが助けられたのは事実だ。

足音を消して近づいてはみたが、起きていると思わなかったから夜食やつまみは用意してないからなんと声をかけていいかわからない。
ゾロも気配で察しているだろうに振り向きもしない。
なんとなく気まずい雰囲気のままゾロの背中を見つめていた。

ゾロより少し前に、酒を満たしたグラスがぽつんと置いてあるのに気付く。
酒を飲むのにグラスを使うのは珍しい。
静かな船の揺れに合わせて、零れることなく透明の液体が波打っている。



「手向けか?」
夜の静けさに、自分の声がやけに響いた。
「ああ。」
仕方ないといった風にゾロが振り向いた。
だが相変わらず顔だけよこして、視線は海に向いている。

「酒なんざ、呑める歳じゃなかったけどな。」
誰だろう。
酒を呑める歳ではないと言うことは、子供の頃の話だろうか。
サンジは煙草に火をつけて問うでもなくゾロの言葉を待った。

「ガキん時の幼馴染だ。この刀の持ち主で、女のクセにやたらと強くて、俺は一度もあいつに勝てなかった。」
サンジは正直驚いた。
ゾロが自分のことを語るのは初めてだし、白い刀に何か謂れがあるのはウソップから聞いていて薄々気付いていたが、相手が
女性となるとなんとなくニュアンスが違ってくる。
「その人、亡くなったのか。」
「ああ。」
そんなストレートに、聞いちゃいけなかったろうか。
でも後に続く言葉がない。

「もしも生きてりゃ、一緒に美味い酒が呑めたろうな。」
ゾロが独り言みたいに呟く。
一緒に美味い酒を。
ああ、そん時俺は美味いつまみをつくってやりたかったな。
何故か自分を含めた光景を思い浮かべてしまって、己を恥じる。
今ゾロは亡くした幼馴染と二人で語り合ってるんだ。
邪魔しちゃいけない。

でもこんな風に自分のことをサンジだけに語ってくれるゾロをはじめてみた。
もっといろんなことを聞いてみたいと思う。
聞き出すのではなくて、ゾロからサンジに語って欲しい。

邪魔だとわかっているのにどうにも立ち去りがたくて、サンジは訳もなくうろうろと甲板を歩きながら煙草を吸った。
ゾロがグラスを手にしてサンジに掲げる。
「付き合え。」
「いいのか。」
無言で促されて隣に座った。
グラスを受け取ると、ゾロは瓶に口をつけて一口煽る。
ごくりと喉仏が動くさまに自然と目が行ってしまう。
なぜか強烈に惹かれるものがあって、心臓がばくばくしだした。

「俺の故郷では、死者は火葬にすんだ。」
珍しい、ゾロの独白が続く。
「焼いた煙が空に昇るから、死者は天にいることになってる。」
ああだから、ゾロは時々空を見上げるのか。

「空か・・・いいな。天国は空にあるもんな。」
サンジはちびっとグラスを舐めて、小さく呟いた。
「俺は・・・俺んとこは水葬だから、海が死者の眠る場所だ。こうやっている時ももしかしたら・・・」
そこまで言いかけて口を噤んだ。
縁起のいい話ではないし、第一ゾロの話の腰を折っている。
黙って首を小さく振ったサンジにゾロは頷いてみせる。
「そうだな。海賊としちゃあ、海に眠るのが本望だろう。」
「いや、空のがいい。どこまで行っても空はあるじゃねえか。海には果てがあるけど、空には果てがねえ。ずっと一緒だ。」
何故かムキになってサンジは空を見上げた。
満月はうっすらと傘を被って煌々と夜の海を照らしている。
「空のがいいかもしんねえな。ずっと一緒に・・・」
そこまで言って、また口を閉ざした。

何を俺は言おうとしている。
ずっと一緒に、誰といたい?

ゾロは酒瓶を手にとって静かに立ち上がった。
「悪かったなつき合わせて。お前は今夜見張りだろ。辛えだろうが後は頼む。」
サンジは思わずゾロを見上げた。
今ならあの瞳が見られるかも知れないと思った。
けれどゾロの視線は月に向いていて、精悍な横顔を照らすだけだ。

「俺はもう寝る。おやすみ。」
「ああ、ゆっくり寝ろよ。」

ゾロの後姿が船内に消えても、サンジはしばらく立ち上がれなかった。
まるで夢のように現実的でない、時間だった。

寄ると触ると喧嘩ばかりの二人が月を見ながら酒を呑んだ。
ゾロが昔の話を訥々と語ってくれた。
聞いたこともない穏やかな声がサンジに語りかけた。
そんな時間を少しでも引き延ばしたいと、思ってしまった。

ああ。

唐突に、実に唐突に自分の思いに気が付いて、サンジはグラスを持った手をゆっくりと床に下ろした。
胸の中がじんわりと温かく、それでいて締め付けられるように小さく痛む。
この感覚を知っている。
切ない想いを知っている。


ああ俺は――――


ゾロのことが好きなんだ。









−3−




戸板一枚下は地獄っつったのは、漁師の台詞だったっけか?
だが俺らも同じことだろう。
ことグランドラインは天候が読めねえし考えられねえような化けモノがうようよ居るし、海賊や海軍もいつぶち当たるかわからねえ。
ぶっちゃけ言っちまえば、俺達はいつ死んだっておかしくない、明日をもしれない命だ。
だから、悔いのねえように生きてみてもいいんじゃねえのか。







しゃくしゃくと規則正しく米を研ぐ。
貴重な水を無駄に使わないように、米を削り過ぎないように無心に研ぐと、心が澄んで来る気がする。
久しぶりに白い飯で、干物を焼いて、味噌汁作って、煮浸しとひじき煮と、ぬか漬けも頃合いだ。
船長は不服だろうが、今夜のメニューは和食で決めた。
レディ達に喜んでもらう為に腕を振るうデザートとかとはまた違う、なんと見えない充足感。
大切な人に喜んで食べて貰いてえ。
美味いとか口に出して言わなくても、一粒の米も残さずすべて食って貰えたらこんなに嬉しいことはない。

サンジは透明になったとぎ汁をボールに貯めて、最後に水を調節した。
俺はゾロが好きなんだな。
認めてしまえば簡単だった。
ルフィ達と自分とを比べたり、動向の一つ一つが気になったり、全部自分が意識してだけのことだ。
俺はゾロが好きなんだ。
何故だかすとんと納得して、サンジは憑き物が取れたみたいに落ち着いた。
なんだ。
そういうことかよ。

何が嬉しくて麗しいレディが2人も乗ってる船の上で、野郎に惚れなきゃならんのか。
自分の因果を嘆きもしたが、所詮恋は恋だ。
ときめいちまったもんは仕方がねえ。
サンジはエプロンを外すとイスに腰掛けて一服した。

俺にできるのは、料理ぐらいしかねえからな。
好きな人の喜ぶ顔や笑った顔を見ていたいってのは当たり前だろう。
でもそれが自分に向けられる筈がないとしたら、せめて誰かに笑いかけてる横顔だけでも構わない。
多くは望まないけれど、自分ができる精一杯はやってみようかと思った。
心の底で想ってるだけなら、きっと誰にも迷惑は掛けないだろう。



戸口に人の立つ気配がしてサンジは扉を開けた。
両手に皿を抱えたゾロが少し眉を上げて立っている。
甲板でのおやつタイムが終了したらしい。

「お、持って来てくれたのか、ありがとさん。」
想い人の出現にサンジはどぎまぎしながら皿を受け取った。
思わず満面の笑みが零れる。
だがゾロは、まるで化け物でも見たみたいにギョッとした表情で慌てて手を離すと、踵を返してさっさと出て行った。
あんだ、失礼な奴だな。
ゾロが無愛想なのは慣れっこだから、サンジは特段気にしない。





「あら、今日はヘルシーメニューね。」
「ええナミさん達の美容と健康を考えて、高蛋白低カロリー、ミネラルたっぷりなメニューにしましたv」
なんてことを言いながら、秘蔵の米酒も出してくる。
ゾロの目の色が変わったのがわかったけど、サンジはわざとナミとロビンに先に勧めた。
「よく冷えてますから美味しいですよ。」
それから勿体ぶって最後にゾロに注いでやる。
そのまま一升瓶をゾロの手前に置いた。
後は手酌でどんどんいけよ。

「サンジ、たまにはこんなんもいいなあ。肉はねえけど、美味えぞ。」
「おう、ルフィもたまにはこんなんを食え。もうちょい頭もよくなるだろうよ。」
軽口を叩いてサンジも席に着いた。
ゾロにだけ特別の、ほんのささやかな心遣い。
そうするだけで自己満足に浸れるなんて、なんてお手軽な恋心なんだろう。





「2546.2547.2548・・・」
晴天の空の下、今日も元気に錘を降っている。
カウントの邪魔もしたいがぐっと我慢。
代わりに今日の飲み物は何にするかと考えをめぐらせる。

相変わらずな夏島海域で殺人的に暑い。
レディ達には冷たく冷やしたミントティーか、お子ちゃま達にはアイスココア。
ゾロには・・・また炎天下で錘振ってやがるから、体温を下げる為にもカルダモンティーを作ってやっかな。
食事に気を遣うのはクルー全員平等だ。
だけど、ゾロのことを考えるとき、胸の中がほんわりと暖かくなる。
恋する男心ってのはこんなモンだろう。
まあ自己満足に過ぎないけどよ。

サンジはぼうっと煙草を吹かしながら、ゾロの横顔を見つめていた。
ゾロは脇目もふらずに前だけ見て鍛錬を続けている。
一身に、頑なに。
ひたすら前だけを見つめていた。




「最近喧嘩をしないわね。」
夜更けのキッチンで仕込みをしていると、ナミが広げた海図を畳みながら独り言みたいに呟いた。
「そう言えば、そうですね。」
サンジは内心どぎまぎしながら平静を装って普通に答える。
けど確かに、最近ゾロの顔もまともに見てない気がする。
やっぱアレか。
俺が喧嘩を吹っかけねえと、あいつとは顔も突き合せねえのか。
はたとサンジの手が止まった。
いくら惚れたと自覚しても、喧嘩もできなきゃ何の接点もねえんじゃねえのか、俺達は。

「サンジ君?」
「はい?」
「灰が落ちるわよ。」
「はいはいはい・・・」
サンジは慌てて灰皿で煙草を揉み消した。
迂闊にも一瞬ぼうっとした自分を反省する。

「まあ今夜はゾロが見張りだから、差し入れついでに様子を見てみて。また寝てると困るからね。」
ナミは意味ありげに片目を瞑って、おやすみなさいと部屋に引っ込んだ。







夜になって少し風が強くなったようだ。
熱帯夜に近い気温とは言え、見張り台に上ると湿気を帯びた風が少し涼しい。
「差し入れだぞー。」
ことさら声を大きくして登りきる前に報せた。
闇からぬっと褐色の腕が伸びて差し出した皿を掴む。

「お、えらいな起きてたか。ナミさんが心配してたからな。」
マストに凭れて座り込んだゾロの横に、サンジはごく自然な態度を装いながら腰掛けてみた。
煙草に火をつけて軽く吸う。
ゾロは心持ち肩を引いて差し入れのサンドイッチを口に運んだ。
「てめーをちゃんと見張ってねえと、見張りもせずに居眠りするってナミさんが心配してよ。」
しまった、これじゃあ喧嘩売りに来たようなモンじゃねえか。
サンジは内心焦りながら言葉を探した。
せっかく二人きりなんだから、もっとこう、なんか言うことねえのかよ。
昨夜みたいな雰囲気に、なれたらいいのに。
やきもきしているサンジを無視して、ゾロは黙って租借している。
「クソ美味えだろ。こないだウソップが攫えた網ん中に蝦蛄が入ってたんだ、それと前の島で買ったアボガドと・・・」
「ああ、ごっそさん。」
解説する間もなく腹の中に納めて、ゾロはパンと手をあわせた。
「って、てめえちゃんと味わってっか?」
ずいと手元を覗き込むと、皿をつき返された。
綺麗に食ってくれるのは嬉しいが、やはりもうちょっと情緒っつうか、食卓の会話っつーか・・・
そう、なんか無駄話も欲しい。

ゾロがまた体勢をずらして頭の後ろで両手を組んだ。
目を閉じたのでサンジはまた肩を寄せる。
「寝るなっつってんだろ。何でいちいち目閉じるんだよ。」
「うっせーな、寝てねえよ。」
「目閉じてたら見張りになんねえだろうが!」
なんとなく開いた瞳が見たくて顔を寄せた。
ゾロが寝返りを打つように身体を捻る。
「寝るなっつってんだ。」
「うっせーな、てめえがいたら見張りができねえ。もう降りろ。」
はたと気づいて顔を上げると、さっきまで船首を見ていた筈なのに、方向が船尾に向かっている。
「ゾロ、何でてめえそうずれるんだ?方向音痴にも程があるぞどっち向いてんだよ。」
「誰のせいだよ。」
「何で俺のせいなんだ!」
ゾロはすくっと立ち上がると、船首に向かって手摺に両手をついて仁王立ちになった。
「こんでいいだろ、ちゃんと見はってっからてめえはとっとと寝ろ。」
そう言ったきり、微動だにしない。
これ以上は無駄だとサンジもあきらめて、空の皿を持ってすごすごとマストを下りた。
未練がましく見上げれば、ゾロは真っ直ぐ前を見てる。

今夜は月も出てないのに、ゾロが見るのは空ばかりだ。