喰欲 








「背中の傷は、剣士の恥だ」
そう言って両手を広げた奴は、血しぶきを上げて海に落ちていった。
俺は何か叫んでる。
目の前が朱に染まる。
あの赤に―――俺はずっと囚われているのかもしれない。














―――嫌な、夢を見た
いきなりぱちりと目が開いて、後から頭がついてきた。
部屋はまだ暗い。
ハンモックが揺れている。
数度瞬きして、嫌な夢だったと反芻する。
それでもどんな夢だったのかは思い出せない。
じっとりと汗をかいていた。
隣から、ルフィとウソップの寝息が聞こえる。
まだ夜は明けていないようだ。
寝直そうとしても、どうにも目が冴える。
それ以上眠れそうになくて、俺は起き上がった。



服を着替えて甲板に出る。
空は暗い。
日の出が遅いのだ。
煙草に火をつけて、海を眺めた。
視線の先に鋼の塊が転がっている。
クソ剣士が愛用している、鉄串だ。
近づいて、足でこつんと蹴ってみる。
びくともしない。
もちろん本気で蹴り上げたら飛んでくだろうが、朝から無駄な体力を使うこともない。
煙草をくわえて、両手で持ち上げようと試みた。

上がらねえ。
―――よくこんなモン何千回もブンブン振るよな、あいつ。
筋肉ダルマは常軌を逸している。
そこまで考えて、視線を感じた。
見上げるとメインマストからミドリアタマが覗いている。
「さすがに不寝番の時は、寝てねえんだな」
声を掛けてやると、不服そうに顔をしかめて、頭を引っ込めやがった。
可愛げのねえ。






俺はキッチンに入り、コーヒーを淹れる。
少し早く目覚めたから、まだ頭の中がぼけてるようだ。
部屋中にいい匂いが漂う。
少し、作り過ぎたか。
しかたねえ、アホマリモにも持ってってやるか。
ポットに入れ直してマストを登る。
上は風が冷たい。

俺の顔を見ても、腹巻はウンとスンとも言わない。
挨拶は大事だと、教わらなかったのか。
俺は無言でポットを押し付ける。
軽く頷いてポットを受け取った奴は、勝手に飲み始めた。
酒の方がいいんだろうが、文句は言わねえのな。
黙ってコーヒーを啜る奴の傍に立って、煙草に火をつける。
肌寒いが心地いい。
ふかしていたらゾロの声が響いた。

「・・・いくら夜明けが遅いっても、もう日が出てもいい頃だよな」
俺は吹き出した。
「そんなんだから、迷子になるんだマリモ頭。東はあっちだ」
奴の目線の反対方向、俺の指差す方角は、水平線が少し明るくなっている。
ゾロは嫌そうな顔をして指された方を見た。
その様子がおかしくて、俺の腹筋が収まらない。
「・・・この素ボケ野郎。どこまで笑わせやがる」
笑いの止まらない俺に、むすっとして黙り込んでしまった。
そうしている間にも、東の空が白みはじめ、対極の西の空にも光が移って来た。
朝の到来だ。

そろそろキッチンに下りて、朝食の準備をしよう。
今日は時間に余裕があるから、ひと手間かけて、豪勢にしてやろうか。
頭をめぐらしながら、俺の足は動かない。
隣に緑頭がいる。
俺のコーヒーを啜りながら、真っ直ぐ前を見ている。
高い鼻梁と端整な顔立ちを横目で盗み見る。
朝焼けの朱が、重なって見えた。
嫌なものを見た気がして、目を逸らす。
そろそろ降りなくちゃな。
そう思うのに、俺はここから立ち去りがたい。
二人だけが共有するこの時間に留まっていたいと思う。



水面が金色に輝きだした。
いつもの朝が来る。
俺は黙ってマストを降りた。
ゾロは振り向きもしない。
胸に甘酸っぱい思いが残る。

―――つまりは、そういうことだ



俺が奴に、惹かれてるということ。



















「島が見えるぞ」
ウソップの声が響いた。
よく晴れた空の下、緑濃い小さな島が見える。
「海図には載ってないわ。無人島みたいね」
ナミさんの声が弾む。
「上陸しようぜ!」
ルフィがぐるんぐるん腕を振り回した。
だからその強引な接岸方法はよせって。



小さな島だった。
円周をぐるりと廻るのにも、多分半日もかからない。
人影はなく、ただ青い空に白い砂浜が広がっている。
中央はこんもりと森があって、まさにプライベートビーチだ。
ルフィは早速森に向かって「冒険だー」と叫んでいる。
「ついでに食えそうなもの取ってきてくれ」
「わかった!」
声をかけた俺に、大きく手を振る。
ナミさんは測量をはじめ、ロビンちゃんは木陰で読書。
ウソップとチョッパーは釣りをしている。
俺はキャンプを設営しながら、ぐるりと見渡す。
ゾロの姿がない。
まーた、どこかへ行きやがった。
方向音痴も自覚がないと手に負えない。
まあ、迷ったところで海を見ながらぐるりと回りゃあ、ここに辿り着くだろ。
俺は気にも止めず、昼食の準備を始めた。





「サンジ、大漁だぞ。」
ウソップとチョッパーがバケツ一杯魚をもってくる。
「こりゃすげえ、ついでに干物にしとくか」
俺は手早く捌いて漬け込んでいく。
半端じゃなく量が多い。
そこへルフィの声が届いた。
「サンジ!これ、喰えるかぁ」
手には巨大な山鳥が。
「おう、食えるぞ。今夜は丸焼きだ!」
うっひょーと歓声が上がる。
俄然忙しくなってきた。



気が付けば日は暮れかけて、焚き火が赤々と燃えている。
鳥肉の火加減を気にしながら、俺はやっと一息ついた。
薪拾いに行っていたウソップとルフィが森から帰って来る。
「なあ、ゾロどこにもいないぜ」
やっぱり・・・。
「ほっとけよ、さ、肉が焼けましたよ」
「うほ!いっただっきまーすっ」
「てめえは、手え洗って来い!」
ルフィを蹴り飛ばしてナミさんとロビンちゃんに肉を切り分ける。
ゾロのアホの分は後でとっといてやろう。
ナミさんが眉を曇らせて空を見上げている。
風の匂いを嗅いでいるようだ。
「ゾロを、呼びに行った方がよさそうだわ」
声が硬い。
「多分、もうすぐスコールが来る」
まじ?
「みんな、食事ごとメリー号に運んで、テント片付けて!」
急に慌しくなった。
「俺、クソ腹巻探しに行ってきます。みんな先に食べてろ」
すぐ戻ると言い残して、俺は森に駆けて行った。










「ったく、どこまで手間掛けさせたら気が済むんだ・・・」
一人ごちて鬱蒼とした森の中を歩く。
島は小さいが、案外森は深い。
殆ど闇に包まれて、どこかで何かがぎゃあぎゃあ鳴いている。
ぞっとしねえが、変な虫が出てくるより、マシか?



「ゾーロゾロゾロ、迷子ゾロ」
鼻歌交じりで歩いていたら、いきなり後ろに引っ張られた。
口を覆われて茂みに引っ張り込まれる。
油断した。
気配が全然なかった。
視界の隅に緑頭が見える。
ゾロだ。
正体はわかったから安心はしたが、正直ビビった。
ゾロは凄い力で俺を抱きすくめたまま口を塞いで、耳元で「しーっ」とか言いやがった。

察するに、こいつは今何かから身を隠していて、そこに俺が来たもんだから
有無を言わさず引っ張り込んだな。
大体そこまで推理できた。
理解した。
わかったから、この手を離してくれ。

奴は後ろから俺を抱えて口を塞いだまま空を見上げて息を殺している。
何かをじっと待っているようだが、俺はそれどころじゃない。
この状態はまずい。
身体が不必要に密着して、ゾロの高い体温が伝わって来る。
大きな手で顔半分を覆われてるのがまたまずい。
なんつーか、キちまう。
耳元にゾロの息がかかる。
自分の心臓がどくんどくん脈打っているのがわかる。
そんなに音を立てたら、ゾロにまで聞こえちまうだろうが。
何とか落ち着こうにもこの体勢ではどうしようもない。
頼む、頼むから離してくれ。
言いたいのに、声も出ない。



俺がひたすら耐えてじっとしていると、ゾロはようやくこの体勢に気付いたようで、力を緩めた。
蹴りを入れてやりたかったが、この状況ではそれもかなわない。

仕方なくゾロの見ている方角に目をやると、暗い空の中で何かが光っている。
目を凝らしてみると鳥だ。
尾の長い鳥が2羽梢に止まっている。
ちらちらと反射するような光が見える。
月は出ていないから、発光しているのだろうか。
1羽が羽ばたくと、見る間に光が増えて、鮮やかな鳥の姿が浮かび上がった。
長い尾の1本1本が怪しい光を放っている。
まるで海底で光るナマコのようだ。
派手な1羽に対してもう1羽はろくに光りもしないで地味なままだ。
じっと華麗に舞い踊る相手を見つめている。
―――番か
恐らく、あの派手な方がオスで、求愛行動なのだろう。
暗闇の中で、くるくると舞う幻想的な鳥。
やがてそれは2羽揃って飛び立ち、空の彼方に消えていった。






完全に光が見えなくなってから、ほうとため息をつく。
力が抜けて、その場にしゃがみこんだ。
ゾロも離れて足を投げ出している。
「な、きれーだっただろ」
何が、なっだ。
ふつふつと怒りが沸いて来た。
「てめえ、どこほっつき歩いてやがるかと思ったら、こんなとこで油売って、
 人引っ張り込んでよくもまあ抜け抜けと・・・」
顔が火照っているのは怒りだけではないけれど、俺はともかく喚くしかなかった。
そうでもしないと動揺が隠せない。
「ずっと見てた訳じゃねえぜ。寝てて目が覚めたら、たまたまあそこでくるくる
 してるのが見えたんだ」
「そこまで寝てたんかい!」

こんな寝ぼけ野郎には、腹が立つのを通り越して呆れてくる。
「昼飯時にも帰ってこねーで、今ももう夕食は皆・・・」
そう、そこで思い出した。
「こんなことしてる場合じゃねえ、来るんだよ」
俺の言葉にゾロが首を傾ける。
「何が来るんだ」
「だから――」
森の端から、ざーっと音が聞こえてくる。
それは見る間にこっちに近づいてきて・・・
「スコール、が―――」
言ったそばから、バケツをひっくり返したような雨が襲ってきた。












何の前触れもなく、雷鳴もなく雨は降ってきた。
「最悪・・・だ――」
俺はぐっしょり濡れたスーツを脱いで、水を絞った。
幸い洞穴を見つけて避難できたが、当分外には出られそうもない。
ポケットを探って無事だったマッチをゾロに投げる。
洞穴の奥の枯草をかき集めて、ゾロは火をつけた。



「ひでえ雨だ」
「スコールだっつってんだろ。何のために俺が急いでてめえを呼びに来たと思ってんだよ」
「お前もマヌケ面してみてたじゃねえか」
「誰のせいだてめえ、有無を言わさず引き込んだのはマリモだろうが!」
俺が悪態をついている間にも、ゾロは下着1枚になって、絞ったシャツで体を拭いている。
赤い焚き火の炎に、胸の傷が照らされている。
俺は顔をしかめて目を逸らした。
濡れたスーツをどこかに引っ掛けたかったが、ハンガーなどある筈もないので、諦めて地面に投げ落とした。
濡れて張り付いたシャツは気持ち悪いが、ほてった身体を静めてくれるようだ。




いつの間にかゾロは木々を集めて火の傍に積んでいる。
キャンプ向きの男だ。
いや、野宿か。



二人並んで座り、黙って燃える炎を見つめていた。
思い出したようにゾロがポツリと呟く。
「腹ぁ、減ったな」
そりゃそうだろう。
こいつは昼飯も夕飯も食ってねえ。
「あの鳥、捕まえて来れば良かったな」
俺の言葉に、ゾロが喉を鳴らして笑う。
自業自得とは言え、コックの俺が側に居ながら、腹を空かせた奴がいるなんて、不本意だ。
せめて蛙かトカゲでもいればいいのに。





俺は座ったまま、岩の陰をまさぐった。
指先に痛みが走る。
割れた石の欠片で切ったらしい。
指の腹から血がぷくりと浮き出て、見る見るうちに流れ落ちる。
手を伝う赤をぼんやりと見つめて、俺はふっと笑った。


冗談だ。
いや、嫌がらせかな。
単なる冗談。


滴る指先をゾロの目の前に突き出す。
「舐めるか?」


飢えたケダモノは血でも啜ってろ。
そう言いたかった。
悪辣な冗談だ。
だが、俺の目は笑っていなかったのかもしれない。



怒りもせず、目も逸らさず、ゾロは差し出された指を口に含んだ。
冷えた指先にゾロの熱が伝わる。
体中の血が逆流して、指先に集中した。
痺れるような快感が背筋を駆け登る。
喉の奥から、声が漏れそうになった。
ゾロが俺の手を掴んだまま、傷口を吸っている。
舌を絡めて、味わうように。
俺はぞくりと震えて、目が眩みそうになった。
熱い―――
俺の指を口に含みながら、ゾロは俺の身体に視線を移す。
濡れて張り付いたシャツの上から、身体の線が透けて見えている。
胸の突起が固く尖っっちまってるのが、わかるだろうか。

ゾロが俺の指を離した。
冷気に触れて、ひやりとした感触が残る。
「足りねえな」
ゾロの少し掠れた声が、耳を犯す。
口元に俺の血がついている。
俺は顔を近づけた。
動かないゾロの唇を舐める。
鉄臭い味がする。
固く引き結ばれた口端に舌を這わすと、噛み付くように口付けてきた。
そのまま倒されて地面に押し付けられる。
口内を貪欲に貪りながら、張り付いたシャツの上から俺の胸に手を這わす。
透けたシャツ越しに、乳首を指の腹で押しつぶす。
「―――痛ッ・・・」
のけぞった俺の喉元に口付けて歯を立てた。
喉笛をかき切られる――
そんな錯覚に襲われて、身体が震える。
恐れから来るそれではない・・・
期待めいた快楽。
俺は、喰われたいのだ。
こいつに。
その手に掛かりたいと、密かに焦がれて焦がれて身悶えた、暗い情熱。
俺の顔は愉悦に歪んでいる。





泥にまみれた衣服を剥ぎ取られ、身体を開かれた。
焚き火の明りがゾロの引き締まった体躯を闇に浮かび上がらせる。
その、胸の大きな傷跡を指で撫でる。
まだ指先から流れる血を塗り付けて、ぼこぼことした感触を楽しむ。
ゾロはくすぐったがりもせずに、俺の顔を凝視しながら手だけ動かし続ける。
乱暴な指が、敏感な部分を抉る。
直接的な痛みと、圧迫感に俺は顔をしかめた。
狭められた視界の中で、ゾロがにやりと笑う。
白い犬歯が見えた。
喰らわれたい。
あの歯で引き裂かれて、血しぶきを上げて息絶えてみたい。
ゾロの指に翻弄されながら、俺は身じろぐ。
目の前にいきり勃ったモノが突き出された。
少し躊躇ってから口に含んだ。
でかくて収まりきらない。
舌を使って丹念に舐める。
ゾロの手が一層激しくつき立てる。
ゾロの指だ・・・
ゾロの手が俺を苛み、ゾロのモノを銜え込んでいる。
そう考えるだけで、言い知れぬ快感に襲われる。
ゾロは俺の髪を掴んで口から引き抜くと、そのまま地面に倒した。
片足を自分の肩に担ぎ上げる。
俺の唾液で濡れたソレを塗りつけ、押し込んでくる。
激しい圧迫感。
俺はひたすら息を吐いて、力を抜こうとする。
みしりと音がするようにめり込んでくる。
痛みに耐えかねて、身体は逃げを打ちそうになる。
俺の肩をがっしり掴んでゾロはさらに身体を進めた。



「力抜け・・・・キツイぞ」
「抜い・・・てるって・・・クソ――」
額に汗が滲む。
全部飲み込んだのかわからないまま、ゾロが突いてきた。
思わず口から悲鳴が上がる。
ゾロの腕に爪を立てる俺に構わず、ゾロは無理やり腰を進めた。
がくがくと揺らされながら、痛みしか訴えない結合部がぐちゃぐちゃと滑り出したのがわかる。
―――俺の、血か・・・
ゾロが俺の上でなんとも言えない笑みを浮かべる。
確かめるように、何度も抜き差しを繰り返し俺を凝視している。
滑りの良くなったそこは蕩けるように熱くて、肌が粟立つ。
気が遠くなるほど痛いのに
―――気持ちイイ・・・
俺は視点が定まらないまま、ただ声を上げた。
口を閉じることも忘れて、獣の咆哮のように唸った。
ゾロは俺を突き上げながら、指を俺の口にかませる。
太い指が俺の舌を掴んで歯の間をかき混ぜる。
激しく突かれ、口を嬲られて気がオカシクなりそうだ。
「もの欲しそうなカオしやがって・・・」
見下したゾロの眼に犯される。


―――ああ、俺か



俺が喰いたかったんだ、こいつを―――





ゾロの指に歯を立てて、俺は笑った。


















雨は朝まで降り止まなかった。
洞穴から出ると、低い場所を濁流が走っている。
一晩で地形が変わってしまったようだ。
GM号が見える。
砂浜だった場所は潮で満ちている。
甲板からウソップが手を振っている。

ゾロは肩に担いだサンジを抱え直して浅瀬を渡った。
力なくうな垂れ金髪の間から覗く顔は血の気がなく、紙のように白い。
泥だらけの服を身に付けさせて、ゾロは荷物のように運んできた。
「あんたねえ、どんだけ迷惑かけたら気が済むのよ!反省しなさい!」
ナミがきーきー叫んでいる。
「だ、大丈夫かサンジ!どうしたんだ」
慌てて駆け寄るチョッパーに、手を振って答える。
「寝てるだけだ。心配すんな」
「血、ついてるぞ」
たいした出血ではない。汚れたシャツの端についた朱も、目ざとく見つける。

「ああ、昨夜ケモノに喰われたんだ」
そう言ってゾロは、にやりと笑った。











       END