ZS+L


「俺はパンは嫌いだ」
うっかり、と言った風に口をついて出た言葉を、ローは驚きをもって自分の耳で聞いた。
慌てて訂正することもできず、またその必要もなく麦藁の一味の間にすんなりと通る。

「サンジの前で好き嫌い言ってっと、どやされっぞう」
いち早く茶化したのはウソップで
「自分がきのこ責めにあったからって」
と混ぜっ返すのがナミ。
「しょうがねえ、客人だから今日だけは大目に見てやるよ」
どこまでも上から目線のサンジに
「サンジ殿が作られる料理なら、なんでも美味かろうに」
すっかり胃袋を掴まれてしまったらしき、錦えもん親子。

その他大勢も和気藹々な雰囲気の中にあって、ローは唯一、油断ならない視線を背中に感じていた。
肌にチリチリする程度で、殺気ではない。
さほどあからさまでもないが、明らかに敵意を含んだ険のある眼差しだ。
視線の主を気配で認め、ローはさもありなんと納得した。

船長以下、ローでも心配になるほど無防備でお人よし揃いの船だ。
副船長と言う立場上、新参者を警戒するのは当然だし、そうでなければ海賊として危うい。
むしろロロノア・ゾロの存在に、どこか安堵に近い感慨を覚える。
利用するつもりで同盟を組んだとはいえ、つい保護者的目線に立ってしまって、ローはそんな自分もらしくないと思っている。



「いただきま~す!」
掛け声とともに、テーブルにどんと置かれたサンドイッチに次々と手が伸びた。
錦えもん親子も頬袋を膨らまし、これはまたなんとオツな!と感嘆の声を上げている。
ルフィやウソップは「美味いだろ?」と我がことのように自慢し、取った取られたと騒いでナミの鉄拳を食らっていた。
「たくさん食えよ」
紅茶にコーヒー、緑茶もどうだと忙しく立ち回るサンジは、全開の笑顔だ。
基本、女性にしか傅かないと公言しているが、男連中にもなんのかんのと言いつつ世話を焼いている。
ローの前に置かれたお握りを目にして、自分のためだけにわざわざ用意してくれたのかとつい胸が熱くなった。
悪名高き海賊の船長として気遣われることに慣れてはいるが、こういうさり気ない些細な心配りは結構クる。

―――クるって、なにがだ。
無表情のまま心中でセルフ突っ込みし、自分を誤魔化すようにお握りに豪快に齧り付いた。
本来なら、他船で出される食事には用心するものだが、なぜかこの船のコックは無条件で信頼してしまう。
いかにも「人に食わせるのが楽しくて仕方ない」と言う風に瞳を煌めかせているせいか。
給仕しているときだけに浮かべる屈託のない笑顔のせいか。

――――美味い。
うっかり口に出しかけた言葉を、お握りと一緒に飲み込んだ。
その代り、止まらなくなった食欲をそのままに、次のお握りにも手を出す。
いずれも中身の具が違っていてそれぞれに美味い。

最後の一つを頬張って、ローは思わず口を開けたまま固まった。
「…なんだこれは」
その、あまりに低いテンションの呟きに、紅茶を煎れていたサンジがくるりと振り向く。
「どうした」
「なんだこれは、酸っぱい…」
「ああ、梅干しだ」
「なんだこれは」
「だから、梅干しだって」
コックの、奇妙に巻いた眉が剣呑に顰められる。
「おいまさかお前、梅干しが食えねえとか言うんじゃねえだろうな」
「食えるか、こんな酸っぱいの」
「梅干しだから、酸っぱいのは当たり前だろうが!」
「こんな酸っぱいもん、飯の中に入れるんじゃねえよ」
「お握りに梅干しは定番だろ?!」
サンジがクリアに切れるから、ついつられてローまでヒートアップしてしまった。
「酸っぱいからまずい!」
「酸っぱい中にちゃんと旨味があるだろうが、この味覚音痴!」
先ほどまでの笑顔はどこへやら、青筋立てて怒鳴り返すサンジと不毛な言い争いを続けてしまい、ふと我に返った時には他のクルー達の失笑を買ってしまっていた。
この船ではすべてにおいて、調子が狂う。
なにより、剣士の視線が背中に痛い。


パンは嫌いだ。
握り飯はいいとして、梅干しとか言う酸っぱいものは嫌いだ。

ローが念を押すまでもなく、サンジは勝手にローの好みを把握したらしい。
おやつの時間には個々に違う飲み物を提供し、ローにはストレートティにレモネードを加えたものを手渡してくれた。
これは素直に、美味いと思った。
確かに好みの味で、表立って感情を表したりしないけれど黙って飲んでいたら、サンジも満足そうな顔して行ってしまった。
彼の姿が消えてから、名残を惜しむように振り返ってしまう。

「あまり、関わらない方がいいわよ」
いつの間に近付いていたのか、隣にロビンが立っていた。
ローは一瞬だけ眉を寄せ、視線を合わせぬままカップに口を付ける。
「別に、必要最低限しか関わるつもりはない」
「そう?でもこの船の一味じゃそれも難しいかも。特に、彼は」
“彼”はサンジを指していると理解して、ローは胡散臭そうな顔でロビンに振り返る。
「あいつは、料理で懐柔するのが得意技か?」
「そう?そうね、得意技と言われればそうなのかも」
ロビンは至極真面目な顔で頷いた後、ふふふと悪戯っぽく笑った。
「そうと気付く頃にはすべて絡め取られて、後の祭りよ」
悪魔の子と呼ばれたニコ・ロビンをしてそう言わしめる、黒足屋の秘めた能力に、ローは少なからず震撼した。


「なあロー、頼みがあるんだけど」
どこかオドオドしつつ、ウソップが話しかけてきた。
「なんだ」
黙って見返すだけでなく、ちゃんと声に出して返事をしたのにウソップはびくっと首を竦めた。
ローにすれば、これでも精一杯威圧感を消しているつもりだと言うのに。
「いや、あのさあ」
「なんだ、さっさと言え」
別に忙しくはないが、常に考え事をしているのだから無駄な時間は持ちたくない。
ローの無言の圧力にもめげず、ウソップは意を決したように口を開いた。
「なんか、サンジに食いたいもんリクエストしてくれよ」
「―――は?」
思いがけない方向の依頼に、ローはぽかんと口を開けた。
この船に乗る奴はどいつもこいつも、意表を突いた提案をしてくる。
「なんで俺が、そんなことをしなきゃならない」
「いや、なんかここんとこあいつら妙に揉めてて、船内の空気が悪いわけよ」
あいつらとは誰と誰だ。
一人はサンジだとして、もう一人は誰だ。
「サンジは食いたいもんリクエストすると張り切るからさ。それだけで結構雰囲気変わるし、イベントごとがあった方がみんなも盛り上がれるし誤魔化し効くし」
なんだ、一体なににそんなに気を遣ってんだこいつは。

「そんなもの、俺じゃなくとも他の奴に頼めばいいだろうが」
「頼みたいのは山々なんだけど、錦えもん親子はサンジの作るものがすっかり気に入って、自分たちで希望するより知らないもの食べるのが楽しみって言ってんだよ。シーザーはさすがに、一応人質だし許すまじ犯罪者だし」
消去法で自分だということか。

ローはむむむと口をへの字に曲げた後、ちっと舌打ちした。
「イベントごとと言うなら、口実はある。俺の誕生日だ」
「・・・は?いつ?」
「今日」
「今日?!」

「今日?!」
サンジは目と口を開いて、それからウガガガガガと意味不明なうめき声を上げながら頭を掻き毟った。
「なんでそれを早く言わねえっ!このうすらトンカチ!」
「はあ?」
さすがに聞き捨てならず、ローはむっとして言い返す。
「別にいつ言おうが言うまいが、構わんだろうが」
「構う!超絶構う!!この船に乗った以上、誕生日をスル―できるなんて思うなよ!」
訳のわからない理屈だが、いきなり張り切り始めたサンジがルフィの前にすっ飛んで行った。

「ルフィ!ローの奴、今日が誕生日だってんだ」
「なにい?!そうか、そりゃ宴だ!」
「なんでそうなる?!」
突っ込んだのはロー一人で、他の面々はやった宴だと歓声を上げている。
「食料はたっぷりあるものね、御馳走期待してるわ、サンジ君」
「任せて、ナミっすわんっ。おいロー、お前何が食いたい?」
瞳をキラキッラさせて振り向いたサンジに、思わずたじろいでしまった。
なんつう目で、人を見るか。

「別に、なんでも・・・」
言いかけて、サンジの背後でウソップが手旗信号を送っているのに気付いた。
なんでもいいは、NGか。そうか。

「・・・ミルクや、クリームとか」
「おう、乳製品か?」
「あと、果物も好きだ」
「肉は?」
「その辺は、適当に」
「よし、わかった」
サンジは満足そうに頷いて、ようしと腕まくりする。
「ナミさん、天候は?」
「今夜も上々、いい星空よ」
「うっし、じゃあ野郎ども!甲板で会場準備だ」
「おーっ!!」
俄かに始まった「お誕生パーティ会場」設営に、ローは呆気にとられて棒立ちになっていた。
このノリに、ついて行けない。

いつもなら、盛り上がる仲間の輪の外にいて同じように遠巻きに眺めているはずのゾロまでが、ウソップの指示に従って椅子を運んだりしている。
一人だけ取り残されて、本来なら疎外感を覚える状況であるはずなのに、みなの動きが突っ立ったローを中心に据えているから逃げようもない。
自分のために人が動いていることを、こんなにも意識したことは今までなかった。




「トラ男君、お誕生日おめでとう!」
発案者(?)のウソップが音頭を取り、夜が更けてから華々しく誕生パーティが行われた。
収監されているはずのシーザーまでもが、鎖付きで甲板に座り同じように料理を食べている。
この船は本当に甘い。
危機感がなさすぎる。
そんなシーザーを見張る役目か、ゾロはいつも通り少し離れた場所に陣取って一人で酒を傾けていた。
酒瓶に囲まれて、少し嬉しそうだ。

「ほい、牛海獣のクリームシチューに足長海老のパスタ、北海帆立のパイ包みだ」
ローの前に出された料理は、いつもより凝った盛り付けで特別感に溢れていた。
「美味い!実に美味いでござるサンジ殿!」
「サン五郎、お代わり!」
すっかり餌付けされた錦えもん親子に急かされ、ナミとロビンに呼び付けられ、サンジは右に左に忙しい。
それでも軽やかな身のこなしでテキパキと立ち働く姿を見るとはなしに見ていると、それと気づかぬ自然さでゾロの元にも料理を運んでいた。
皆のそれとは違う、角皿に見慣れぬ料理が盛ってある。

受け取ったゾロはいつもの仏頂面だが、ほんの少し口角が上がった。
サンジも眉間に皺をよせ怒った風を装いながらも、見下ろす瞳の色が優しい。
二人を包む雰囲気が微妙に違っていて、ローははてと首を捻った。
あの二人、犬猿の仲だと自他ともに認めている間柄のはずだが、もしかして違うのではないか。
どう違うのか、突き詰めて考えてはいけないような気もする。
本能で微妙な危機感を覚え、なんとなく隣で旺盛な食欲を見せるウソップに目をやれば「気づいてはいけない病ってのもあるんだぜ」と訳の分からないことを言ってきた。

月のない夜、降るような星空が広がっている。
しっとりと流れていたバイオリンの音色が、軽佻なリズムへと変化しいつの間にかバースディソングになっていた。

Happy birthday to you~
Happy birthday to you~
Happy birthday dear と、らお―――――


ローの名を呼ぶとき、皆おどけながらも、どこか照れくさそうな笑顔を見せた。
こんな風に全員で祝われて、さすがのローも真顔ではいられない。
毛皮の帽子を目深く被り、羽飾りが付いたコートに顎を埋めて寝たふりでもしそうな勢いで首を竦める。

dearとか、意味わかってんのか。
俺たちは互いの利益のために同盟を組んだだけで、一度袂を分かてば、また敵同士だ。
この先どんなめぐりあわせで、命の取り合いだってしかねない間柄なのに。

「Happy birthday to you~!!」
「ひゃっほ~い」
「おめでとー!!」
ヒューヒューと口笛が鳴り響く中、サンジが巨大なデコレーションケーキを持って現れた。
歓声がひときわ大きくなる。

「特製、3段重ねフルーツケーキだぜ」
「すっげえ、クリームたっぷりだー」
「果物がキラキラして綺麗」
思わずローも目を奪われ、慌てて視線を伏せた。
そんなそぶりも気にせず、サンジは慣れた手つきでケーキを切り分けると、ふんだんにフルーツを添えソースを掛けてローの前に差し出した。
「おめでとう」
「――― …」
このノリで、若干頬を染めて「ありがとう」と呟きながら受け取ったりしたら、アイデンティティの崩壊に繋がる
ローは能面のように強張った顔つきでケーキを受け取り、軽く顎を引くだけに留めた。
これがいま、俺にできる精一杯。

「ようっし、ローのケーキいただきまーす!」
「いただきマース!」
この船で唯一救いなのは、誰もお互いに頓着せず好きなように振る舞っているから、騒ぎに紛れることができるところか。
ローが主役とは言えさほど注目もされず、勝手に騒いでいるのを横目にケーキを頬張ることができた。
クリームも果物も新鮮で、特にクリームは甘くてコクがあるのにくどくなく、いくらでも食べられそうだ。
ぶっちゃけ美味い。
この船では、なにを食っても本当に美味い。

ローはちらりと視線を上げて、端っこで飲み続けるゾロに目をやった。
なぜか、どうしてもこの男に意識が行く。
やはりというか当然と言うか、ゾロの元にもケーキの皿が届いていた。
ただそこにはクリームはなく、ジャムを挟んだスポンジの層のみが置いてある。
それを一口で平らげてしまってから、ゾロはちらりとローに目をやり、視線をとどめたまま口端をぺろりと舐めた。
なにそのドヤ顔。
特に気に障るほどでもないが、ゾロの仕種はなぜかやたらと目につく。


飲んで食って歌って踊って、大騒ぎの末に一人、また一人と甲板に倒れ伏していった。
面倒見のいいフランキーが、撃沈した面々を担いでは男部屋に放り込んでいる。
ナミはしこたま飲んでいたはずなのにケロリとして、そろそろ寝ないとお肌に悪いわねとか嘯いていた。
結構な量の料理が振る舞われていたが、調理すると同時に片づけもしていたのか食器類はほとんど残っていない。
紙くずや楽器、宴会用具などはまた明日、みんなで片付けるのだろう。
ローは自分が食べた分の皿をキッチンに持って行ったが、そこにサンジの姿はなかった。
綺麗に片づけられたシンクに置いて、探すつもりはないのにぐるりと視線を彷徨わせる。
酔いつぶれていたのは、ルフィとウソップとチョッパー。
ブルックは不寝番で、フランキーは男部屋に行った。
あいつらは?

「そろそろ私たちも寝るわ、今日は素敵な夜をありがとう」
ロビンが、ナミと一緒にわざわざ声を掛けに来た。
それに応えながら、ローの視線はまだ彷徨っている。
「見当たらない人を探してはダメよ」
「そうよ、野暮なだけ」
ナミの軽口に、そういうことかと一気に腑に落ちる。
「あんたが言った、関わるなってそういう意味か」
心外だと非難を込めて口調を尖らせたら、ロビンは軽く首を竦める。
「貴方がどうのという訳ではないのよ。ただ、気になるでしょうけど気にしたら負け。だって結局…」
「バカを見るもの」
ナミが後を引き受けて、鈴が鳴るように軽やかに笑った。
ローもしばらくは仏頂面をしていたが、やがて肩の力を抜いて喉の奥でくくくと笑った。



宴の翌朝でも、いつも通り朝食の席に全員が揃っている。
“食”に関しては実によく躾けられていると呆れつつ、ローも同じように席に着いていた。
日毎に麦わらの一味に馴染んでいきそうで、それが一番恐ろしい。
「はい、サラダとスープと、トーストは順番に食ってけよ」
ナミとロビンの皿だけはちゃんと一人前ずつ確保されているが、後は基本野放しで奪い合いの状態だ。
錦えもん親子も例に漏れず、まるで生存競争のように激しい食事風景が繰り広げられている。
そんな中にあって、ローの前にだけはスープ皿が置かれていた。

「これは?」
「ミルク粥だ。フロストシュガーとフルーツジャムとシナモンパウダー、好みで入れろ」
サンジが置いた手元を、他の面々はぎょっとしたような顔で凝視している。
そんな視線をものともせず、ローはミルク粥にジャムをたっぷり入れて砂糖を振りかけ、仕上げにシナモンを振った。

「いただきます」
「…ローって、甘党だったんだ…」
チョッパーの呆れた声が、静かな朝食の場に降りた。


End


【お題】
小さな喧嘩がこじれて素直になれない2人←ゾロサン。呆れながらもローがさり気なく自分の記念日なんだとサンジにディナーのリクエスト。ここはケーキでも和食でも可です。当然2人の為の演出で仲直り~。


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