ゾロと一緒 小なす編 -2-



ゾロは食卓に手を着いて、深々と頭を下げた。
「お世話になりました、ありがとうございます」
改まった態度に、ゼフはふんと鼻息を吐く。
「これから、どうする気だ」
「学校には退学届を出しました」
ゾロの答えに、眉を顰める。
「今どき、高校ぐらい卒業しとかねえとまずいだろう」
「取りあえず、どこか働き口を見つけます。それから、ちゃんと住まいが決まったら通信か夜学に通います」
「そりゃあ無理な相談だ」
ゼフの言葉に、今度はゾロが眉を潜めた。
「赤の他人の俺が、縁もゆかりもねえお前さんを家に迎え入れたのはなんでか、わかるか?」
「わかりません」
これは即答だった。
成り行きで助けてもらった恩人だが、ゾロが恩義を感じるならともかく、ここまで親切にしてもらえる理由は見当たらない。
「あれが、そう望んだからだ」
ゼフがいう「あれ」とはサンジのことだと、ゾロにだってそれくらいわかる。

「まあチビこい頃から動物好きじゃああったが、拾って来たって飼えないことも小せえなりに理解してた。それが人間だって動物だからって、無茶な理屈並べてどうしてもお前を飼いたいと駄々を捏ねる」
「――――・・・」
ここはペット扱いして失礼な!と怒るべきかもしれないが、ゾロはただ不思議でぼうっとしたままゼフの次の言葉を待った。
「ガキの言うことだから2.3日経ちゃあ忘れるだろうと甘く見てたがそれがどうして、1週間経っても10日経っても、あれはどうしたどうなったとの一点張りだ。しょうがねえから病院に様子だけ見に行ってもう心配ないと話しても、俺が飼いたい家に連れて来いとうるせえ」
つい、笑ってしまった。
あの子どもはゾロを本気で、ペットとして飼うつもりなのだろう。
どうりで最初から、どこか世話を焼くような接し方をしてきたはずだ。
「笑い事じゃねえよ。その内、どこで覚えて来たかハンストまで始めやがって。今日、この家に帰って来た時ホットケーキ焼いてただろうが」
「ええ」
「ああして一緒におやつを食ったのは、あいつ多分、1か月ぶりだ」
驚いて目を瞠った。
いかにも、毎日あのようにして食べている風に見えたのに。
「あの日は俺が休みで昼間に出かけてるってわかったから、俺の分だけ用意してたんだろうよ。バカなガキだ。おやつだけじゃねえ、夕飯もろくに食わねえ。朝飯は蹴ってでも食わせるし、小学校行けば給食はきちんと食べて残さないようだが、夜はほとんど食わないで済ませてた。俺の仕事が忙しくて一緒に食ってねえからわからねえと思ってんだろうが、食材の減り方でそれくらいわかる」
「なんで・・・」
「ない頭使って知恵を絞って、奴なりの精一杯の抵抗なんだろうよ」
だからなんで、ゾロ一人のためにそこまでするのだ。
いくら、通りすがりに拾って情が湧いたとはいえ、育ち盛りの子どもが食を絶ってまで我を張る意味がわからない。
「そんだけ駄々を捏ねられりゃあ、ガキの我儘と突っぱねるのも気が引けた。結局は孫可愛さの馬鹿な道楽だ。だから、あいつの許可なしでお前さんをホイホイ追い出すわけにはいかねえんだ」
口調は乱暴だが、ゾロのことは責任を持って引き受けると言われたようで、胸が熱くなる。
それはすべて、可愛い孫のためだとわかってはいても大人の頼もしさが感じられた。
「では、お言葉に甘えてあの子が許してくれる限り、ここに置いてもらいます」
「おう、そうしてくれ。お前さんのことに関しちゃ、決定権はちびなすにある」
ゾロは改めて、ゼフに向き直った。

「俺のことは・・・親から聞いてますか?」
「親父さんと直接話をさせてもらった。恐らく、あっちもわかってねえことが多いようだが、俺は俺で勝手に話を進めたぞ。俺が引き取ると申し出たら恐縮しながらもほっとした様子だった」
ズバズバと事実をいうゼフに、ゾロも神妙な顔付きで聞き入る。
「なにかと問題を起こすお前さんに、もうお手上げって感じだったな」
「すみません」
殊勝な態度を取るゾロからは、生真面目な性分が滲み出ている。
とても、あちこちで問題を起こしたり傷害事件に巻き込まれたりするようなタイプではない。
「どこかで仕事を探すなら、俺が保証人になる。だが焦るな、ゆっくり養生してまずは身体を治せ。暇だってんなら、うちの店を手伝えばいい。無論、ただ働きだ」
「お願いします」
ゼフは自宅横の店舗でフレンチレストランを経営しているコックなのだと言う。
「職場が真横とは言え、チビなすは小せえ頃からずっと留守番ばかりだ。小学校に上がる前から自分で自分の食うもんくらいは作れるようになっていたし、掃除も洗濯も一通りこなす。俺が言うのもなんだが、そこらへんのガキよりよほどしっかりしてやがる」
「そうですね」
子どもらしいあどけなさを持ちつつも、その行動や態度はとても大人びていて、ゾロでさえ頼りがいがあると思ったくらいだ。
「いま、いくつなんですか?」
「小学校3年生だ。早生まれだからまだ8歳か」
「8歳で―――」
驚嘆して、つい無意識に天井を見つめてしまう。
「あの子の、ご両親は?」
遠慮がちにだがしっかりと、ゾロは尋ねた。
一緒に暮らす以上、聞いておかねばならないだろう。
ゼフも、ことさら隠し立てするつもりはないようだ。
「病気と事故でな。ちなみにあれは、本当は俺にとっての孫じゃねえ。正確には俺の妹の孫なんだ。妹も早くに死んだが、その息子夫婦が日本に暮らしてる…くらいしか俺も知らなかった」
フレンチレストランの出店を機に日本に移り住み、確か妹の子どもがいたはずと伝手を頼りに探したら、息子夫婦はとうに亡くなり遺された幼い子どもが施設にいることが分かった。
驚きつつも、これも何かの縁だと思い引き取ったのだと言う。
「俺の孫はもっとでかい、とっくに成人済みのが本国にいる。いまさらまた孫を持つことになるとは思わなかったがな。そんな訳で引き取りはしたものの、あれには随分と寂しい思いをさせている」
ゼフのしんみりとした言葉に、ゾロも心打たれた。
年の割に大人びた子どもだと思っていたが、おそらく引き取ってくれたゼフに対しても恩義を感じているのだろう。
だから、言葉遣いが乱暴な中にも思慕があり、朗らかな笑顔の中に無理が垣間見える。
サンジはサンジなりに精一杯頑張って背伸びして寂しさを押し隠して、平気な振りで暮らしているのだ。

「だが、だからと言って俺はお前さんを縛りつけるつもりはねえぞ」
ゼフは威すように声を低めて言った。
「きっかけはあいつの我儘だが、お前さんの傷が癒えて元の生活に戻りたくなったらいつでも戻ればいい。お前さんが自分の人生を歩むのを、邪魔する権利はあのガキにはねえ」
ゼフは、その強面の顔と流暢でありながらガラの悪い口調とで無駄に威圧感があるが、話している内容は慈愛に満ちて大らかだ。
サンジの希望をきちんと提示しつつ、ゾロの意思も尊重しようとしてくれている。
一度こうと決めたからには、ゾロが抱える屈託ごと引き受けるつもりでいるのだろう。

「俺は、一度死んだ身です」
ゾロの言葉に、ゼフは片眉だけ上げて見せる。
「大袈裟な奴だ、死ぬほどの怪我じゃなかっただろう」
斜めに走る傷は大きく深かったが、内臓までは傷つけてはいなかった。
とは言え、サンジに保護されなければ失血死していた可能性もなくもない。
ゾロはゆっくりと首を振り、初めて口元に微笑を浮かべた。
「俺はあれで、死んだんです」
一度死んで、生まれ変わった。
生まれた時に初めて見たのは、あの小さな子どもの心配そうな青い瞳だ。
「これからの俺は、あの子のために生きます。あの子が許してくれる限り、ずっと傍にいます」
「やめてくれ気色の悪い」
ゼフはズバッと言い切り、片手をぞんざいに振った。
「だから、妙な恩義を感じるのは止めろ。ガキが気まぐれに拾ったでかい犬もどきに、勝手に情を掛けて懐いてるだけだ。だがお前はれっきとした人間だし、あと数年もすれば成人するだろ。いい年した男がガキの言いなりになるなんざみっともねえ」
「…そうですね」
ゾロは笑みを浮かべたまま、素直に頷いた。
「もちろん、あの子が許してくれる限り…です。勝手に出て行ったりはしません、仕事も頑張ります。お世話になりますが、よろしくお願いします」
再びテーブルに手を付いて、きっちりと頭を下げた。
その、緑色の旋毛を見ながらゼフはふむと腕を組む。

どこからどう見ても、礼儀正しく誠実な少年だ。
背筋がしゃんと伸びて瞳に曇りもない。
薄く笑みを浮かべたときは暗い翳りが見えたが、それは彼の心が人知れず傷ついているからだろうと思った。
ある意味、この少年はサンジとよく似ている。
自分を押し殺し、表面上は平静なふりをして自重している。
子どもらしくない、子ども。
ゼフがゾロの父親と話しをした時、我が息子ながら何を考えているかわからず粗暴で手が付けられないと嘆いていたのが不思議だった。
あの父親は、この少年の一体何を見ていたのだろう。

「わかった、お前の好きにするがいい」
「ありがとうございます」
「もう遅い、とっとと寝ろ。うちは朝が早えぞ」
「はい、おやすみなさい」
音を立てずに椅子を引き、ぺこりと頭を下げてから階段を上った。
ゼフはしばらくテーブルに肘を着いて考えていたが、ふんと鼻息を一つ吐いて車いすを回転させる。
いくらサンジが我を通したからとはいえ、最終的にあの少年を引き取ると決めたのは自分だ。
ガキの一人や二人、養う甲斐性くらいはある。
あの少年がいつまでこの家に留まるかはわからないが、ゆくゆくは部屋の改装も考えた方がいいだろう。
「…たく、面倒を引き込みやがって」
口では悪態を吐きつつも、ゼフの口元も微妙に緩んでいた。





ゾロは足音を忍ばせて部屋に戻った。
廊下から差し込む光が一瞬部屋の中を照らし出し、扉を閉めると共に暗闇へと戻る。
うつ伏せに寝入るサンジは、頭まですっぽりと布団を被り金髪がわずかに覗いていた。
よく眠っているようだから、隣に寝転ぶと起こすだろう。
そう思って床に膝を着くと、かすかな声が耳を掠めた。
「―――― …」
動作を止めて耳を澄ます。
切れ切れに、吐息と水音が布団の中から響いていた。
よく見れば、すっぽりと包み込んだ布団の山が小刻みに震えている。
驚いて、そうっと引き剥がしてみた。

「…うぇっ…、え…」
布団の下から、涙と鼻水でぐしゃぐしゃになった顔が現れた。
ゾロを見てパチパチと瞬きをして、その拍子にまた新たな涙が零れ落ちる。
「…ぞ、ぞろ…いな、っくて、どっか、い…」
「下で、じいさんと話をしてた」
「どっか…いっちゃ、っちゃ…」
小さな手が、ゾロのシャツをぎゅっと握る。
ゾロはなんだかたまらない気持ちになって、布団ごとサンジの身体を抱きしめた。
「ごめんな、どこにも行かねえよ」
「ぞろっ…いっちゃ、やだ…あ…」
子どもの高い体温が、縋り付いた胸から直に伝わって来る。
どこか必死で稚い仕種が、ゾロの胸を衝いた。
なにかを、こんなにも愛しいと思うことなど今までなかった。
「…いっちゃ、や――――」
「どこにも行かねえ、ずっとお前の傍にいるよ」

眠っている間に、置いて行かれたと思ったのだろうか。
目が覚めたらゾロがいなくて、きっと一人でべそを掻いていたに違いない。
そう想像するだけで心臓の辺りがきゅうっと捻じれたようになって苦しい。
こんな気持ちになるのは、初めてだ。

――――俺は今日から、お前のために生きるよ。
押し付けたシャツに涙と鼻水が吸い込まれ濡れるのも構わず、ゾロはサンジが泣き止むまでずっと抱きしめていた。


End


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