ローソクを、年の数だけ <ゆに様>



「お誕生日には、ケーキを食べるものですから」

とっくに帰宅したと思っていた職場の後輩が、残業をしている俺の前に現れたので、どうしたのかと尋ねたら、そう言った。
その手には、どうやらケーキが入っているらしい紙の箱。そこで俺は初めて、今日が自分の誕生日だということに気が付いた。

「誕生日にケーキ食うなんて、実家にいた頃以来だな。十年以上ぶりだ」
「そうなんですか。彼女さんと、食べたことなかったですか。ロロノアさん、モテるでしょう」
「そういや、ないな」

モテるってとこは否定しないんですね、という突っ込みを聞き流し、記憶を辿る。
誕生日に彼女がいたこともあったが、不思議とケーキを食べたことはなかった。
俺が酒好きなので、甘いものは食べないと思われたのか。
本当のところは分からないけれど、つまり、分からない程度の付き合いだったということなのだろう。

「それは駄目だ。誕生日には、ケーキを食べないと」

後輩が、繰り返した。その顔がやたらと真剣で、まるで大切な決まり事を教え諭すような口調なので、俺は笑ってしまう。
「外から帰ったら、手を洗わないと」とでもいうような具合だった。

「何が可笑しいんですか」
「いや、べつに。お、ローソクもあるのか」
「勿論です。長いの三本と、短いの四本。お誕生日ケーキには、ローソクをたてるものですから」
「そうか」

箱から出てきたのは、苺のたくさんのった、小さなホールのショートケーキだった。
後輩が、ローソクに火をつけて、徐にバースデーソングを歌い始める。

「歌まで歌うのか」
「勿論です。お誕生日ケーキのローソクの火を消す前には」
「歌を歌うものなんだな、わかったよ」

俺は苦笑し、後輩の口ずさむハッピーバースデーをありがたく拝聴した。歌が終わるのを待って、ローソクの火を吹き消す。
煙の匂いが、ふわりと辺りに広がった。

「あ」
「どうかしましたか」
「今思い出したんだが、あったな。実家を出てから、誕生日にケーキ食ったこと」

煙の匂いが古い記憶を呼び起こしたのだろうか。急に、十年近く前の出来事が、昨日のことのように思い出された。




     ◆



九年前。当時二十五歳だった俺は、今の仕事、家庭裁判所の調査員の仕事を始めたばかりだった。
家庭裁判所の調査員のというのは、その名の通り、家庭裁判所で扱う案件の、背景を調査をするのが仕事だ。
その中でも俺がいるのは少年課と呼ばれる部署で、事件を起こした少年少女たちについて調査し、どういった処分が適当か上に報告をする。
その、九年前のある晩、俺は管轄内の繁華街を歩いていた。
自分が担当して保護観察処分にした少女が、家に帰らないと保護者から連絡があったからだった。
保護観察中にまた罪を犯せば、次は少年院行きを免れない。
俺からしたら、まだ更正の余地が充分にある少女だっただけに、それだけは避けたいと、俺は必死に少女の姿を探し歩いていた。

一時間ほど経ち、表通りに姿はなく、それならばと裏通りに足を踏み入れた、その時だった。

「助けて!」

薄暗い路地の奥から、人の声がしたかと思ったら、勢いよく懐に突っ込まれた。

「うおっ」
「変な奴らに、インネンつけられて追われてるんだ。お願い、匿って!」

辺りが暗い上に、パーカーのフードを目深に被っていたから、顔はよく見えなかった。
背格好と声からするに、中学生ほどの少年だったと思う。
突然のことに驚きつつも、そいつが酷く慌てた様子だったので、俺は咄嗟にコートの中抱き込み、庇うように物陰に身を寄せた。

「どこ行きやがった、あのガキ!」
「逃がすな!」

すぐ後ろを、柄の悪い三人組が、口汚く喚きながら駆け抜けて行った。余程頭に血が上っていたのか、俺には全く気が付かない。
俺は、足音が遠ざかるのを確認してから、懐を覗き込んだ。

「おい、大丈夫か」

をかけると、そいつは顔を上げて、ニコッと笑った。と言っても、見えたのは口元だけだったけれど。

「うん、お兄さん、ありがとう。本当に助かったよ。怖かった」

その時、「怖かった」という割には随分落ち着いた声だなと思った、なんて言うのは、今となっては負け惜しみ以外の何物でもないだろう。
とにかく俺は、先ずはそいつの無事を確認した。

「怪我とか、してねぇか」
「大丈夫」
「おい、嘘つけ。血出てるぞ」

表通りを走る車のライトが、一瞬そいつの顔を照らした。殴られたのか、片頬が赤く腫れて口の端が切れている。
俺は鞄に手を突っ込み、ハンカチを取りだした。若干皺が気になるものの、ないよりマシだろう。

「い、いいよ、汚れちゃう」
「よくねぇだろ。それ、やるから。血止まるまでちゃんと押さえとけ。家に帰ったら、顔冷やせよ」
「…ありがとう」
「お前、いくつだ?こんな時間にこんな場所うろついてるから、こんな目に遭うんだぞ。早く家に帰れ」
「うん」

そいつは素直にコクンと頷いて、走り去って行った。
俺は、我ながら家裁の調査員らしいことを言ったもんだと思いながら、その背中を見送っていた。
ところが、表通りに出る寸前、そいつが急に足を止めてこちらに戻って来た。

「おい、どうした」

また、さっきの奴らが戻ってきたのか。
そう聞こうと開いた口に、温かく、柔らかいものが、押しあてられる。僅かな鉄の味がする。それは、そいつの唇で。
唖然としている俺に、

「お礼だよ」

そう言って、ひどく大人びた笑みを見せると、そいつは今度こそ俺の前から姿を消した。

「な、なんなんだ」

出会ったばかりの相手に、突然キスをされた。しかも男に。
俺はあまりの衝撃に、しばらく動けなかった。

―――♪♪♪

数秒だったのか、数分だったのか。俺の意識を呼び戻したのは、携帯電話の着信音だった。
相手は例の少女の保護者からで、少女が無事に家に連れ戻されたという連絡だった。
俺は自分がこの場にいる理由を思い出し、同時にその理由がもうなくなったことを知り、まだどこかぼんやりとしながらも、帰路につくことにした。


表通りに出て、来た道を引き返す。駅に着いて切符を買おうと、上着の内ポケットに右手を突っ込んだ。
ところが、どんなに探っても、指先がそこにあるべきものに触れない。

「…ん?」

そこにあるべきもの。財布が。無い。確かに持って出たのに。
一時間ほど前にこの街に着いてから、今までの間。
なくすタイミングがあったとしたら、一つしかなかった。

「あいつ…っ」

スられたのだ、あの少年に。
この街で、しかも裏通りで、そんなことは日常茶飯事だと分かっていた筈だった。迂闊だったとしか言いようがない。
俺はがっくりと肩を落とし、仕方なく、夜気が冷たく頬を撫でる十一月の深夜、家まで一時間かけて徒歩で帰宅したのだった。

翌日、俺は電話で職場に事情を話し、出勤前に警察署に行くことにした。あまり意味はないだろうけれど、念のために被害届を出しに。
その後は銀行にも行って、キャッシュカードの盗難を届けなければいけない。
他にも、クレジットカード、免許証、保険証、TSUTAYAのカード、等々。考えただけで気が滅入った。

「くっそ」

頭をばりばりと掻き、重い足を引きずるようにしてアパートの玄関を出る。
すると、ドアノブに見慣れない紙袋が下げられていることに気が付いた。
はてと思って中を覗き、驚いた。なんと、昨日スられたばかりの財布が入っているではないか。

「おお」 

思わず、声が洩れた。
あの少年が、罪悪感にかられて、返しに来たのだろうか。免許証を見れば、住所がわかる。
少年犯罪の多発がニュースを賑わせる昨今に、こんなこともあるものなのか。俺は柄にもなく胸が熱くなりかけた。が、しかし。

「…って、おい」

感動したのも束の間。やはり、そう甘くはない。中を見れば、三万円ほど入っていた現金は一円も残っていなかった。
一瞬期待しただけに、ショックは大きい。俺はまた肩を落とす羽目になった。
それでも救いだったのは、現金以外のカードや免許証などが、全てそのまま残されていたことだ。

「いや、まぁ、まだマシだよな…」

俺は自分に言い聞かせた。そうだ、これで、あれやこれやの煩わしい手続きをする必要は無くなったのだ。

更に、紙袋の中には、二つ折りにされたメモ用紙と、白い紙で出来た箱が入っていた。
メモ用紙を取りだして開くと、そこには、少し幼い字で一言だけ。

『ハッピーバースデー』

箱の中身は、苺のたくさんのったショートケーキ。
九年前も、俺はそのケーキを見て初めて、自分の誕生日に気が付いたのだった。

「…はは」

本当に、なんだというのか。思いがけないことだらけで、驚くことにも疲れて、笑ってしまった。
午前中の予定は無くなったものの、だからといってそのまま仕事に行く気にもなれず、俺は紙袋を持って部屋に戻った。
テーブルの上にケーキを出すと、ご丁寧にローソクまでついていた。長いのが二本と、短いのが五本。
せっかくなので、ケーキにたてて、火をつけた。
さすがに歌いはしなかったが、しばらくゆらゆらと揺れる炎を眺めてから吹き消した記憶がある。

「…うまいな」

こうして九年前、俺は一円の金もない、けれど年の数だけ正しくローソクのたてられたケーキだけはあるという、奇妙な
誕生日を過ごしたのだった。



     ◆



「本当に変な奴だったな。財布スッておきながら、中身だけ抜いて返しに来るなんて。しかもわざわざ、誕生日ケーキ持ってよ」
「優しい少年じゃないですか」
「…そうか?」

いやいや、現金を盗んだことには変わりないだろうに。確か、俺はそれから給料日まで、かなり苦しい生活を強いられたのだ。
そう言いたかったが、やたら感心している後輩を前に、俺は言葉を飲み込んだ。
この後輩は、まだ二十四歳で、若いながら、本当に仕事熱心だ。
家裁の調査員なんて、一年もやっていれば、少年少女に裏切られまくり、理想を打ち砕かれ、やる気を失っていく人間が大半だ。
でも、こいつはどんな目にあっても尚、「大人が理想を失った姿を、少年たちに見せてはいけない」なんて力説するような男だった。
なんでも、自分自身も幼い頃環境に恵まれず、非行に走っていた時期があったらしい。
その時に、とある家裁の調査員に出逢い、救われ、自分もこの仕事を目指したのだと言う。どこぞの漫画の主人公みたいな奴だった。

「父親がギャンブル中毒で、母親が愛想尽かして俺を連れて家を出たんですが、今度は再婚相手がアル中で。飲んで暴れて殴って
 くるんですよ。家に居たくなくて、毎晩繁華街をうろついてました。その暴力が原因で、俺、左目が見えないんですよねぇ」

そんなことを笑顔で口にする後輩が、どこか無理をしているんじゃないかと、俺は何故かいつも気にかかった。

「それにしても、あのケーキはうまかったな」
「そうですか」
「もう一回食べたくて、市内のケーキ屋探しまくったんだが、どこにも売ってなくてよ」
「そんなにですか」
「おう。俺、そんなに甘いもの好きなわけじゃないが、あのケーキだけは忘れられねぇんだよな」
「…今の今まで、その話忘れてましたよね?」
「いや、そうじゃなくて。もう一回食べたら、確実に思い出すってことだよ」
「あはは」

後輩は、笑いながらケーキを切り分け、紙の皿にのせた。

「…じゃあ、思い出して貰おうじゃねぇか」
「は?」

なにか、不穏な言葉を聞いた気がして、思わず隣を見る。けれど、そこにあったのはいつもの後輩の爽やかな笑顔だった。

「どうぞ」
「おう」

促されるままに、フォークを持つ。柔らかいスポンジに、ふんわりとフォークが沈んでいく。
それを見ながら、俺はふと、そういえば自分はこいつに誕生日を教えたことがあっただろうかと、そんなことを考えていた。



end.



  *  *  *



後輩の、取り澄ました話し方がめっちゃツボに嵌りました!
すっごい面白い、絶対これサンジ怒ってるよねww
密かに怒ってるよね(笑)
一体いつになったら気付くんだーってイライラ思ってたと思う。
けど一向にゾロは気付かない。
ケーキを食べた後のゾロのリアクションを想像するだけでニヤニヤしちゃいます。
美味しいゾロ誕をご馳走様でございますv


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