デイ・ドリーム・ビリーバー -2-
<またたび史瀧様>
ゾロの携帯に、懐かしい人物から電話がかかってきたのは、10月も終わりに差し掛かった頃だった。
『ああどうも、久しぶり!7年ぶり、だっけ?あれ、8年だっけ?番号変わってなくて良かった』。
電話の向こうで明るい声でそう言ったのは、児童相談所の職員だったシャンクスだった。
ゾロがサンジを引き取った次の春に、彼は異動になった。
それから2か所ほど別の地域の児童相談所に居て、この10月にまた戻ってきたのだそうだ。
異動してからもしばらくは、サンジのことを気にかけていて、連絡をくれていた。
2、3年ほどして、ゾロとサンジの生活がもう大丈夫だと思ったのか、年賀状程度のやり取りになっていた。
『サンジはどうしてる?もう19になったんだよな』
「ああ、元気にしてる。コックになるっつって学校に行ってるが、それも来年の春で終わりだ」
『そうか…あのサンジが、もう社会人になるのか。感慨深いなあ』
シャンクスは電話の向こうでしみじみとそう言って、一度ゾロやサンジに会いたいと言った。ゾロは快諾した。
シャンクスに相談したいこともあった。もちろん、サンジのことで。
ゾロがそう言うと、シャンクスは、まずサンジ抜きで一度会おうと言ってくれた。
そう言えば、今週の金曜日は『バラティエ』の閉店まで居るから遅くなるとサンジが言っていたことを思い出す。
その日はどうかとゾロが言うと、シャンクスも特に予定はないとのことだった。
約10年ぶりに会うシャンクスは、相変わらず溌剌としていて若々しかった。
しかしオーラと言うか貫録と言うか、そういうものは格段に増していた。シャンクスは当時28歳だったから、今は38か。
「おー、ゾロ、歳とって男前度が増したなあ!」
「そっちもな」
バーの奥まった席で向かい合って座る。やって来たウェイターに適当に酒を頼んだ。
程無くしてそれらが届いて、ゾロとシャンクスは軽くグラスを合わせた。
「いや、こんなに経ってからまた連絡するのも気が引けたんだけどな、サンジのことは、どうしても思い入れが強くなっちまってさ」
グラスを傾けながら、シャンクスは苦笑した。
ゾロはポツリポツリと、今まであったサンジとの思い出を話した。
大きな事件もなく、他愛ないことばかりだ。
一般の家庭なら、普通にあること。しかしゾロとサンジには、そのすべてが特別だった。
シャンクスはそれらの話を、楽しそうに聞いていた。
「――だけど、あいつが高校に入った辺りから、何か変わっちまった」
ゾロが言うと、シャンクスの顔から笑みが消えた。
ゾロが相談したかったことを話し始めたのだと悟り、真剣な表情になる。
ゾロは、少しためらいながらもすべて話した。
サンジが寝ている自分にキスをしたことも。
それからずっと、サンジがどんな目で自分を見ているのかも。
シャンクスはその話を、驚くでもなく憤慨するでもなく、静かに聞いていた。
「おれは、あいつに対して、この先どうしていったら良いか分からない」
ゾロは言った。
15も年上の男に懸想するなんて、どう考えても健全ではない。
いや、同い年であったとしても健全ではないのだが。
サンジの生い立ちからして、幸せな結婚をして温かい家庭を築いていくのが、一番の幸せではないのか。
そもそも、サンジはどうして自分に対してそんな風に思うようになったのか。
施設から引き取って育ててもらった、唯一家族と呼べる相手への執着を、愛情と勘違いしているのではないか。
「そうか…やっぱり、そうなっちまったか」
しばらく沈黙したあと、シャンクスがそう言ったのでゾロは驚いた。
「いや、正直その、恋愛感情になるとまでは思っちゃいなかったが、サンジがお前に異様なくらい執着するだろうな、ってことくらいは予想できたよ。だってそうだろ、あの日お前に選ばれたあのときから、サンジの世界にはお前しか居なかったんだから」
「おれが…あいつへの接し方を間違えたのか」
「そうは思わねェよ。それは、おれにもお前にも、どうにもできねェ問題だったってことだ。どんな風に接したって、あいつはお前の手を絶対に離したくないと思って過ごしていたはずだからな。例えばもしお前が『死ね』っつったら、多分あいつ死ぬんじゃねェかな。そういうレベルなんだから、どうしようもない。まあ、お前がもう少しむさ苦しいおっさんだったら、恋愛感情にはならなかったかも知れねェが」
そう言ってシャンクスは、小さく笑った。
「だから、サンジをどうするかは、お前が決めていいと思う。実際お前はこの10年、よくやったと思うよ。9歳の子供を19まで育てるのがどれだけ大変なことか、おれだって分かってるつもりだ。お前はあの日の約束を、きっちりと守ってくれた」
――絶対に、大切に育てる。途中で放り出したりなんかしねェ。幸せにする。
「あいつがひとを愛せる人間に育ってくれて、おれは本当に良かったと思ってる。それもお前のお陰だ。だから、お前がその執着は間違いなんだと考えて、手を離してやるのがあいつのためだと思うなら、そうしたらいい。それでもあいつは、もうちゃんと一人で生きていけるだろう。そしてお前がサンジの気持ちを受け入れたいと思うなら、それもいい。どっちも間違いじゃねェし、それを選ぶ権利がお前にはある」
シャンクスはそう言う。
しかし、ゾロの中では答えはまだ出なかった。
サンジのためには、離れたほうが良い。
しかしゾロ自身が、サンジを手放したくないと思っているのもまた、事実だった。
◆ ◆ ◆
「――サンジ君のお家のひと、かっこいいよねえ」
初めて他人にそう言われたのは、中学2年生のときだった。
秋に3者面談があって、ゾロはその為に仕事を半日休んでくれた。
普段仕事のときもスーツだったので、サンジは見慣れていたが、周囲の目にはゾロはカッコよく映ったらしい。
次の日に、丁度サンジの前後に予定が入っていた女子生徒数人が、そう言ったのだ。
「あのひと、お父さん?お兄さん?」
「どっちでもないよ」
「そうなの?じゃあ、親戚のひと?」
「うーん…親戚でもないけど、家族だよ」
「ふーん…よく分かんないけど。昨日見かけて、すっごくかっこいいなあ、って思ってたんだ。お母さんも、素敵な人ねえ、って言ってた」
サンジはそう言われて、悪い気がしなかった。
確かに、参観日やら何やらで、よそのお父さんを見ることもあったが、ゾロよりもカッコいいひとなんて居ないとずっと思っていた。
サンジの贔屓目かと思っていたが、そうでもなかったようだ。
そんなゾロが、自分だけの家族なのだ。こんな優越感はない。
中学生なんて、まだまだ子供で、思考も浅い。ゾロがずっと自分だけのゾロでいてくれることが、幸せにしか思わなかった。
ゾロ自身のことなんて何も考えずに。
◇ ◇ ◇
日曜日の午後。サンジが街角でそんな物思いにふけっていたら、背後から肩を叩かれた。
「よう。悪ィな、少し遅れた」
「いや、こっちこそ、急に呼び出して悪かった」
サンジは言う。
待ち合わせをしていた青年は、トラファルガー・ローと言う。
彼はサンジと同じ施設で育った。ゾロが子供を引き取りに来た際に、候補にも挙がっていた子供だ。
サンジがゾロの家に行ってから1年ほどして、ローもどこか金持ちの家に引き取られた。
18になったときに彼は家を出て、今は独り暮らしをしているらしかった。
今年はゾロへの誕生日プレゼントを選ぶのに、ローに付き合ってもらうことにしたのだ。
「で、何、誕生日プレゼントって、あの人のか」
「ああ。10年目だし、おれがバイト始めてから最初の誕生日だし、ちょっと奮発して、と思ったんだが、どういうのがいいかよく分からなくてな」
あげたいものは決まっていた。腕時計だ。それも少しいいやつを。
しかしそういう店にも行き慣れないサンジは、ローに相談したのだった。
「時計っつってたっけか。ピンキリだぜ、それこそ数百万するモンから、1万円もしねェモンまで」
「数百万は無理だ…春からバイト代結構頑張って貯めてたんだが、10万くらいが限界かな…」
がくりと肩を落とすサンジに、ローは苦笑した。
「向こうだってお前から数百万もするモンを贈られても困るだろうよ。ほら、行くぞ」
さすがはお洒落なローだけあって、連れて行ってもらった時計屋はなかなか良かった。
ゾロはあれでいて物ぐさなところもあるから、ソーラー電池で、この先さらに出世して海外出張なんかもあるかもしれないから、海外でも自動で時刻を合わせてくれるような電波時計。
デザインも、シックで派手すぎず、しかし安っぽくもない。
ゾロによく似合う。そんな素敵な時計を見つけることができた。
価格は10万とんで980円だったが、ローの顔見知りがやっている店のようで、8万円で売ってもらえた。
「いやあ、いいのが見つかって良かった。おめェのお陰だぜ。今年は、バイト先のオーナーが上質のジビエをプレゼントしてくれることにもなってんだ、豪勢になる」
サンジはニコニコして言ったつもりだったのだが、ローは辛気臭い顔でサンジを見る。
「へェ。その割に、浮かねェツラしてんのは何でだ」
「別に、してねェよ」
「してる。てめェ、おれの目をごまかせるとでも思ったか。無理してるときのてめェはいっつも、そういう笑い方をするんだよ」
どういう笑い方をしているのか、サンジ自身は知る術もなかったが、幼少時より共に育ったローには、違いが分かるらしい。
サンジは観念した。ローなら、きちんと聞いてくれる気がした。
「……こうしてゾロの誕生日祝うの、今年で最後になるからかな。おれ、来年の春になったら20歳になるし、就職もするし。
…あの家を出ようと思ってんだ」
「本当は出たくねェくせに?」
「ゾロだって、もう34だぜ。この10年、恋人のひとりも連れてきたことが無ェ。20代から30代って、人生で一番充実した時期のはずなのに、その貴重な10年をおれのために費やさせちまった。もう自由に生きていってほしいんだよ」
「自由に、ねェ。けど、お前がそこまで後ろめたさみたいなのを感じる必要があんのか?おれもお前も、引き取ってくれた相手に感謝はすべきだが――相手が望んでやったことでもあるわけだろ?無理やり押し付けられたわけでもねェんだし」
その辺り、ローはドライだ。引き取られた先がそうだったのかも知れない。
『てめェクソガキ、引き取ってもらった、なんて勘違いすんなよ。おれは金と時間を持て余していたから、暇つぶしにガキで遊んでみるかと思っただけだ』。
引き取られたその日、ローはそう言われたらしい。だが、子供ひとり引き取って育てるのは伊達や酔狂ではできない。
負い目を感じないようにそう言ったのかも知れないが、あの人の本心は分からん、といつだったかサンジはローから聞いたことがある。
「それはそうなんだけどよ…でもやっぱり、おれのために犠牲にしてきたモンもあると思うんだよ」
「まあそれは、な。だがお前、出ていく理由を『このままではあなたに申し訳ないので出て行きます』なんて言うのはちょっと違うと思うぞ。
その辺しっかりケジメつけとけよな。――…そんでよ。もしお前さえ嫌じゃなかったら、あの家を出たら一緒に暮らさねェか」
「え?何で」
「何で、って――施設にいた頃から、大人になったらてめェと暮らしたいっておれは思ってたんだよ。お前があの人に引き取られて行ったときも、大人になったら絶対迎えに行く、って思ってた」
普段あまり感情を表に出さないローがそんなことを言うので、サンジはますます訳が分からず、だから何で、と言うしかできなかった。
「何でだろうなあ…ああ、お前の作るメシが美味かったからかな」
「何だそれ」
サンジは呆れ顔になる。ローは腕時計に目を落とし、じゃあそろそろおれは行く、と言った。
「おう、今日はありがとうな。じゃあ、また」
サンジの言葉に、ローは軽く片手を挙げて立ち去りかけて、振り返った。
「なあ、さっきの話だが。あの人に自由に生きてほしい、ってお前は言うけどよ、案外、じゅうぶん自由にやってんのかも知れねェぜ」
「へ?」
「何が自由かなんて、本人にしか分からねェってことだよ。じゃあ、さっきの話、考えとけよ」
ローの言った意味は、サンジには分からなかった。しかし、似たようなことをゼフにも言われた気がする。
――ゾロが一番望む形とは何なのだろう。
◇ ◇ ◇
――11月に入ってから、サンジの帰りは遅い。バラティエのアルバイトに精が出ているらしい。
バイトの後で、ゾロの誕生日のための料理を教えてもらっているのだと言っていた。
『今年はすげェぜ、楽しみに待ってろよ』。そう言って笑った顔を見ると、何も言えない。
ゾロもまた、どうせサンジが遅いのならばと残業したりして、このところ一緒に夕食を摂っていなかった。
サンジが働くようになったら、こういうことはきっともっと増える。
そう考えると、10年前に決めた『ふたりで長く暮らしていくための約束事』がもう通用しない時期にきたのだと実感した。
いや、10年は十分に長かったか。
サンジももう、独り立ちする時期がきている。
「――あ、ロロノアさん、今お帰りですか」
帰宅しようと乗り込んだエレベーターの中で、同僚の女性と一緒になった。
ゾロよりふたつ後輩だったはずだ。ああどうも、と軽く挨拶を返す。
暫く沈黙が続いていたが、女性が口を開いた。
「ロロノアさん。来週お誕生日ですよね。あの――…もしご予定がなかったら、お食事とか、ご一緒…できませんか」
そう言われて、ゾロは驚いた。何故自分の誕生日を知っているのだろう、と。
ゾロは、自分に向けられる好意にひどく鈍感なところがあった。サンジからの視線の変化にはすぐに気付いたのに。
「あー…誕生日は、予定がある」
「あ……そうなんですか。すみません…付き合ってらっしゃる方がおられるんですね」
心底沈んだ声でそう言われて、ゾロはようやく、交際を申し込まれているのだと気が付いた。
「いや、誕生日は家族と過ごすことになってんだ」
恋人がいると吹聴されても困るので、ゾロは言った。
「家族?あ、そう言えば前に聞いたことがあります。ロロノアさん、10年前に身寄りのない子供さんを引き取って育ててる、って。私その話聞いて、感動してしまって。お優しいんですね」
「優しい?」
「だって、なかなかできることじゃないですよ。身寄りのない可哀想な子を引き取って育てようなんて。私、ロロノアさんのそういう優しいところが、その、好きに――」
そう言って、女性は顔を赤くして俯いた。
しかしそんな仕草も、ゾロの琴線には引っかからない。それよりも、女性の言葉の方が気になった。
サンジは『可哀想』な子で、そんなサンジの面倒を見てきたゾロは『優しい』のか?
自分たちの10年間は、そんな単純なものではないはずだ。
「……可哀想とは、思わなかったな」
ゾロはそう呟いた。
「え?」
「いや、何でもねェ。――とにかくそういうことなんで」
丁度エレベーターが1階に着いて、ゾロは女性を残して外へ出た。
その夜、ゾロはひとりでアルバムを眺めていた。これまでに撮った沢山の写真。
サンジがこの家に来たときは、まだ背も130センチしかなくて、ゾロよりも50センチも背が低かった。
ゾロはそこから殆ど変わっていないが、サンジの背丈はどんどん伸びて、今ではもう3,4センチしか違わないはずだ。
もう、子供じゃない。そんなことはとっくに分かっていた。
◆ ◆ ◆
24の秋、児童相談所へ行ったゾロの対応をしてくれたのがシャンクスだった。
「え、子供がほしい?」
ゾロの要求に、シャンクスは目を丸くした。
てっきり、持て余した子供の対応を頼みに来た若い父親とか、近所の子供の虐待の通報とか、そういうものを想定していたようだった。
「ええと、君はまだ24歳で、独身だよな?何か病気とか?」
「いや…たぶん、健康だ」
「だったら、おれがこう言うのも何だが、わざわざ施設から子供を引き取らなくても。この先結婚して自分の子供が生まれる可能性の方がじゅうぶんに高いわけだし」
シャンクスの言うことも尤もで、ゾロは何と言っていいのか分からなかった。
と言うよりは、自分がいま、子供を引き取りたいと思っている理由を話したら、怒られそうな気がした。
「……何か事情が?」
黙りこくってしまったゾロに、シャンクスが気遣うように訊いた。
その時のゾロはただ、独りでいることが耐えられなくなりかけていた。
ゾロの両親は早逝で、母親はゾロが中学生のとき、父親はゾロが高校生のときに亡くなった。
元々同居していた祖母とそれから二人で暮らしていたが、その祖母もゾロが23のときに死んだ。
4人で暮らしていた家は、ひとりで暮らすには広すぎた。
しかし、それ自体はいつかはやって来ることであったし、ゾロも社会人になっていたので受け入れることはできた。
しかし24の夏、軽い事故に遭って怪我をした。
怪我自体は命に別状はなかったが、左目の視力が殆ど無くなってしまった。
ずっと好きで続けていた剣道も控えた方がいいと医者に言われて、ゾロを支えていた何かがぽっきりと折れた。
この世界に自分は独りきりで、一体何のために、誰のために生きていくんだろう。
そう考えたら、この先の自分の人生が気が遠くなるほど長いものに思えて、恐ろしくなった。
ただ、誰かに傍に居てほしかった。しかし、傍に居て欲しいと思えるような人間は周りに居なかった。
そんなときに偶然、職場で里親制度の話をしているのを耳にした。
子供なら。まだ誰かの庇護を必要とする子供なら、自分は必要とされるだろうか。
ゾロは自分自身の立ち位置を確認したくて、ただ自分の孤独を埋めるために、自分を必要としてくれる人間がほしいと思ったのだ。
何と身勝手な、と自分でも思う。しかしシャンクスは、そんなゾロの話を聞いても怒らなかった。
「――お前みたいな思いを抱えてる子は、おれの周りには沢山いるよ。そんなふたりが一緒に過ごしても、お互いのためにはならねェんじゃねェか、とおれは思う。…だけどお互いの気持ちは、きっと誰よりも分かるんだろうな、とも」
シャンクスは暫く黙りこんだ。迷っているようだった。
ゾロに子供を預けても良いのかどうかを。ゾロは何も言わずに、彼の返事を待った。
シャンクスは目を伏せ、髪をかき回し、額に手をやったかと思えば口元の髭をなぞり、それを何度も繰り返し――やがてギュッと一際強く目をつぶったあとで勢いよく開けた。
「……とりあえず、施設に行くだけ行ってみるか。どんな縁があるか分からねェし」
そして、例えば子供を引き取ると仮定して、シャンクスはゾロの今の生活状況から条件を決めた。
施設に連絡して、その条件に当てはまる子の資料を準備しておいてほしい、と伝えているのを、ゾロは聞いていた。
「ひとつだけ、約束してほしい」
施設に向かう公用車の中で、シャンクスは言った。
「もしも、お前に引き取られても良いという子供が居たとして。お前はまだ若い。さっきも言ったが、この先結婚して、自分の子供を設けることもあるかも知れない。そこまでいかなくても、他に大切な人間がこの先現れるかも知れない。それでも、その子が不幸になるようなことだけは、しないでほしい。お前は子供を引き取りたいという理由を、綺麗事でなく正直に話してくれた。だから言うんだ。たとえどんな事情があっても、その子供を引き取った瞬間から、その子を幸せにするのは、お前の義務であり、責任だ」
「……分かってる」
サンジと出逢ったのは、シャンクスの言う『縁』だったのだろうか。
いや、きっと『運命』だった。
◇ ◇ ◇
そして、サンジと迎える10回目のゾロの誕生日がやってきた。
昔は、ケーキを買って帰るのがゾロの役目だったが、サンジが中学生になってからは、『おれが焼く』と主張するので毎回任せていた。
今年もまた、サンジお手製のケーキである。大人向けのデザインと味だ。こんなのも作れるようになったんだなと思うと、感慨深い。
しかも今年は、料理も豪華だ。
「このジビエは、ジジイからのプレゼントなんだぜ。調理したのはおれだけど」
「へェ、オーナーが。それは有難ェな。今度礼を言っといてくれ」
「おう」
自信作なのだろう、ジビエのローストを切り分けながら、サンジは得意げに笑った。
そう言えば、初めてゾロに料理を振る舞ったときもこんな風に笑っていた。
しかもゾロが作るのよりも美味しかった。
「あと、コレはバラティエのコック達が是非、って」
シャンパンを指さしてサンジが言う。
「良いのか、こんなに貰っちまって」
「うーん、分からねェけど、まあ良いんじゃねェのかな」
ゾロと直接面識のないコック達がこんな風にしてくれるのも、サンジが職場で可愛がられているからだろう。
そう考えるとゾロは安心した。
じゃあお言葉に甘えて、とシャンパンを開ける。
サンジがそれをゾロの手から取り、ゾロのグラスに注いだ。
「フランスでは、ボナペティ、って言うんだってさ」
「何が」
「さあ召し上がれ、みたいな」
「ふーん」
いただきます、と手を合わせて、シャンパンをひと口飲んだゾロは、サンジが自分のグラスにも注いでいるのに気付いた。
「コラ、お前まだ19だろ」
「ちょっとだけ、ひと口だけ。ほらおれ19.6歳だし、四捨五入したらハタチだし」
「あのなあ」
と言えども、ゾロはこっそり高校生くらいの時から飲んでいたので咎め切れない。
「1杯だけだぞ」
そう言って、ひょいとサンジの傍らからシャンパンのボトルを取り上げた。
「お、美味いな」
ジビエのローストをひと口食べてそう言うと、サンジはまた笑った。今日はよく笑う。
料理を全部食べ終えて、サンジがケーキを切り分け、ゾロの前に置いた。
「そうそう、コレ、誕生日プレゼント。今年はバイトも始めたし、奮発したぜ」
サンジがそう言って、小さな箱をゾロの前に差し出した。開けてみると、中には綺麗な腕時計が入っていた。
バカがつくほど高くもないが、安物でもないことはゾロにも分かった。10万はするだろう。
「すげェ、良いデザインだな。高かったろ」
「まあ、10年目ということで」
そうか。高価なプレゼントも、豪勢な料理も。ゾロにはその意味が分かった。
サンジは、今年でこの習慣を終わりにするつもりなのだと。
『一緒に暮らしていくための』約束事を終わりにするということは、つまりそういう覚悟なのだろう。
「――あのさ。おれ、決めたよ」
おもむろにサンジが口を開いた。
「来年の春でおれもハタチだし、そろそろ独り立ちしねェとな、って思って。こないださ、ジジイが、調理学校卒業したら正式にバラティエで働いていい、って言ってくれたんだ」
「…そうか」
サンジがそう決めたのなら、仕方がない。バラティエは近くだし、今生の別れでもないのだから。
ゾロは自分に言い聞かせた。手を、離してやらねば。
「だったら、来年のお前の誕生日は、今日に負けねェくらい豪勢にしねェとな。10回目で、20歳で、卒業記念と就職祝いも兼ねて。
何か欲しいモン考えとけよ。高いモンでもいいから。てめェ毎年、何欲しいか訊いても『特にねェ』ばっかりだったからな。毎年悩まされたモンだ」
ゾロが言うと、サンジは口元だけ無理やり笑みを作って、伏し目がちになった。
「欲しいモンか…本当に、無かったんだよ。て言うか、欲しいモンはもうとっくにもらってたからな。おれが欲しかったモンは、何でもゾロが与えてくれた。――…たったひとつ以外は」
「…何が欲しかったんだ?何が足りなかった?言えよ、何でも」
ゾロの言葉に、サンジは眉間に皺を寄せて俯いた。
「――…ゾロ」
「何だ」
「ゾロ」
「だから、何だよ。遠慮しなくていいから、言えよ」
「そうじゃねェよ、バカ!」
サンジは顔を上げた。目が潤んでいるのは、シャンパンのせいではないだろう。
ゾロは、サンジが自分に呼びかけているのではなくて、『欲しいもの』を口にしていたのだとようやく気が付いた。
「――悪ィ、ちょっとシャンパンで酔ったみてェ。頭冷やしてくる」
サンジは席を立つと、バタバタとスリッパの音を響かせて階段を駆け上がっていく。バタン、と派手な音を立ててドアが閉まるのが聞こえた。
「……酔うほど飲んでねェだろが」
ゾロは先ほどまでサンジが座っていた席に置いてあるグラスを見て呟く。
半分も減っていない。
サンジは、きっと最後まで言うつもりはなかったのだろう。
笑って胸の奥にしまいこんで、来年の春を機にゾロの前から居なくなるつもりだったに違いない。それを、こじ開けたのはゾロだ。
サンジの気持ちは分かっていた。
キスをされても寝たふりをして気付かないふりをしたくせに、心のどこかで、サンジがそれを口に出すのを待っていた。
サンジが自分を愛するのは、不毛だと思う。
自分がサンジを愛するのも。ただお互いにどうしようもなく孤独だったから、相手しか見えなくなっていただけだ。
シャンクスと約束した。サンジを幸せにするのは、自分の義務であり、責任だ。
「他に、もっと居るだろうがよ」
こんな、15も年上の男でなくても。もっと、若くてきれいな女でも。たとえ男でもそれはサンジの自由なので別にいい。
もっと若かったり、もっと収入が良かったり、もっと見目が良かったり、もっと優しかったり、もっと器用だったり。
そんな人間は沢山いるだろう。だけど。
「他にもっと――…居てたまるかよ」
自分よりももっと、サンジを大切に想っている人間は。もっと、サンジを幸せにできる人間は。
ゾロは立ち上がった。
「――おい、入んぞ」
ドアを開けると、サンジの部屋は明かりもついていなかった。
真っ暗な部屋の中でサンジは、頭から布団を引っかぶって、ベッドの上で丸くなっていた。
枕元にあるスタンドの明かりをつけて、ゾロがベッドの縁に腰かけると、布団が小さく震えた。
「あれしきのシャンパンで酔うなんて、まだまだ子供だな」
ゾロは努めて明るく言う。布団の中から、うるせェ、とくぐもった声が返ってきて、ゾロは小さく笑った。
「おれ、今でも覚えてるぜ。お前が初めて熱出した日のこと。インフルエンザだったんだよな。ずっとお前の様子がおかしかったのに、おれは全然気が付かなくてよ。てめェもてめェで何も言ってくれねェし、挙句におれに迷惑かけたっつって謝る始末だ。アレはすげェ落ち込んだな」
だけどどうしようもなく愛おしかった。一生こいつを守ってやろうと思った。
「お前は、欲しいもんはおれが与えてくれた、って言ったが、おれだってそうだ。お前から、色んなモンをもらってきた。おれは、てめェのために何かしてやった覚えなんかこれっぽっちもねェ。自分のために、自分のしたいようにしてきたんだ。てめェはそれに付き合ってくれてただけだ、10年も」
ゾロは、布団の上からサンジの体を撫でた。また小さく震える。
「お前がもうとっくに子供じゃなくなってたことも分かってた。高校生のとき、寝てたおれにキスしたのも気付いてた。でもおれは、お前との暮らしを壊したくなくて、気が付かなかったふりをした。お前はおれへの執着を愛情と勘違いしてるだけなんだと言い聞かせてた。お前のことが大事だった。今も、お前以上に大切なものなんか無ェ。だけど、見えてるものを見ないふりして、囲い込んでおくのが、本当に大切にしてるとは言わねェな。お前は、ちゃんとおれに向き合ってくれた。だからおれも、もう見ないふりはしねェ」
自分の気持ちも、サンジの気持ちも。
布団を少しずらすと、胎児のように丸くなったサンジがゾロを見ていた。
その頬に唇を落とす。
サンジの肩が震えた。顎を掴んで自分の方を向かせて、唇を塞いだ。
サンジはゾロにキスされたままでもぞもぞと動いて、仰向けになる。体がガチガチに緊張しているのが伝わってきた。
「口、開けろ」
そう言ったら、戸惑ったように薄く唇が開いた。
その僅かな隙間に舌をねじ込む。
濡れた音を立てて口の中を舐め回していたら、サンジが喉の奥から少し苦しそうに声を漏らした。
ヤバい、とゾロは思う。
子供じゃないとは分かっていたが、ここまでとは。
「なあ、ゾロ」
「何だ」
自分に覆いかぶさってきたゾロに、サンジは恥ずかしそうに視線を逸らしながら訊いた。
「ゾロは――…男ともしたことあんのか?」
「あるわけねェだろ。――だがまあ、大丈夫だ。そこはまあ、おれも大人だからな」
「おれ、早まったかも…」
「あ?」
不安げに呟くサンジに、不機嫌そうに顔をしかめたら、『子供みてェ』とサンジは笑った。
◇ ◇ ◇
「一緒に風呂入るのって、何年ぶりだっけな」
浴槽の中で、ゾロの胸に背中を預けるようにもたれかかりながらサンジが言った。
「あー、てめェが中学入る前が最後だったから、7年くらいか?」
「そんなになるのか……って言うか、一緒に風呂に入ってたんだよなァ」
「そうだよ。あちこち洗ってやったし、さっき言ってた熱出したときには座薬だって入れて――」
「言うな!」
サンジは両手で湯をすくうと、背後のゾロの頭めがけて振った。
バシャン、と頭から湯をかけられて、思わずうわ、と声が漏れる。
サンジの耳は真っ赤だった。
「あ、そう言えばケーキ放ったらかしのままだ」
「明日食おう」
「食器もそのままだし、片付けねェと」
「……それも、明日でいいだろ」
ゾロが言うと、サンジは暫し逡巡していたが、まあいいか、と頷いた。
「そう言や、もうそろそろ新しく決め直さねェとな。約束事。アレは子供仕様だったからな。今のおれ達にちゃんと合わせねェと」
「そうだよな。おれももう、大人だし」
「そうだな。――色んな意味で、大人になったよな」
そう言ったら、サンジは振り向いてキッとゾロを睨んだ。耳は赤いままだが。
「――そうだ。おれ、前からずーっと訊きたかったことがあるんだが」
サンジは体を反転させ、ゾロに向き直った。真剣な表情だったので、ゾロは身構える。
「何だよ」
「その、10年前のことだけど。どうして、おれがいいって思ったんだ?他にも子供はいたのに」
「ああ、それは――お前が、おれの手を引いてくれたからだ」
「え、いつ?」
「いつ、って…まあ、忘れてるならいい」
気になるじゃねェか、とサンジは食い下がったが、そんなに細かく説明するほどのことでもない。
ただ、守るべき対象ができたことは大きかった。左目のことも、このままではいけないと思った。
その後も根気よく治療に通い、少しは回復した。剣道も、嗜む程度ならできると言われて、今でも続けられている。
「何度も言うようだが、おれに、お前が必要だったんだ。あん時。それに、これからもだ」
だから、てめェは誰にもやらねェ。ずっと傍に居ろ。
そう言ったら、サンジは照れくさそうに、いつかと同じセリフを言った。
「…おれでよければ」
◆ ◆ ◆
――おっさん、迷子?どこに行きてェの。
――それならこっちだよ。
自分の手を引いたあの手の温かさを、ゾロは今でもずっと憶えている。
End
* * *
危うい疑似家族萌え!!
あああなんて美味しいゾロなすなんでしょう。
ありがとうございます、ご馳走様でございます。
ゼフもシャンクスもローもみんな素敵だー!!おいし過ぎる!!
ゾロが、ちゃんと気付いててそれなりの大人の分別で持って悶々としつつ、結局最後はちゃんと
決めてくれて幸せかつ爽快でした。
サンジ・・・早まったなww
これからもこの先も、二人の約束事は少しずつ変化し、けれどずっと続いていくのでしょうね。
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