コイゴコロ <島ひかり様>


 ゾロが今日、帰国する。俺はそわそわしながら金曜日の学校の授業を終わらせ、カフェの厨房でのアルバイトも明日まで休みを取り、途中で制服を着替えると一目散で空港に向かった。
 到着時刻は、十七時三分。飛行機は遅れることはあっても早く着くことはない。わかっていても待ちきれなくて、十六時半には空港に着いていた。
 電光掲示板に表示されている、シンガポールからの便は今のところ予定通り到着予定だ。
「……」
 ほっとして近くの待合所に座った。
 ゾロは商社に勤めていて、最近輸入家具を扱う部署に異動になったという。それ以来アジアへの出張が増えている。今回は二週間の出張で、その前は十日間だった。最近出張ばかりで、なかなかゾロと会えない。
 一度、学校をさぼって見送りに行ったらこっぴどく叱られて泣いたことがある。それ以来ゾロは平日に出張するときは、可能な限り早朝か、夜の便で出発してくれるようになった。
 なんでだよとなじる俺に、ゾロは一言、「おやじさんに顔向け出来ねぇ」と言った。学校をさぼっている、というのがジジイに知れたら、ようやくもらった許しの意味がない、ゾロが言いたいのはそういうことだった。
「……」
 ただ一分一秒でもそばにいたかった俺とは、ゾロは全然違う。大人で、俺よりもずっと思慮深く色々なことを考えていて、俺とずっと一緒にいるためにどうするのが一番いいのか考えてくれている。
「クソ野郎……」
 思い出す度に悔しくなる。十七歳の俺と、三十歳のゾロじゃ生きている世界が違いすぎる。ゾロがいつ、俺を見限ってもおかしくない。さんざんガキ扱いされてきたけれど、年齢差を埋めることも、大人のふりをすることも無理だ。
「……まもなく、到着します……」
「……!!」
 ぐるぐると考えている間に、到着のアナウンスが入った。俺はいつもの場所で、ゾロを待つ。そわそわしながら待っているこの時間が、一番ドキドキする。いつだって俺は不利だから。
 人の波。
 ゾロの緑の髪はよく目立つ。出張だから一人でいるとも限らない。
 どうしよう。
 どうしよう。
 もし、無視、されたら。俺がゾロの邪魔になったら。
 邪魔になるなら、帰国の便まで教えてくれない。それもわかっている。でも、でも、もしかして、って思う。
 俺にはとうていわからない大人の世界だから。
「……!」
 緑の髪が、見えた。隣に……鮮やかなオレンジの髪の美しい女性が、ゾロと楽しげに話していた。
 ぎゅううう、と心臓が縮んだ。思わず胸を押さえて、背中を向けた。
 ゾロは気づかずに、行ってしまうんじゃないだろうか。俺なんかに、気づかずに、その、綺麗な人と。
 気づけば、視線を落とした床がゆらゆらと揺れている。ああ、俺、泣いてるんだ。喉元からせり上がってくる嗚咽をこらえながら、必死でその場に立ち尽くす。
「……っ」
 いつまで、こうしていればいいんだろう。ゾロはもう、行った、だろうか。
「おい、サンジ」
 ゾロ、の声……?
「ちょっとゾロ。あんた……、なんなのよこれは!! サンジ君のかわいい笑顔見せてくれるんじゃなかったの!?」
「うっるせぇな。おい、サンジ。いつまで後ろ向いてんだ」
 肩をぐいっとつかまれた。俺に、気づいて、くれた……?
「お……っ、ど、どうした!? どっか痛ぇのか!」
 ゾロが覗き込むように俺を見る。目が合ったら、俺が泣いているのに気づいてびっくりしたようにおろおろしだした。
「う……っ」
 言葉にならないまま、俺は首を横にブンブン振る。もうたまらなくなって、ゾロにぎゅう、と抱きついた。女の人が隣にいるのに、そんなの、かまっていられなかった。ゾロは、俺の、だから。
「おい……っ、サンジ!?」
 ゾロは戸惑いながらも俺の好きにさせてくれた。引き剥がそうとすることなく、ぎゅう、と抱きついた俺の背中をゆっくりと撫でて、髪を、撫でてくれて。
「……ただいま」
 耳元でそう囁かれたら、嬉しくてたまらなくなって、思い切りゾロのにおいを吸い込んだ。
 どれくらいそうしていたかわからないけれど、ようやく少し落ち着いてきた。女の人は無言でそばにいるみたいだ。
 先に行くこともない。一体、どういう人なんだろう……? 俺のこんな姿を見て怒ったり、それこそ泣いたりもしない。それとも……、やっぱり大人はそういうことを人前では見せないんだろうか。本当にゾロが好きな人だったら、すごい顔で、睨まれるんじゃないだろうか。
「落ち着いたか」
「……っ」
 ポンポン、とゾロに頭を撫でられて、俺はようやく顔を上げた。
「はじめまして、サンジ君。私はゾロとは学生時代からの腐れ縁で、たまたま飛行機で席が隣だったのよ。どんな嫌がらせかと思うでしょ」
「こいつはナミってんだ。俺だっててめぇと隣とわかってりゃこいつのことだって言わずにすんだのに」
「ちょっと!! サンジ君の前でなんてこと言うのよ!!こーんないたいけな高校生つかまえといて犯罪よ、は、ん、ざ、い!!」
「まだ手は出してねぇよ」
「……へぇ。相当、大事にしているみたいね」
「うるせぇ、ほっとけ」
 俺はあっけにとられて二人のやりとりを聞いていた。ああ、そうか。
 この人は……ナミさんて言うのか。ゾロを大事に思ってくれている……、友達、なんだな、と理解できた。こんなにポンポン女性と言い合うゾロを、俺は初めて見た。ナミさんも、ゾロを恋愛感情で見ていない。それに、俺を睨むどころか歓迎してくれているみたいだ。
「あの……、ナミ、さん?」
「あ、やっと話してくれた」
 ナミさんが俺をのぞき込むように笑顔で見つめている。なんて大きくて綺麗な瞳だろう。吸い込まれそうだ。
「なんて綺麗なレディ……、僕とお茶しませんか?」
「ぷっ。…………サ、サンジ君、可愛いぃぃぃ!!」
 俺の真剣な言葉に、ナミさんは感激したように抱きついてきた。豊満な胸が、胸が俺の顔に……っ。
「こいつだけはやめとけ。いくらてめぇが女好きでもな……」
 いい匂いにクラクラする。あんなにゾロのことで不安になっていたのに、一気に吹き飛んでしまった。
「うん、お茶しようお茶!! ほらゾロ、行くわよ!!」
 ナミさんは陽気に言って、俺の手を取った。細くて綺麗な指が俺と手をつないでくれる。夢見心地だった。
「……」
 ゾロは諦めたように笑ったけれど、文句は言わなかった。
 空港近くのカフェに入って落ち着いたところで携帯が鳴り、ナミさんはまたね、と風のようにいなくなってしまった。
「ほんっと、慌ただしい女だな」
「あの……さ、ナミさんて……」
「おい、まさか俺よりあいつの方がいいとか言うんじゃねぇだろうな」
 ゾロが真剣に問いつめてくる。そのあまりの真剣さに俺の方が驚いた。
「……んなわけねぇだろ、マリモ野郎」
 俺の言葉に少しほっとしたような表情をしたゾロは、眉根を寄せて言った。
「で。……なんで泣いてた」
「え……」
 思ってもみなかった質問に、ゾロに心配されているのだと気づく。不安は、もう消えていた。
「てめぇが泣くなんて、よっぽどのことだろうが」
「……言わねぇ」
 事実を知ってしまったら、なんだか急激に恥ずかしくなった。
 こういうとき、ゾロは絶対にからかったりしない。
「言え」
 まっすぐな眼差しが、俺の心まで見透かそうとする。ああ、心配かけたんだ、と思ったら心がぽかぽかしてきて……、素直になれる気がした。
「ナミ……さんが、ゾロの……、新しい彼女、に見えて、俺、俺、やっぱり、ゾロにつりあわないのかって、悲しく……なって……」
 俺は、ポツリポツリと恥ずかしい言葉をつづった。ゾロは真剣に聞いている。
 途中から、ゾロの怒りを感じた。怒らせたのは……俺だ。その理由も、もう、分かってしまった。
「……ご、めん、なさい」
「てめぇは、いつになったら俺を信じる。どうやったら、俺を信じる」
 ふぅ、とため息をついたゾロがコーヒーを口に運ぶ。ゾロを信じていないわけじゃない。ただ、自分に自信がないだけだ。でも、それをゾロに伝えるのはこんなにも難しい。伝え方が、いつまでたっても分からない。
「…………」
 なにも、言えなかった。黙りこくってうつむいている俺の頭を、ゾロは突然ぐしゃぐしゃっと混ぜっ返してきた。
「……あぁクソ。俺がいない間にてめぇが誰かに取られるんじゃねぇかって冷や冷やしてる俺のことなんか、気づいてもいねぇだろ……」
 そんなの、と言い返そうとしたが遮られた。全部分かっている、みたいな風に。
 はぁ、と大きくため息をついたゾロはニッ、と急に子供みたいに笑った。
「うし、ウジウジしてても仕方ねぇ。今夜はおやじさんに挨拶するついでに飯食わせろ。そんで明日はてめぇの行きたがってたなんとかランドってやつ、つきあってやるよ」
 ゾロの表情にドキン、と胸が高鳴る。俺がずっと行きたい行きたいと言っていた、テーマパークだ。
「……ほんとか? 朝イチから行かねぇと人気のやつ乗れねぇぞ?」
 疲れて帰ってきたばかりなのに……、ああでも、ゾロと、行きたい。
「ああ。ちゃんと起こしに来いよ」
「うん!!」
 ゾロはふわあああ、とあくびをした。もう眠いのかもしれない。
「んじゃ、出るか」
 店を出てゾロの隣を歩く。そっと右側を見ると、やっぱりゾロは大人で、俺は、ただの子供にしか見えない。それが、いつまでたっても悔しい。
「……おい」
 呼ばれて顔を上げると、ゾロが眉をピン、と跳ね上げた。
「ん?」
 なにかを企んでいるな、と思った途端、ガッと頭を捕まれて素早くキスをされて離された。
「な……っ、なにすんだクソマリモ!?」
 俺は手も繋げなくて寂しいな、なんて思っていた矢先だったのだ。
 ゾロの唇は、ひどく、熱かった。
 かぁぁ、と頬が熱くなったから、きっと顔は恥ずかしいくらいに真っ赤だろう。
「ん? 味見?」
 ペロリ、と舌を出したゾロが嬉しそうに言うから、もう怒る気も失せてしまった。
「クソ野郎……っ」
 俺は軽い蹴りを後ろからゾロの尻にお見舞いする。
「いてぇなコラ」
「うるせぇマリモ」
「あー、おでん食いてぇな」
「……あぁ!? 今からおでんかよ!! 昨日のうちに連絡してこいよ!!」
「しょうがねぇだろ。いま食いたくなったんだからよ」
 ゾロと肩をぶつけ合いながら空港を出た。
 もう不安は消えていた。ゾロの顔が俺の作った飯が早く食いてぇと言っていたので、もうそれだけで十分に満たされてしまったのだ。

終わり


   *  *  *


おおおお切なく可愛いゾロなすをありがとうございます!
若干、若干生殺しだけど問題なし!
だってこのサンジ、もはや食べごろじゃないですかー(落ち着け)
ちゃんと大人の分別で持って、保護者にも筋を通そうとするゾロ、男前です。
そして年の差に、時に胸が潰されそうになるほど悩みつつ、直向きにゾロを想うサンジのなんて可愛いこと。
ナミさんも素敵だーv
年の差は縮まらないけど、二人の愛はきっと年を経るごとに深まって揺るぎなくなるんでしょうね。
美味しいゾロなす、いただきましたv


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