狐の嫁入り -4- <千堂様>
ガシャン、という音がして目を向けると駆けていく後ろ姿が見えた。
酒を運んできた店員はスタイルも良く、何より醸し出す雰囲気がちょっと人目を引くイイ女だった。
客であるゾロが気に入ったのか、酒を受け取った後も女はテーブルを離れず傍に居る。
なんとなく そういう気分になって顔を寄せたところで、件の音が聞こえて唇を合わせる寸前で動きを止めたのだ。
その後ろ姿には見覚えがあった。
先日、思いがけない交流を持った狐のガキだ。
(危ないな。あいつ、俺以外に見えてねぇんだろ。車にでも跳ねられたらどうすんだ)
狐の身でこんな街中を歩けないから人間に化けてきたのだろうが、あれでは違う危険が生じるじゃねぇかと舌打ちする。
あの時適当に入ったパーラーですら中に入ったのは初めてだと言っていたくらいだからこういう街中を歩いた経験はないだろう。
そんなサンジがこの場に居るような偶然はありえない。
(俺になんか用があったんだろうが。 何に驚いて逃げてったんだ?)
サンジがぶつかったテーブルは、零れた酒は拭き取られ何事もなかったように収まっている。
その騒ぎにゾロが関わりがあったと知らない店員の女が 寸止めだったキスの続きを促すようにゾロの腕に凭れ掛かるのが不意に邪魔に思えて押し戻した。
押し返し際に抱いていた腰を軽く撫でることで無粋を詫びる意を伝える。
それで女には通じたらしい。
興味が自分から他へ移ったのを察し、これ以上の長居は無用と艶やかな笑みを残して去っていく引き際は見事で、ああ、やっぱりイイ女は違うと小さく口元に笑みを浮かべ酒を飲み干す。
(追いつけたら掴まえる。 見ねぇようなら次の機会を待つ)
女と遊ぶより面白ぇよと考えながら、逃げたサンジの後を追うようにゾロも店の外へ出た。
(おお・・・足早ぇな。さすが狐)
人の合間を縫って駆けていく背中は思った以上に距離があった。
他人から見えていないなりに器用にぶつかるのを避けているのは野生動物の反射神経だろうか。
一応歩行のルールは把握しているのだろう。小さくなっていく背中が車道に飛び出す様子もなく、真っ直ぐに先を目指していて見ていて危なっかしい感じは無かった。
養い親は稲荷狐だと言っていたから人間社会の事もある程度知っていてサンジに教えていたのかもしれないが――
「・・・どうするかな」
その後ろ姿を眺めるゾロの顔には 先程のものとは違う、楽しそうな笑みが浮かんでいた。
あれから数日経ったが未だにサンジはゾロのところへ顔を出していない。
稲荷の狐に叱られて翌日も足を運んだのだけど、彼の周りにあまりにも多くの雌の姿があって気後れしてしまったのだ。
嫁になりたいと言うわけじゃない、事情を話して近くに置いて欲しいと頼むだけでいいのに、声を掛けようとしても同種族の雌と一緒に居るのを見るとどうしてか狐の身である自分を恥じてしまうのだ。
その"狐"の自分が このところのゾロの興味を一番引いているというのに当のサンジはそれを知らずにぐるぐると彼の近辺を彷徨いている。
そうやって声を掛けるタイミングを測っているうちに数日が過ぎ、そうする事でますます彼が沢山の雌を惹きつける強い個体だと分かってしまったサンジは、徒に後をつけるだけで一日が終わる。
成果を持たずに戻ってくるサンジを見る老狐の目に呆れた色が日に日に濃くなるのを感じる度に"馬鹿にすんなよ、今日こそ!"と強がりを思って翌朝颯爽と出掛けては日々撃沈していた。
(けど、それも もう今日で終わりだ)
今日こそはと意気込んでサンジはゾロのマンションへとやってきた。
誰かと鉢合わせするのが不味いのだ。
だったら、ゾロが出掛ける前に家に乗り込んでしまうのが一番いい。
何度も通っているうちに覚えた彼の部屋の扉の前で、ごくりとサンジは生唾を飲んだ。
コレを開けてもらう方法はもう知っている。
(この、横に付いている突起を押せばいい)
意を決したサンジが押し釦に手を伸ばしたところで唐突にドアが開いた。
「あ。」
驚いて腕を上げたまま逃げることも忘れて見上げるサンジをじろっと見下ろしたゾロは、いきなり腕を伸ばしてその手を掴んだ。
「ひゃっ?!」
そのまま、室内に引っ張り込まれる
背後でバタンと扉の閉まる音がしたが 絶賛引き擦られ中のサンジに逃げ道確保の余裕なんてあるはずもない。
「えっ、え? あのっ、ゾロ?」
ぐいぐいと無言で自分の腕を引いて奥へと進む相手に訳も分からず上げた声を、「へぇ? 俺の名前知ってんのか」と拾われてしまい、慌てて口を噤む。
だがそれを気にした様子もなく ぽんっとサンジをソファに放ったゾロは、転がるサンジの頭の左右に両手をついて、にぃ…と唇を引き上げた。
「きつね、捕獲。」
うわー、俺、捕まっちまった。
そんな感想が頭に浮かぶまで、自分の真上にあるゾロの凄みある笑みに呑まれたサンジは、暫くの時間を要したのだった。
「熱いのは飲めんのか。狐はやっぱ猫舌か?」
よく分からない質問に首を傾げたサンジに 結局ゾロは冷えた緑色の液体の入った器を寄越した。
くんくんと匂いを嗅いでみても飲んだことのないそれが何だか分からない。
人間の飲む物といえばサンジは御神酒や甘酒くらいしか知らないのだ。
この前ゾロと入ったお店で彼が飲んでいたものとも匂いが違う。
ひとくち、ごくっと飲んでみて、不思議な香ばしさにサンジは ぴこっと黄色い耳を動かした。
さっき、驚きのあまり狐の耳が飛び出してしまったのだ。
"てめえ、ここんとこずっと俺の周りを彷徨いてたろ"
うまく隠れて追いかけていたつもりなのに、ゾロにはすっかりバレていた。
"いつ来んのかと思ってたら、ちっとも寄って来やしねぇ"
見つかっていたばかりか、意気地なく近寄れずにいたのも知られていて、恥ずかしさにカッと顔が赤くなる。
閉じこめた腕の輪の中で 頬を紅潮させて固まるサンジを見て、それまで意地悪そうに笑っていたゾロは、ぷっと噴き出した。
身を離したゾロが まだ転がったままのサンジの頭をぐしゃぐしゃと撫でながら「また耳飛び出てんぞ」と指摘する。
頭に手を遣るサンジを起こしながら、彼は飲み物でも持ってくるからそこに座ってろといって立ち上がった。
こく、とまたひとくち飲む。
無言で器に口を付けているサンジの耳がぴこぴこと動いて、むぅ、と眉が中央に寄った。
味も匂いも悪くない。
問題は飲み物じゃなくて、向かいのソファに腰掛けてニヤニヤと自分を見ている視線だ。
「おいっ!なんで、じろじろ見んだよ」
所在なさそうにサンジの耳がまた動く。
こんなにじっと見ていられては落ち着かなくてしょうがないのだ。
「気にすんな」
「気になる!」
だいたい、急に部屋に連れ込まれて まだ禄に頭が整理できていないのに、そこにきてこの視線だ、サンジの考えはちっとも纏まらない。
向かいの男からの視線を振り払うように ごくっとサンジは自棄気味に飲み物を煽った。
そのタイミングで 「で? 俺に何の用だ」と聞かれて、飲み込める以上の量が喉に流れ込んでしまったサンジは目を白黒させて無理矢理飲み下す。
半分涙目のサンジが喉を押さえて痛みをやり過ごしていると、口元に手をやったゾロがくすくすと笑っていた。
(・・・ほら、やっぱり。俺といる時はあんな変な笑い方しないじゃないか、ゾロは。)
こんな風に笑っていると 頼みごともしやすいような気がした。
意を決して、サンジはソファから立ち上がる。
お、という風にこちらに目を向けるゾロはやっぱり笑っている。
その様子はサンジが何を言うつもりかと楽しんでいるようにも思えた。
「お願いがあって、来たんだ」
言いながら、床に膝をつく。
真剣な頼みごとをする作法だと昔稲荷の狐が教えてくれた所作を思い出しながら サンジは両手を床に着いた。
「俺を、ゾロのペットにして下さい!」
老狐の言うような嫁でもなく、眷属にもなれそうにない自分はどうすればいいか、サンジなりに一生懸命考えたのがコレだった。
ゾロに飼ってもらいたいと言ってサンジは頭を下げた。
床に着くほど下げてから、"あ、いつまで下げてればいいのか聞くの忘れてた"と思いつく。
向かいに座るゾロからの返事はまだない。
返事を貰うまで頭は上げちゃ駄目なんだっけ?と思いながら、ズルをしてサンジはチラッとゾロの方をこっそり窺った。
さっきと同じ姿勢で座っているゾロは、ぽかんとした様子でサンジを見ていた。
呆気に取られたような顔で固まっていたゾロが、「・・・く、くく・・・っ」と妙な声を出して次第に震え始めたと思ったら、彼は堰を切ったように腹を抱えて笑い出す。
「えっ、ええ?」
あまりの展開にサンジは返事を貰う前に顔を上げてしまっていた。
ぴょこ、と不思議そうにサンジの耳が傾いたのが更にツボだったのか、余計にゾロが爆笑する。
「お、おまえ、ペットが何か分かってんのか」
笑いの下で苦しそうに声を出したゾロの側まで寄って、あんまり苦しそうで彼の背中を擦りながらサンジは頷いた。
「うん。人間て猫とか犬とか飼うだろ。だから、狐もペットになれっかなって」
あー・・・ホントは野生の狐は駄目なんだがなとかなんとか呟きながら、笑いすぎて零れた涙を拭きながらゾロはサンジを見た。
「それじゃ爺さんは納得しねぇだろ」
可愛がってる養い子が人間のペットじゃなぁと苦笑のような声で言って、ゾロが提案してくる。
「ペットにしてやってもいいが、爺さんには 俺と一緒に暮らすとだけ言え。余計なことは言わなくてもいい」
困らせたり悲しませたりしたくねぇだろと付け加えられて サンジもこくっと頷いた。
「一緒に・・・いてもいいのか?」
さっきいいと言ってくれたけど、不安でもう一度聞いてしまう。
そんな心配そうなサンジの頭を撫でて いいぞと言ってくれたゾロに、サンジは喜びで顔をくしゃくしゃにしながら飛びついた。
「ありがと、ゾロ!」
抱きつくサンジを抱えて 玄関まで運んでくれたゾロは、一緒に住むのはいいが、ちゃんと爺さんに挨拶してこいと送り出してくれた。
彼は いつからここに住んでもいいのか尋ねるサンジにいつでもいいと答えて、別れ際に思いもかけない"挨拶"をしてサンジを驚かせた。
「"いってきます"とか"さよなら"とか、そういう見送りの時にする挨拶だ」
驚くサンジの頬をぺちっとはたいてゾロが教えてくれる。
これが挨拶なら、無理して嫁にならなくてもサンジは人間としてなんとか暮らしていけるかもしれない。
ぱぁっと明るい顔になったサンジは弾んだ声で「いってきます!」と叫んだ。
もしかしたら一度ジジイも会いに来るって言うかもしんないと告げて 弾むような足取りで駆け出したサンジの勢いに道行く人間が慌てて右に左に避けている。
(見えてるんだ、俺の姿が)
その事実を実感して、サンジの頬にじわじわと笑みが浮かんできた。
稲荷の狐に告げる朗報を抱えて一目散に森に戻っていくサンジの後ろでは、ゾロが苦笑を浮かべて見送っていた。
あの日、結局 狐小僧の後をつけたゾロはそこで話を聞いていたのだ。
自分の領域に入ってきた侵入者の存在なぞ、稲荷狐は分かっていたかもしれない。
だが、そこでゾロが立ち聞きするのを彼は赦した。
(認められたか。養い子の保護者として)
サンジと初めて会った場所へと思いを馳せる。
あの小僧は どう考えてもゾロよりは寿命が短いだろう。野生じゃない狐でも長くて15年、だいたい10年程度が寿命のはずだ。
(10年後、俺はまた一人になっちまうのかね)
だがわざわざゾロの居場所を調べて訪ねてきた彼を放り出せるはずがない。
彼の養い親にゾロが認められたのなら尚更だった。
あの場所で関わったのなら、それもまた何かの縁なのだろう。
(最後まで付き合ってやるぜ。安心しな)
サンジがやってきたらこの家も騒がしくなるだろうなと小さく笑って、ヤツを迎える準備でもしておくかと 部屋に戻ったゾロは
必要な物のリストアップに取り掛かった
狐の嫁入り
サンジが本物の嫁として輿入れするのは、まだ先の話――になる。
* * *
狐ちゃんの破壊力、まじ半端ないです!!
ペットにして!と言われたい、言わせたい、捕獲したい!!(ごろごろごろ)
サンジがおっかなびっくり隠れてるのが、脳内絵本で表現されました。
黄色い頭やお耳、尻尾が見えてるよ。ゾロにだけ(^m^)
ゾロがもう、奮い付きたくなるほどいい男で惚れ惚れします。
ゼフの気苦労はいかばかりかww
ちゃんとお嫁入りを果たしたら、10年どころでなくずっとずーっと一緒にいられるよ〜と
幸せな未来を夢見て、可愛いゾロなすちゃんを愛でさせていただきました。
ありがとうございます!
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