迷子の後 <千堂様>



「ゾーロー!家庭教師に来たぞ」
玄関から聞こえてくる声は機嫌良くそう言うと、勝手知ったるなんとやらで家主の是非も問わずにズカズカと上がり込んできた。
ちなみに この家の合い鍵は とっくに奪い取られている。
一度何かの用事で貸したらそのまま返ってこなかったのだ。

「何が"家庭教師に来た"だ。押しかけ生徒のくせに」
日本語が違ぇよとこじつけた文句は相手の耳を通り抜けた
「だってゾロ、もう試験には受かったんだろ。小学生の勉強みるくらいワケないじゃん」
「おまえの半端な知識はどうなってんだ。卒業論文てもんがあんだよ」
進学の前に卒業が先だと反論しても、それくらいゾロなら軽いってと笑って取り合わない。
だいたい、"中学受験をするから"と言って押しかけてきたその理由からして怪しいのだ。
周囲にいる友人の話を聞きかじって、恰好の口実を見つけたと親を説き伏せてゾロの下宿に入り浸っている。
親と面識があるのもまずかった。
彼等親子と出会った時は高校生だったゾロも大学を卒業して院に進むのが決まっている。
出会ってからそれなりに付き合いのあるゾロの人となりを知っている親も安心して子供を預けて寄越すようになっていた。
(最初は誘拐犯だとかほざいてたくせに)
流石に院試の前は親も心得ていて子供を抑えていたようだが、この秋試験が終わってからはその反動か以前より頻繁に
家にやってくるようになっていた。
「ったく、小せぇ頃はあんなに素直で可愛かったのにな」
しっかり者に育つだろうとは思っていたが 口の達者なガキになりやがってとぼやきつつも、それが手を焼く生意気坊主では
ないのでゾロも可愛がっていた。
口実である勉強自体も ゾロにみてもらっている以上下手な成績は残せないと あまり好きでもないらしい勉強を頑張っているあたり、
"素直な子供"だった根本の部分は変わっていないのだ。
勉強の合間に話を聞く限り 友達も多そうなのに、何を好きこのんでゾロの所へ通ってくるのかと思うのだが、そういうゾロ自身
下宿を選ぶ際に通えないほど遠い場所は避けていた気がする。
(そうだ。実際、候補に挙げていたワンルームには もっといい物件もあった)
自宅からあんまり遠いのもなと却下したそれは、どちらかと言えば 脳裏には自分に懐く子供の顔が浮かんでいて、そちらが
本当の理由だったのだと思う。
(少なくとも、自分が自宅に戻るのが面倒だと思う距離は避けた)
まだ大学に入ったばかりで子持ちの心境かよと思わなくもなかったが、顔を合わせる回数が減れば自然と互いの環境での
友人共との付き合いを優先するようになると考えあまり気にしていなかった。
確かに、それぞれ新しい環境を迎え お互いの知らない人間関係も増えていった。
(なのに、疎遠にゃならなかったんだよなァ・・・)
多分に それは 足繁くゾロの元へ顔を出す子供の努力の賜だろう。
幼稚園の時分でも父親にせがんで遊びに来ていたのだから相当なものだ。
勿論、我が子を溺愛する父親が"おねがい"と小首を傾げる息子のお強請りを断れなかったせいでもあるが。

「何か飲み物もらうぜー。 あ、お茶か珈琲いれようか?」
扉のところで顔だけ覗かせて ゾロと会話の応酬を交わしていた子供は、そう言ってそのまま簡易キッチンの方へと向かう。
普段滅多にキッチンになど立たないゾロよりも、よほど馴染んだ子供は自分の城だとばかりに我が物顔で振る舞っている。
お茶すらまともに入れて貰えないキッチンとしてもゾロよりはこうして訪れる度に使って綺麗に片付けまでしてくれる相手の方を
主人だと認めていることだろう。
「珈琲。」
こちらの返事に 了解と返して扉の前から消える姿がちらりと視界を掠めた。
(やけに大きな荷物を背負い込んでやがるな)
家にも寄らずに直接来たのだろうか。まったくしょうがないガキだと笑っているゾロの鼻に良い香りが届く。
珈琲の入れ方ですらゾロよりもまだ小学生のガキの方が上手いのだからさっさとキッチンの主導権は明け渡していた。
片親の家庭で育っているのだから 日常的に家事を手伝っているのだろう。
「飲んだら勉強始めんぞ」
珈琲を入れて戻って来たところを先制して言っておく。
油断するとおしゃべりに付き合わされて気付けば半分以上を何もせずに過ごしてしまうことも 間々あるのだ。
ちぇ、と唇を尖らせながらも機嫌は悪くないらしく、珈琲を持って向かいに座った顔は笑っていた。

その理由は 自分で入れた珈琲をちびちびと飲みながら 「今日はこっちで食べてくって言ってきた」と、あっさり
白状されて、うーん・・・とゾロは考え込む。
ちなみに最近になってこのガキはミルクを入れるのを止めた為、猫舌気味の彼は一気に飲む事が出来ないのだ。
早く大人に近付きたいと背伸びしたい年頃なのだろう。
代わりに砂糖はたっぷり入っているのだが ミルクと違って見た目に分からないから彼的にはOKなのだそうだ。
子供には子供なりの拘りがあるらしい。
「帰るのが遅くなるだろう」
「平気だって。 電車にさえ乗れば駅まで迎えに来てくれんだ」
駅までゾロが送っていくのは織り込み済みの予定に苦笑が浮かぶ。
「分かったよ。ったく、てめえにゃ負ける」
初めに会った時から こうしてゾロが折れてやっているのだからこれはもう癖みたいなもんなんだ。
誰に聞かれるでもないのにそんな言いめいた事を考えているゾロも、あの息子にメロメロの父親ほどではないが
大概この子には甘い。
何喰いたいんだ、言っとくがあんまり洒落た店はこの辺にゃねぇぞと水を向けると、目の前の子供は心得たりとばかりに
得意満面の顔で、くふふと笑って胸を張った。
「ちゃぁんと考えてるってば!うちから全部持って来た!」
「ああ? あの大荷物、ありゃ 学校の道具じゃなくて食べもんか」
どうやらこの子供は今日ここで食べて帰る為に夕食持参でやってきたらしい。
あんなの学校に持って行けないから急いで帰って取ってきたんだと鼻の穴を膨らませて語る子供の頭をぐりぐりと撫でる。
「そうか、あの親父さんの飯か。そりゃ楽しみだ」
彼等親子と付き合いが始まってからのゾロには 家に招かれて手料理を頂く機会は直ぐに訪れた。
初めて迷子を拾った時に断ったのを後悔したくらいに、彼の父親の料理の腕は達者だった。
それもそのはず、後に知った父親の職業はプロの料理人だったのだからこの子が持参した料理の味も期待できるというもの。
俄然 夕食を楽しみにしだしたゾロを見て、我が侭を通したはずの相手は 複雑な顔で唇を尖らせた。






「ゾロっ!終わった、ご飯にしよう!」
勉強を始めた頃は何やら不機嫌そうな様子だったが 宿題を終える頃にはそれも直っていたらしい。
今日はここで食べていくからと宿題を終えたら家庭教師は終いだという言質をゾロから引き出すと、黙々と宿題に取り掛かり
勉強時間を半分ほどに短縮すると弾んだ声で勉強終了を宣言した。
「なんだ、そんなに腹減ってたのか?」
手早く宿題を仕舞い込み いそいそとキッチンに向かうのを見てからかうように言ってやると、そんなんじゃねぇよと口を尖らせて
返しながらも 「いいから!俺が用意するからゾロは来んなって」と牽制するものだから、ますます構ってやりたくなって困る。
もっと小さな頃は言葉使いも綺麗だったのに 育つに従って父親の口調に似てきたのは、多分その方が大人の言葉使いだと
思っているせいだ。
母親も一緒にいればまた違っている気もするが、彼の家庭は片親なのだ。
父親を真似て育つのは当然かもしれない。
「持ってきたもん広げるだけだろ?それくらい手伝うぞ」
まだ小さな彼の体では運ぶのも一苦労だろうと声を掛ける
それも、今 キッチンを覗くと怒られそうだったから部屋から声だけでという用心深さは我ながら苦笑ものだ。
女にだってこんな気を使う事ァねぇぞと思うものの、果たして "気を使っている"のかというとそれもまた微妙なところだ。
別に気遣いが必要な間柄でもない。
要するに、自分と一緒に夕食を食べたいと言ってキッチンを占領している子供の機嫌を損ねたくないのだ。
こんなところを コーザやエースが見たら "だらしないな" だとか "年貢の納め時だ"とでも言って笑うかもしれない。
(しょうがねぇだろ。昔っから "泣く子となんとかには勝てない"っつーじゃねぇか)
何とか・・・ああ、地頭だっけとついつい脳内知識を検索してしまうのはゾロの癖だ。
その上 小学生の家庭教師なぞしていては間違った知識を教えてもいけねぇと余計に拍車を掛けたのだった。

「そのまんまのわけないじゃん!ちゃんとお皿に移し替えるんだよ!」
やっぱりゾロには任せらんないとぼやく声が返ってくる。
その声には嬉しそうな笑いが含まれているからけっして機嫌は悪くない。
母親の居ない家庭に育ったからか、この子供はゾロの世話をするのが楽しくて仕方がないらしいのだ。
ままごとの要領で人からされた世話を真似てゾロに世話を焼いているのだ、そのうち飽きるだろうと放っておいたら
来年は中学受験だという年頃になっても変わらなかった。
あげくの果てに、部屋の入り口からチョイと顔を覗かせたその子が『これから料理を運ぶからいいって言うまで目をつぶってて』
なんて言うから、うっかり素直に目をつぶってしまった。
ドアから覗く仕草と 少しばかり必死の表情がやけに可愛くて、見ていたら顔が笑ってしまいそうだったのだ。
「絶対、絶対、開けんなよ!約束だかんな!」
破ったらゾロには一口も食べさせないとまで言われて噴き出しそうになるのを堪えるのに苦労する。
"そんなことを言っていても 本当に食べなかったらへそを曲げるのは自分のくせに"
そう思うとおかしくて仕方ない。
学校じゃそれなりに大人びた口を利くくせに、ゾロの前では昔の子供のままの自分がうっかり出てしまうらしい。
ゾロが目を閉じたのを確認して、手に持った皿を運んでくる気配がする。
妙に視線がちくちく刺さるから 皿を並べながらもゾロの方を何度も覗っているのだろう。
想像すると勝手に顔が笑ってしまいそうで、カタン、コトンという音が止んだ後、こちらに近寄ってくる気配にゾロは慌てて
神妙な顔を作った。

「まだ開けんなよ。俺が戻ってくるまでダメだからな」
声を発した相手は ゾロの体をくるりと後ろ向きに回した。
ゾロの言ったとおり、一度で運びきれなかったのだろう。 っていうか、おまえどんだけ見せたくねぇんだよ。
(2、3、5、7、11、13、17、19、23、29、31、37、41、43、47、53、59…)
笑ってしまいそうなのを 誤魔化す為に頭の中で素数を数えだしたゾロのすぐ隣で なにか迷うような不思議な沈黙がした後、
ぱたぱたと足音が遠離っていく。
部屋に漂う旨そうな匂いに我慢が切れそうだと考えていると、閉じた瞼を通して ふっ・・・と、室内の明かりが消えたのが分かった。

「もういいぜ」
異変に眉を顰めたゾロに声が掛かる。
その口調は彼の父親を真似たのだろう。意識して普段よりも低い声を出しているようだった。

何を企んでいるんだと瞼を上げたゾロの目に、淡い蝋燭の炎が映る。
沢山の料理の乗った皿が所狭しと並んだテーブルの中央に、火の灯ったロウソクの立つケーキが置いてあった。
「・・・あ?」
予想外の光景にぽかんとするゾロの横から、「ハッピーバースデイ!」 という軽やかな声が響いてパン、パンッ!と
クラッカーが鳴り響いた。



「誕・・・生日?」
驚きから立ち直らないまま 勝手に口が言葉を発していた。
ここで "誰の?"と聞くほど鈍くはないが、そういえば世間はもう秋だったかと考える。
あまり暑さ寒さを気にしない性質のゾロならではの誕生月の確認の仕方であった。

「完っ全に忘れてただろ!」
大成功!と顔いっぱいに笑顔を貼り付けて、ゾロおめでとうー!と飛び付いてくるのを抱き留める。
ああ、だから。背伸びした大人ぶりっこなんかは簡単に剥がれちまうんだ、このガキは。
出会った頃から ちっとも変わっちゃいねぇ、素直な子供じゃねぇか。
「全部じゃないけど俺の作ったのもあるんだぜ?難しいやつは父さんのだけど!」
いつのまにかパパという呼び方を改めていた。かと言って親父と呼ぶには抵抗を感じる程度には上品に育っている。
確かに、テーブルの上には凝った玄人の手に拠る品から比較的簡単な家庭風の手料理といった物が並べてある。
その中でも異彩を放っているのは 少しクセのある丸っこい字でゾロの名前が書いてあるシンプルなホールケーキだった。
「へぇ・・・おまえ、ケーキなんかも焼けるのか」
デコレーションがところどころ危なっかしい見た目のケーキは明らかにプロの手ではなかった。
それでも、小学生が作ったにしては立派すぎる代物で、素直に感心の言葉が出る。
ゾロが見分けた事が嬉しかったのか、キラッキラに目を輝かせて本日一番の笑顔を浮かべた子供は、へへ・・・っと、
照れくさそうに笑って鼻の頭を掻いた。
「今日の為に特訓してもらった」
聞けば、彼の父親は我が子の手作りお菓子も嬉しいけどそろそろ違うものも食べたいよと情けない顔をしつつ
これまでの試作品を毎日完食していたらしい。
ゾロへの手土産の料理がやけに凝っているのは試食からの解放祝いも密かに兼ねているのかもしれない。

「なぁ、早くロウソク消して? 銀紙でくるんでるけど垂れちゃいそう」
促されて、首に子供を巻きつけたままケーキに顔を近付けたゾロは、ふと、思い付いて隣を見た。
早くはやくとわくわくした顔の子供をつついて注意を引く。
「なぁ、吹き消すの手伝ってくんねぇか。一度に消さないといけねぇんだろ、これ」
「え、俺も?」
目を丸くする子供に向かって ニヤリと顔を歪めて見せる。
「いいじゃねぇか。てめえが小さい頃は俺も手伝ってやっただろ」
そんな昔のことを持ち出すのなしー!と膨れた頬が、それでも怒りを持続できずに笑いに崩れていく。
「じゃ、せーので行くぜ!ちゃーんと一回で消すんだぞ、ゾロ!」
「おう」

せーの!の掛け声で頬を膨らませた2人の息が仲良く重なりながら、ケーキの上に煌めく炎を吹き消していった。









 Happy Birthday、ZORO!

「ありがとな、サンチャ」
ゾロの大きな手が わしゃわしゃと、サンジの丸い頭を撫でる。
「だから俺はサンジだってのに!」
「しょーがねぇだろ、親父さんと同じ名前なんだから」
ぷぅっと頬を膨らませてむくれるサンジが "いつになったらサンジって呼んでくれるの?"と、声に出して
言えるようになるまで 2人の関係はこのまま・・・の距離感を持続するのである。


END



  *  *  *



サンチャリベンジ〜!とまでは至らなかったけれど、確実に二人の距離が縮んでてホクホクです、
ありがとうございます!
サンチャ、すっごく頑張ってるよね。一生懸命だよね。
でも最大の難関というかライバルは実父のような…いや、サンチャが意識してるだけなんだろうけど、
なんせパパもサンジだからな。強敵。
蝋燭の灯りの下の笑顔、二人で吹き消した後に漂う匂いまで感じるような、幸せで優しい時間を
ありがとうございますv


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