甘い日 <紗柚羽様>



 くん、と犬のように鼻を鳴らす。祖父がコックをしているからか、サンジの嗅覚はとても鋭い。それがコックとしての素養であるように匂いというものにとても敏感だった。
 その建物の中に入ると独特の匂いがする。白い、大きなその建物は常ならばまったく縁も無い場所で、元気が取り得のサンジならば特に足を運ぶことなど無い。
 だが、数ヶ月前、サンジはこの病院に入院していた。
 といっても自業自得だ、遊びで足を骨折してしまい、夏休みに入ったばかりのしばらくを病院で過ごすことになった。それはたった二週間ほどの入院生活だったが、それでも子供のサンジにとってはそれは長い期間であり、とても苦痛なことだった。まぁ、退院をしてしまえば元々が元気が取り得のサンジだ、再び病院に訪れることは皆無となったわけだが。
 けれども、そんな病院にまた来たのは勿論理由がある。
 そう、大事な友達のお見舞いだ。
 身体の弱い彼女は折角退院したのに、11月に入り急な寒さで体調を壊してまた入院になってしまった。幼馴染と呼べる彼女とは同じ病院だった。
 サンジは退院してからこの病院には来ていなかったのでそれこそここに来るのは久しぶりのことだ。
 心持ち少し、緊張する。サンジはそれまで病院には縁が無いほどの健康優良児で、彼女の、カヤのお見舞いもそれまで来たことが無かった。病院という場所は小学生のサンジにとって敷居が高い。消毒臭くて、わけも無く何だか怖くて、痛いというイメージがあるからだ。
 それが翻ったのは自身が入院してから。
 足の骨折のため動くことを制限され、折れている骨をくっつけるための固定は苦痛の何物でもなかったが、そこが怖いことが無いと理解をするには充分なものだった。カヤの部屋にも何度もお見舞いをして、医者や看護師はとても真摯に彼女の治療にあたっているのだと知った。
 だからお見舞いに来るにも怖くない。
 それに――。
 きょろきょろと辺りを見渡す。自動ドアをくぐって中に入ると外来受付ではなく、入院病棟へと進む。
 面会時間に余裕はあり、土曜日の午後、学校が終わってからキッチンに篭ってお見舞いのクッキーを焼いた。
 カヤはサンジが作るお菓子をいつも嬉しそうに喜んで食べてくれる。
 祖父はレストランを開いているオーナーコックだ。そうは言っても、サンジは親にキッチンを立つことを禁じられていた。だが、仕事の忙しい母親の目を盗んでこっそり料理をしていることは祖父にはばれているし、その祖父はサンジが調理をすることを決して反対などしない。
 今は簡単なものしか作れないがサンジの目標は祖父なので、いつか祖父が開いているレストランで働くのが夢だった。
 さて、カヤが入院している病棟は個室なのでサンジが入院していた病棟とはまた棟が違う。それでも知っている要領で個室では無い、馴染みのある病棟へとサンジは向かう。
 もしかしたら、――あの人に会えるかもしれない。
 そんな下心が無いとは言い切れない。
 退院してからは縁のない病院、それでも本当は来たくて仕方が無かった。
 お目当てはカヤは勿論だが……。
「あっ…」
 サンジは小さく声を上げて、つるつるのぴかぴかの廊下の曲がり角を急いで曲がった。
 その焦ったようなサンジの姿に気付くことなくそのまま真っ直ぐと廊下を急いで歩く男を見送る。
 珍しい緑頭の短髪の男は、逞しい体躯と目付きの悪いその外見を見事に裏切ってこの病院で働く研修医だ。
 サンジが入院していた時、担当医の下に付いていた研修医で、いつも奔走しているのが見受けられた。
 子供の目線ではそれが医者のたまごというようなあやふやな役職はよく理解はできなかったが、普通の医者に比べ年若いその男に親近感が沸いた。
 おまけにその男、いつだって腹を空かせていたので、祖父が作ってきてくれた弁当を思わず恵んでやったほどだ。子供ながらに同情してしまったのだ。
 病院の敷地内の芝生の上で居眠りをしていた男は、その弁当を手放しで賞賛した。
 豪快に弁当を掻きこむ姿…、それがサンジはいたく気に入ったのだ。
 なので、退屈な入院生活が楽しくなったのはあの男のお陰でもあった。
 カヤのお見舞いで持ってきたクッキー、そして、もう一包み、実は持ってきたのはその男に渡そうかな、なんて思ってのことだ。いつも祖父の弁当を喜んでいた男に、今度はサンジが作ったものを食わせたいとそう密かに思ったのは礼もあるのだと自分に言い聞かせる。
 こっそりと曲がった廊下から男が進んだ方向へと足を向けるが、その後姿は左へと折れ曲がった。
 急いで足早にそちらへと進んで曲がったそこにひょっこりと顔だけ覗かせると、その後姿は立ち止まって、ナース服の看護師と相対していた。彼はどうやら呼び止められたようだ。
「っ」
 サンジは慌てて顔を引っ込める。それと同時に彼らの会話が耳に飛び込んできた。
「ロロノア先生、11日誕生日なの?」
「…はぁ」
 看護師がそう尋ね、男は気の無い返事をする。
「何それ、忘れてた?」
 その反応に看護師が呆れた声をあげた。
「あぁ、まぁ…、曜日もっすが日にちの感覚も無いもんで…」
 研修医は病院のベテラン看護師にも頭が上がらない。病院内での位置としてはとても低いのだ。それでも仕事量は膨大という理不尽さがある。
「何? 彼女に祝ってもらう予定も無いの?」
「まぁ、当直ですからね」
 あっさりと男は答えると看護師は同情の眼差しをする。
「それはご愁傷様ねぇ、せめてケーキでも食べられるといいわね」
 言って看護師は苦笑して二人は病室内へと入って行った。
「…11日」
 サンジはぽつりと呟く。
 そうしてから急いでカヤのお見舞いに行くと、二つの包みのクッキーを彼女に渡して――もう一人の幼馴染であるウソップがすでに見舞いにきていた――、サンジは慌てて帰った。
 クッキーどころでは無い、ケーキを作る練習をしなくてはいけないからだ。
 祖父が開いているレストランに行って、祖父にケーキの作り方を教えてもらう。
 驚いた顔をするので言い訳のように「友達が11日、誕生日なんだ!」と言うと祖父はいつもの厳つい顔をしつつも、ケーキづくりに協力をしてくれた。お前にはまだ早い、なんて一言も言わない祖父は、サンジが料理を作ることが好きだということは重々知っているからだ。
 そうして11日当日、サンジは病院のナースステーションのカウンターの前に、こっそりとケーキが入った箱を置いた。
 箱に貼った紙には『ロロノア先生、誕生日おめでとう』というメッセージを添えて。
 それが果たして男の口に入ったか、サンジは知らないけれど、子供ながらにどきどきして作ったものだった。
 出来は決して褒められたものでは無かったかもしれない、それでもその時の精一杯のものでサンジの一生懸命な代物だった。少しはお礼になったかな、と満足したものだ。
 それで充足感を得てしまい、それからあっさりと小学生らしい移ろいで、サンジは研修医の男のことなど忘れてしまった。



 ――それから季節はうつり、年月も経った。



「うん、いい出来!」
 サンジは満足そうににっこりと笑った。
 仕上がったそれは店で売り出しても遜色のないもの。仕事が休みだったサンジは一緒に住む男のために、腕によりをかけて料理を作った。プロのコックであるサンジが作るものはどれも超一級品だ。
 生クリームをあしらったケーキも甘すぎなく、あの男好みにスポンジ生地にはたっぷりと洋酒を混ぜたもので、当然気に入るだろう。
 誕生日にケーキということにふと、昔を思い出して苦笑する。
 小学生の自分が彼のために作ったケーキ、もうそんなことあの男は覚えていないだろうな、と肩をすくめると、玄関から物音がして扉の開閉音がする。
 同居人が帰ってきたのだ。
 サンジは出迎えるためにリビングを出て玄関に向かうと男は顔を顰めて立っていた。
「お帰り、…何だよ?」
 一緒に暮らし始めて初めて迎えるその誕生日だ、その当人が仕事から帰ってのその表情にサンジは首を傾げる。
「ただいま。…甘ったりぃ匂いがする」
 甘いものが極端に嫌いでは無い男ではあるが、どうやら加減というものがあるようで、仕事が終わって帰宅した部屋で、食い物の匂いが甘いものというのに些か辟易したようだ。
「ケーキだよ、悪ぃか?」
 むーと唇を尖らして拗ねたように言うと、男は苦笑した。
「悪くねェよ、誕生日にケーキは嫌じゃねェ」
 素直にそう返されてサンジはおや? と驚いて目を瞬かせた。
「昔な、研修医だった頃、どっかのガキが俺にケーキをくれたことがある」
 靴を脱いで部屋へと入りながら懐かしそうに言った。それは随分と昔の出来事。
「……」
「下手くそな字でおめでとうってメッセージ入りの、焦げ目のあるケーキだった」
「…へぇ」
 あ、とサンジは内心でどきりとした。声はだが、平静を保つようにして。
「不味かったのか?」
 何気なくを装って尋ねる。小学生が作ったものが美味いわけが無い。
「まぁ、ガキが作ったものだ、それでも俺には美味かったぞ」
「――ふうん、あ、ちゃんと手ェ洗って来いよ、今日はご馳走だぞ!」
 話を切り上げるようにしてサンジはそう指示を投げる。不器用ながらもちょっとした恥ずかしい思い出だ、それをこの男が覚えていたことには驚くも、ちょっと嬉しい。
 けれども焦げ目があったのか、と思わず顔が顰められた。


 レストランで出すような料理をテーブルに並べて、誕生日を祝う。
 最後の締めとしてケーキを出せばやはり満足そうにして食べてくれる。その顔にサンジこそ嬉しくなる。
「ありがとうな」
 強面であり、左目には傷が一線引かれてはいるが、穏やかな顔でしみじみとサンジに礼を述べるので、ちょっと照れてしまう。一回り以上、15の年の差が二人にはあり、紆余曲折あってこうして一緒に住んでいる。誕生日を二人で祝えることが嬉しいとサンジはしみじみと噛み締めた。
「あの時のケーキも本当に美味かったぞ」
 そして、にやりと笑うそれは揶揄するような表情で、それがどのケーキを指しているかなど明らかでサンジは驚嘆する。
「え、な、何の話だよ!?」
 動揺して声がどもる。先ほどのケーキの話題がなぜサンジが作ったものだとばれたのかと目を白黒とさせた。
「ケーキが入ってた箱は、有名なレストランのバラティエの箱だったらしく、看護師達が騒いで箱の中身を明けたからな」
「っつ!!!!!」
 しまった、ケーキを入れた箱は確かにバラティエのものだった、そう言われてサンジは初めてそのことに気付かされた。子供のやることだ、多少なりともぼろがでるのは当然。
「すぐにあのケーキの出所は判明したぞ」
「……」
 添えたメッセージに名前など書かなかったのに、あっさりとばれていたという事実にサンジはテーブルに突っ伏した。
 ――なんて恥ずかしい…。
「…あんなのでごめん」
 伏せていた顔をそのままにサンジは謝罪する、不完全なものを勝手に押し付けてしまったと今更ながらにあの時の己の行為を恥じた。
「何で謝る? 一番の祝いだったぞ」
 ぽん、と大きな手がサンジの小さな頭にのせられてそのまま雑に髪を撫でられた。そこに大人の寛大さを見せ付けられる。
 ――適わない。
 こういうとき、自分はまだまだ子供なのだなぁと、社会に出てそれなりの自信をもって働いていても、年上の男にはまだ追いつけないようだと痛感させられた。それはとても悔しいことであり、仕方がないことだとも思う。男が重ねてきた年月と、サンジとでは全く違うのだから。
 がばりと起き上がって、その反動でその手が離れるのを掴んでその手の甲に恭しくキスをした。
 それはほんの少しの意趣返しをするように。
「ゾロ、誕生日おめでとう」
 にっこりと顔を綻ばせて祝いの言葉を告げる。
「!?」
 だが、突然のサンジの言動はゾロにとっては思い掛け無かったのか、虚を突かれたような、その驚いた顔に満足する。これもまたゾロにとっては子供のような態度なのかもしれない。それでももっと図に乗るようにして、更にぺろりとそこを舐めると、ゾロはすぐに顔を改めてにっと笑った。
「おい、もっと寄越せ」
 更に不遜にそう言う男の真意を汲み取って、その夜は大サービスをするサンジだった。

 勿論、それは誕生日に許される、スペシャルな夜ということである。


Fin


  *  *  *


うわああああ、甘い〜〜〜〜〜いv
ケーキ!ケーキが食べたくなりました、胸焼けするほど食べたいですホールごと行きたいです!
なんて甘くて幸せな誕生日の夜v
Drゾロって、美味しすぎますよねぐふふふふ
サンジも、一生懸命ケーキを作ってそっと置いて、そうしてそのまま頓着せずに忘れちゃうってところがとっても小学生らしくてほのぼのします。
でもそれで、ロロノア先生のハートはがっつり鷲掴みしてたんだぜ。
先生は覚えててわかってても、それはそれとして、二人の関係を一から築いていったんだろうなあ。
何粒でも美味しいゾロなすを、ありがとうございます!



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