茄の掌 <にあ様>


「こら、茄(なすび)。まだ、怒っているのか」
「怒っておりませぬ」
「怒っているだろう」
「怒ってはおりませぬ。呆れているだけに御座います」
「呆れているだけ?なぜ」
「なぜ、と。本気で申されておいでですか?」



蒼い瞳が、くるりと上向いて。
本気で『ワケが解らない』という表情のゾロを見て、紅い唇から はぁ、と 生意気な溜め息を零す。



「貴方様のような、押しも押されぬやんごとなき殿上人が。
 なぜ このような往来を、私などと並んで歩いておいでなのですか」
「あ?」
「せっかく、牛車も御用意致しましたのに。貴方様ときたら、まったく」
「車に乗るほどの距離でもねェだろ。今日は天気もいいしな、歩いた方が気分が良いじゃねェか」
「車に乗るほどの距離でもない距離を車に乗るのが、殿上人の嗜みでございましょうが…」



ガックリと項垂れた金色の丸い頭が、陽の光を反射してキラキラと輝いている。
金色の髪、蒼い瞳、薔薇色の頬、紅い唇。
小さな白い狩衣を着てゾロの隣を歩く愛くるしい子どもは、今 都随一と噂される陰陽師・サンジのつかう式神だ。
名を、『茄(なすび)』という。



「嗜み、か。興味ねェな」
「よく存じております」
「だったら、諦めて そろそろ機嫌を直せ」
「…」
「サンジから、おまえと遣いに行ってくれ、と頼まれた時。おれは、嬉しかったのだがなあ」
「…、え?」
「おまえのような可愛いものを連れて歩けば、皆が羨ましがるだろ。
 せっかく いい心持ちになれるというのに、なぜ車なんざ乗らなきゃならんのだ。勿体ねェ」



サラリと誑しな台詞を吐かれ、茄が かぁ、と頬を紅くする。
だが、当のゾロは 自分が何を口にしたかなど、まったく自覚がないのだから性質(たち)が悪い。
けれど、この、生意気だけれど優しくて、口は悪いけれど聡い子どもが。
こんなに腹を立てている理由が、自分のためなのだということを ゾロはちゃんと理解している。



ゾロは、現天皇の三男だ。
今は臣籍降下してロロノア姓を賜り、兵部卿の地位に在る。
今風に言えば、セレブ中のセレブ。
例えるなら、ちょっと近所のコンビニにプリンを買いに行くだけで、ぞろぞろSPが着いてくるようなVIPなのだ。
並み居る貴族たちのなかでも、格が違う。

そんなゾロがサンジと知り合ったのは、少し前、都を悩ませた物の怪騒ぎが切っ掛けだ。
ゾロは元来、色恋沙汰やら雅ごとには とんと興味がない。
趣味は、武芸事。
常日頃から鍛練に勤しみ、鹿も猪も刀のひと振りで倒してしまう。
おかげで やんごとなき姫君たちからの評判は今ひとつだが、宮中の男たちからは、
『類い稀なる剛の者』として とても頼りにされている。
そんな、ゾロであったから。
なんとか物の怪を退治して欲しいと泣きつかれたことも、至極当然の流れで。
物の怪騒ぎが 皇子を借り出すほど大きくなってしまえば陰陽寮とて動かぬわけにも行かず、
ゾロとともに 事に当たることになったのが、当時、陰陽寮 期待のホープとして名を上げ始めていたサンジだった。



いつ サンジに心奪われたのかと問われれば、記憶は定かではない。
飛影の山に張る氷のような、碧川の流れのような。
冷たく澄んだ蒼い瞳が 実は優しさに満ちているのだということに、気づいた瞬間だっただろうか。
それとも、もしくは。
物の怪に憑かれて正気を失っていた自分を 我が身を厭わず救い出してくれた時の、美しくも圧倒的な あの姿を見た瞬間か。





『おまえとおれとの出逢いなど、運命の気まぐれに過ぎんよ』
『気まぐれか』
『ああ。なぜならおまえの存在は、おれにとって、いつだって想定外であるからなぁ』





そう言いながら、肩を竦めて。
くすり、と 紅い唇を綻ばせてみせた あの男のなにもかも。
欲しい、と 願うには遠すぎて。
諦めてしまうには、近すぎる。




「…ロロノア様」
「ん?なんだ」
「お使いならば、茄ひとりで行けます故。ロロノア様は、サンジ様の許に お戻りになられては如何ですか」
「え?なぜ」
「ロロノア様は、今日が お生まれになった日なので御座いましょう」
「…ああ。よく知ってるな」
「サンジ様が、仰っておりました。26年前の今日という日が在ったから、この世に貴方様が生まれたのだ、と。
 今日という日は、かけがえのない大切な日であるのだと」
「…」
「都には、生まれた日に感謝する習慣はないけれど。ゾロが生まれてくれた この日には、何か お祝いをせねばな、と」
「…もしや。サンジが、珍しく おれを酒に呼んでくれたのは、そのせいか?」



目を丸くして、ゾロが問えば。
どこか思い詰めたような顔をして、茄が こくり、と頷く。



「サンジ様が、碧川の簗へ出掛けて 好みの魚を都合して貰ってくるといい、と貴方様に言い付けられたのも、
 今日の酒席に、貴方様が好む魚を添えたいと思われてのことだし。
 本当は、サンジ様は貴方様のことが、すごく好きなんじゃないかと思うんだ」



ちょっぴり、興奮してきたのだろう。
金色の髪をサラサラと揺らし、小さな手のひらを握り締めて、茄がゾロに向けて熱弁を振るう。



「茄…」
「だから、おれは。貴方様は早く御屋敷に戻って、サンジ様に言えばいいと思う」
「言えばいいって、なにを」
「おれは、魚なんかより おまえが食いたい、って」
「ぶっ!」



可愛らしい唇から飛び出した予想外の発言に、ゾロが思わず 思い切り噎せ返る。
茄の方は、そんなに たいした意味を込めて言ったつもりはなかったのだろう。
きょとん、と蒼い瞳で見つめられ、ますます狼狽してしまう。



「…、茄」
「あい」
「サンジは、食い物じゃない。魚と並べるのは、如何かと思うぞ」
「けど、貴方様は いつも、サンジ様を食いたそうな目をして見ているぞ」
「…本当か」
「あい」



こっくりと頷かれ、ゾロが思わず脱力する。
なんということだ、自分の想いは そんなにも駄々漏れであったのか。
しかし、それならば。
何故に あの男には、自分の想いが まったくというほど伝わらんのだ。




「サンジ様は、ご自分のことにかけては鈍感だから」




ゾロの心を見透かしたように、茄が再び サラリと爆弾を落としてくる。

そうなのか。
まあ、それは薄々、気がついてはいたけれど。

困ったように、茄の顔を見下ろせば。
くるりと巻いた眉を へにょ、と下げて、茄も困った表情をして ゾロの顔を見上げてくる。




「…茄、余計なこと言ったか?」



最初のうちは頑張って気を付けていた言葉遣いが、すっかり素に戻ってしまっている。
けれど この子どもは、その方が ずっと可愛い。



「…いや。ごめんな、茄」
「え?」
「おまえには、いろいろと要らぬ心配を掛けちまっているらしい。勘弁な」



金色の小さな頭に手をのせ、苦笑しながら撫でてやれば。
茄が かあっ、と顔を紅くして、慌てて狩衣の袂を翻す。



「な、なんだよ!子ども扱いすんな!」
「子どもだろ」
「子どもの姿でいるだけだ!本当は、もっと大人なんだぞ!」
「へえ。本当は いくつなんだ?」
「にじゅうく」
「ええ!?」
「…というのは、うそ」
「だよな驚いた!で、本当は?」
「…、じゅうく」
「…」



察するところ、『く』なのだろう。
あまり問い詰めても可哀想なので、そこは曖昧に濁してやる。



「まあ、おまえの心遣いは有り難く受け取るとして。碧川には、おれも一緒に行くからな」
「ええ?なぜ!」
「なぜって、おまえみたいな可愛いものを、ひとりで碧川まで行かせるわけにはいかねェだろ。
 道中、なにかあったら大変だ」
「な、なにもねェよ!だから、子ども扱いすんな、って」
「いいだろ。おれが、おまえと一緒に行きてェんだ」



ぽふ、と 金色の丸い頭に手を置いて。
ゾロが にっかりと、茄の蒼い瞳を覗き込む。



「おまえはいろいろと、周りの目を気にしてくれてるみてェだが。
 おれは、『また兵部卿宮が牛車にも乗らず、傍者と てくてく歩いておった』と、
 陰で いくらヒソヒソ言われたって、ちっとも気にならねェんだぞ」
「な、なんでだよ!バカにされたら、悔しいだろ!」
「全然。だって 牛車になんか乗っちまったら、おまえと一緒に並んで歩けねェだろが」



ゾロの、言葉を聞いて。
茄が え、と 蒼い瞳を丸くする。



「さっきも、言っただろ。オレは おまえと一緒に お使いに行くのが嬉しいんだ、って」



大きな丸い瞳を、もっと丸くして。
なんとも愛らしい びっくり顔で、茄がゾロの顔を見る。
絵に描いたようなツンデレ気質のこの子どもが、自分を好いてくれていることは ゾロも よく知っている。
こんな、可愛らしいものに。
好意を向けられて、嬉しくない者が どこに居ようか。



「…なあ、ロロノア様」
「ん?」
「オレは、式だから。サンジ様のお側に居なくても、いちどだけ、自分の好きな形に姿を変えることが出来るんだ」
「へえ。すごいんだな」
「だから。サンジ様の姿に、なってやろうか」
「あ?」
「サンジ様の姿で、お隣を歩こうか」
「…、茄」
「貴方様も、その方が嬉しいだろ。今日は せっかく、『生まれた日』なんだし。オレからのお祝い、ってことで」



いい考えだろ?と言わんばかりに、首を傾げてみせる子どもに向けて。
ゾロが軽く膝を折り、蒼い瞳と視線を合わせる。




「…茄」
「あい」
「おまえが、姿を変えられるのは。危険が差し迫って、急を要する時だけだろう。違うか?」
「…、…」
「特に理由もなく、勝手に姿を変えたりしたら。サンジに怒られるのではないか?」
「…、大丈夫」
「大丈夫なことないだろう」



ふう、とため息をついて。
じろり、とゾロが茄の瞳を覗き込む。




「茄」
「あい」
「おまえからのお祝いなら、ちゃんと貰ってるぞ」
「え?」
「サンジとじゃない。オレは、おまえとがいいんだ」
「…、うそだ」
「嘘じゃねェよ。碧川まで、一緒に並んで歩いてくれるんじゃなかったのか?」
「…、…」
「それだけじゃ、おまえの気が済まないっていうんなら。ひとつ、手でも繋いで貰おうか」



ヒョイ、と姿勢を正したゾロが。
ニカリと笑って、茄に右手を差し出す。




「ほら」




パッと頬を紅く染めた茄が、それでも おずおずと左手を伸ばしてくる。
小さな手のひらが、ゾロの指先に触れるか触れないかの位置に来た、その瞬間。
ゾロが ガッ、と 素早く手を伸ばし、驚きに引っ込みかけた小さな手を ギュッ、と握り締めてやる。




「…っ!!」



小さな手のひらは とても柔らかかったけれど、ひんやりと冷たくて。
その尋常ではない体温に、茄がヒトの世の者ではないのだということを 改めて思い知る。
ゾロの想いを見透かしたかのように、そっと手を引っ込めようとする茄の手のひらを強く握り締めて。
驚いたように顔を上げる蒼い瞳に向けて、ふ、と笑ってみせる。



「いいな。おまえの手」
「…、え?」
「小さくて、可愛らしくて。気持ちが、ほっこりする」
「…、ロロノア様」
「コイツは、役得だな」



ニッカリと笑ってみせれば、つられたように茄も ふわり、と口元を綻ばせる。
その大人びた笑みが、不意に サンジを彷彿とさせて。
思わずドキリと跳ねた鼓動を誤魔化すように、ゾロが一際 大きな声を張り上げる。




「ようし。では、早く美味い魚を選んで帰るとするか。茄、酌は おまえがしてくれるんだろう?」
「あい」
「道案内、頼むぞ。おまえが居てくれねェと、永遠に碧川まで辿り着かねェ」
「…そういえば、そうでございました」
「…なんだよ、急に」




自らの迷子癖をネタにした途端、いきなり冷め果てた目を向けてきた茄に ゾロが唇を尖らせると。
茄が クスリ、と肩を揺らして、ぎゅ、とゾロの手を握り返してくる。




「では、参りますか」
「おう。行こう」




元気よく足を踏み出す小さな背中に、思わず唇が綻ぶ。
往来を行き交う人々が ふたりの姿に驚いて目を丸くするけれど、まったく気にもならない。
自らの手の中に在る小さな手のひらを、ただ 優しく愛おしく感じるだけだ。




「…茄も」
「あ?」
「茄も、もしも。この手のひらが、ロロノア様のように あったかかったら」
「…ん?」




背を向けたまま、小さく呟いた茄の言葉に。
首を傾げるゾロに、茄が ぶんぶん、と首を振る。




「なんでもありませぬ!」
「、あ?」
「早く行こう、ロロノア様!サンジ様が、お待ちかねだ!」
「ああ、そうだな。急ごう」
「あい!」




逞しい緑色と小さな金色が、手を繋いで歩き出す。
柔らかな頬を、薔薇色に染めて。
茄は ちょっぴり寂しそうに、けれど 幸せそうに、笑った。






                  了(霜月 三十)




   *  *  *



茄ちゃん、可愛くもちょっぴり切ない。
ゾロの天然誑しっぷりがまた輪をかけて心憎いけれど、茄ちゃんには大切なぬくもりの記憶となるのでしょうねえ。
人じゃないけど、式だけど、茄ちゃんもサンジの一部だと思うからサンジと一緒に幸せになって〜〜〜(T△T)
しかしコンビニにプリンのくだりに笑ったww
この、登場しないけど圧倒的存在感のある色っぽサンジは「Honey」様宅の本編「貝殻の歌」にいらっしゃいます。
平安雅な雰囲気をそのままに、妖艶な陰陽師の世界へもさあどうぞ〜v


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