いっしょのお祝い <まやの様>



「ゾーロォー!!」
 家の外から聞こえてくる甲高い声で目を覚ました。
 薄いカーテン越しの光は柔らかく冴えて、天気の良い冷え込んだ朝だということをゾロに知らせる。
「ゾーロォー!!」
 白い朝にすっと線を描くような澄んだ声。ゾロは窓際のベッドで起き上がり、身を乗り出して出窓から顔を覗かせた。
「あーやっぱりまだ寝てたかよ!なぁ、見ろよ、どうだ?」
 満面の笑みで二階のゾロの部屋を見上げていたチビが、両手を鳥の翼のように広げて見せた。金銀の刺繍が施された鮮やかな若竹色の羽織の袖がふわりと真っ直ぐに垂れる。中の着物と袴は深い海を思わせる静かな紺碧だ。
「おう、七五三か」
 向いの家に住むサンジは白い肌に金髪碧眼、見た目は完全に外国人だが、日本の祝い着を見事に着こなしていた。ゾロも五歳の頃はもう剣道で袴を着慣れていたから堅苦しい晴れ着だってぴっしりと着たはずだが、それとは恐らく全然違う。目を瞠るほどの華がある。
「なぁ、似合ってるか!?」
「あぁ。ちょっと待ってろ、降りてく」
 ちらりと時計をみればまだ八時前だった。土曜の朝だとてあのさえずるような声を迷惑と思う人間などこの近辺にはいないが、だからこそ少しは人目を憚るべきだと思いつつゾロは自室を出て寝間着のままでサンジの元へ向かった。
 サンダルを突っ掛けて玄関を出る。サンジは待ち構えていたようにもう一度袖を広げ、くるりとその場で一周した。真っ白い足袋を履いた足先がちょこちょこと躍る。
「そんなはしゃぐな、コケるぞ」
「コケねェよ、そんなヘマしねェ」
 べ、と赤い舌を覗かせる。ゾロはその小さな金色の頭にぽんと手を置いて、おめでとう、と言った。
 五歳男児の十一月は七五三。そんなこと今の今まですっかり失念していた。通学で毎日通る駅ビルの店のショーウィンドウを思い出し恨みがましい気持ちになる。そういうのもっとアピールしろよ。ハロウィンだのクリスマスだのには商魂注ぎ込んでこれでもかと強調して飾り立てているのに、日本の伝統文化を疎かにし過ぎだろ。少しぐらいその雰囲気を出してくれていればまったく気が利かない自分だって、やたらと懐いてくるこのチビのために千歳飴のひとつでも用意してやれたかもしれないのに。
「なぁ、ゾロ今日部活は?」
「午後からだ」
「マジ?じゃあゾロも一緒にお参り行こうぜ!今からジジイが連れてってくれるんだって!今日はタイアンだからな!」
「へェ、そうか。…店は?」
「夕方から開けるってよ。今日はタイアンだからお参りは今日行かなきゃダメなんだ!」
 どん、と誇らしげに胸を張る。
 サンジの育て親のゼフはレストランを経営している。土日はもちろん稼ぎ時で、ゾロの知る限り店が閉まっていたことなど一度もない。
 サンジがはしゃぐ理由はそこにもあるのだろう。詳しい事情は知らないが、血の繋がらないジイさんに育てられているサンジにとっておまえは特別に大事な子供なのだと示されることは何よりの贈り物のはずだ。
「ジジイも着物着るんだ、しぶいぞ。ゾロは?なんか持ってる?」
「あー…。いや。おれは行かねェよ。そういうのは、家族でするもんだろ。帰ってきたらもう一度寄れ、ジイさんと写真撮ってやるから」
 その間に何か祝いを用意しておいてやってもいい、と考える。
 七五三イコール千歳飴、と咄嗟に思い浮かべたが、すっかり古ぼけた記憶を辿ると確か千歳飴は晴れ着の子供本人が持って近所に挨拶回りに行って配るものだった。だから他に何か。やたらと懐いてくるこのチビが喜ぶようなものを。それがなにかすぐには思いつかないが。
「おい、チビナス。便所行っとけ」
 がらがらと向かいの家の引き戸が開いて、着物に羽織姿のゼフが現れた。サンジの晴れ姿を邪魔しない落ち着いた色合いの着物姿は、親としてサンジと過ごした日々とこれからまだしばらく続く責任までもをきっちり纏っているようで、いつもに増して凛とした佇まいだ。
「この度は、おめでとうございます」
 ゾロは視線を正してきちんと頭を下げる。今起こされたばかりなのだ、寝間着姿なのは勘弁してもらいたい。
「お蔭さまで」
 改まってそう応じたゼフに、サンジがぴょんと近寄る。
「なぁジジイ、お参り、ゾロも一緒に行っていいだろ?」
「あァ?」
 ゼフは一転ぎろりとサンジを睨む。基本的に厳しいのだ。しかしサンジは口をきゅっと一文字に結んで負けじとそれを見返した。
「部活午後からだって、だからいいよな?」
「いや、サンジ。言ったろ、こういうのは家族で祝うもんだ。それにおれはそんな着物なんて持ってねェよ」
 慌ててたしなめるゾロを振り返ったサンジの口が、く、っとへの字に曲がり、ゾロは途端にう、と言葉に詰まる。
 ゾロはこの顔に滅法弱い。いつも元気に明るくて実は口が悪くて強がりなチビがたまに見せる、悲しさを精一杯堪えるような顔。
「ジジイ…」
 その顔のまま見上げられたゼフもまた同じなのだろう。う、と息をのみそれから苦虫を噛み潰したような顔になった。
「まァ…慣れねェ恰好だ、歩き疲れねェとも限らねェ。おれァおぶってやることもできねェからな、てめェ暇なら付き添え」
「え、けど、おれ着るもんが、」
「勘違いすんな主役はチビナスだ、てめェなんざ高校の制服で充分だ。きっちりネクタイ締めてこい」
「あぁ、はい。…急いで準備してきます」
 ゾロは慌てて家に戻り、えぇ何よそれずるいそんなの私だって付き添いたい、と騒ぐ母親と姉の喧しい声を浴びながら、普段なら絶対にしないが鏡の前できちんとネクタイを結び髪を撫でて成りを整えた。





  駅へ向かう道すがらサンジはずっと上機嫌だった。飛ぶように歩いては草履をちょっとした段差に突っ掛けたりして、その度にゾロは冷や冷やと手を差し伸べた。
 片足が義足のゼフも普段は着ない着物に草履で、咄嗟には動けない。流れに押されて付いてきたのも間違いではなかったと思う。
 電車に乗るとサンジは自分の両脇にゾロとゼフを座らせて、ぺらぺらと楽しそうに喋った。幼稚園の先生のこと覚えたての調味料の名前。十一月半ば、良く晴れた大安の土曜日だ。神社へ向かう電車には他にも晴れ着姿の子供たちが何人もいたが、大好きな人たちをひとり占めできると幸せそうなサンジの華は、他の誰よりも鮮やかに目立った。ぐんと大人っぽく着飾った七歳の女児の姿よりも多く人目を引くほどに。
 そんな視線を感じながら、ゾロはサンジが無事に大きくなるまでは今日のように守ってやらねばならないだろうという思いを密かに抱くのだった。
「あれ?ゾロ、携帯鳴ったぞ」
「ん?あぁ」
 指摘されて制服のズボンのポケットから携帯を取り出すと、メールの着信を知らせる黄色いランプがちかちかと点滅していた。メールなどあまり好まないゾロは、着信の設定をブーンとバイブが一度鳴るだけにしているので気付かないことも多い。今はたまたま隣に座っていたサンジが気付いたのだ。
画面を開いて確認する。送信者は悪友のウソップ。件名は「おめでとう」。あいつなんでサンジの七五三を知ってる、などと思いながら本文を開き、驚いた。HAPPY BIRTHDAYのデコ文字がちかちかと躍っている。そうだ、すっかり忘れていたが今日は自分の誕生日だ。
『ゾロ、十六歳おめでとう。』
 本文を読み始めてまたすぐに手の中でブーンと携帯が唸る。しかも二度、三度と。なんだ、と訝しく思いながらも読み進める。
『祝福イベントを手配した。おれさまが心を込めて依頼した111人からの連続メッセージだ、心して受け取れ!今から11時まで順番に届くからな!』
 ブーン、ブーン、ブーン。
 常になく震え始める携帯に唖然としながらゾロはひとまず本文を閉じ、受信メッセージ一覧のページを開いたままで見つめた。掌の中でおめでとう、のメッセージがどんどん積み重なっていく。送信者はルフィ、ナミ、チョッパー、ヨサク、ジョニー、ビビ、コーザ……。
 要するにこれが今から111通届くと言うことなのだろう。
「って、アホか!」
 ブーン、ブーン、ブーン。
 マナーモードにしているとは言えこうも続けば気に障る。ゼフがサンジの頭越しにゾロを睨み、舌打ちをした。確かサイレントモードとかもあったはず、と思うが携帯などさして興味が無いゾロに咄嗟にそんな設定変更など出来るはずもない。焦る間にも携帯は震え続けメールはどんどん届く。級友の名に混じって黒髪の担任や赤髪の校長からもメッセージが届きはじめていよいよくらりと眩暈を覚えた。
「ゾロ、いつもそんなにメールばっかしてんのかよ?」
 ずっとご機嫌だったサンジが、突然むすっとした顔でゾロに言った。角度的に画面の文字までは見えないのだろう。ましてやそれを勝手に覗き込むような思慮の浅い子供ではない。大好きな人をひとり占め出来る大事な時間を邪魔されてもぐっと堪えてちょっと不機嫌になってみせるぐらいしか出来ないのだ。
「いや、これは、違ェ」
 また口がへの字に曲がってしまうのではないかと焦り、ゾロは結局電源ボタンを長押しして携帯を黙らせた。
 ふー、と息をつき携帯をポケットにしまう。サンジはやはりむすっとゾロを見上げていた。説明を待っている。ならばきちんと答えようと思う。
「あー。今日誕生日なんだ。だからメールがたくさん届いて…まぁ半分嫌がらせだ、気にすんな」
「え、誕生日?誰の?」
「おれ」
 気にすんなと言ったのに、サンジの成長を祝おうという今このときには真にどうでもいいことなのに、サンジはぱっと顔を明るくさせた。
「えーなにそれ知らねェ!そうか、おめでとう!ジジイ聞いたか、ゾロ今日誕生日なんだって、お祝いしなきゃ!」
 無邪気にはしゃいだ声にゼフはまたぎろりとゾロを睨む。主役はチビナスだ、と無言の圧力がぐいぐい伝わる。
「あー、いやいや。いいんだ。今日はおまえのお祝いだろ?」
「んー、そうか。そうか?あぁ、じゃあ、一緒のお祝いだな!」
 にぱぁ、と笑った花のような笑顔にあちこちでほぅっとうっとりした溜息が漏れた。
 こいつが無事に大人になるまでは今日のように守ってやらねばなるまい、ともう一度思う。
 無事に大人になったらそのときはどうするか、なんてことは、ひとまず保留だ。



  *  *  *


サンちゃん、七五三ですね!
なるほどなるほど、これはいっしょのお祝いの時期だわ〜
晴れ着を着たサンジも、和風のゼフもすごく素敵で目立つんでしょうねえ。
うっかり同行しちゃったゾロにまさかのサプライズメール(笑)
ウソップ、いい仕事してるな。
情景がそのまま浮かぶような、幸せで可愛いお祝い風景をありがとうございます!




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