それは真っ赤に燃えている
<まめ様>


「大丈夫か?」
 その声が自分に向けられたのだと気付いて、ゾロは顔を上げた。左目と左腕を包帯で覆い隠し、この世の終わりのような気分でベンチに座っていたゾロの目に、点滴スタンドをお供に立つ少年の姿が見えた。
 真っ赤に染まったハナミズキの下で出会った彼は、紅葉と対をなしたようにキレイな金色の髪をしていた。まるで何かの絵の一部分がそのまま抜け出てきたようだと思った。
 ゾロが出会った彼は、そのときまだ七歳だった。


 十二回目の命日がやってくる。
 大学卒業後地元を離れ就職し、十二年が過ぎた。
 久々に田舎へ帰るため車を運転しながら、外を流れる景色を懐かしく思う。今住んでいる土地は、田舎とは似ても似つかない便利な都会である。
 景色の中にポツポツと紅葉し始めた樹が見える。
 人の血のように真っ赤に染まったハナミズキ。忘れたことはないけれど、それを見るとゾロは鮮明に思い出す。


 厚着をして点滴スタンドを連れた少年は、心配そうにゾロを見ていた。
「オレ、サンジ。お兄ちゃん、大丈夫?」
「……何が?」
「死にそうな顔してる」
「――」
 ゾロはドキッとして、自由な右目でサンジと名乗った少年をマジマジと見た。
「……俺、死にそうに見えるか?」
「うん、俺より弱そう」
 少年は少し楽しそうに笑った。
 変なガキだ。ゾロはそう思った。
「俺が弱そうだと嬉しいのか?」
「自分のほうが強いのが嬉しい」
 なるほど。面白いガキだ。
「俺はゾロだ。お前……入院して長いのか?」
「今回はそうでもない。まだ一週間」
「……そうか」
 あっさりした口調でそう言いながら、サンジは当然のようにゾロの隣へ腰を下ろした。
 そんなサンジを、ゾロは少し戸惑いながら見下ろした。あまりにあっさり言うのでつられてあっさりと通り過ぎそうだったが「今回は」と言ったからには、今回が初めての入院ではないのだろう。今までに何回か繰り返しているのだ。
 こんなに小さいのに。
「お前、いくつだ?」
「七歳、小学校二年生。ゾロは?」
 いきなり呼び捨てできやがった。ゾロは若干ムカッとしたが、そこは大人だと思い堪える。
「二十一。……来週二十二になる。大学生だよ。卒業の年だ」
「大人だな」
「法律ではな」
 でも、中身はまだまだだ。と心の中で呟いた。
「サンジくーん、そろそろ部屋に戻ろうかァ」
 看護師がそう言いながら歩いて来るのを見て、サンジは「はーい」と返事をして立ち上がった。
「またな、ゾロ」
「……ああ」
 また、なのかと思いながらも返事をすると、サンジはガラガラと音を立てて看護師のほうへ歩いて行ったが、その途中で何度も振り返りその度に笑って手を振るので、ゾロもその度に手を振らねばならず、サンジの姿が見えなくなるまでその場にいなければならなかった。


「ゾロッ!」
 昨日と同じベンチに座っていたら元気な声がした。サンジだ。今日は点滴スタンドをお供にしていない。
「よォ、サンジ」
「んー? 今日は死にそうな顔じゃない」
「あ? ……そうか?」
 サンジに言われて、ゾロは思わず自分の顔を自由な右手でさすった。鏡なんて見る習慣は元々ないが、左目が塞がれてからは特にだ。
「今ならオレと同じくらいかも」
「お前と?」
 苦笑しながらサンジの頭をこずいてやると、サンジがヘヘヘと笑いながら上着のポケットから何かを取り出した。ゾロも知ってる携帯ゲーム機だ。
「なァ、ゾロは来週誕生日だって言ったよな? いつだ?」
「十一日だ。何だ、何かくれるのか?」
「違う違う。十一日、と。血液型は?」
「ABだ。何してんだ」
 サンジはゾロの答えを復唱しながら携帯ゲーム機を操作している。
「じゃあ、次は性格。ゾロは多分……こうかな」
 今度は独り言を言いながら何やらやっているので、ゾロは首を曲げてサンジの手元を覗き込んだ。
「……フレンドコレクション?」
 ゾロも名前だけは知っているゲームだ。自分でキャラを作り、自分専用の島にあるマンションに住まわせ世話をする。キャラ同士が勝手にケンカしたり、友達になったりして成長していくというものだ。
「俺を作ってんのか」
「そう。ゾロもやる?」
「俺はゲームはやらねェよ」
「そうなんだ。う〜ん、まあこんな感じかな。最後にゾロはァ、う〜ん……変人!」
 大きく叫んで画面のどこかをタッチしたサンジは満足そうに頷いた。
「……お前、今俺を変人設定にしたか?」
「え? 何のこと?」
 サンジがペロッと舌を出して片目をつぶった。ガキのくせにウィンクが上手いじゃねェか、と妙なことに感心したが、この仕草は女が何かを誤魔化すときにやるような仕草で、ゾロは同級生の女がそれをやるのを見るとイラッとしたものだ。だがサンジのそれを見てもそれほどイラッとしなかった。それどころか、七歳という年齢のせいかちょっとは可愛いかもしれない。
 そんなことを思った自分に、ゾロは内心で動揺した。
 だがそんなゾロの動揺など知らないサンジはゲームを続けている。
「よしよし、まずは新しい服をあげましょう。えーと、コレ!」
 楽しそうに画面をタッチし「どうだ、お、気に入ったって」と言いながら、サンジがゾロにゲームの画面を見せてきた。
 画面の中のゾロは、河童になっていた。
「何じゃ、こりゃ!」
「河童スターイル、カッコいいー」
 サンジは本気で河童スタイルがカッコいいと思っているようだ。
 ガキは分からん。ゾロは肩をすくめて小さく笑った。


 外は寒いが、毎日ベンチでサンジと会うのが、どういうわけだか当たり前になった。サンジは点滴スタンドを連れていたりいなかったりと色々だが、おおよそ元気そうに見える。
 だが、院内学級へ通っているというし、病院関係者とも仲が良いところを見ると、やはり病院とは長い付き合いなのだろう。
 今日もゾロのほうが先にベンチにきて座っていた。自販機で購入してきたホットなドリンク持参だ。そこへ馴染みの看護師がやってきた。
「ロロノア君、今日誕生日でしょ? これどうぞ」
 そう言いながら小さな包みをくれる。
「いいんですか?」
「うん、ただの靴下だけどね。おしゃれは足元からってね」
 それはどういう意味だろう。外歩き用のくたびれたスニーカーがダサいと言っているのだろうか?
「ありがとうございます」
 内心首を捻りながらも礼を言い受け取った。
「ゾロ!」
 いつもの元気な声に振り返ると、サンジが何だか焦った様子で走ってくる。
「どうした、何をそんなに急いでんだ」
「うん、いや、うん、あの、報告したいことがあるんだ」
「はあ? ホーコク? 何だ?」
「うん、あの、うん……」
 サンジには似つかわしくない歯切れの悪さだ。そのうえ、サンジは看護師の女性を気にするようにチラチラと見ている。どうやら彼女がいると話しづらいらしい。
 看護師はサンジの様子を見てニコッと笑うと、じゃあね、と手を振り去っていく。
 その背中にゾロはもう一度礼を言いサンジに向き直ると「それで?」と切り出した。
「ゾロはああいうお姉さまがタイプか?」
「はあ?」
 いきなり何を言いだすんだと呆れてサンジを見ると、再度「タイプか?」と聞かれたので、少し考えて「別に」と答えてやる。
「じゃあ、どういうのがいいんだ?」
「え〜?」
 めんどくせェな、これだからガキは。と思いつつも、子供はしつこいと知っているので、ゾロは答える努力をした。
「そうだなァ。……飯を美味く作るヤツ」
「飯……料理か。俺はやったことねェな」
「お前まだ七才だろ、やったことなくてフツーだ。それで? 報告ってのは? と、そうだ、飲むか? ちょっと冷えちまったけど」
 手に持っていた缶のココアを見せると、サンジはうんうん、と頷いた。ちなみにゾロは無糖のコーヒーだ。プルトップを開けてサンジに渡してやり、自分も一口飲んで再度「それで?」と促す。
「うん、オレさ、ゾロのこと好きになっちゃったんだ」
「……そうか、それはどうも」
 こんなガキでも、好かれないよりは好かれたほうがゾロとしても気分がいい。
「それでさァ、結婚したいと思うんだよね」
「へェ、そう……はァ!?」
「プロポーズしたいんだけどさ、ゾロはどこでプロポーズされるのがいい?」
「ちょい、ちょい、ちょい待て! お前何言ってんだ?」
「だから、オレがゾロにプロポーズを……」
 堪らずゾロはサンジのセリフを遮った。
「おかしいだろ、ちょっと待て。どっから突っ込んでいいか分からねェよ」
 二人の会話が聞こえたらしい。前を歩いていく二人組の女性がクスクスと笑った。
「――ちょっとこっち来い」
 ゾロは急に人の目が気になり、サンジを引っ張って建物の中に入ると、比較的人気の少ない自販機コーナーのソファに腰を下ろした。
「お前何言ってんだ。千歩譲ってお前が俺をそういう意味で好きだっていうのを理解したとしよう。でもそこから結婚っておかしいだろ」
「何でだ?」
 サンジが無邪気に首を傾ける。クソー、無駄に可愛いじゃねェか。でも許してはいけない。
「何でだと!? その質問が何でだよ! お前男だろうが!」
「あ、言ってなかったっけ。オレ、女なんだよね」
「――え?」
 女? こいつ女?
 ゾロは言葉をなくし、サンジを下から上まで舐めるように見た。
 胸……は七歳だしまだペタンコだ。股……は、ブカブカのパジャマの上からじゃよく分からない。声は確かに高いかもしれないが、それはまだ変声期前だからだろう。顔は確かに可愛いといえば、可愛いかもしれない。女だと言われれば女に見えなくもないかもしれないが……。
 そう思ってみると、何で自分はサンジを男だと思っていたのだろうか?
「お前、女だったのか。俺はてっきり……」
 途端に目の前の子供をどう扱っていいのか分からなくなった。今までのように雑に相手するのは何だか憚られたのだが……。
「ホラ、ホラ、見ろよ。な? な? 分かるか? オレがゾロにハート飛ばしてるだろ」
 まだ動揺から立ち直れないでいるゾロの目の前に、サンジがいつもの携帯ゲーム機を突き出してきた。真っ白な頭で目の前にあるものをただ単に眺め、そして数秒後、ゾロは一気に脱力した。
 ゲームの中の金色の髪のキャラクターが、緑色の髪のキャラクターに猛烈にアピールしている。
「……これの話かよ」
「オレはあんまり友達いねェからな、同じ人間で男も女も作ってんだ。それで女のオレが男のゾロを好きになってプロポーズしようとしてんだ」
「そうですか。――まあ、どこでプロポーズされても俺としては全然大丈夫だ」
「そうか、じゃあ遊園地にしようかな」
 勝手にしてくれ、と息を吐く。
 これだからガキは苦手なのだ。あー、変な汗掻いた。
 サンジはプロポーズを成功させようと、隣で頑張っている。
 それを横目で見ながら、ゾロは冷えたコーヒーを一気にあおった。

 それからサンジとの会話は人気のない自販機コーナーですることとなった。外も寒いし、穴場の自販機でほぼ病院関係者しか使わないから都合がいい。
 サンジはガキの中でも特にアホなのではないかと思うくらいに、ゾロの度肝を抜くことを言うことがある。今日は何を言いだすかと冷や冷やするのだが、なぜだかサンジとの逢瀬をゾロはやめようとは思わないし、むしろ楽しんでいるのだった。
 そんなわけで、サンジとの奇妙な逢瀬は毎日続いた。サンジは相変わらず、
「子供が産まれた」
「俺たちの愛の結晶だぞ」
「冷たいな〜。愛が冷めたのか?」
 臆面もなくそんなことを言い放ち、通り掛かった入院患者や看護師に笑われる。
 その度に「殴るぞこのガキ!」と睨みを効かせて言うのだが、サンジは全然気にする風もなくゾロにまとわりついてくる。まあ、ゾロもそれほど本気で言っているわけではないので、サンジが怖がらないのも頷けるかもしれないが。
 ある日、サンジの足音がペタペタと明らかに精彩を欠いていた。表情もいつものように明るくない。
「――どうした? 元気ないな」
「うん」
 サンジがチョコンと隣に座る。
「調子が悪いなら無理に来ることねんだぞ? 部屋で寝てろ?」
「……パティが死んだって」
「……友達か?」
「先週まで隣のベッドだった。俺より三つ上」
「そうか……」
 ゾロはサンジがなぜ入院しているのかはっきりとは知らない。それでもチョコチョコと耳に入れてくれる人間もいたりする。
 それによると、昔ほど死を連想させる病気ではなくなったらしいが、だからといって簡単というわけでもない。弱ったところへ風邪でもひけば、命取りになることも稀ではない。
 サンジの病気はそういう病気らしい。
「なんかさァ」
 足をプラプラさせながらサンジが元気なく言う。
「あっけないよね」
「……」
 ゾロは何も言えない。人間はしぶといと思うこともあれば、サンジの言う通りあっけないと思うこともある。
 コホッとサンジが小さく咳をした。
「お前風邪ひいてんじゃねェのか? こんなとこ来てる場合じゃねェだろ。部屋戻れ」
「でも……」
「でもじゃねェ。ひどくしたらどうすんだ。送っていってやるから、ホラ、行くぞ」
 渋るサンジを立たせ、ゾロは小児病棟へ向かって歩き出した。サンジが案内してくれた部屋は六人部屋だった。当たり前だが、部屋にいる患者はみんなゾロより年下だ。付き添いの親たちがサンジを見て「お帰り」と声をかけ、ゾロにも頭を下げてくれる。
 なんとなく落ち着かず、サンジが自分のベッドに座ったのを見て早々に立ち去ろうとしたとき、背後から「あ、サンジ。と、ロロノアさん?」と優しそうな女性の声がした。
「あ、お母さん。ゾロが送ってくれた」
「そう。いつもサンジがお世話になってます」
「あ、いえ、こちらこそ」
 慣れない挨拶をしながらサンジの母親を見てゾロは思った。似ていない。サンジは父親似なのか。
「じゃあな、サンジ。しっかり休めよ」
「うん。……ゾロ、明日――」
「俺が見舞いに来てやっから、安心して寝てろ」
 サンジのセリフを遮り先回りしてそう言うと、サンジは安心したようにニッコリ笑ってベッドへと潜った。


 翌日、サンジは熱が出たようで少し辛そうだった。すぐ退散したほうがいいかとも思ったが、サンジに請われるままにしばらくそこで過ごした。
 周囲の子供たちは、片目の塞がったゾロを見て「独眼竜だ」と珍しそうに寄ってくる。
 やっぱり子供は苦手なゾロなのだが、集まってきた子供たちに悪戦苦闘しているゾロを見て楽しそうに笑っているサンジを見たら、まあこれはこれでいいか、と思ってしまうのだった。


 翌日、ゾロの腕全体をガチガチに固定していたギプスが、前腕部だけの身軽なものになった。その姿でサンジに会いに行く。今日は昨日よりも辛そうだった。
 さすがに今日は退散しようと顔だけ見せて帰ろうとすると、ついさっき久しぶりに外気に触れたゾロの手を掴んでサンジが止める。真っ赤な顔に熱で潤んだ目で見上げられると甘えさせてやりたいとも思うのだが、しっかり休むことが大事だと思い直し、サンジの手を優しくほどいてベッドに戻してやった。
「また明日来るから」
 金色の頭を撫でながら、ゾロは続けて口を開いた。
「ゆっくり寝ろ」
 サンジが少し寂しそうな目をしたが、すぐに微笑んで頷いた。そして、テレビ台の下の引き出しを指さす。
「? ここか?」
 言いながらそこを開けると、サンジがいつも持ち歩いていた携帯ゲーム機が入っていた。
「ゾロ、それ、オレの代わりにやっといて。寝ながらやると怒られるんだ。でもやらないと、腹空かせたり病気になったりするし」
「――よく分からないから適当だぞ」
 携帯ゲーム機を手に取りながら返事をする。
「いいよ」
 サンジが笑って頷く。
「あ、でも一つだけ」
「なんだ?」
 ゲーム機を確認するように触りながらゾロは返事をした。
「オレと、……特に女のオレとゾロは絶対に離婚させるなよ。どっちかが別れたいって言っても、絶対反対して止めてくれよ?」
「……分かった」
 ゲームには似つかわしくない真剣な様子に戸惑いながら返事をすると、サンジは安心したように微笑んだ。
「オレはゾロの子供をいっぱい産んでやるんだ。ゾロに家族をいっぱい作ってやるんだ」
「――」
 サンジの言葉の真意は分からない。
 聞こうかとも思ったけれど、サンジの母親が買い物から戻ってきたので、ゾロは挨拶をして部屋へ戻った。


 ゾロもサンジも、お互いのスペックを聞きあったことはない。お互いに教えあったこともない。
 それでも、ゾロが何となくサンジの病気のことを知ったように、サンジもゾロのケガの理由を知ったのだろう。


 翌日は左目を塞いでいたガーゼが取れた。久しぶりに両目で見る世界は眩しくて、ゾロには少し辛かった。
「最初の内はちょっとひきつる感じがあると思うけど、それが普通だから。もし長引くようなら言ってください。何事もなければ明後日には退院で大丈夫ですよ」
 身軽になった身体に、明るく広がった世界。だが、ゾロの心は晴れない。
「あれ、ゾロ」
 今日のサンジは寝付いてから一番元気に見える。左目を露わにしたゾロを見て、驚いて目を丸くしている。
「よォ、少しは元気になったか」
「うん。――取れたんだ、良かったね」
「あァ、まだちょっと眩しい感じがするけどな」
「ふ〜ん、そういうもんか。――え〜、でもそういう顔になるんだ」
 サンジはひどく珍しいものをみるように、ジロジロとゾロの顔を見まわした。
「何だ? イイ男でびっくりしたか」
 からかうように言ってやると、サンジはう〜ん? と首を傾げた。
「老けてねェか? 大学生って言ってたけど、浪人してんの?」
「はァ? アホか。現役ストレートだっつうの」
 こんな口が叩けるようになったなら大丈夫か。
 ゾロは心の中でホッと安堵し、昨日預かったばかりの携帯ゲーム機を返そうとした。
「ああ、それゾロが持ってて」
「あ? 持ってるのは別にいいが、お前ヒマじゃねェのか?」
「大丈夫。ゾロが持ってて。絶対離婚させるなよ?」
「それは、まあ、分かったけどよ……子供向けのゲームに離婚のプログラムがあるってのが驚きだよな」
 ボソッとそんなことをぼやいたゾロを面白そうに眺め、サンジは口を開いた。
「ゾロはもうすぐ退院か?」
「うん? ――ああ、何もなければ明後日には退院らしい」
「そう、じゃあクリスマスも年越しも家だな」
「そうなるな――」
 お前は? とは聞けなかった。きっとまだ、退院の目途などついていないのだろうから。
 ゾロの退院の日も、サンジは微熱でベッドから出られなかった。
「また来るからな」
 病院を出る前にサンジに会いに行きそう言うと、サンジは静かに笑い横になったままベッドから出した手を力なく振った。
「バイバイ」
 何だろう。この不安感というか、違和感は。
 ゾロは数秒の間をおいて、落ち着かないこの気持ちをどうにかしようと、最近は癖のようになってしまったサンジの頭を撫でるという行為で、どうにか心を落ち着けようとした。
「また、来るから」
 再度繰り返し言ったが、サンジは何も答えず静かに微笑むだけで頷こうともしなかった。
「先生の言うこときいて、しっかり寝るんだぞ」
「うん」
 今度は返事をしたサンジに少しだけ安心して、ゾロはやって来た迎えとともに病院を後にした。


 結局あれがサンジを見た最後だった。
 三日後、生活がそこそこ落ち着いて病院へ行くと、サンジのベッドはキレイになっていた。次に誰が来てもいいように前の人間の痕跡は跡形もなかった。


 懐かしい田舎の風景。
 ゲームはバージョンアップしながらやり続けた結果、ゾロには今十人の孫ができた。結婚しないで気ままに独身を楽しんでいる子供がいれば、旅に出てたまに手紙を寄越すだけの子供もいる。
 そして、ゾロとサンジはまだちゃんと仲良く夫婦だ。
 あの頃、サンジ風に言えばゾロは確かに死にそうだった。
 ある日目覚めると世界は半分しか見えなくて、自分を取り巻く環境は大きく変化していた。
 左目は視力が戻らないかもしれないと言われ、五歳の頃から続けてきた剣道も、以前のようにはできないだろうと言われた。
 真っ赤に染まったハナミズキを、自分は何を考えながら見上げていたのかは思い出せない。けれどきっと、ろくでもないことだったのだろうとは思う。
 あの日、ゾロは救われた。
 絵のようにキレイな風景を作り出した金色の髪に。純粋に真っ直ぐに自分を見つめる瞳に。真剣に嘘がなく、自分に向けられた言葉に。
 子供特有の臆面なく恥を知らず、モノを知らない素直なアホさで、ゾロを無邪気に慕ってくる。
 でもサンジは決してバカなだけのガキではなかったと、ちゃんと分かる。
 ゾロの悲しみや虚しさ、絶望をきちっと理解していた。サンジは慈悲深く優しい子供だった。
「これまた真っ赤だな……」
 懐かしいハナミズキの下に立つ。
 建物は壁を塗り替えたのか、新しくなったように見える。ゾロはあのベンチに座った。
 今の気持ちは落ち着いている。
 目を閉じればまぶたの裏に昨日のように浮かんでくる。
 太陽みたいに明るく笑うかと思えば、大人のように静かに笑った七歳の少年の顔が。
 昔を思い出して、しばしその風景に浸るゾロの耳に、落ち葉を踏んで近づいてくる足音が聞こえてきた。
 初めて聞く音だ。


「大丈夫か?」


 声が聞こえてゾロは目を開け首を動かした。
「ニヤニヤして、変質者だって通報されるぞ」
 低い声。高くなった背丈。でも昔と変わらない金色の髪。
「成長したな、もしかして俺より高いか?」
「ゾロは更に老けたな。背は……177」
「よし、俺が勝ってる」
「ちぇ〜」
 サンジがつまらなそうに口を尖らした。
「診察は?」
「今終わったとこ」
「どうだった?」
「半年に一回診せにこいって」
「そうか、まあ順調だな。じゃあ行くか」
 言いながら立ち上がると、サンジがすかさず横に並んだ。
「花買いたい」
「あ〜、そうだな」
「お線香は?」
「持ってきた」
 病院の前からバスに乗り、電車に乗り換え、再びバスに乗り、サンジは遠足みたいだと子供のように喜んだ。
 辿り着いたのはお墓。
 もうすぐ12回目の命日がやってくる。


 ゾロは12年前、家族旅行の帰りに高速で玉突き事故に巻き込まれた。そのときの記憶はほとんどない。目覚めたら両親と兄は死んだと聞かされ、自分の視界も身体も自由が利かなかった。一人目覚めた病院でサンジに出会うまで、ゾロは前も後ろも分からない暗闇の中にいた。
 サンジはそんなゾロの孤独を理解していた。サンジはあの母親の本当の子供ではない。というか、サンジの本当の両親は、ゾロと同じ自動車事故で亡くなった。サンジは両親と親しかった子供のいない夫婦に引き取られたのだ。
 病気が発覚したのは引き取られた後のことで、サンジは申し訳なさを抱えて生きてきた。もちろん、引き取った両親がサンジを大切に守ってきたことは、今サンジが生きているということ、一人で日本へ返した、という事実を見れば分かることだ。
「一人でくることを許してもらえるとは思ってなかったな」
「ゾロが一緒だから安心だって」
「俺もお前の両親に挨拶をしたいが」
「来年一回来日するって言ってたよ」
「こっちには住まないのか?」
「それはまだ何年か後だって」
 サンジの両親はゾロが退院した後に、アメリカへ渡った。父親の仕事の都合と、治療のために。ゾロはそれを後から知った。空になったベッドを見たときは、真剣にサンジが死んだと思って目の前が真っ暗になった。暗闇の中で見つけた小さな光が失われ、以前よりも深く暗い世界へ落とされた気分だった。
 病院を通じてゾロにサンジから手紙が届いたのは二ヶ月後。それから二人は連絡を取り合い、サンジは日本の大学に通うため帰ってきた。ゾロの家には昨日、サンジの荷物が運び込まれた。十二年振りの今日の再会は、思っていたよりスムーズで、ゾロはホッとしている。


「お前の荷物は左の部屋に入れた。好きに使え。掃除や飯はやっぱり当番制だな」
「俺がやる。ゾロは仕事して稼ぐ。俺は勉強しながら家のこと。俺料理上手だぞ。ゾロが料理の上手な人がタイプだって言うから頑張ったんだ。でも元々才能あったのかも」
「――」
 料理の上手な人がタイプって、そんなことを言ったことがあっただろうか?
 きっと大して考えもなしに口にした言葉ではないかという気がするが、というか絶対そうだろうと思う。なぜならゾロは別に料理ができる人間がどうとかと、思ったことがないからだ。だからそんあセリフ、一体いつ言ったのかと内心では大いに首を捻ったが、サンジがその言葉のせいで料理をマスターしたのだとしたら、こんないじらしいことがあるだろうか。
 キッチンの設備を楽しそうに確認しているサンジを見て、ゾロは何とも言えない気持ちになった。衝動のままにサンジを後ろから抱き締める。サンジが驚いたように固まった。
「……十二年振りに会った、十五年下の同性に、再会して数時間で欲情する俺はやっぱり通報されるか?」
「……え……」
「ちょっと、かなり、ヤバいかも。抑えれる気がしねェ」
 抱き締める腕に一層力を入れると、サンジの体がまた縮こまった。
「あ、と、俺も、ゾロと、そういうこと、してェけど……俺、今まで誰とも付き合ったことねェし、だから……その、そういうことはもちろん、キスも、したこと、ないんだ」
「――ッ!」
 ものすごい告白に、体温が一気に上昇した。当然下半身も興奮する。それに気付いたサンジが「うわ?」と、戸惑いの声を上げた。
「お前、こんなオヤジに自分が初物だなんて可愛く告白して、ヤり殺されても知らねェぞ」
「ヤり……?」
「加減はする。できる限り。……辛かったら言え。俺も男は初めてだ。――こんなヤバいくらい勃ってるのも初めてだ」
 サンジの耳が真っ赤に染まった。まるであのハナミズキのようだ。顔は見えないが、こっちが憤死しそうな可愛い顔をしているに違いない。
 ゾロの中のサンジへの思いも、ハナミズキの赤のように真っ赤に熱くなっているのが分かる。だがそれは樹のように水分を失って枯れ落ちることはない。色褪せることのないまま、さらに深い色になっていくことは、間違いなかった。


End


   *  *  *


うわ〜〜〜v
真っ赤なハナミズキの艶やかさと、美味しそうに熟れちゃったサンジの頬が目に浮かぶようでなんて綺麗なお話なんでしょう。
不慮の事故で身も心も傷ついて、孤独の闇に堕ちそうだったゾロが唯一見つけた小さな光。
ゲームを通じて交流し合うとか、サンジがゲームにかこつけてバンバンアタックしてるとかもう、楽しすぎです。
途中でドキドキしちゃいましたが、絶対大丈夫と信じてました(笑)
美味しいシチュばっちりなゾロなすちゃんを、ありがとうございます!


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