祇園の茄子 <酒菜あみ様>


 誕生日には何が欲しいかと馴染みの舞妓が訊くので、膝枕と答えた。
 普段ならば、そんなことをさせることはできない。ゾロがその舞妓を相当気に入っていると知った友人のエースに、「手なんか出したら、紹介したおれまで出入り禁止になるんだからな」と釘を刺されているぐらいだ。
「毬藻はんのおめでたい日やさかいに、特別どすえ」
 舞妓が笑ってそう言ったから、今ゾロは舞妓とふたりきりで、膝枕をしてもらっている。

 小茄子というその舞妓をゾロが気に入ったのは、瞳を見たときだ。
 コンタクトレンズを落としたところに居合わせ、一緒に探してやった。その時に見た小茄子の瞳は、深い青色をしていた。いつもは色のついたコンタクトで、黒に見せているのだ。
 その美しい青にまっすぐ見つめられた瞬間、ゾロは吸い込まれるように小茄子に惹かれたのだった。

「膝枕いうて、そんなにええもんやろか」
 小茄子はゾロの髪を抓みながら、不思議そうな声を出す。
 出会って間もなくの頃、北海道から来たと言うと、ゾロの頭がちょうど毬藻みたいだと言って小茄子は喜んだ。それからずっと「毬藻はん」と呼ばれている。マリモのいる湖はゾロの住んでいるところからはかなり遠いはずだが、小茄子が気に入っているようなので、ゾロは好きに呼ばせていた。
「なかなかいいモンだぞ。膝枕、お前もやってやろうか」
 横に向いていた頭をくるりと上に向ける。ゾロの髪を触っているうちに頭が下がっていた小茄子は、顔があまりに近いのにびくりと肩を震わせた。
「うちは……、あかん……」
 動揺したのか声を詰まらせながら、頬を染めている。
 初心で可愛くてどうしようもない。18才だというから、今日32才になったゾロからすれば子どもなのは当然だが、それにしても。

 ゾロは小茄子の唇を見つめた。今は、上下ともに紅が塗られている。初めて会った時には、まだ下の唇しか赤くなかった。舞妓になって最初の1年は、そのようにするしきたりなのだそうだ。
「なァ、北海道に来ねェか?お前、料理上手いんだろ」
 ゾロは小さな旅の宿を営んでいる。もともと従兄妹とふたりでやっていて、彼女が料理を作っていた。しかし従兄妹が結婚して北海道を離れてしまったので、今は休業中なのだ。
 小茄子が料理上手なのは、置屋の女将に聞いていた。「ほんまは男の子やさかい、料理人にでもなったらええんよ」と女将はこぼしていたが、小茄子は女将に大恩があるらしく、彼女の元を離れようとしないらしい。
 そういう事情も知っているから即答で断られるかと思いきや、小茄子は口元にぎゅっと握った拳を当てて、暫し考え込んだ。
 これはもしや、とゾロは淡い期待を抱いたが、つややかな紅の唇から零れたのは、「かんにんえ」という言葉だった。
「すぐでなくてもいい。おれはお前に惚れてんだ、いくらでも待てる」
 正座でもしてきちんと伝えた方がよいのだろうが、小茄子の膝が心地よくて離れがたい。ゾロはごろんと寝転がったままで、でも真剣に言った。
 小茄子はぎゅっと口を噤み、泣き笑いみたいな変な顔で、首を横に振った。
「──毬藻はん、かんにんえ」

 ぽろん、と一粒だけ涙が落ちて、ゾロの唇を濡らす。
 驚いたゾロが声をかけようとするが、それより早く小茄子の唇が涙を追った。
 隠すように涙を舐めとってしまうと、すぐに小茄子は唇を離した。
「……甘ェ」
 涙の塩辛さはすべて小茄子が取り去ってしまったからか少しもなく、代わりにほんのりと砂糖菓子のような甘さがあった。
「あ、氷砂糖、」
 それを塗って唇につやを出すのだと、小茄子は恥ずかしそうに説明した。ねえさんたちは、グロスというのを使うらしい。
「いいじゃねェか、甘ェほうが」
 ゾロは小茄子の小さな頭を引き寄せて、下からぺろりと唇を舐めた。やはり甘いと確認して、それから唇を押しあてる。
 きっと初めてなのだろうからと、ゾロはそれだけで我慢した。
 だが、顔を上げた小茄子はふっと笑って、それから小さく舌を出した。
「毬藻はん、出入り禁止どすえ」
「──は?」

 すっと立ち上がると、小茄子は部屋を出ていった。
 残されたゾロは、お茶屋の主人に追い出されるまで、小茄子の去った襖を呆然と見つめていることしかできなかった。


*


 それからすぐにゾロは北海道に戻ったのだが、傷心のせいか幾度となく回り道をしてしまい、家に辿り着いたのは3ヶ月もとうにすぎてからのことだった。
 もう1年近く休んだままの旅の宿には、こんもりと雪が積もっていた。どこか寂しげに見える。
「他の料理人を探す気にはなれねェな」
 となれば、宿は本格的に閉めた方がよいのだろうか。
 扉の前に立って、困ったなとゾロはのんびり思った。舞妓遊びに費やしたため、貯金も心許なくなっている。のんびりしている場合ではないのだが、どうもいろいろ気合いが入らない。いや困った、と腕を組む。
 差し当たって雪おろしか、と考えていると、腹がぐうと鳴った。
 そのときゾロの背後でどどどど……と轟音が聞こえた。振り返ろうとして、その前に背中から蹴り倒された。まっすぐ倒れて、顔から雪に埋まる。

「おいおっさん、3ヶ月もどこをほっつき歩いてたんだよ!」
 ゾロを蹴ったのだろう本人が、雪からゾロを引っ張り出して怒鳴った。睫毛に付いた雪を払う。金髪碧眼の少年だった。その青い瞳には見覚えがある。
「──小茄子か?」
 髪ももちろん染めていたのだろう、今は短く切りそろえられ、きらきらと金色に光っている。それから。
「お前、なんで眉そんなに巻いてんだ」
 前髪が長くて半分しか見えないが、右の目の上の眉は、眉尻でぐるぐると渦巻いていた。
「いいだろ、そんなの!それより、おれもう小茄子じゃねェ。サンジだ、覚えとけ」
 ゾロと同罪で、置屋を追い出されたのだと言う。代わりに、お茶屋にゾロを連れて行ったエースはお咎めなしになったらしい。
 もしかしてわざと追い出されるようにしたのでは、とゾロが訊く前に、サンジは真っ赤な顔をして怒鳴った。
「おれもう帰るところねェからな!お前のコックにしろよ!」

 おれのコック。──なかなかいいな。
「コック。まずはおれの飯を作ってくれ」
 言うと同時に、ゾロの腹がふたたびぐうと鳴った。サンジは慌てて、早くカギを開けろと言う。
 それにしても、はんなりとした京ことばは、すっかり淡い影すらない。
 カギがなかなか見つからず、鞄を探るゾロの横で、サンジがぶるりと震えた。白い首筋が寒そうに見えて、ゾロはそこに手を伸ばす。
「ふぁ、……も、かんにんっ……」
 サンジはびくっと体を震わせた。
 おお。──なかなかいい。
 飯を食ったらいろいろ試してみよう、とゾロは不埒なことを思った。


 その後。
 自分の家なのに、ゾロは時々出入り禁止にされている。



  End



  *  *  *



新しい世界キタ――――!!!
いい!いいよ舞子はーんサンジいいいい!!!
サンジに「もうかんにんえ」と言わせたい。
ただそのためだけに、ゾロはものっそ励む気がします。
自分ちなのに何回出入り禁止になったって懲りないよ、何度でも励むよ。
意外な設定でいっぱいいっぱい楽しませていただきました。
いいわあ~~(しみじみと反芻中)


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