夢の途中 3


陽が傾きかけた頃、ようやく人の姿が見え始めた。
血塗れよりましだが泥まみれな姿で、片っ端から訪ねて廻ったが一向に目撃証言が出て来ない。
もうそろそろ島は一周した換算だ。
これで誰も知らないとなると、サンジはこの島に降りてないとしか考えられない。

――――まさかあのままボートで海原に出たか?
根っから海の男だ。
そんな無謀な真似はする筈がないが、なんらかのアクシデントだって考えられる。
もしくは上陸する前に、どこかの船に乗り移ってとうにここから離れてしまっているかもしれない。

ゾロは愕然として海を見た。
赤味を帯びた光を纏いながら一際大きくぼやけた太陽が揺らめきながらゆっくりと沈む。
間違いなく、島を一周したのにサンジはいない。

「畜生!」
誰にともなく、ゾロは悪態を吐いた。
サンジが見つからない。
誰も見ていない。
もうここには、いないのかもしれない。
もう二度と、会えないかも知れない。

「・・・くっ」
何故だか猛烈に腹が立った。
誰に対してかと思えば、紛れもないサンジに対する怒りだ。
あの野郎、俺に何も言わずに消えやがって。
俺をなんだと思ってやがる。
俺は――――
奴にとって、なんだったんだ?

他のクルーとは明らかに違った筈だ。
酒の勢いとは言え身体を重ねた。
案外相性が良くてそれ以来癖になった。
所詮処理だろと笑うあいつに腹が立って、ひどく手荒に扱って傷つけたこともあった。
それでも――――
いつでも、許してたのは、あいつの方か?





沖から吹く風が強くなった。

波に洗われながら岩を登り、高台から海を見下ろした。
そう遠くないところに羊頭が見える。
やはり一周してしまったのか。
俺はこのまま、奴を失くすのか。
あいつに、何も伝えないまま―――――
もうあの子供地味た悪態も、他愛無い戯言も阿呆みたいな笑顔も見ることはできないのか。

訳もなく、駆け出したくなった。
叫びたくなった。
そんなのは嫌だとガキみたいに足掻く自分がいる。
だが、実際にはゾロは、ただ岸壁に蹲って海を見ていた。
どこをどう探していいのか見当もつかない、八方塞の状態で、頭に浮かぶのは馬鹿みたいなヒヨコ頭ばかりだ。


そう、あんな風に―――――

目の端に映る黄色い頭が懐かしいと、本気で思ってから気がついた。
自分の真下の崖の窪みに身を隠しているのは、紛れもない、クソコックだ。




勢いよく立ち上がったら足元が崩れてガラガラと小石が落ちた。
驚いて振り向いた瞳と視線がぶつかる。

「うわ!」
「てめっ・・・」
ゾロの姿を認めたサンジが、慌てて浜辺に飛び降りた。
砂に足をとられながらも必死の勢いで逃げる。
「逃がすかこの野郎!!」
ゾロは悪鬼の如き形相で追いかけた。

突然、踏み出した足元に銃弾が打ち込まれた。
「見つけたぞロロノア・ゾロ!昨日はよくもやってくれたな。」
台詞から察するに昨夜の男達なのか、ゾロは覚えちゃいないが銃を構えた者達がぐるりを取り囲んでいる。
だがゾロには前を逃げるサンジしか目に入らない。
気配で弾を避けて、無意識に刀を引き抜いた。

「・・・邪魔だ!」
魔獣に距離など、関係なかった。












「待ちやがれ、クソコック!!」
怒気を孕んだ声に振り返れば、血塗れのゾロが刀を振り翳して追ってきていた。
「きゃああああ!!」
「人殺し!!」
港を行き交う人々が悲鳴を上げて逃げ惑っている。
「あの、金髪の男が殺られるぞっ」
「早く海軍を呼べ!」

サンジは舌打ちして仕方なく逃げるのを止めた。
これ以上大事になったら後が面倒だ。
「おいクソ剣士・・・」
だが意に反してゾロは止まらない。
その勢いのまま突っ込んだ。

「うおっ!!」
辛うじて後頭部を強打するのは免れたが壁に激突して押し倒される。
一瞬意識が飛んで、気がつけばゾロが馬乗りになっていた。
「て、てめえ・・・なんの・・・」
「うっせえこの野郎、ぶっ殺す!」
殺気すら覚えて、サンジはゾロの下でもがいた。
「このクソでかサボテン!退け、俺がどこ行こうがてめえには関係ねーだろうが!!」
「関係なくねえ!」
ゾロは刀を鞘に収めてサンジの襟首を掴み引き上げた。
力加減がないから首が圧迫されてみるみるうちにサンジの顔が真っ赤に染まる。
「俺に黙って出て行くたあ、どういう了見だ。俺をなんだと思ってやがる。」

「おいおいおい、あの人殺されちゃうよ。」
「海軍はまだか。」
ギャラリーが遠巻きに取り囲んで成り行きを見ている。
サンジは酸欠で遠退きそうな意識を必死に保って、なんとかゾロの背中に膝を蹴り入れた。
無理な体勢で威力は半減だが、首を持つ手が緩む。
「この、馬鹿力っ・・・、殺す気かっ」
咳き込みながら身体をずらして壁に凭れた。
抵抗しないと見て取って、ゾロもようやく手を離す。

「てめえがどうしても俺から逃げるってんならここで殺す。」
ゾロの言葉に驚いて、サンジは顔を上げた。
不似合いなほど真摯な瞳で見つめ返されて絶句する。

「てめーが夢追ってどっか行くっつっても逃がさねー。夢叶えるんなら俺の側で叶えろ。そんかわり、
 俺の夢が叶う時は、てめーはぜってー見届けろ。」
熱の冷めていたサンジの顔が、また別の意味で赤く染まった。
何度かぱくぱくと口を開け閉めして、こくんと唾を飲み込む。
「あ、あの・・・てめ、言ってることわかってんの、か?」
「何が」
「いやだから、その・・・なんで俺を捕まえんだよ。」
「逃がしたくねーからじゃねーか。」
「何で逃がしたくねーんだよ」
「そりゃあ、ほ―――――」

ゾロの口が「ほ」の形で止まった。
固唾を飲んで見守っているギャラリーの口も「ほ」の形で止まっている。

「ほ」ってなんだ。
「ほ」の次は…
次はなんなんだよ!

「ほ?」
「ほ、ほ――――…」

と、そこへけたたましく海軍が乗り込んできた。

「犯人はどこだ!」

「げっ!」
「やべっ」
野次馬を押し退けている隙に、手に手を取って駆け出した。
「待てい!撃つぞ!!」
「行け、逃げろ〜!」
「『ほ』の次はなんだ〜!!!」
怒号と声援を受けながらゾロとサンジはひたすら逃げた。









「ったく、しつけえ奴らだ。」
海軍を撒いて路地裏に逃げ込んだはいいが、日が暮れてからも捜索の手が緩むことはなかった。
山狩りでもされそうな勢いで続々と人員が増えている。
出るに出られずゴミ置場の隅に隠れて様子を窺うしかない。
「街ん中を探し終えたら山の方に行くかもしれねえ。もうちょっと様子見ようぜ。」
「船の位置、わかるか?」
「てめえじゃねえよ。当たり前だろ。」

近くの通りから複数の足音が近づき、通り過ぎる。
二人はぴたりと身体を寄せ合って、息を潜めてやり過ごした。

すぐ鼻先にあるサンジの白い顔をまじまじと見つめて、ゾロはその耳元で囁いた。
「なんでてめえ、あんなとこにいやがったんだ?」
ぴくりと頬が震えたが、何も答えない。
「もしかして夜、てめえが船出てからずっと、あそこに隠れてやがったのか?」
サンジは答えない。
だが言葉より顕著に赤く染まる耳がすべてを肯定していた。
「てめー・・・元から出て行く気なかったな。」
「ちげーよ。マジで俺あ・・・」
皆まで言わさずその口を塞いだ。
勢い余って薄汚れた壁に頭を打ちつけながらも、サンジはゾロの背中を抱き返す。
「この、アホめ・・・マジで、・・・どっかいきゃあがったと・・・焦って、よ・・・」
キスしながら細切れに話すゾロは縋りつく子供みたいで、サンジの顔に笑みが浮かぶ。

「けど、俺のせいだな。・・・ひでーこと言ったか?」
サンジの気持ちがよくわからないから、余計に力を込めてその痩躯を抱きしめた。
苦しいだろうにサンジに抗わない。
「俺のせいだな。」
もう一度、ゾロは言った。
まるでそうだと言ってほしいように。
だからサンジは黙って頷いた。

「やっぱ魚の海か?俺は馬鹿にした訳じゃねえぞ。」
「わかってる。」
サンジは小さく身を捩って息を吐いた。
「てめえによ、悠長に待ってるなんて言われてムカついたけどよ、けどなんで自分から探さずにこの船に
 乗ってんのかって言われた気がして・・・気づいちまったんだ。」
こつんと、ゾロの肩に額を乗せた。
「ルフィはなんせ海賊王になる男だから、こいつについてきゃオールブルーも見つかるだろうさ。ナミさんやロビンちゃんみたいな麗しいレディと一緒に旅できるなんて、最高だし、ウソップもチョッパーも離れがたい仲間だ。だからよ、だけどよ。」
ごしりと、血で汚れたシャツで目元を擦った。
金色の髪が揺れる。
「・・・てめーに、言われたか、ねーよ・・・」

暢気にこんなとこにいる場合じゃねえぞなんて、言ったつもりはないけれど、そう取られても仕方のないような言い方を、俺はしたか―――――
珍しくゾロは反省した。
詫びのつもりで抱きしめる手に力を込めたから、サンジは酸欠の金魚みたいに仰け反って喘いでしまった。

「悪かった。けど俺あ、自惚れていいんだな。」
謝っているのに嬉しそうな表情で頬にキスしてくる。
サンジは今更怒る気にもなれなくて、それでも悔しいから草色の髪を強く引っ張った。
「俺の言葉一つで傷つくてめえは、俺に気があんだよな。」
冗談かと顔を上げたら、恐ろしく真面目な顔をしたゾロが見つめている。
何故だかサンジは笑い出しそうになった。
「…何が可笑しい。」
「だってよ、お前今更…気付いてなかったのか?」
「何が」
「だから、俺がお前にほ―――――」
「ほ?」
今度はサンジが止まった。
お互い「ほ」の形に口を開けて、どちらからともなく吹き出す。

「俺は伊達や酔狂で仲間に手出したりしねえぜ。」
「俺だって、いくら仲間でもほいほい身体任せたりしねえ。」
背中に廻した腕に力を込めて、サンジを強く抱き寄せた。
応えるつもりで目を閉じたら、突然足元から声がした。

「今のうちに、早く!」
二人して視線を落とせば小鹿…もとい、トナカイ化したチョッパーが首を振って合図している。

「海軍達は今ルフィが囮になって引きつけてるから!」
先に立って走るチョッパーに続き、全速力で駆けだした。






びよ〜んと伸びた腕でマストをつかみ、難なく船に戻る。
射程距離からも逃れて、なんとか一息ついた。

「とんだ上陸になったわね。」
腕を腰にあてて仁王立ちするナミの前で、サンジは床に頭をこすりつけるようにして土下座している。
「無事戻って来れたからいいようなものの、こんなことは金輪際ゴメンよ!いい、二度としないで!」
「ああ〜ナミさんっ、怒った顔も素敵だ〜v」
派手にゲンコツで殴り倒されたサンジの横で、マストにぶら下がったままルフィがにししと笑う。

「な、俺の言った通りだろ。サンジは必ず帰って来るって。」
「確かに、最初から余裕かましてたよな。なんか、確信あったのか?」
ウソップの疑問にルフィは不思議そうに返した。
「だってお前、ああいうのを『ちわげんか』って言うんじゃないのか?」

ナミのこめかみの血管が2、3本ぷちぷちと音を立てて切れた。
「痴話喧嘩…そんなもので振り回されたの、あたし達…」
「いや実際振り回されたの、俺だけだろ。なあ」
しれっとしたゾロに同意を求められて、ウソップが青褪めた顔でぶんぶん首を振る。
「心配したのよ、このボケ共っ!!!」
クリマタクトがゾロとサンジの脳天に容赦なく振り落とされた。




「幻の海…幻に終わる、ね。」
ロビンは新聞を広げてテーブルに置いた。
多種多様な魚が生息する海域は、個人の商社が独自で研究している養殖漁場だったらしい。
「なんだあ、大げさだなあ。ちゃんと確認してから記事にしろっての。」
「まあどんな煽り文句にも最後に『?』がついてるしね。」
全員がキッチンに集まっていつものティータイムを満喫している。
サンジが姿を消して、肝を冷やしたのはゾロだけではない。

「サンジ、おかわりv これ美味え〜」
「おう、たんと食え。前の島でろくに買出しできなかったから有り合わせで悪いけどな。」
「サンジの作るもんはなんでも美味いぞ。オールブルー見つけたら、俺らに一先に食わしてくれんだろ。」
ルフィの屈託のない言葉に、サンジは目を細めた。
「ああ、食わせてやる。いくらオールブルーが見つかったって食わせてやりてえ奴が側にいなきゃ意味が
 ねえんだ。だから俺はこの船に乗ってくんだ。」
後の方は独り言だったのに、隣でゾロがくすりと笑った。
「…馬鹿だな、てめえは。」
何を、と言い返す前にゾロの柔らかな視線に驚く。

「側にいるのに、理由なんていらねえだろが。」
絶句したサンジの顔が、みるみる赤く染まっていった。



「はいはい、ご馳走様。」
ドサクサ紛れにカミングアウトした恋人達を、冷めた目で見守りながら、ナミは紅茶を一息に飲み干した。






まだまだ前途は多難で、航海は長い。

それでも、行く路は真っ直ぐに続いている。



END

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