ゆくえ不明


深夜、喉の渇きを覚えて、ゾロはキッチンに足を向けた。
間もなく日付が変わる頃だ。
キッチンの主たるコックは、もう寝床に入っているだろう。
顔を突き合わせればなにかとうるさいし、酒でもねだろうものなら弾丸のように罵詈雑言を浴びせてくる。
非常に面倒臭い相手だから、いないに越したことはない。
そう考えながらキッチンに入ると、すでに灯りは消され静まり返っていた。
人の気配はない。
しめしめと、懐手をしながら冷蔵庫を開ける。
生憎、酒らしいものはなかった。
シンクの下のは料理酒だから、絶対に手を付けるなと常々言い渡されている。
ワインラックに寝かせてあるのは、下手に取ると「高い酒なのに」と蹴り回される危険性がある。
その辺に、安い酒が放置されていないだろうか。
そう、都合のいいことを考えながら周囲を見渡したら、テーブルの上に白い紙が置いてあるのに気付いた。
風が吹けばすぐ飛びそうな、頼りない紙切れだ。
なにか書いてあるから、薄闇の中で目を凝らす。

『さがさないでください』

右斜めに少し傾いだ、けれど読みやすさを重視しているコックの字だ。
これは何かの、伝言だろうか。
「酒を探すな」ということか?
ゾロは最初にそう思ったが、いや違うだろと一人で否定する。
そもそも「さがさないでください」とはどういうことだ。
なぜ敬語だ。
しかも誰に向かって頼んでいる。
コックが、敬語で?

ゾロは腕を組んで、じっと紙片を睨みつけた。
これは、書置きではないのかもしれない。
なにかの用事でメモ帳に書いて、そのまま放っておいただけかもしれない。
だがそれにしては紙の真ん中にバランスよく、よく読めるようにハッキリと書いてある。

一周回って、やはり酒を探すなということのような気がしてきた。
そうすると「さがさないでください」という言い回しは、切実だ。
懇願と言ってもいいほどだ。
ここは武士の情けで、酒を探さないでおいてやろうか。

そう思ったが、やはり「いやいや」と考えを改める。
別に、この書置きはゾロに宛てたものとは限らないだろう。
今夜はたまたまゾロがキッチンに来ただけで、夜更かししているほかの誰か宛てかもしれない。
ただ、コックが男相手に敬語を使うとは思えない。
さしずめ、ロビンにでも宛てたのだろうが。
だがロビンもナミも、サンジより早く部屋に入る。
この時間に書置きしても意味はない。

――――朝か。
ふと、閃いた気がした。
早起きするのはブルックだが、ナミやロビンもそう遅くはない。
起きてきてコックの姿がないのに、「さがさないでください」と伝えているのだ。
ということは、コックは失踪したのか?
大海原を走る船から。
なんのために?

ゾロは腕を組んで、今一度考える。
そもそも、サニー号から家出(?)するのは無謀だ。
それに理由も思い付かない。
度重なるルフィの盗み食いに嫌気が差したのか。
ナミやロビンにいくらアプローチしても相手にされなくて、世を儚んだか。
なにかのっぴきならぬ事態が起こって、ひとまず行方をくらませたのか。

いずれにしろ、「さがさないでください」と書置きをしてこの場を離れたことには間違いはない。
吹けば飛ぶような、適当な紙の置き方をして。
それを見る限りは、本気度はあまり高くなさそうだ。
そう思案している間に、ゾロは酒のことを忘れた。

もし航行中に脱出するとなれば、ミニメリー号か。
ドックに船がなければ、可能性は高まる。
別に、コックを探すつもりはない。
「さがさないでください」などという願いを叶えてやる気は毛頭ないが、だからといって積極的に探す訳ではない。
ないのだが、一応確認だけはしておいた方がいいだろう。

ゾロは甲板を横切り、まず船底へ向かった。
ミニメリー号も脱出用ボートも、きちんと場所に納まっている。
少なくとも、船で外へ漕ぎ出した訳ではなさそうだ。
ならば船内かと、とりあえずあちこち歩き回ってみた。
男部屋で眠っているのはルフィとチョッパー、それにウソップだ。
今夜の見張りはフランキー。
見張り台へと昇りさり気なく中を覗くと、コーラ片手に夜食を摂っていた。
物音で察していたようで、フランキーはもぐもぐと咀嚼しながら首だけ向けた。
「どうした」
「いや、それはコックが作ったモンか?」
フランキーが抱えるバスケットを指させば、当たり前だろとサングラスを押し上げる。
「俺が見張り番の時はコーラに合うスーパーな夜食を、いつも用意してくれてんだ」
「だな」
確かに、誰が見張り番でもコックは相手に合わせて夜食を作る。
ゾロであってもだ。

「邪魔したな」
そう言って、ゾロは下へと降りて行った。
夜食を用意したということは、それまでコックは船にいたのだ。
そしてキッチンを片付けて、誰もいないところで書置きを書いた。
「さがさないでください」
誰のために?

夜風に乗って、心地よいバイオリンの音が流れてくる。
昼間はルフィが占領している船首に、今は細いブルックの影が乗っかっていた。
大きなアフロを揺らし、静かに曲を奏でている。
一人きりで夜の演奏に耽っているようだ。
傍らに、コックの姿はない。
演奏を止めてまで「コックを知らないか」と尋ねるのは癪で、ゾロはそっとその場を離れた。

風呂場、洗面所、トイレ、倉庫に格納庫。
何とはなしに、順番に確認していく。
どこにもコックの姿はない。
燻らせる紫煙の匂いさえも。

夜の船内を歩き回りながら、もう一度考えてみた。
もし、この書置きを見つけたのがナミかロビンだったらどうだろう。
まずは声を張り上げてコックの名を呼び、飛んでこないことを深刻に捉えるだろう。
そして仲間を叩き起こして捜索を言いつける。
大ごとだ。
ではルフィはどうか。
すぐさま「サーンジー!めしー!!」と叫んで、どこだどこだと派手に探し回るだろう。
やはり大ごとだ。
ではウソップなら。
チョッパーなら、フランキーなら、ブルックは――――
いずれも、大ごとにしかならない気がする。
いまこうして、書置きを見つけたのが自分でよかった。
無駄に探し回ることはないし、騒ぎ立てることもない。
居なくなったらなったで、まったく構わないのだ。
そう思いつつ、ゾロはむやみやたらと船内を歩き回った。

ふと立ち止まり、見聞色を発動してみる。
しばらくじっと耳を澄ませ気配を窺ったが、まったくわからなかった。
相手が殺気を纏っていたり、危機の察知ならば得意だが、ただ単にアホ眉毛の存在など探るのは難しい。
とにかく、確認する限りコックはこの船のどこにもいない。
ならば――――

「上か」
ゾロは後ろ甲板に仁王立ちして空を仰ぎ見た。
十六夜の月が、雲の晴れ間からくっきりと覗いている。
その月に、細長いシルエットが重なった。
目を凝らせば、マストの切っ先に片足だけでコックが立っている。
ゾロは手で庇を作って、ギロリと睨んだ。
視線を感じたか、月を見上げていたコックが視線を下げる。
「あ」
見つかった。
煙草を咥えた口が、そう動いた。
そして観念したかのように、軽やかにマストから降りてくる。
コックはスカイウォークとかいう、ふざけた技で空を飛ぶのを忘れていた。
ちょっとだけ空を自在に飛ぶことに憧れを抱いているゾロは、本音では非常に悔しい。

「バカとなんとかは高いとこが好きってのは、本当だな」
「それをいうなら、煙となんとかだろ」
心底バカにした口調で、コックは静かに甲板に降り立つ。
いつもと変わらない、斜に構えた小生意気な態度だ。
「また船内迷子か」
「誰が迷子だ、人騒がせな・・・」
そこまで言って、口をつぐむ。
コックは、「ん?」と小首を傾げた。
「なに、なんか騒いでたのか」
「別に」
「へえ、それにしちゃ一人で随分とウロウロ同じ場所を歩いてたと思うんだが」
「てめえ、見てやがったのか」

思わせぶりな書置きをして、人が右往左往するのを高みの見物とは悪趣味だ。
そう文句を言いたかったが、計略に乗せられたことを認めたくないので結局黙る。
「なに、なんか文句ある?」
「・・・別に」
「もしかして、俺を探してた?」
「ンなわけ、ねえだろ」
「正直に言えよ」
「うるせえ、勝手なことほざくな」
ゾロが大股で歩くと、コックはニヤニヤしながら後をつけてくる。
全部バレていると思うと腹立たしいが、そうとなれば開き直りだ。
ゾロは不意に立ち止まった。
そのまま振り返ったら、勢いでぶつかりかけたコックと目が合った。
驚くほどに、距離が近い。
反射的に仰け反りかけるのを耐え、ゾロは敢えてずいっと顔を寄せた。
「てめえ、どういうつもりであんなもん書いた」
「あんなもん?なんのことだ」
ゾロの勢いに首を竦めながらも、コックの顔がニヤけている。
本当に、性悪だ。
「さがさないでください、だと?殊勝な文句だ」
「なに、探してくれたの?」
月明かりの下で、コックの瞳が妙に艶めいて見える。
仄かに期待の色が浮かんで、ゾロは訝しんだ。
「お前、探されたかったのか?」
「は、なに言ってんの」
大仰に肩を竦め、それでいてゾロからは離れようとせず携帯灰皿に煙草を揉み消した。

「別に、お前にじゃねえよ」
「じゃあ、誰宛てだ」
「誰でもねえよ」
ただ―――――

なにかを言いかけた気がしたが、コックは素知らぬ顔で煙草を咥え直し俯いて火を点けた。
軽く吹かしてから、前髪を払うように仰向く。
「もう寝ろ、日付も変わった」
「勝手なことを」
「おやすみ」
暗闇に手を翳すように、ひらひらと降る。
指に挟んだ煙草の火が、赤く揺れた。
それ以上文句を言うのも癪で、ゾロは黙って歩き去る。
コックは船べりに肘を置き、しばらく夜の海を眺めていた。
ブルックが奏でる音色が、波の音に迎合するように揺らめきながら耳に届く。
うっとりと目を細め、コックは満足げに微笑んだ。

3月2日。
日付を跨ぐこの瞬間。
誰かの頭の中を、自分でいっぱいにしてみたかった。
それがゾロなら、ことのほか嬉しい。

闇夜に響くバイオリンに合わせ、サンジは上機嫌で鼻歌を歌った。


End




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