余花


目覚まし時計がけたたましい音を立てながら震えた。
振動が畳から布団へと伝わる。
それでもシーツに顔を擦り付けてぐずぐずしていたら、今度は足元で違う電子音が響く。
目覚まし時計と携帯のアラームと、頭上と足元から同時に騒がれさすがのゾロも顔を上げた。
だがまだ目は閉じたままだ。
手探りで枕元の目覚まし時計の在り処を定め、停止ボタンを押す。
それから布団の中でもそもそと方向転換し、やや離れた場所に置いてある携帯に手を伸ばしてスイッチを切った。
その状態のまま、行き倒れのように二度寝する。
それからきっかり5分後に、炊飯器が炊き上がりのアラーム音を鳴らした。

米が炊ける匂いに誘われるようにしてようやくゾロは布団の中で起き上がり、大きく伸びをした。
時計は4時10分を指している。
緑風舎での勉強会は5時から。
それまでに顔を洗って飯を食べ、昼飯用にお握りを作らねばならない。
勉強会から直接農地へ行って、夕暮れまで作業に没頭だ。

ゾロは適当に顔を洗って、シャツの下から手を突っ込んで脇腹をぽりぽり掻きながら台所に戻った。
パンをトースターで温めつつ、冷蔵庫からママレードを取り出し冷たい牛乳をコップに注いだ。
一人だと、コーヒーを淹れるのも面倒だ。
皿も使わず、手掴みでパンに直接ママレードを塗り、齧り付く。
もっさもっさと咀嚼しながら、牛乳で流し込んだ。

サンジが焼いたパンは、冷めたって美味い。
温め直せばなお美味い。
ママレードも、香りが強くしっかりと甘みがあってほんのり苦く、鼻から爽やかな風味が抜けていく。
これを焼きたてパンに塗って食べれば絶品だ。
それなのに、何故か今日のパンもジャムもなんだかモサモサしていた。
舌では美味いと感じ取っているのに、なんとなく物足りない。
起き抜けで、まだ寝惚けているせいだろうか。

ゾロは口の中に押し込むようにして食べ終えると、カップを水の中に浸けて仕度を始めた。
表では、風太と颯太がそろってキャンキャンやかましい。
朝の散歩の催促だ。
ゾロの姿を見ると、二匹は競い合うようにジャンプして尻尾を振り捲った。
早く早くと、急かしているのがよくわかる。
「風太はともかく、颯太、お前はそんなキャラじゃなかっただろう?」
思わず声に出して話しかけたが、颯太は「なんのことですか」とでも問いたげに小首を傾げた。
サンジが散歩に出かける時は、風太は大喜びだが颯太はもっと落ち着いている。
と言うか、サンジに対して颯太は随分ツンデレだ。

二匹に引き摺られるようにして田んぼ道をぐるりと回り、水を換え餌をやって小屋に繋いだ。
「じゃ、行ってくる」
散歩と食事を終えたらもう用はないとばかりに颯太は知らん顔で庭の辺りを眺めていたが、風太はいってらっしゃいと首を上下に振ってくれた。





「あら偉いですね、ちゃんと来た」
たしぎにあんまりな歓迎の言葉を受け、ゾロはさすがに鼻白んだ。
「当たり前だろうが」
「いやいや、俺は遅刻するに一票入れたんだけど」
「僕は欠席です」
「午後まで寝てるに一票」
「・・・お前ら」
ゾロは憮然としながら、ファイルを広げた。
「ちゃんと飯、食ってんのか?」
「俺ら、これ終わってから飯作りますけど朝ごはん一緒に食います?」
「ちゃんと食ってきた」
心配してもらえるのはありがたいが、コレではまるでガキ扱いだ。
「サンジさん、明日には帰って来るんですよね」
「もうちょっとの辛抱だからね」
「あと一晩だ」
「わかってるっつってんだろが、それより早く取り掛かれ」
仲間達を急かして、ようやく今日の議題に入った。

ゾロに対しては基本放置で、さして世話好きともいえないような連中がなぜかやたらと気にかけてくる。
サンジと一緒に暮らすようになるまでは、こんな現象は起きなかった。
一時とは言えサンジが留守にしている間、自分はそんなにも危なっかしく見えるのだろうか。
心外だ。
実に心外だ。



バラティエから珍しく「Help」の連絡が来たのは一昨日のことだ。
カルネが交通事故に遭ったという。
幸い怪我の具合はたいしたことはなかったが、それでも3日間は自宅療養が必要とされた。
生憎、店を貸し切っての大掛かりなパーティの予約が2日続けて入っており、それに連休が重なってオーナーゼフ直々に「手伝ってくれ」との依頼があった。
ゼフがサンジに助けを求めるなど、天地がひっくり返ってもありえないだろうと当のサンジが思い込んでいたから、その時の驚きようはいっそ見ものだった。
それでも二つ返事で引き受け、それからいそいそと準備してすぐに里帰りした次第だ。

サンジにしてみれば久しぶりにゼフと一緒に厨房に立てるのだ。
しかも堂々と手伝えるのが、嬉しくてたまらないのだろう。
別に恩を売るつもりはないが、ゼフがあっさりとサンジに助けを求めたことが嬉しくもあり誇らしくもある。
家族と言えどお互い意地っ張りな間柄だ、それがこうして頼られると言うことは、サンジ自身が認められた証でもある。
そのことがとても嬉しいと、サンジは輝くような笑顔でゾロにそっと告げた。
あの時の顔を思い出すと、つい自然と口元が緩んでしまう。

「・・・あ、なんか思い出してる」
「うっわ、気持ち悪っ」
「無表情なのに小鼻膨らんでる、それに下唇が細かく震えてる」
「なんか思い出してね」
「思い出してるね」
「早く帰って来るといいのにねえ」
仲間達のささやき声は、幸いなことにゾロの耳には入らなかった。



勉強会を終えた後、請け負っている農地に真っ直ぐ向かった。
幸い天気もよくて、風も強すぎず心地よい。
陽射し避けに頭にタオルを掛けて帽子を被り、首にもタオルを巻いて黙々と作業に没頭した。

ともすれば昼食の時間も忘れそうだが、村内に響き渡るシモツキ音頭の楽曲で正午に気付いた。
畦に腰掛けて、持参してきた握り飯を頬張る。
中身は梅干と塩昆布と高菜の漬物だ。
握っただけで海苔も巻いていない。
適当に握ったものを、ポイポイと口の中に放り込んでいく。
疲れた身体に、ちょっとした塩気が美味かった。
サンジが作ったなら、もっと色んな具材を使って味も食感もバリエーションが豊富だろう。
けれどまあ、これも悪くない。
腹が減っていれば、なんでも美味いものだ。

握り飯を食ってその場でごろりと横になった。
一眠りするつもりが、どうにも陽射しが眩しくて寝付けない。
仕方なく、適度に水分を補給してから作業を再開した。
働き始めればすぐ没頭し、ほかの事は何も考えなくなる。



気が付けば、手元が暗くなっていた。
随分日が伸びたとは言え、夕方になると風が少し冷たく感じる。
そろそろ帰ってやらないと、風太達がまた「散歩に連れて行け」とうるさく騒ぐだろう。
ゾロは手早く後片付けを済ませ、軽トラに乗った。
今日の現場は集落から外れた山間部だったから、緑風舎を出てからほぼ丸一日、誰とも顔を合わせなかった。
ろくに声も出していない。
狸か鹿でも顔を見せたら、挨拶くらいしたかもしれないがそれもなかった。
こんな日も珍しいなと思う。

案の定、ゾロの軽トラが家に近付いた時点で風太の遠吠えが聞こえてきた。
はいはいと、ようやく犬相手に声を出しながら家に戻る。
そのまま風太と颯太に引き摺られつつ田んぼをぐるりと回り、すっかり落ち着いた二匹を連れて家に帰る頃には、足元も見えないほどに真っ暗だ。
戻ってから水を換え餌をやり、家に上がって電気を点ける。
洗面所で手洗いとうがいを済ませ、台所に帰って湯を沸かした。
洗い桶の中には、朝浸けたままのカップが水の中にごろりと転がっている。
それを適当に洗い、さて晩飯はなににするかと冷蔵庫を開けた。
朝はパンだけだし、昼は握り飯だけだ。
腹は減っているはずなのに、さして空腹感はない。
一人だと、わざわざ台所に立って調理するのも面倒くさい。

ラーメンにでもするかと思いつつ、作業着のポケットに携帯を入れっぱなしだったことを思い出した。
開いてみれば、メールと電話の着信がある。
メールはサンジから朝6時に届いていた。

おはよう(^0^)ノ
ちゃんと起きたか?
朝飯食ったか?パンと牛乳だけじゃだめだぞ。
お昼は和々でお梅ちゃんのおばんざい定食食わせて貰え。
夜は自分の分をちゃんと作るように。
一応、おかずになりそうなものは冷凍庫にパックで小分けして入れてあるから、適当にチンして食えよ。
明日は夜帰るから、駅まで迎えに来て。
また連絡する。

朝のうちにメールして、サンジもそれきりなのだろう。
今はディナーでてんてこまいってところか。
電話の着信を確認しようとしたら、向こうから掛かってきた。
ウソップだ。

「おう、どうした」
『ゾロ、今からうち来ないか?花見すんだ』
「花見?」
誰もいないのに、ゾロは携帯を小脇に挟んで振り返った。
『おう、工房裏の山桜が見ごろでな。カヤが腕奮って夕飯作ったんだ。スモーカーとかコビー達も来るぞ』
「そうか、お邪魔すっかな」
『おう待ってるぞ。あ、酒は自分で持ってこい。帰りは俺が送ってやるから』
至れり尽くせりなご招待にありがたく返事して、ゾロは携帯を切った。
そのままサンジに返信しようとして、止める。
どうせ今メールしたって、サンジが携帯を確認するのは閉店後の夜中だ。
それなら、ウソップ自慢の山桜を写メして一緒に送ってやろう。



夜ともなれば結構冷える。
ゾロはジャンバーを着込み、冷蔵庫の中からあるだけビールを出してビニール袋に詰めて外に出た。
ウソップ工房まで、歩いて行っても30分程度だ。
雲の切れ間から時折月が覗くし、夜道は明るいから散歩がてらにテクテク歩く。
サンジと一緒に歩く時は、とりとめもないことをウダウダと話している間に、あっという間に目的地に着く。
けれどどういう訳か、今夜はいくら歩いても前後左右を田んぼで囲まれた田園地帯から抜け出せない気がした。
一人でいるのを心もとないと感じたことはなかったが、正直、寂しいとは思う。
口やかましくても気難しくても、傍らにサンジがいる方がずっと自然だ。

昨日の朝出発して、明日の夜には戻ってくる。
サンジに一度も会えない日は、きょうほんの一日だけ。
わかっているのに、今日と言う日が早く過ぎればいいと思わずにはいられない。
そんな自分が情けないと思いつつ、ゾロはそう悪い気分でもなかった。

ビールが入った袋をプラプラさせながら、ゾロは鼻歌交じりで月明かりの下をテクテク歩く。
そうして、スモーカーの車に発見収容されたのは、それからさらに1時間後のことだった。



End


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