夜明けの花束


「こんなとこにー、花屋できたんだ」

少し調子っぱずれな声が頭上から降って来て、ゾロは顔を上げた。
間口が一間しかない、小さな店舗だ。
入り口に立ち塞がるようにして、細長い男のシルエットが伸びる。
細身の黒いスーツ姿で、ストライプのシャツは襟元が緩んでいた。
元は色白なのだろう。
薄い肌は赤味が差していて、数メートル離れているのにぷんと酒の匂いがした。
どうやら酔っ払いらしい。

「へーいつの間に。ってか、ここ前はなんだったっけ?煙草・・・は一軒先だし、チケ屋・・・は向かいだし」
ご機嫌なのか、歌うように独り言を呟いて柱に凭れる。
「んー思い出さねえなあ。なあ、前なにやってたんだあんた」
「知らねえよ。この店は今月開いた」
しゃがんで手入れしていた花をバケツごと移動させ、膝を払いながら立ち上がる。
「ふうん、でもいまもう夜明けじゃん。なんで営業してんの、朝一番早いのはパン屋さんじゃねえの?」
酔っ払いの戯言に付き合うつもりはないが、確かに今は早朝で朝帰りの酔っ払いぐらいしか人影はない。
「あんたみたいなお客さんが多いって聞いたから、朝まで開けてる」
「そっか、賢明だな」

酒場通りでホテル街だ。
昼間は閑散としているが、夜更けは賑わい明け方は仕事帰りのホステス達が足を止める。
そちらの方が、結構実入りがいい。
「へーそっかーじゃあ俺、モロ引っかかっちゃったんじゃん」
商法だねーと呟きながら、男は店の中をぐるりと見渡す。
足取りは覚束ないが、バケツに蹴躓かないようそれなりに遠慮はしているらしい。
「見たとこ、綺麗な花ばっかだな。いや、花はなんでも綺麗だけどさ。ほらあるじゃん、お供え用仏花特価箱とか、投げ入れてある奴―」
「うちはギフト専門だ」
「へえ、粋だねえ」
スタイルにぴったりのスーツだが、よく見れば随分と年季が入っているらしい。
着こなしで華やかさを演出しているようだ。
チャラい見た目に反して、実直な性格が窺える。
無意識に客を観察しているのに気付いて、ゾロはさりげなく目を逸らした。

男は足元がふらつきつつも猫のような身のこなしで店内に足を踏み入れた。
酔っ払いの冷やかし程度に、取り留めもなくあちこちを眺める。
「んじゃーさー、プレゼント用に花束作ってよ。そうだな、相手は巻き髪がコケティッシュな、女子大生」
「予算は?」
「えーと、2千円」
それじゃあ、花束というよりミニブーケのサイズになるだろう。
「なんでもいーよ。花が開き切っちゃっててさ、明日には枯れちゃうようなんで構わない。今日が綺麗ならそれでいいさ、誰も明日のことなんて知ったこっちゃないし」
在庫処分セールで、安くしてよ。
そう言って、上体を揺らしながら煙草を咥える。
「店内は禁煙です」
「硬いこと言うなよー、店から出るし」
男は半歩、路上に足を踏み出した。
「いいだろ、これで」
どうだと言わんばかりに顎を上げ、なぜか得意気に笑う。
ゾロは小さく溜め息を吐いて、お言葉に甘え処分するつもりで脇に退けて置いたガーベラを手に取った。
若い女性で外見に気を遣うタイプなら、色もビビッドで単純なラインの花を好むだろう。

ガーベラとスプレーバラを組み合わせていると、男はゾロの手元をひょいっと覗き込んできた。
混じりけのない金髪が、目の前でさらりと流れ落ちる。
「あーそうそう、こんな感じ。ふわっとしたピンクで、とにかく可愛いんだあ」
スタンダードでいいだろうと、それにカーネーションとカスミ草を加えて薄桃色の和紙でくるりと巻いた。
ピンクのリボンで結ぶと、小さなブーケの完成だ。
「おお、さすがプロ。すっげえ可愛いなあ」
男は上機嫌で受け取り、ポケットからくしゃくしゃの紙幣を取り出した。
一枚、二枚と数えるぞんざいさが、男のイメージにそぐわない。
「2千円でいい?消費税は」
「2千円ちょうどでいい」
「ラッキー」
ラッピングもしていない花束をそのまま受け取り、男は大切そうに両手で抱く。
「ありがとな。ようしリリちゃん待ってて!まるで君のように可憐なお花だよ〜」
誰に向けて叫んでいるのか知らないが、白く明け始めたビル街に響く声でそう叫び、男は踊るような足取りで店を出て行った。

「・・・なんなんだ、あいつ」
大丈夫かと若干心配になりつつも、まあいいお客さんだったと思い直してゾロは再び裏方作業に戻った。


 
 * * *



店を覚えたのか、男はそれから週に一度のペースで立ち寄るようになった。
来る度に酔っ払っていて、覚束ない足取りでひょこひょこと店に入ってくる。
新顔の花を物珍しそうに眺め見るのに、足元には気を付けてどこか遠慮がちに、でも楽しそうにへらりと笑った。
そうして必ず、花束を買っていく。

今日は、魅惑的な年上のレディのために。
今日は、お仕事が大変過ぎてお疲れのレディのために。
旦那様の帰りが遅くて寂しくて仕方ない、孤独なマダムのために。

適当な注文にも、ゾロは淡々と応じる。
いずれも定価は2千円だから、男が言うところ在庫処分に退けてある花から選んだ。
薔薇、百合、カーネーションにスイートピー、トルコキキョウ。
季節に応じて、旬の花を選ぶ。
相手のイメージでリボンの色を変えれば、毎回印象も違う。
「お前すごいなーどんな花束でもイメージピッタリだな」
男は勝手にコンテナをひっくり返して椅子にし、座って煙草を吹かしながらゾロの作業を見ている。
毎回、よくも飽きないものだ。
「たまには奮発しねえのか」
「しねえよ、花なんてすぐ枯れるじゃね。今が綺麗なら、それでいいんだって」

女なんて、ちょっと綺麗な花でも見せればそれだけでイチコロさ。
口端から煙を吐いて、そう嘯く男の言葉にはなぜか真が感じられなかった。
ほろ酔い気分で人生を謳歌しているように見えて、満たされない横顔ばかりが際立っている。

多分ホストなんだろうと見当は付けていたが、ゾロから口を開くことはなかった。
客は客だ。
どんな仕事に就いてようが、自分には関係ない。
水商売だからと蔑む感情も、持ち合わせていない。

「女の子って、寂しいのに弱いよね。寂しいのに死んじゃうのはウサギだっけ。寂しいと浮気するのはレディの特権だよ」
男は勝手にベラベラ喋る。
ゾロが突っ込んで尋ねるどころか、相槌すら打たないことが不満らしい。
「寂しいんだから、しょうがないよね。俺はその穴を埋めてあげるんだ。そりゃあもう、誠心誠意真心込めて。その時だけは、俺は彼女のただ一人の恋人になるってこと。美味しいものを食べさせてあげて、彼女のいいところをたくさん褒めて、可愛いよ綺麗だよ大好きだよって、いっぱいいっぱい囁いて―――」
男はそこまで言って、くしゃりと顔を歪ませる。
「そうすれば、彼女たちはお礼に俺にお金をくれるんだよ。上手くできてるよね」

そう言いながら、なぜそんな表情をするのか。
ゾロは苛々したが、なぜ自分が苛々するのかはわからなかった。
ちゃらんぽらんの優男だからムカつくのだろうか。
それとも、女を食い物にしている所業が不愉快だからか。
「レディを食い物にしてんだもん、俺の仕事ってそれだもん」
思っていたことをズバリと口に出して、男は泣きそうな顔をする。
ちっとも楽しくなさそうなのに、楽しいと笑う嘘吐きな顔を、ぶん殴りたくなった。


 
 * * *



次に顔を出したら、無条件で殴ってしまうかもしれない。
そんなゾロの危惧を察したか、男がピタリと来なくなった。
次の週も、その次の週も。
月を跨いでも、年が変わっても。
男は店に現れない。
2千円の花束一つで、いつまでも居座ってくだらないことをベラベラ喋るだけの鬱陶しい客だったのに、姿を見なければそれはそれで物足りなかった。
ふとした折に、アイツどうしているだろうかと思いを馳せて、作業をする手が止まる。



さして雪も降らない内に春が訪れ、店内の花々もほぼピンクに埋め尽くされる月を迎えた。
チューリップは蕾のままでも美しい。
水を替え床を拭いていると、夕暮れに伸びる影が足元を遮った。
細長いシルエットに、反射的に顔を上げる。
「よ」
男がそこに立っていた。
だが、様子が違う。
フードつきのパーカーにチェック柄のシャツ。
足元はくたびれたジーンズだ。
随分とラフな格好だが、少し痩せて顔色も悪い。
酔っ払っていないせいか肌は青白く、髪は夕日を受けて茜色に染まって見えた。

「久しぶり」
「おう」
ゾロはモップを立てかけると、コンテナをひっくり返して置いた。
「へへ、座っていいの?ありがと」
両手をポケットに突っこんだまま踊るような足取りで店に入り、腰掛けた。
腰骨が尖って、膝頭も細い。

「仕事、止めたのか」
「ビンゴ。すげえな、なんでわかった?」
わからいでか。
「ちょっと身体壊してさー…ってか、俺、酒に弱いみてえ」
「飲むからだろうが、飲む真似でもすりゃあいいのに」
「仕方ないだろー。俺、レディの頼みは断れねえんだ」
そう言って、乾いた唇に煙草を咥える。
火は点けないで、そのままブラブラと先端を揺らした。

「てめえは、向いてねえ」
「んなことねえよ」
なぜかむきになったように、言い返す。
「俺は、女の扱いは得意なんだから」
「とてもそうは見えなかったがな」
「お前になにがわかる」
そう言ってぷいっと横を向き、それからはァ・・・と肩を落とした。

「だからさー。せっかくの誕生日にデートもできねえんだよ。金ないし」
「誕生日、お前がか?」
「そ」
今まで、幾多の女達にあげてきた花束はどうしたんだ。
ゾロは仕方ないなと肩を竦め、在庫処分のバケツから咲き切った花を取り出した。
それに青、白、グリーンを加えていく。

「それなに、薔薇?」
「ラナンキュラスだ」
「ラナ・・・花の名前ってややこしいな、そっちの青いのは?」
「デルフィニウム」
「へえ、綺麗だな」
バランスよく配置して、くるくると青い和紙で包む。
白いレースでリボンを結ぶと、男に差し出した。
「やる」
「え、俺?」
期待半分、好奇心半分で眺めていたらしい男は、頬を紅潮させてゾロを見上げる。
「これ俺用?ガラにもねえじゃん、めっちゃ可愛らしい」
「お前らしい」
「ありえねーって、俺はもっとこうシャープでダンディで・・・」
男の言葉を遮るように、ゾロは花束を押し付けた。
「お前はこんなんだ。純粋で真面目で融通が利かねえ、それでいて優し過ぎる」
「―――――・・・」
一瞬視線がかち合い、男の方から目を反らした。

「んなこと、てめえに・・・」
「2千円な」
「はあ?金取るのかよ」
いま、おれ金ねぇっつっただろうが!
抗議する男に、ゾロはしょうがねえなと首を鳴らす。
「金がねえならちょっと付き合え。今日はもう店仕舞いだ」
「なに、お前ももしかして寂しがり屋か。寂しいと浮気しちゃう系?」
「浮気じゃねえよ」
ゾロはそう言って手早く道具を片付けると、表に「CLOSE」の看板を出してシャッターを閉めてしまった。

「なんかこう、獲物逃さない系の素早さ」
「当たり前だろ」

ずっと待ち構えていたのだ。
次に来て、またくだらないことをダラダラ喋りながらおかしな表情をしたのなら。
殴るか。
それとも――――

男は、ゾロに貰った花束を大切そうに両手で抱いて「しょうがねえな」と笑ってみせた。
演技も誤魔化しもない、自然と零れた笑みだった。


End