約束なんてしない  -10-


目を凝らせば、雲の向こうに星が垣間見えた。
時折姿を現す月が、真っ黒な水面を照らし出す。
何もない暗い水平線を睨み付けながら、サンジは煙草を吸うことも忘れてぼうっとしていた。

床に下ろした腰は鈍く痛む。
尻の奥もじんじんと疼いて、まるで焼けた鉄の塊を押し込まれたようだ。
腹はまだシクシクするし、胸が悪くて吐き気が止まらない。

なにより、仲間達の視線が耐え難かった。
哀れみとも詫びとも付かない後ろめたそうな眼差しは、決してサンジ自身に向けられない。
目線を合わされないことに、心のどこかでホッとしている自分が嫌だ。
臆することなく見返して来るだろうルフィには逆に目を向けられないし、ゾロの顔はとてもじゃないが見られない。

ゾロ―――
ゾロはどう、思っただろうか。
考えれば考えるほど、腹の底がチクチクと痛む。
考えたってどうしようもないとわかっているのに、考えずにはいられない。

―――いっそ、皆殺しにしてしまおうか。
物騒な考えが頭を過ぎる。
ウソップとチョッパーは、まあなんとかなるだろう。
ルフィはちょっと骨が折れるかもしれない。
返り討ちに遭って自分が死ぬかもしれない。
それがいい、それでいい。
そしたらゾロは―――



ぎしりと見張り台が鳴って、弾かれたように顔を上げた。
俄かに現実に引き戻される。
いまこんな、サンジ的には非常に立て込んだデリケートな時にのうのうと踏み込んで来る奴なんて二人しかいない。
その片方とは、顔を合わせたくはないのに。

「おい」
予想を裏切らず、一番会いたくない男が顔を出した。
サンジは目眩さえ覚えて額に手を当て、唸る。
「ケツが痛えのか?」
「違うわっ!」
ケツは確かに痛い。
痛いが今はそれどころじゃない。

「なにしに来た」
「てめえの顔見に」
言いにくいことをさらりと言う。
こいつは天然のドSかと、サンジは暗澹たる思いでため息を吐いた。
「もう見ただろ、帰れ」
言って引き返す奴でもないとわかっているが、言わずにはいられない。
ゾロは案の定無視してサンジの隣に腰を下ろした。

「食え」
見れば、片手に皿を持っている。
でかい握り飯が二つ。
海苔も巻かずに真っ白なままだ。
「なにこれ」
「握り飯」
見ればわかるわ!
口に出さずに悪態をついて、更に深いため息を吐いた。
「飯なんて、あったかよ」
「土鍋で炊いた」
つい、振り向いてしまった。
「お前が?」
「米と土鍋があったからな」
改めて握り飯を見れば、所々潰れてべちゃりとしている。
「柔らかいんじゃね?」
「握ってる間に潰れて、難儀した」
サンジはははっと喉の奥で笑い、不恰好な握り飯を手に取る。
「具はなんだ?」
「手に塩付けて握った」
一口頬張り顔を顰める。
「この塩っぱいの、てめえの汗じゃねえのか」
「手はちゃんと洗って握った。塩も付けた」
なんだか子どもみたいにたどたどしく説明する。
モグモグと咀嚼している間に、ぐっとえずいて胃液が込み上げた。
我慢して無理やり飲み込む。

自棄になって二口目を頬張ったら、じっと見ていたゾロが口先を尖らせた。
「もっと美味そうに食え」
「できるか!」
喚いた拍子に米粒が飛び、気管に入って咳き込んだ。
ケホケホとむせるサンジの背を撫でて、ゾロは余った握り飯に手を伸ばす。
一口食べて、顔を顰めた。
「なんだこりゃ、べちゃべちゃだ」
しかも焦げ臭い。
「焦げた部分は握らなかったのに」
「臭いは移るんだバーカ」
咳き込みながら罵って、また咳き込む。
目尻に浮かんだ涙が、頬を伝わって流れ落ちた。
後から後から湧いて出て、止まらない。

「泣くほどまずいか」
「泣いてねえ…」
涙と鼻水を啜って、でかい握り飯を口に押し込んだ。
「誰が泣くか、なんてこたねえ」
ろくに噛まずに飲み込んで、せりあがる嗚咽を噛み殺す。
「レディじゃねえんだ、なんてこたねえ」
「アホか」
あっさりと言い返されて、ああ?と睨み返した。
「傷付くのに、男も女も関係ねえだろうが」
「―――…」
さっと朱を刷いたようにサンジの頬が赤く染まった。
ついで顔を歪め、口をへの字に曲げる。
「傷付いてなんか、ねえ」
ぷいっと顔を背け、指に付いた米粒を舐め取った。
柔らかいのに芯が残り、潰れているのにポロポロと零れる。
最悪だ。
最悪なのに、一粒だって残したくはなかった。

ご飯粒を噛むつもりで自分の指を噛んで、しゃくり上げるのをなんとか堪える。
喉がひくつき、肩が震えた。
口を閉じて鼻で息をすると鼻水が垂れる。
ついでに涙も溢れて、みっともないことこの上ない。

ゾロは大口で握り飯を口の中に放り込むと、しょうがねえなとばかりに自分のシャツを引っ張った。
そのままごしごしと乱暴にサンジの顔を覆う。
「・・・汚え・・・」
「汚くなんかねえ、さっき着替えたばかりだ」
そういう意味じゃない。

布地に涙が染み込むと、乾くどころか後から後から沸いて出て止まらなくなった。
仕方がないからゾロの懐に手を突っ込んで、シャツを引っ張り自分で顔を拭く。
額ごと擦りつけ、涎も拭いて盛大に鼻まで噛んでやった。
ざまあみろ。

すっきりして顔を上げれば、驚くほど近くにゾロの顔があった。
反射的に飛び退いて、後ろの壁に背中を打ちつける。
「・・・って」
「なにしてんだ」
平然と座るゾロの、真っ白なシャツの前がすっかり汚れてしまっている。
客観的に見て恥ずかしくなって、サンジは慌ててゾロのシャツに手を掛けた。
「脱げ」
「なんなんだお前は」
万歳させてシャツを剥ぎ取り、くるくる丸めて抱き込んだ。
責任を持って綺麗に洗濯して返そう。
まあ、いつもゾロのシャツを洗っているのは自分なのだが。

膝を抱えて座り直すと、ゾロが隣で所在無さげに胡坐を組み替えた。
当然ながら上半身裸だ。
ゾロだって、まさか見張台で追い剥ぎに遭うとは思いもしなかっただろう。
「さっさと服着て寝ろ、風邪引くぞ」
「誰のせいだ」
もっともな突っ込みだが、無視を決め込む。

「冷えてきたな」
「・・・だから、とっとと帰れって」
肩をそびやかして言い返したら、ゾロは隅に畳まれていた毛布を手に取りがばりとサンジの背中に掛けてきた。
そのまま二人仲良く包まる。
「・・・な、なななななにしてんの?」
実質的には温かいが背中が寒くなって、サンジは膝を抱えたまま硬直した。
なんでこんな展開になるのかわからない。

「こうすりゃあったけえ」
俺もお前も。
そう言うゾロの、澄ました顔付きにふつふつと怒りが沸いてきて、サンジは肘で脇腹を突いた。
「お前がどっか行け、寒いなら毛布持って降りろ。消えろ」
「邪険にするな」
「うるせえ、下手に慰めようなんてするなっ」
自分の言葉で、自分で切れた。
「あんなザマ晒して、みっともねえもん更に泣かしてどうすんだ。根性悪いぞてめえ」
「やっぱり泣いたんじゃねえか」
「お前死ね、すぐに逝け」
両手を振り回してめちゃくちゃに叩く。
距離を取って蹴り飛ばしたいが、ゾロががっつりと腰を掴んで離れない。

「ヘタれてるとこにつけこもうなんて、卑怯だぞ」
「別になんもしねえ」
ゾロはサンジの顔を覗き込むように首を傾げた。
「今はな」
「今はって、なんだー」
耳まで真っ赤にして噛み付く。
怒りだか羞恥だか、サンジ自身にもわからない。
「お前あんだけ無茶したんだ、今日はさすがに無理だろ」
「て、てててててめえっ」
まだ犯る気なのか。
「おま・・・あんなの見て、平気なのか」
「平気じゃねえ」
きっぱりと言い切って、うん平気じゃねえなと一人で頷いた。
眉間に皺を寄せ、吐き捨てるように呟く。
「思い出したくもねえ、クソが」
サンジを罵っているのではない、脳裏の中のあの男達のことだろう。
わかっているのに、サンジの胸はズキンと痛んだ。
クソに犯られた自分は、クソ以下だ。

「てめえが落ち着いたら、改めて犯るから」
「なに言ってんの、なにきっぱり決めてくれてんの」
毛布の中で身を縮こませ、サンジは唖然として口を開けた。
「勝手に決めてんじゃねえよ。俺あごめんだ、あんな―――」
不意に、あの時の感触が蘇った。
自由を奪われ、無理矢理に開かされた身体。
ねっとりと舐め回す舌の感触。
無遠慮に突き入れられ、掻き混ぜられた幾つもの指。
そして―――

「お前だって、見てただろうがっ」
無意識に爪先を擦り合わせぴっちりと膝を閉じる。
床に降ろした腰の、尻の奥がズキズキと痛んだ。
薬のお陰か傷は付かなかったが、内部の感触がいつまでも消えない。
「見てた、てめえらみんな見た。一度見たもんは消えない。忘れない。てめえらの頭ん中に残る」
それが耐え難いと、サンジは呻く。
「ルフィもウソップもチョッパーも、明日からは知らん顔していつも通りに俺に接するだろう。けどあいつらの頭ん中の、片隅にでも俺が残る。あいつらに犯された俺が残る。いつでもどんな時でも、俺の醜態は残るんだ」
恥ずかしくて消え入りたくて、いっそ海に飛び込んでしまいたいと思った。
こんなことで死ぬのはご免だと、そう思いながらもどこかで身体ごと消え去りたいと願っている。

「てめえは、大事なモンを守ったんだろう」
ゾロの言葉は、すべて慰めにしか聞こえない。
「身体張って守ったんだ、誇りこそすれ貶めることはねえ」
「そんなっ・・・」
「てめえのことじゃねえぞ、俺がそう思うってことだ」
「―――あ?」
青褪めた顔を、ゆっくりと上げる。
「てめえで大事なモンを守ったんだ。それは俺の仲間でもある、ありがとうよ」
サンジが自分で誇りを抱くのではない、ゾロが感謝し仲間としてサンジに対して誇りを抱いた。
そううまく説明できないから、考えあぐねた挙句もう一度「ありがとう」とだけ口に出す。
サンジは顔を歪め、抱えていたゾロのシャツを再び口元に当てた。

「てめえの言葉を聞いて、俺はすぐにあっちに行った。てめえを助けることより、ナミやロビンのことを優先させた」
なんでだと思う?とまるで睦言のように優しく尋ねる。
「・・・俺が、ナミさんやロビンちゃんのこと、大事だって言った、から?」
「てめえは大丈夫だって思ってたからだ」
仲間の前で犯されても、穢れはしない。
絶対に死ぬことはない、逞しく生き延びて、ちゃんと自分の足で立つ男だから。
「だから俺は、てめえを見捨てた」

酷い言葉なのに、サンジは涙が出るほど嬉しかった。
今度は隠さずに、ポロポロと零れるままだ。
「ウソップやチョッパーに見られて耐えられねえってんなら、俺が殺ってもいい」
「は・・・」
ぎょっとして目を剥く。
「苦しまないように一瞬で送ってやる」
おいおいおい
「ルフィはまあ梃子摺るだろうが、てめえと手を組めばできねえこともねえだろう」
おいおいおいおい
サンジはシャツで口を覆ったまま、笑い声を立てた。
仲間として冗談でも許されないようなことを、真剣な面持ちで口にするゾロが滑稽でならなかった。
それでいて、自分も同じ穴の狢だったことが嬉しくて仕方ない。

「なんでてめえが殺る側だよ、てめえだって逝け」
「俺はいいんだ」
「なんで」
見返せば、しっかりと視線がかち合う。
「俺はいい、これからあんなもんじゃ済まねえことてめえにするんだから」
――――はー・・・
「はいぃ?」
「てめえが恥ずかしがるようなもん、目にしていいのは俺だけだ」
きっぱりと言い切って、偉そうに胸を張る。
なにその堂々ぶり。
なにその揺らぎない自信。
「なんで、てめえだけ除外してんの」
「俺がそう思うからだ」
仲間だろうと殺っちまいてえと思うのは、てめえだけじゃねえんだぞ。
脅し文句とも取れる恐ろしげな台詞を吐き、今頃沸いて出た感情を隠そうともしないで憤る。

「なんで、なんでだよ」
「あ?」
「なんでお前が、そんなに怒るんだ」
「そりゃあ・・・」
言いかけて、ぐるっと視線を上げた。
「そりゃあ、あれだ。俺だけのもんにしてえから」
「なんでだ?」
「放っとけねえし」
「なんでだ」
「目が離せねえし、ますます心配になったし」
「なんでだ?」
「迂闊に放っとけねえから、ずっと手元に置いておきてえ」
「なんでだ?」
堂々巡りなのをさらに畳み掛けられ、とうとう黙ってしまった。
この男は、まだわからないのか。

サンジはふーっとわざとらしく大きな息を吐いて、膝を抱え直した。
もう涙は止まっている。
「じゃあ、今度はその答えがわかったら考えてやらないこともない」
「あ?」
「俺を犯りてえんだろ?ちゃんと答えを言葉にしてからだ」
あん時だってそう約束しただろう。
そう言うと、ゾロはくわりと目を剥いた。
「約束なんて、しねえぞ」
「あ?」
「答えが出なかろうが言葉が探せねえだろうが、俺はてめえが気になるし触りたいし傍に置いときたい」
二人仲良く一つの毛布に包まりながら、サンジが仰け反るような気迫で睨み付ける。
「こういうのをなんて言うのかよくわからねえ。それでも俺はずっとてめえを見てる、身体が癒えたらさっさと犯る」
最低な台詞を清々しく吐いて、じっとサンジの目を見つめながら顔を近付けた。
勢いに押されるように、サンジの顔が下がる。
ゾロがさらに追う。
背中が壁に着いて、それ以上下がれなかった。
首を竦めれば、覗き込むようにゾロも顔を下げた。
顎を上げて傾けると、ゾロも同じように首を傾げてくる。
息が頬に掛かり、唇の熱が伝わるほどに近付いた。
それでも直接は触れないで、ゾロはじっとサンジの瞳を見つめ続ける。

――――えいくそっ!
サンジは心の中で掛け声をかけて、自分からぷちゅっとその唇に自分の口を押し付けた。








「おはよう、いい天気ね」
「おはよう」
定められた訳でもないのに、決まった時間に仲間達が起きてくる。
それぞれに朝の挨拶を交わし、気付いたものはテーブルを拭いたり皿を出したりと忙しい。
今朝は珍しくゾロまで、起こされる前に起きてきた。
ふわりと眠そうに欠伸を一つして、テーブルに着くなり目を閉じる。

「ちょうどパンが焼き立てだよ、サラダをどうぞ」
「美味しそう、やっぱり新鮮野菜はいいわねえ」
「特製オレンジソースで召し上がれ、こらゴム!先にマフィン食い尽くすんじゃねえ。チョッパー、スープはまだ熱いから気をつけろ。鼻、オムレツの中身は残すなよ!」
いつも通りの慌しい食卓だ。
ルフィを蹴り飛ばしゾロを叩き起こして、ナミやロビンに甲斐甲斐しく給仕するサンジはいつもと変わらない。
寧ろ、憑き物でも落ちたようにさっぱりとしている。

ウソップは、気を張っていた自分の方が恥ずかしくなってほっと肩の力を抜いた。
まだまだ、お互いに気まずい思いも残るだろうけれど、それでも一緒にいたいと思える仲間なのだ。
大事で大切で大好きな仲間なのだ、お互いに。
そう納得してチョッパーと二人で顔を見合わせ、すぐに食べることに専念した。

二人は知らない。
啄ばむような口付けを交わした後、ゾロとサンジは二人仲良く毛布の中で身を寄せ合って夜明けまで、仲間抹殺の手口をあれこれと算段していただなんて。


「なにそれ、美味しそう」
「これはマリモ専用の焼きおにぎりだよ」
土鍋に残されていたお焦げをもう一度香ばしく焼いて、見目麗しく整え食卓に置いた。
居眠っていたゾロがぱっちりと目を覚まし、鼻をひくつかせる。
「ああ、これは好物だ」
言ってから、傍らに立つサンジを見上げた。
「好きだぞ」
きょとん、とサンジが見返す。
まっすぐに見返してもう一度言った。
「好きだ」



――――は?

凍りついた一同を尻目に、ゾロは悠々と焼きおにぎりに齧り付く。
その頭にトンとトレイを打ち付けて、サンジは背中を向けた。
「合格」




「今の・・・なに?」
「好きなのは焼きおにぎりかしら」
「や、違うだろ雰囲気的に」
「でもゾロはおにぎりが好きだぞ」
「俺も焼きおにぎりが食いてー」
ひそひそと囁き合う仲間達の声に背を向け、サンジはいそいそと緑茶を淹れ始めた。


愛してるだとか離さないだとか、お前だけだとか。
約束なんてしないけど、叶うならばずっと共に居て、見て触れて感じていたいと思う。

お互いがそれを望むなら
傷跡に触れる指もきっと、熱くて甘い―――



END




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★大好きsheさんからのリクエスト、なんとかクリアできたでしょうかドキドキドキ(笑)
sheさんは300万もgetしてくださっているのです、ありがとうございます。
最初にお話いただいたとき「いろんな意味で難しい〜」と焦りつつも、どんどん妄想が暴走したのは否定しません。
はい楽しんで書きましたごめんなさっ・・・(あ、痛っ石投げないでっ)
こんな私ですが、なんとなーくフランキーやブルックといった年長組には目撃させたくなかったので、勝手ながらメリー号頃の設定とさせていただきました。
これ以上は冗長になるかとゾロサン初エッチまでは辿り着けませんでしたが、また機会がありましたら後日談的に語れるといいなあと思っております(希望か:笑)
難しくもやりがいのあるリクエスト、ありがとうございました。
愛をこめてsheさんに捧げます。



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