約束



海辺の街は、日の入りが長い。
穏やかな春の海に、名残惜しげに黄金色の光を放ちながらゆっくりと陽が落ちる。
足元の影の長さが、閉館時間が迫っていることを告げた。
ゾロは事務所を出ると、点検を兼ねて館内を静かに見回る。

霜月郷土資料館は、村営の小さな施設だ。
明治初期に役場として建設された建物を、改築して資料館にしている。
トスカーナ風の円柱と寄棟瓦葺の屋根が合わさって、和洋折衷の独特な雰囲気だ。
平日ともなれば終日閑古鳥が珍しくない施設だが、今回の特別展で珍しく賑わっている。
今日も、後30分で閉館時間だというのに数人の人が滞在していた。

ゾロはゆっくりと時間を掛けて、見学順路を逆に回った。
受付の女性に労いの言葉を掛け、表の看板をひっくり返す。
そうしてまた、今度は順番通りに見て回った。
さきほどすれ違った見学客たちは、順次資料館を後にしたらしい。
最後の一人が、2階の特別展示場の前で先ほどと同じ姿勢のまま佇んでいた。

夕日が朱色を帯びて、古びた木目の廊下に長い影を落としている。
茜色に見えた髪は、蛍光灯の下では艶やかな金髪だった。
「すみません、もう閉館ですか?」
ゾロの視線に気付いたのだろう。
心持ち残念そうに、若干詰るように問いかける。
「いいえ、まだ30分あります。どうぞごゆっくり」
実際には後23分だが、そう答える。
こんな辺鄙な資料館にわざわざ足を運んでくれたお客さんなのだ。
無下にはできない。

ゾロはさりげなく、客を観察した。
ゾロとそう歳は変わらないだろう。
背丈も同じくらい。
けれどゾロよりはほっそりとした、若い男だ。
混じりけのない金髪に、白い肌。
こちらを向いた時、瞳は明るい青色をしていた。
ノース生まれの特徴だ。
もしかしたら、特別展に興味を引かれて来てくれたのかもしれない。

「この展示品は、今回初公開なんです」
ゾロは、青年の邪魔にならないようにさり気なく距離を取りつつ近付いた。
青年も、ぎこちなく相槌を打つ。
「そうみたい、ですね」
「村人の蔵にずっと、大切に保管されていました」
「それが、展示の許可が出たんですか?」
「ええ」

ノースブルーの至宝“バラティエの世界展”
2世紀前、霜月岬で難破し救助されたバラティエ侯爵が船に積んでいた財宝だ。
侯爵は村人の看護で一命を取り留め、数年滞在した後、再び海に出て故郷を目指した。

「その時、村人の元に残していった調度品の数々です」
壺や花瓶、小物入れに置時計。
いずれも見事な細工物で、宝石が嵌めこまれているものもある。
いかにも、価値のありそうな芸術品だ。
「これほど見事なものが、よく今まで残っていましたね」
欲に目がくらんで誰も売り払おうとしなかったのか、との意を言外に汲み取って、ゾロは素直に頷いた。
「戦時中も、徴収されないよう村ぐるみで用心したと聞いています」
「そんなに、大切に?」
ゾロは、横を向いて青年に語り掛けるように視線を合わせた。
「これはね、預かりものなんです」

その昔、故郷に帰ると決めた侯爵は今まで世話になった村人たちに礼を言い、船から持ち出した財宝の一部を村に残した。
『いつの日か、必ず帰って来ます。その日まで、預かっていてください』
「預かりもの?」
「ええ、ですから村人は侯爵がいつ帰って来てもいいように、ずっとずっと、大切に預かってきたのです」

青年は感に堪えたように、ゾロから視線を外して展示品に見入った。
「よく今まで・・・さぞかし大切にとっておいたんでしょうね」
「ええ」

ゾロはいったん言葉を切ってから、視線を下げた。
「ずっと蔵の中に仕舞われていて、でも定期的に手入れはされていました。何度か鑑定を進める話も出たのですが、当主がガンとして受け入れませんでね。昔、この財宝は侯爵からの預かりものではなく奪ったのではないかと、口さがないものに言われたことがあって。当主は激怒して、それ以来門外不出になってました」
「そんなことが・・・」
「それでね、俺がなんとか口説き落としたんですよ」

いくら預かっていると言っても、これではまさしく宝の持ち腐れだ。
蔵の中でひっそりと仕舞いこまれたままでいいはずがない。
きちんと人の目に触れさせて、価値を認めてもらうべき品々のはずだ。

「だから俺は学芸員になって、正式に村の職員として祖父を説得しました」
青年は、目をぱちくりと瞬かせた。
「ってことは、この品々は貴方の家の蔵に眠っていたのですか?」
「そうです」
「じゃあ貴方のご先祖が、侯爵を助けられた」
「そうです」

青年は、そうだったのか…と小さく呟いた。
けれどゾロは、悲しげに目を伏せる。
「この展示品たちは、この先もずっと預かりもののままです。引き渡すべき侯爵は、もういない」
「――――・・・」
「ノースブルーに向かった侯爵は、北の海で嵐に遭い船もろとも沈みました。必ず帰ってくるとの約束は、果たされませんでした」
青年は、ほうと小さく息を吐いた。
「それでも、ずっと大切に預かって来てくださったのですね」
「俺の祖父も、その父も。そのまた父も、一度取り交わした約束は違えません」
「貴方も?」
「ええ」
永遠に叶えられることのない約束だとわかっていても、愚直に守り続ける。
主を失った遺品の、守り人のように。



「ルブニール海峡で船は沈みましたが、女性と子どもが数人、救助されたことを知っていますか?」
青年の声に、ゾロは驚いて顔を上げた。
「その中に、侯爵の妹もいました。ただ、引き上げた先が戦乱中のフレバンスだったため、長い間難民生活を強いられたようです。妹は異国の地で結婚し、多くの子と孫を儲けました」
青年が、調度品を見つめたまま言葉を紡ぐ。
「その孫が、戦後ノースブルーに移り住み再び永住権を獲得しました。そして正式に爵位を取り戻したのが、20年前のことです」
「・・・そうだったん、ですか」
「先日父が亡くなり、俺が正式に爵位を継ぎました。サンジ・ド・バラティエと申します」
ゾロは、まるで雷にでも打たれたかのような衝撃を受けた。
いま目の前に、先祖代々待ち焦がれた人の子孫がいる。

「それは、なんとも・・・」
なんと言っていいかわからず、ただ感激の面持ちで立ち尽くした。
サンジと名乗った青年は、困ったように首を傾げて微笑む。
「あの、もちろん身分証明とか必要だと思いますし。すぐに信じて貰えるとは思いませんが」
「いいえ、信じます。わかります」
ゾロは興奮して、青年の両手を取るとしっかりと握りしめた。
「思えば、貴方を一目見た時から無意識にわかっていたのかもしれません。ノースの特徴をよく表したその髪も瞳の色も、いえ、それがなくてももしかしたらわかったかもしれない。ずっと待っていた人だと」
そこまで言ってから、あっと気付いて手を離した。
「すみません、つい・・・」
「いえ」
いつの間にか日はとっぷりと暮れ、艶やかな朱色が西の空を覆っている。
ガラス窓から差し込む夕日に、二人の顔も赤く染まって見えた。

「こうして、特別展を開催した甲斐がありました。子孫の方が見に来てくださるなんて、感激です。早速、返還の手続きを取らせていただきます」
慌てて言い添えるゾロに、サンジは両手を差し伸べた。
「いえ、引き取りに来たんじゃないんです」
「でも、この日のためにお預かりしていたんですよ?」
「俺もこんなことになるなんて。偶然この街に来て、偶然企画展のポスター見ただけなんです」
それに―――と、言葉を続ける。
「俺がこうして貴方に出会えたのも、預かっていただいていた調度品を貰い受けるためじゃないと思うんですよ」
今度はサンジが、ゾロの両手を取って握った。

「もしかしたら俺は、約束を果たしに来たのかもしれません」

必ず戻ってくる。
再び帰ってくるから、それまで待っていてと。
そう約束して別れたあの日を、知るはずもないのに。

東の空に、星々が瞬き始める。
閉館を告げるチャイムが鳴るまで、二人はずっと手を繋いで見つめ合っていた。


End