勿忘菫


「今日の当番はサンジか?」
匂いが漂って来ただけで、パティはズバリと言い当てた。
「おでんだな」
「寒くなってきたから、あったかいもんは助かるなあ」
「なんでか知らんが、付け合せはおはぎだぞ」
どっこいしょと年寄り臭く呟いて、古参のスタッフ達が厨房の隅に腰掛けた。
大鍋からそれぞれ取り分けて、いただきますと手を合わせる。
「だしの旨みが効いてんな」
「前は確か筑前煮で・・・」
「炊き込みご飯にけんちん汁、散らし寿司の時もあったな」
「むしろ、賄い飯からどんどん遠退いてってるよな」
フレンチレストランの従業員とは言え、個人的には和食の方がありがたい。
だから誰も異を唱えないが、サンジの作る料理が殆ど和食一辺倒になってきていたのは誰しもが気付いていた。
「そういえば、最近やけに中庭が綺麗になってないか?」
「サンジだよ、休憩つうと煙草吸いながら草むしりしてる」
「けどもう12月だから、今草生えてたってほとんど伸びねえじゃねえか」
「なんか知らんが抜きたいんだとよ、こないだ球根の新芽を抜こうとしてオーナーに叱られてた」
「いじりたいんだな」
「いじりたいんだ」
フロアで一人黙々と清掃作業をしているサンジを眺めながら、パティはほうと溜め息をついた。
「まるであれだな、ええと・・・」
「ホームシック」
「そうそう、それだ」
実家に住んでいてホームシックもクソもねえだろ。
誰しもが脳内で突っ込んだが、声には出さない。
「そう言えばよ、こないだラジオ聞いてたら言ってたな」
ふと思いついて、パティが口を挟んだ。
「なんでも今、行きつけの農家ってのがブームなんだってよ。グリーンツーリズムとかどうとかで、一旦遊びに行った農家を行きつけにして何度も通うリピーターっての?そういうのを狙って、田舎の方からあれこれ戦略してるらしいぞ」
「ってことは、サンジもそれに引っかかったのか」
「かもな、根が単純だし」
「しかしなあ」
おでんから立ち昇る湯気でサングラスを曇らせながら、カルネが首を捻る。
「なんでサンジがよりによって田舎なんだ?大体田舎っつうと虫がいるだろ」
「おう、いるないる」
「むしろ田舎の方がゴキブリは少ないみたいだぜ、そん代わり見たとこもねえ虫がわんさかいるらしい」
「そんなの、サンジは嫌がるじゃねえか」
「だよなあ」
それによ、と別のスタッフが口を挟んだ。
「田舎の平均年齢は高いだろ」
「おう、べらぼうに高えな」
「町行くお姉ちゃん・・・ってか、そもそも町がねえ」
「賑わいがねえよな、しかも周りを見渡せば割烹着姿のおばちゃんばっかだ」
以前、村祭りのスナップだと言って写真を見せてもらったことがあった。
あれはまさに、高齢化社会の縮図そのもの。
真ん中で笑っているサンジが掃き溜めに鶴と見えた。
そもそも、バラティエにいる時点でそうなのだが。
「あの女好きが、何を好き好んでお姉ちゃんのいない村に行く?」
「そうそう、しかも田舎モンてのは粗野で野暮だ」
「デリカシーってもんがねえ」
「サンジが一番嫌がる人種だよな」
「なのに何を好き好んで、んなとこに通ってんだあいつは」
なんとなく、全員が計ったようにフロアへと目を向けた。
仲間の視線にも気付かず、サンジはモップの柄に両手を預けて、ぼうっと窓の外を眺めていた。
ふっと肩が下がるほど大きな溜め息をついて、また床掃除を再開させる。
「アンニュイだな」
「センチメンタルだ」
「黄昏れてんだろ」
「恋しいんだよ、緑が」
言った本人が、ぷっと噴き出した。
「緑・・・緑だよなあ」
「見事な緑だったな」
「つか、それで恋しいのかよ」
「あー、そりゃあしょうがねえ」
サンジ行きつけの農家であるロロノアが、おっさん達を伴ってこの店にやってきた日のことは、まだ記憶に新しい。
あの日のサンジのはしゃぎようといったらなかった。
自分で抑えているつもりなのだろうが、口元はにやけてるし足取りは踊るように軽やかだったし、時折
鼻歌まで飛び出してまさに上機嫌だった。
ロロノアをオーナーに紹介するときも照れつつ自慢するようなちぐはぐな動作で、さりげなさを装って見事に失敗していたから、傍から見ても微笑ましいねとしか言いようのない弾けっぷりだった。
「しかしなあ」
「・・・だなあ」
「まあな」
「けどよ」
何かを言いかけて、けれど誰も言えなくて、ただ顔を見合わせ肯き合う。
「サンジが人を恋しく思えるんなら、上等だな」
「だな」
酒も飲んでないのに酔ったような気分になって、カルネはずずっと鼻を啜った。
「オーナーも、そこんとこ承知してんだろ。何も言いやしねえ」
「なら俺らが口を挟むことじゃねえさ」
「だな」
「せいぜい色付かない針葉樹の緑でも眺めて、溜め息ついてりゃいいさ」



「おい、お前らっ」
いきなり怒鳴り声が飛んできた。
「何ちんたら食ってやがんだ。もう店開ける時間だぞ、じじいがいないからって油売ってんじゃねえよ!」
「ほらきた」
「うーっす」
怒号に首を竦め、でかい身体を丸めるようにして慌てておでんを掻き込む。
「ちったあ人恋しくしてくれてた方が、うるさくなくっていいやな」
「まったくだ」
スタッフ達のひそひそ声など耳に入らず、サンジはまた木枯らしの吹く庭へと目を向けた。
綺麗に草が抜かれた花壇の中で唯一生き残った返り咲きの菫が、ひっそりと可憐な花弁を揺らしている。



END



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