忘れ水  -4-


上がるまでもうしばらく掛かるからとのサンジの言葉に、ゾロは一足先に家に帰り待ちかねた風太を散歩に連れて出た。
近所を一回りしてトイレを済ませた後餌をやり、そのまま軽トラの荷台に乗せ店へと戻る。
とっぷりと日も暮れて月明かりもおぼろげだが、夏の夜はどこか昼間の匂いを残して賑やかだ。
あちこちの家で部屋中に灯りが灯り、駐車場には複数の車が止まっている。
明日の朝、早い時間から出立する家族もいるだろうに、普段は夜が早い山際の家々までも名残惜しげに灯りが点いていた。
バックミラーで背後を確認すると、風太は荷台の手すりに前足を乗せ、すっくと胸を張っている。
風を受けて前を見据える立ち姿はなかなかに堂に入っていて、まだ幼さを残しながらも逞しかった。

農道をひた走ると、背高く生い茂った道端の雑草の向こうにレテルニテの灯りが見えてきた。
田んぼの中にぽつりと建つ一軒家。
赤い屋根の平屋の建物。
大きく取られた窓から、黄色味を帯びた暖かい光がぼんやりと浮いて見える。
何気なく通っていて、ふと目に付いたら思わず誘われるように近付いてみたくなる光景だ。
この農道が、他に通り抜けできない行き止まりの道であることが少し残念だ。

誰でも歓迎するような、あの明るい場所に自分の居場所があることが、ゾロは単純に嬉しい。
こうして車で乗り付けて風太と共にサンジの元に戻ったなら、もし誰かが傍からこの光景を見ると、自分もその中の一つとして捉えられるのだろうか。
この一枚の絵のように美しい幸せな風景の中に、ゾロも風太も含まれるだろうか。
そう思うと、今ここにあることが奇跡のようで幸せだと、今更ながらしみじみと思う。


「ただいま」
「おかえり。お、風太も来たか」
サンジを見て飛びつかん勢いでバタバタする風太を、外まで出迎えにいって一頻り撫ぜて構う。
「ごめんな〜風太は店に入れねえの、ここで我慢なー」
戸口の横でハグしまくっていると、ゾロが助手席からフリスビーを取り出した。
「これでしばらく遊んでやれ。今日はあんまり構ってやってねえだろ」
「あ、でも帰って夕食・・・」
「袋麺持って来た。中で作ってやる」
やた、ゾロのラーメンと単純に喜ぶサンジを、風太にするのと同じように頭をぐいぐい撫でてやると、ゾロは店の中に入っていった。

明日の仕込みは済んだようだが、昨日より明らかに量が多く種類も増えている。
お盆最終日で帰省する人も多いだろうし、客の動向は店を開いてみるまでわからない。
万が一残ったとしても、最終日の打ち上げでスモーカー達と分け合えばそれで終了だろう。
窓の外で、サンジは風太とフリスビー遊びに興じていた。
風太がフリスビーに跳び付くのと同じタイミングでサンジもジャンプしているのがおかしくて、カウンターから眺めやりながら一人でにやにやとしてしまった。
ガラスに映った己のだらしない表情を目にして、慌てて顔付きを改める。
こうしてカウンターに立ってみると、フロアで働いているのとはまた違った景色が見えて面白い。
サンジは、ここでこんな風に周囲を見渡し、調理しているのだろうか。
時に店の外の景色にも目をやって、中で食事を楽しむ人達の幸せそうな笑顔に、満足しているのだろうか。
これはこれで悪くないと、どの立ち居地に立っても居心地のいいレストランを再認識した。

「飯、できたぞ」
「サンキュ、風太ーお遊び終了〜」
まだだよ、と言いたげにわほっと一声鳴いた風太をぐりぐり撫でて鎖に繋いだ。
子どもながら聞き分けのいい風太は、それでも少し残念そうに首を傾げつつ、扉の横に尻をつけてぺたりと座る。
はっはと腹を揺らして息をする風太の前に水を置いてやり、サンジは表で手を洗って中に入ってきた。
「うまそー。そう言えば、腹減ってたな」
「匂いで思い出すって、あるよな」
冷蔵庫に握り飯あるんだと、レンジで温めてお漬物を添えた。
「有り合わせで悪いな」
「それ、俺の台詞じゃん。つい仕込みに夢中になって付き合せちまって」
二人でカウンターに並んで座り、いただきますと手を合わせる。
「昨日より品数多くねえか?」
はふはふと熱いラーメンを啜ると、すぐに鼻の頭に汗が浮かんだ。
「うん、ランチは変わってねえんだけど、カフェ・ブッフェはちょっと増やそうと思ってさ」
ピザとかパスタとかライスコロッケとか、スイーツ以外の軽食を添えるのだという。
「それはすでに、デザート・ブッフェっつわねえんじゃねえか?」
「そこは突っ込まないように」
リヨさんの息子に言われたことを、やはり気にしてるんだろうか。
率直に尋ねると、サンジは口から麺を数本垂らしたままぐるりと瞳を巡らした。
「いやー気にしてるっていうより、あそうかって思ってさ。やっぱ食ってるとどうしても口ン中甘くなるし、ちとしょっ辛いモンとか入るとまた次に食べやすくなるしな」
「・・・そうまでして全部食わなくてもいいだろうに」
「やっぱ食べ放題っつうと全部食いたくなるじゃん。食って貰えると俺も嬉しいしさ」
シモツキに来るまでは、ゾロの丼勘定的な農業経営をあれほど心配していたくせに、いざサンジがレストランを経営しだしてからゾロの方が気がかりになってきた。
ぶっちゃけ、サンジはサービス過多で平気で採算を度外視する。
自分の労働力は価値の内に入ってないとでも思っているのだろうか。
「確かに客は満足するだろうが、そういうのはお前が元気で働けるからこそ、できることだぞ。自分さえ頑張れば大丈夫とか、そりゃあ元気でなんでもできるうちにはそれで通るだろうが、もし怪我でもしたり病気になったりして、思う通りに動けなくなったらそれまでだ。自分の値打ちってモンもちゃんと位置付けておかねえと、善意だけで経営は成り立たねえんだからな」
つい小言のような口調になってしまった・・・と思ったら、サンジが目を丸くして見返してくる。
「・・・なんだ?」
「なんだろ、デジャヴュ?似たような台詞、前に俺が言ったような気がするけど」
「ああ?」
ぷっと吹き出して、麦茶を飲みながら大きく息を吐く。
「性分だから、お互い様だろ」
「だから、なんだよ」
「なんでもねえ」
まだクスクスと笑いの収まらないサンジを肘で小突いて、ゾロは丼を持ち上げ汁まで全部吸いきった。






「おはようございます、今日はよろしくお願いします」
朝から爽やかなカヤの笑顔に、サンジの相好がぐな〜んと崩れた。
「こちらこそよろしくねカヤちゃん、その他大勢」
「大勢かよ!」
「その他かよ!」
野郎共のブーイングもどこ吹く風で、サンジはカヤに付きっ切りだ。
「水はここで、おしぼりがこれ。トレイはここにまとめておくから、必要なだけ使ってね」
「はい」
そこへ、スモーカーが白いフリルを取り出した。
「あー」
「なんだ?」
カヤに向かって口を開こうとするのに、サンジが先に反応して振り返った。
「エプロン、使わないか?」
「へ?」
レテルニテは基本、黒のシンプルなエプロンだ。
カヤが着けるといつもと違うスタイリッシュさだが、確かにあまり似合っているとは言い難い。
「たしぎが、この方が似合うだろうと」
「まあ、可愛い」
広げてみれば、レトロな雰囲気の真っ白なエプロンだった。
お揃いのヘッドドレスまで付ければ、可愛いメイドさんのできあがりだ。
「カヤちゃん、可愛いー!」
サンジは思わず絶叫した。
プラチナブロンドの髪にレースのひらひらがよく似合う。
濃紺のワンピースの上から着たから、余計それっぽい。
「へえ」
「似合うなーカヤ」
「そうですか?ありがとうございます」
にこっと笑い返すと、ウソップとサンジが同時にくねくねしてしまった。

カヤのメイド姿?は思わぬ相乗効果で、ランチタイムが間もなく終了という頃になっても客足が途切れることはなかった。
今日は帰省客より地元客の方が多い。
ぶっちゃけ、食事を終えたおっさん達が別のおっさんに「ごっつう可愛い子いる」と口コミで広げたためだろう。
「いや〜しかしあのエプロンを、スモーカーが準備してくれるとはなあ」
カヤの夫たるウソップは、嬉しいような誇らしいような心配なような、複雑な心境だ。
「なんせスモーカーは可愛いもの好きだからな」
「あれ絶対、家でたしぎ着てるよな」
「たしぎちゃんが・・・うっ」
調理中にも関わらず、思わず鼻を押さえて蹲りかけるサンジに、ゾロがしれっと視線を送る。
「お前も、似合いそうだな」
「・・・へ?」
今、なんと仰いましたか?
怖くてとても確認できない呟きを残して、ゾロはスタスタと水を運びに行ってしまった。



「すごーい、ここのブッフェすごーい」
昨日ランチに来てくれた女の子が、じーちゃんとばーちゃんを連れてまた来てくれた。
都会っぽいママと一緒に、女子会みたいにはしゃいでいる。
「ホテルのブッフェよりすごいよこれ。超本格的。おんなじようなケーキをおっきく焼いてちまちま切り分けてるようなセコさがないもん」
「どれも美味しそうね、それにピザとかもある」
「おじーちゃん、わらび餅もあるよ」
この反応は嬉しいなあとニマニマしながら、サンジはテーブル席をちらりと見た。
今日もリヨさんの息子さんが来てくれている。
しかも今日は家族連れ。
奥さんと子ども二人は、おおいにデザート・ブッフェを楽しんでくれているようだ。
「また来とんの」
自分も二日連チャンなのに、カウンターに座った源さんが憎まれ口を叩く。
「あの小好かんワラシ、なんであんなのに、あないにいい嫁さん当たったかの」
「なんでかのー、しかも嫁さんに頭上がらんし」
「どこもそうですよ」
スモーカーが言うとぷっと場が和む。
「俺はよく知らないけど、あの人はすっごく家族を大事にしてんだな」
ウソップの言葉に、サンジは目を細めてそうだなと頷いた。
だからサンジは、リヨさんの息子が好きだ。

「ここはええのう、ほっとするわ」
源さんの隣でアイスコーヒーを飲んでいたじいさんが、ほうっと呟いた。
このおじいさんも源さんと一緒に昨日もきてくれたが、ブッフェなのにコーヒーしか飲んでいない。
それでも店内が混み合わない限り、ずっといてくれている。
「冬は、ここ遅うまでしてくれとるの。あれがまた好きでな」
「あ、遅うまで灯り点いとる」
「あれ見ると、なんかほっとする。あの灯りが、好きなんなー」
サンジは新しいデザートを盛り付けながら、ありがとうございますと殊勝に頭を下げた。
「見た目もあったかい感じにしたかったんで、そう言ってもらえるとすごく嬉しいです」
「こっちこそ礼を言わんとな。この村でこんだけ若い人集まんの、ここできたからだぁし」
「あと、和々とね」
スモーカーの茶々に、じいさん達は呵呵と笑って頷いた。
「喫茶店なんてあんまり行ったことぁないし、ましてやレストランとか全然縁がなかったにのう」
「ちょっと行こかって、気軽に来られるし」
「夏は涼しいし、冬はあったかいし」
「別嬪がおるしの」
それは今日だけじゃあと首を傾げるサンジに、いんやとじいさんは生真面目な顔付きで首を振った。
「あっつい中外で働いとって、ここ来るとほっとするわ」
「まるで木陰の忘れ水な」
「ああそう、見つけると感動するな」
いつの間にかおっさん達とスモーカーが意気投合しているのに、サンジはなにそれと口を挟む。
「山仕事しとると、なんでこんなとこに?と思うような場所に水が流れたりしとる。どこから湧いたか、いつできたかわからん。次に行ったらなかったりする」
「でも見付けると、ああ涼しいなあて思うんな。あれはいい」
「砂漠のオアシスみたいで」
「ちいと小さくて、ささやかやがな」
「へえ・・・」
サンジは見付けたことがないが、想像するだけで胸が潤った。
暑い日差しを遮るみたいに枝を伸ばした木陰で、そこだけ湿った空気に満たされているんだろう。
清らかな山水が湧き出して小さな流れを形作り、時に旅人の喉の渇きを潤したりして。
そんな忘れ水に自分の大切な城であるレストランが例えられたことが本当に嬉しくて、サンジは胸がいっぱいになってしまった。



「ご馳走様でした」
「ありがとうございました。表の花輪の花、よかったら持って帰ってください」
「ありがとう」
赤味を帯びた景色に長い影が落ちる頃、お客さん達は次々と笑顔で店を後にして行った。
最後の車が駐車場を出るのをスタッフ全員で見送って、深々と頭を下げる。

「今日も一日、お疲れ様でした」
「お疲れ様でした」
「ありがとうございました」
カヤはエプロンを脱ぐと、ふうと可愛らしい吐息をついた。
「疲れたろ、カヤちゃんありがとうな」
「いいえ」
笑顔で振り返り、畳んだエプロンを胸に抱いた。
「確かに忙しかったですけど、とっても楽しかったです。あっという間に時間が経っちゃって、もうこんな時間ってびっくりするくらい」
「カヤは大活躍だったもんな」
ありがとうございましたと、丁寧に頭を下げてスモーカーにエプロンを差し出せば、グローブみたいなごつい手が振られた。
「いや、それはそのままあんたにあげるよ」
「いいんですか?」
エプロンが気に入っていたのか、カヤの声が弾んでいる。
ウソップも、後ろで「お」と珍妙な顔をした。
「家で使うなりナニに使うなり、好きにしてくれ」
「ま」
「おいおいおい」
いやー参ったなあと二人して身をくねらせる若夫婦の背後で、椅子を片付け終えたゾロがぼそっと呟いた。
「それ、もう一着ねえ・・・」
「さーみんなお疲れ様でした!どうもどうも、また月末に振り込むからね」
サンジがパンパン手を叩いて、急かすように立ち上がった。
「お疲れ様でした」
「どうもありがとう」
それぞれ車に乗って去っていくのを大きく手を振って見送りながら、サンジはさてとゾロを振り返った。
「じゃ、祭りに行く準備しよっか」
年に一度のイベントを終えても、サンジはまだまだ疲れ知らずだ。




「ほんとにいい浴衣ねえ」
隣のおばちゃんは、心底惚れ惚れしたように何度も呟きながら着付けしてくれる。
サンジはそれが嬉しくて、そうでしょうそうだよねと何度も相槌を打っていた。
自分でさっさと着替えたゾロは、縁側で胡坐を掻いて隣のおじさんと一緒に先に一杯やっている。
「縫い目も綺麗で丁寧だぁよ。おかあさん、器用なんねえ」
「そうですね」
「ほんとにサンちゃんにぴったり、センスがいいわぁ」
「そうですよね」
「はいできた、とっても男前」
「わー、サンちゃん素敵ー」
孫娘達が集まってきて、きゃあきゃあと囃し立てる。
途中からシャッター音も響き出したから、写メを撮り捲ってるんだろう。

「ゾロ、お前も撮ってくれ」
サンジ自らねだるのは珍しいが、ゾロは「お」と応じて携帯を取り出した。
「おかあさんに、着た姿送りたいし。でも似合ってるかなあ」
「似合う似合う、超似合ってる」
「その色いいよねー」
「折角だから、ゾロさんとツーショットで撮ったげるう」
上機嫌のサンジと頭を寄せて、恥ずかしい感じで写ってしまった。
正月に実家に帰ったらどれほど冷やかされるかと、今から頭が痛いがまあいいか。

「あ、放送入ったよ」
「音楽聞こえてきた、一緒に行こう」
女子中学生達に手を引かれながら、サンジが「ゾロも」と振り返る。
縁側の向こうでは、連れてきて繋いでいた風太が「クン」と遠慮がちに吼えた。
「風太もな、一緒に行こうな」
「さあ、電気消すよーみんな出るよぅ」
おばちゃんの音頭と共に、お隣さんちからわらわらと人が出始める。

人に囲まれて歩いている内に、いつの間にかゾロと隣り合わせになった。
やっぱこいつのが浴衣似合うよななんて、嫉妬半分見蕩れ半分でチラチラと隣を盗み見る。
ゾロは、足元にまとわりつく風太を蹴らないように、俯いて躓きながら歩いていた。

―――俺が忘れ水でいられるのも、こいつが枝葉を繁らせてどんと生えてくれてる大樹のお陰だ。
そう思ってから改めて照れて、サンジは火の点いていない煙草を咥えながら、風太に連れられ祭囃子が響く公民館へとゆっくりと歩いていった。


END



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