空蝉 -6-



うだるような暑さの中で、なぜ人は笑顔になるのだろう。
なんてことを、サンジはぼうっと頬杖を着きながら考えていた。
今だって、ガラス窓一つ隔てた道路をやけくそみたいな超笑顔の中学生が自転車で通り過ぎて行った。
どう見ても一人で立ち漕ぎしてるのに、すっげえ笑顔だ。
暑すぎて、頭の螺子が5.6本緩んじゃったんだろうか。

失礼なことを考えながら、サンジはぼーっとしている。
水曜日の昼下がり。
ピンチヒッターで、和々で一人留守番だ。
たしぎはまだ回復していないし(パウリーはぴんぴんしている)、おウメちゃんちは大おばあちゃんが熱射病で倒れて入院しちゃったし、すゑちゃんちはお孫さん達がたくさん帰ってきてるし、お松ちゃんは寿会の旅行だから、サンジ一人で留守番だ。
「外は、暑いんだろうなあ」
あんまり気温が上がりすぎて、屋根の上辺りはゆらゆらと陽炎が立ち昇っている。
日中に出歩く人はあまりいない。
部活帰りの中学生くらいだ。
和々の店内も客が一人もおらず寂しいが、あと1時間もたてばおやつ時だし、少し気温が下がるからお客さんもやってくるだろう。
それまでの一休みだと思えばいい。

「ゾロ、大丈夫かな」
つい、一人ごちてしまった。
この炎天下で、ゾロはラジヘリの操縦をしているはずだ。
サンジも講習を受けたいと思ったが、向いてないから止めとけとあっさり言われてしまった。
それでいて、ウソップはいつの間にか免許取っててずるいとか思ったが、まあ操縦ミスなんかしちゃったらオオゴトだから、その点ウソップは得意そうだしな。
―――なんてことを考えていたら、庭かに空が曇ってきた。
窓越しに眺める景色が、いつの間にか違っている。
遠くでゴロゴロと雷鳴が響き始め、あれ?と思う頃には駅前通の向こう側が灰色の飛沫に覆われていた。
「降って、来たぁ?」
まさしく、極端なゲリラ豪雨だ。
先ほど笑顔で通り過ぎていった中学生は、大丈夫だろうか。
案じつつ、サンジはなんとはなしに玄関にまで歩み寄る。

轟音を立てながら、大粒の雨がアスファルトを叩くように降り始めた。
あっという間に足元に水溜りができて波紋が広がっていく。
側溝に流れ込むのに、追いつかないようだ。
こういった光景は、田舎でも都会でもさほど代わりがないのかもしれない。
これがアスファルトの街中じゃなく、田んぼだったらどれだけ雨が降ろうともそう変わらないのだろうけど。

「すっげえ雨・・・」
一人呟きながら、煙草を取り出して火を点けた。
店内は原則禁煙だけれど、時間帯に応じて分煙にもなっている(スモーカーもいるから)。
一人の時は吸ってもいいよと言われているので、いまは遠慮なく煙草を吹かして暇つぶしだ。
「・・・ん?」
ふと、指に挟んだ煙草を箱に戻した。
雨に煙る商店街の歩道に、細長い影が見えたからだ。
あ、と思ってすぐさまサンジは傘を持って外に飛び出した。



「ロビンちゃん!」
呼び声は雨音に消されたか、二度目の呼び掛けでロビンは振り向いた。
片手にスーパーのビニール袋を提げている。
買い物の帰りらしい。
「こんにちは」
「こんにちは、すごい雨だね」
サンジはビニール傘を差しかけて、軒から落ちる雨垂れからロビンを庇った。
「そのうち止むと思うから、そこで雨宿りはどう?」
「ありがとう、そうさせていただくわ」

サンジにエスコートされ、ロビンは和々に入った。
肩にかかった雨の雫を静かに払いながら、店内を眺める。
「こんなお店があったのね、知らなかった」
「さあどうぞ。買い物、もしよかったら冷蔵庫に入れようか?」
乾いたタオルを差し出して、代わりにビニール袋を受け取った。
「助かるわ、お願い」
ロビンは髪を拭って、カウンターの席に腰掛けた。
スーパーで買い物するなんて似合わないとも思うけれど、なんだかちょっと嬉しいとも感じてしまう。

「可愛らしいお店ね」
「ここは、たしぎちゃんがオーナーなんだ。あと、村の看板娘が切り盛りしてるんだけど、今日は生憎みんな都合が悪くてね、俺が臨時で留守番」
「そうなの」
サンジはカウンターの中に入り、メニュー表を見せた。
「よかったらどう?新鮮フルーツたっぷりのカキ氷とか、くずきり、白玉パフェなんかもあるよ」
「・・・そうね」
ロビンは可愛らしい手書きのメニュー表を見て、すっとサンジに返した。
「雨に濡れてクーラーの効いたお店に入ったから、少し肌寒いわ。ホットコーヒーをお願い」
「了解」

外の喧騒とは隔絶された静かな店内に、コリコリと豆を挽く音が響く。
ロビンはゆっくりと立ち上がり、雑貨売り場を見て歩いた。
「とても可愛いわ、色味も涼やかでセンスがいいわね」
「さすがたしぎちゃん・・・だろ?と言いたいとこだけど、それ選んでんのスモーカーなんだよね」
ロビンは軽く首を傾げた。
「・・・あの、身体の大きな、いつも葉巻を吸ってる・・・」
「そう、旦那の方。あんなゴツい顔して、可愛いもの大好きなんだ」
こぽぽぽと香ばしい湯気が立ち昇る。
サンジは薄いカップになみなみとコーヒーを注ぎ、静かにカウンターに置いた。
「お待たせしました。ほんとはたしぎちゃんのが、淹れるの上手いんだよ」
「いい匂い、いただきます」
ロビンは雑貨ーコーナーをぐるりと回ってから、カウンター席に戻った。
両手でカップを抱くように持ち上げ、唇を付ける。

「・・・美味しい」
「よかった」
サンジは自分の分のコーヒーも淹れて、差し向かいになるようにカウンターの中で腰掛ける。
「今は夏休み?」
「ええ、一週間お休みをいただけたから、昨夜こちらに来たの」
帰ったの・・・じゃないのかなと思いつつ、サンジは静かにコーヒーを啜った。
真夏に温かいコーヒーも、またオツだ。

「新婚旅行とか、急だから無理か」
「そう言えば、そうね」
言われたから思い当たったとばかりに、ロビンは真顔で頷いている。
「今度フランキーに提案してみるわ」
「それがいいよ」
「・・・あなた方は、新婚旅行行ったの?」
さり気ない質問に、思わずコーヒーを噴きそうになった。
「・・・い、や?特に、行ってない、よ」
「そう」
どこに行ったのか、参考までに聞きたかったらしい。
「えっと・・・ちなみに、俺・・・と、相手、誰だと・・・思って?」
「ロロノアさんでしょう?違うの」
「・・・違いません」
もそもそと口ごもりながらコーヒーを啜るサンジに、ロビンは笑みを零す。
「二人のことはナミちゃんから聞いているし、フランキーもはっきりと確かめた訳ではないそうだけど、二人はパートナーだと認識していたわよ。村の人達も当然、そうでしょ?」
「う、ん・・・まあ」
そう改めて言われると困ってしまう。

「男夫婦とか言われて、びっくりしたんだけど」
「でも、そう表現されるとすぐに理解できる辺りがすごい・・・と言うのかしら」
「うん、まあそうだよねえ」
サンジはハハハハと乾いた笑いを立てた。
懐から先ほど仕舞った煙草を取り出し、吸っても?とロビンの了解を得る。
「ごめん、普段は仕事中吸ったりしないんだけど」
「構わないわ。しばらくお客さんは来そうにないし」
ロビンの言葉に誘われるように外に目を向ければ、バケツをひっくり返したような雨で白く煙っている。

「先週、星を見に行ったでしょう」
「うん、あん時はありがとうね。助かったってコビーも言ってた」
「私、余計なことをしてしまったと思っていたのよ」
ロビンが、カップにスプーンを入れて手慰みにくるくると回す。
サンジはなんで?と煙草を指で挟んで肘を着いた。
「コビーさんが、望遠鏡の準備も説明も、してくださるんだったのでしょ」
「でも正直いっぱいいっぱいだったんだ。だからロビンちゃんが説明してくれてすごく助かったって。できたら来年もお願いしたいなって言ってたから、今度本人から言うようにするよ」
「それはいいんだけど」
スプーンの雫を落として、そっとソーサーに乗せる。
「でしゃばったかと心配になってたの」
「そんなことないよ、子ども達も喜んでた。ロビンちゃんって、学校の先生みたいな雰囲気があるね」
サンジの素朴な賞賛に、ふふっと微笑む。
「教員免許は持ってるの」
「じゃあ、先生もできるんだ」
「どうかしら、現場に立ったことがないと無理でしょう」
サンジは「ああ」と思い出したように視線を宙に彷徨わせた。
「そう言えば、たしぎちゃんも教員免許持ってるって言ってたかな。みんな、なんかすごいな」
「多彩な人達が多いわね」
ロビンは頬に手を当てて、困ったように肘を着いた。

「私、今日買い物をしていたら親子連れに声を掛けられたわ。この間の星の観察会で、お世話になりましたって」
「ああ、来てた人達だったんだね」
「失礼だけど私は覚えてなくて、いえどういたしましてとあたりさわりのない返事しかできなかったの」
「仕方ないよ、暗かったから」
暗がりでも、ロビンの特徴的な美しさは目立っていたのだろう。
多分ロビンが想像している以上に、村の人達の注目を集めてしまっているはずだ。
「そうしたらまた他の人にも声を掛けられて、お店を出る時に擦れ違った人にも会釈されて」
「あるある」
サンジも、シモツキに来た当初はそうだった。
自分は知らないのに相手は知っている。
どこで見られているかわからないから、気が抜けなくて緊張もしたものだ。

「それで、フランキーさんの・・・って言われたの」
「あー」
「なんだか、不思議な感じがしたわ。私が私ではなく、フランキーのモノになったような」
ロビンが言わんとすることは、なんとなくわかった。
サンジも最初のうち、違和感を覚えたものだ。
二言目には「あーロロノアさんの・・・」とか、「ゾロさんの」と呼ばれた。
これはサンジやロビンに限ったことでなく、たしぎやカヤだって・・・いや、カヤは違うか。
カヤの場合は、ウソップが「カヤさんの~」と呼ばれている。

「結婚すれば○○さんの嫁さんとか、○○さんとこの若嫁さんとか呼ばれるんだよね。んで、子どもができたら○○ちゃんのお母さん」
「そう、そうね」
「それってムーミンママとかバカボンのパパとか、一緒だよね。ムーミンやバカボンが生まれるまではなんて呼ばれてたんだろう」
思考が脱線したサンジに、ロビンはぷっと噴き出した。
「それは、キャラクターの名称でしょ」
「あ、そうか」
「でもそうね、似たようなものかも」
ふふ、と笑うロビンの表情には、サンジが心配するような不快さはない。
「・・・やっぱ気分悪い、よね。個人の人格を否定されてるってまでは言わないけど、なんかオマケみたいに思えるじゃん」
「そうね。差し詰め私は、フランキーのオマケ?」
「それを言うなら俺だってゾロのオマケだよ。先に居ついてた方のが、どうしたって顔が売れてるし」
失礼な話だよと憤慨してみせるサンジに、けれどロビンは執り成すように首を振った。

「本来はそう捉えるべきなのかもしれないけれど、私はそう悪い気分じゃないの」
「・・・そう、なの?」
意外な言葉に、サンジはそうっと首を下げた。
「誰かのモノみたいな扱いだけれど、そう不愉快に感じていない自分自身に驚いているわ。むしろ、ちょっと心地よい感じ」
「あーそれもわかるなあ」
相槌を打ちながら、サンジは自身がロビンの意見に左右されてフラついているような気がしてきた。
でも、ロビンが言うこともわかるのだ。
それはサンジも薄々感じていたことで、ゾロの所有物じゃないぞと反発する気持ち半分、ゾロのツレだと認められてることが内心嬉しい気持ちが半分、あるのも事実。
「自分では、認めがたいのだけれど」
「うん・・・」
そうだよねえとなぜかテレて、サンジは空になったカップを弄んだ。
ロビンもコーヒーを飲み干して、空のカップを持ったまま視線を移す。
「あら」
「ん?」
「雨が、上がったわ」

話している間に、あの豪雨がきっぱりと止んだらしい。
飛沫の名残をそのままに、突然静かになった景色は、徐々に切れてきた雲の間から刺す光で余計に明るく感じられる。
「ほんとだ、極端だなあ」
「そうね、でも雨上がりって綺麗」
雨のお陰で、風は随分と冷えたらしい。
サンジは扉を開けて外を覗いた。
先ほどまでの立ち込めるような湿気と熱気は感じられず、濡れたアスファルトの匂いが鼻先を掠める。

ザザーッと水溜りを跳ねながら、目の前を軽トラが通り過ぎた。
徐行して、駐車場へと迂回する。
「あ、帰って来た」
運転しているのはゾロで、助手席はウソップだろう。
もう一台車が続いて、こちらはスモーカー達のようだ。
「あんまり雨が降ったから、仕事切り上げて帰って来たみたいだな」
せっかく、ロビンちゃんと二人きりでゆっくり話しできてたのにー・・・
サンジがそうぼやくと、ロビンはそうねと同意しつつも腰を上げようとはしない。

「うおー暑い暑い!」
「すっげえ雨だったな、ずぶ濡れだ」
「悪い、タオルー」
「ほいほい」
店に入って来た途端、けたたましく汗臭い男連中の声に満たされて騒がしくなった。
サンジは咥え煙草で顔を顰めながら、乾いたタオルを次々と投げてやる。
「あっちー、俺アイス」
「俺も、あと白玉パフェ」
「おれ、フルーツカキ氷ね」
「なにそれ、俺もー」
「大盛りで」
騒がしくてゴメンねとロビンに囁けば、ロビンはいいえと首を振った。
「私も、おかわりをいただこうかしら。今度はアイスで」
「ん、かしこまりっました~v」
室内温度が一気に上がった店内で、サンジははしゃいでクルリとその場で回転してみせる。

雨上がりの歩道を、水溜りを避けながらベビーカーを押して歩く親子連れの姿が見えた。
そろそろ忙しくなりそうだ。


End


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