唄うたい


心の中に歌がある。
それはふとした拍子に胸の奥から沸き上がり、無意識に声となって吐き出されるのだ。
とても小さく静かな調べを伴って。


柄でもないと、密かに嘲笑う。
仕込みに熱中するコックでもあるまいに、無意識に口ずさむなど愚の骨頂。
しかもそれが、必ず決まった場面でとくれば、己の行いでも大丈夫かと首を傾げたくなるものだ。

こんな風に海も凪いだ、静かな夜更け。
仲間達は寝静まり、見張りのウソップは船を漕いでいるだろう。
穏やかな密やかなこの夜に。
汗の引いた肌にシャツを一枚引っ掛けただけの無防備な姿を曝して横たわるコックの、白い横顔を眺めながら、
俺の唇からは知らぬ内に甘やかな旋律が紡ぎ出される。

いつも同じ歌だ。
同じ旋律だ。
いつの間にか唄い慣れて、滑り出す音と共に俺は諦めに満ちた吐息を吐き出す。

俺の声の下で、滑らかな頬はかすかに朱を帯びて、耳たぶにかかる産毛がひっそりと逆立った。
狸寝入りなど、呼吸を読むまでもない。
浅い眠りからすぐに目覚めて、コックは息を潜め耳を澄ます。
聞かれているのを承知で、俺は唄うことを止めることができない。

薄闇の中、聞き覚えのない、けれど唄い慣れた切ない調べが、低く静かにたゆたい沈む。

俺は知らないふりで。
コックは気付かぬふりで。
歌だけがそこにあった。














ログが溜まるまでの間しばらく滞在した島で、過去視に会った。
いつものごとく、集団で騒がしい食卓を囲むのを、俺は少し離れた場所で眺めながら杯を傾けていた。
向かいでは、女供の世話を一段落させたコックが一服している。

「唄うたいかね、珍しい」
過去視は盲のように焦点の合わぬ目で笑いかけた。
誰にともなしにそう言ったのに、好奇心で目を輝かせたのはコックだった。
「誰が唄うたいだって?じーさん」
過去視はホッホと、それこそ囁くように笑って首を振る。
「なあに、唄うたいは歌いながら死んでいったさ。それがわしには見えるだけ」
「だから、誰が」
少し酔っているのか、珍しくしつこくコックは食い下がった。
俺の歌を知っているからだ。
俺が唄うたいだと指摘されたのを、面白がっているのだろう。

「唄うたいは歌いながら死んでいったさ。わしが視えるのはその死に様だけ。唄うたいの歌声は、数多の乙女を
 魅了し惹き付けた」
働きもせず戦いもせず、唄うたいはただ唄った。
その声に恋焦がれ、後をついて歩く娘は絶えることがなく、街を通り抜ければ娘の姿が消えたとも言う。
「唄うたいが歌を捧げるのはただ一人の恋人にのみ。故に、どれほどの娘に言い寄られようとも省みることはなく、
 果ては嫉妬に狂った女に囲まれ八つ裂きさ」
唄うたいが屍になった後も、しばらくはかの歌が風に乗って流れたと言う。


「とてもロマンチックなお話ね」
「えー、ちょっとグロテスクよ」

いつの間にか、ナミとロビンが聞きつけて話に加わってきた。
途端、コックが少しバツの悪そうな表情になる。
この場にいるのが俺だけなら、少しからかおうとでも思っていたのだろうが、ナミ達の手前ではそうも行くまい。
「歌を捧げられた恋人はどうしたの?」
「いくら歌が上手くても生活能力がなさそうだから、その恋人は愛想が尽きて離れたんじゃない?」
現実的なナミの言葉に、過去視は前を向いたままホッホと笑う。
「愛しい人は先に天に召されたのさ。だから唄うたいはただ歌っていた。誰に届くこともないその歌は、風に乗って
 消えるだけさね」
「・・・まあ」

さすがにナミも痛ましげに眉を寄せて、それからふうんと頬杖をつく。
「聞いてみたいわね、そんな風に心を虜にさせるような恋歌ってのを」
「残念ながら、嬢ちゃんには叶わぬだろうよ。今もその唄はあるが、それを聞くことができるのは愛しい相手のみ」
過去視は目を閉じたまま宙を振り仰ぎ、祝福するかのように軽く両手を広げた。
「唄うたいが愛する者にのみ、その歌は届く」

「・・・・・・」
俺は一拍置いて、コックを見た。
コックはと言えば、短くなった煙草を片手に呆然と固まっている。
頭の中で何度か反復して、それからようやく理解したのだろう。
首元からうなじ、耳から頬へとじわじわと肌を朱に染めながらぎこちない動きでこちらを向いた。
俺が見ていると思わなかったのか、目が合うと火でも吹きそうなほど真っ赤になって慌てて視線を逸らした。

「どうしたの?サンジ君随分酔っ払っちゃったのね」
ナミの指摘に目元まで潤ませて、コックはぶんぶんと無闇に首を振って肯定と否定を繰り返した。



以来、俺の中からさっぱりと歌が消えた。
今ではもう、どんな旋律だったのかも思い出せない。
ただ一つ確かなのは、俺はもう歌う必要がなくなったのだと言うこと。

皆が寝静まった、穏やかで密やかな夜―――
気だるげに寝そべるコックの傍らで、俺達は歌う代わりにとりとめもない言葉を交わしている。














         END