Under the rose -4-



初体験を済ませたからといって世界が変わる訳もなく、サンジの日常は淡々と過ぎて行った。
安アパートの一室で寝起きし、空き時間がないほどバイトを詰め込んで余計なことを考える暇を失くすことで、あの日のことを深く思い出さない日々が続いている。
それでも、時折あのホテルでの出来事が不意に脳裏を掠めて、居ても立ってもいられないほどの羞恥に悶えることはあるが、後悔はしていないとその度己を奮い立たせた。

Aは、約束どおりの前金を支払ってくれていた。
あの金額を手に出来ただけ、身体を売った甲斐があったというものだ。
むしろ、こんな身体であれほどの金額になったことの方が驚きで申し訳ないとさえ思える。
それでも、もう後戻りできない世界へ足を踏み込んだのだという事実に、恐れを感じないことはない。
DVDがいつ発売されるのか、どんな風に仕上がったのか、どんな人々の目に曝されるのか、考えても仕方がないことが頭に浮かんでは消える。





ニ週間後、Aから着信があった。
すぐには出られず、休憩時間を利用して掛け直した。
コールしている間も、無駄に心臓がバクバク鳴って落ち着かない。
「はーい、サンちゃん。仕事中だった?ごめんねえ」
印象の変わらぬ、能天気な声が届いた。
なんとなくほっとして、肩の力が抜ける。
「いえ、大丈夫です」
「そう、早速本題に入るけど、DVD完成したよ」
「・・・はあ」
おめでとうございますと言うのもおかしいだろう。
「それでね、今度試写会するから来る?」
「行きません」
これは即答だった。
Aが受話器の向こうでケラケラ笑っている。
「やっぱねー、いやいいんだよ。でもどんな風に仕上がったかとか、どんなデザインでどんなパッケージでとか、知りたくない?」
「別に」
「そう言わないでさあ」
気にならないわけではないが、やはり当人として直視するのは避けたいところだ。
「記念に、サンちゃんの分もとってあるんだよ」
「いりません」
きっぱり拒否する様子に、ひゃひゃひゃと音声が遠退いていった。
どうやら、笑い転げているらしい。

「うんまあ、それは置いておいて。今度の月曜日、午後からまた空けといてくれる?急で悪いけど」
「仕事ですか」
「次のDVDの特典で写真集付けようと思って。あ、でも安心して普通の写真集だから」
「・・・・・・」
なんとコメントすればいいのか。
「普通で、いいんですか?つか、もう次の予定が立ったんですか。あの、発売は・・・」
「発売はまだなんだけどね、デモで予約殺到した訳よ。だから次の計画を早めに立てておきたいんだ」
「そう・・・ですか。つか、そうなんですか?」
Aの言葉の意味を理解するのについていけず、サンジは携帯を持ったまましばし混乱した。
デモで予約殺到って?
なんであんなんで予約が殺到するんだ?
つか、デモってどんなの。

「まあ月曜日に実物見せて説明するし、2時に駅前で待ち合わせしようか」
「わかりました」
携帯を切りかけて、持ち直す。
「持ち物とか、何か必要なものとかありますか?」
「ないよ。今回はスタジオ入りして衣装もこっちで全部揃えてるから、身体一つで来て。体調は大丈夫?」
「はい、大丈夫です」
暗に使用後の部分のことを気遣われているのかと、ドキッとした。
けれど、風邪って話もある。
「風邪とか引かないように、気をつけます」
「うん、じゃね」
あっさりと携帯が切れた。
しばし液晶画面を眺めてから、サンジも折り畳む。

「写真集・・・?」
まだ信じられなくて、サンジは休憩室の壁に凭れてぼうっとしてしまった。
エロビデオに出てヤラレまくって、金だけ稼いで身体ボロボロで、そのうちヤク打たれたり客取らされたりして、最後はどっかに売られたりするんだろうなと漠然と想像していたのに、なんか雲行きが違う。
というか、なぜか華やかな方向に走ってしまっているように思うのは気のせいだろうか。
「なんで、こんなことになってんだ?」
一服するのも忘れて考え込んだが、答えなど出るはずもない。
ともかく、月曜日の予定を空けなければとサンジは別のバイト先に連絡を取った。







約束の時間通り、Aを載せたライトバンが駅前で待っていたサンジの前に横付けされた。
「お待たせ、早かったね」
「人を待たせるのは、嫌なんです」
張り切って待っていたと思われるのが嫌で、口を尖らせながら後部座席に乗り込んだ。
「いやいや、時間厳守ってのはいいことだよ。どっかの遅刻常習犯に聞かせてやりたいくらいだ」
運転していた、Kとか呼ばれていた男が、くっくと喉を鳴らした。
あの時は余裕がなかったが、よくよく見れば随分カクばった長い鼻をしている。
「Zのことじゃよ。あれに爪の垢を煎じて飲ませてやればよい。まあ、本人は遅刻する理由に気付いておらんのだがのう」
若いのに、えらく変わった物言いをする男だ。
サンジはえ?と目を見開いたら、その様子がおかしかったのか助手席のAがまた噴き出した。
「Kは喋りが独特なんだよ。だから撮影中は一言も喋るなって言っておいたんだ。いくら緊張してるサンちゃんでも、これは笑えるだろ」
「あ・・・はあ、いや―――」
「なんの、わしが喋らずともAが口を挟む暇さえ無くしておったではないか。なんだあのはしゃぎようは」
「しょうがないっしょ、ノリノリだったんだから」
和気藹々とした雰囲気の二人に、サンジはちょっとだけ緊張が解けた。
男主役のAV画像を撮るような輩だから、どんだけマイナーな変態達かと身構えていたけど、普通の若者と変わりない。
「今日は貸しスタジオでパパっと写真だけ撮るし。あと、また急で悪いんだけど日曜日の午前中、10時から空けといてくれる?第2弾撮るし」
「はい」
急に気を引き締めた。
あれで終わりではないのだ。
同じようなことをまたもう一度、いやこれから何度もしなければならない。
それ相応の前金を貰っているのだから、どんな仕事といえども全力を尽かさないわけにはいかないだろう。
「ちょっと、携帯掛けていいですか?」
「ああ、バイトの調整?どうぞどうぞ。いつも急でごめんな」
サンジは横を向いて携帯を操作しながら、あれ?と気付いた。
Aはサンジがバイトをしていることを知っているのだろうか。
というか、普通あれだけの大金を振り込まれたなら、しかも動機が遊ぶ金欲しさだと言ったなら、バイトなんてしてないって思うのが普通じゃないだろうか。
なのになんで、知っているんだろう。

サンジはAの横顔をチラチラ見ながら、電話先に頭を下げた。
急なシフトの変更だから、どうしても低姿勢になる。
なんとか休みを変えてもらって、誰もいない空間にぺこぺこ頭を下げ続けて携帯を切った。
「OK?」
「はい」
携帯を畳んで、Aになんで自分がバイトしてると思ったのか聞いてみようと顔を上げる。
「はい、着いたよ」
丁度のタイミングで、ライトバンは地下駐車場に入った。



何を質問できるわけでもなく、ただ黙って二人の後に着いて行った。
「もうPは来ておるかの」
「揃ってるっしょ、次の予定押してるし」
―――Pってだれだ?
新たなイニシャルが出てきて、サンジは戸惑った。
今のところ、AとK、それにBとか言う大男と得体の知れないL、そしてZにしか会ってない。

殺風景な事務所を通りすぎ、白一色のスタジオの中に入った。
予想通り、忙しげにカメラと照明をセッティングするBとLの姿があった。
けれどZはいない。
なんとなくがっかりして、それからなんでがっかりしてんだよと心中でセルフ突っ込みする。
気を紛らわせるためにぐるりと見渡して、その一角に移動式のハンガーラックを準備している細身の
美女を見つけた。

「P、お疲れさん」
「はあい」
美女はくねっと腰をくねらせて振り向いた。
なんという妖艶な仕種。
普通の女性がそんなことをしたら、ぎっくり腰でも起こしそうな荒業だ。
だがこの女性には恐ろしく似合っている。
「初めまして、貴女のメイクとスタイリングを担当させていただくPよ、よろしくね」
女性はくねっくねっと足を踏み出す度に腰をくねらせながらサンジに向かって歩いて来、手を差し出した。
大きな瞳に長い睫毛、すっと通った鼻筋とぽったりとした唇。
くっきりはっきりとした美貌に、サンジの目がみるみるハート型に輝く。
「初めまして!こちらこそ、よろしくお願いいたします!こんな美しいお姉さまにスタイリングしていただけるなんて!なんて俺はシアワセなんだー!」
一声叫び、Pの手を握ってぶんぶんと上下に振る。
サンジの豹変振りに、その場にいた男共がぎょっとして身を引いた。
Aですらぽかんと口を開けて固まっている。

「うふふ、ほんとに可愛い人」
サンジの手をぎゅっと握って軽く振ると、さっと手を払って今度は正面から両手で顔を抱きこんだ。
「髪も肌もとっても綺麗ね、メイクは必要ないくらい。一応サイズはあってると思うけど、何から着せようかしら」
すでに着せ替え人形扱いだが、美女に触れられたサンジはそれどころではなかった。
「なんでも!お姉さまにお任せします」
「あらあら、すぐ頬が赤くなっちゃうのね。やっぱりちょっとメイク必要かなあ」
まったく噛み合ってない二人の会話に、Aがくっくと肩を震わせて笑った。
「参ったなあ、サンジ女の子の前だと態度全然違うんだあ」
「驚いたのう、人間変わるもんじゃて」
呆れている男達を尻目に、サンジは一人テンションを上げている。


「じゃあ、これを着てみて」
軽くメイクを済ませて手渡されたのは、皺くちゃのTシャツと穴の開いたジーンズだ。
「これで?」
「そう、イメージとしてはやんちゃな男の子」
申し訳程度の衝立の向こうで素早く着替える。
すぐ側で飛び切りの美女が自分の着替えを待っていると思うと、こんなことなら新品のパンツを履いてくればよかったと、場違いな後悔に襲われた。
「こうですか?」
「うん、よかったサイズぴったり。よく似合うわ」
そう言って、サンジに黄色い薔薇を手渡す。
「はい、これ持って」
「はあ」
造花ではなく生花だった。
ふわりと、甘い香りが鼻腔を掠める。
「サンブライトって言うのよ、とっても綺麗な黄色でしょ」
「ええ、すごくくっきりはっきりしてますね。まるでPさんのようだ」
「うふふ、それは貴方をイメージして選んだのよ」
「Pさんに選んでいただけるなんて、光栄だー!」
カシャカシャと、乾いたカメラのシャッター音がした。
振り向くサンジをレンズで捉えて、AがBの背後で軽く手を振る。
「カメラテストしてるだけだから、そこに立ってPと話してて」
「そうよ、まだ準備中だからね。まずは柔軟しましょうか、ちょっと猫背気味よ」
「よく言われます」
サンジは薔薇を持ったまま、両手を伸ばして大きく伸びをした。
カシャカシャとシャッター音が響くが、フィルムが入っていない空写しなのだろう。
「あら、でも身体は柔らかいのね」
「ええ」
「運動とか、してたの」
「まあ色々」
言葉を濁しながらも、Pにじっと見つめられて照れたようにふわんと笑う。
その表情を、Bは黙々と納めていく。

「Pの前だと全然顔が違うんだよなあ。連れて来て正解だったよ」
「俺らの前じゃ、睨み付けるばかりじゃったからな」
「それはそれでいいんだけどね、写真集だから色んな表情集めた方がいいし」
Pに促されて、サンジは壁に手を添えて垂直横飛なんかを披露している。
ノリやすいタイプだ。

「OK」
「はあい、それじゃあ今度はこっちに着替えて貰おうかな」
「え、カメラテスト終わり?」
サンジの素ボケに、一同ウンウンと頷く。
「今度はねえ、これ」
「あ、渋いっすね」
Pが用意していたのは黒のスーツだった。
メイクを直し髪型も変えて、一転して雰囲気が変わる。
「じゃあ、今度はこれを持ってね」
手渡されたのは、ビロードのような色濃い赤の薔薇の花束。
「ああ、これこそ華麗なPさんに相応しい」
「これはローテローゼ。あらだめよ、このイメージはクールな貴方なんだからそんなにデレデしちゃ。そこで私に向かって愛を囁いてちょうだい」
「勿論」
「あ、でも声に出しちゃダメ。心の中で」
「えええっ」
漫才のような会話を聞き流し、Bは黙々とシャッターを切っている。






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