運動会




中学の運動会は、いつも文化祭と連動している。
文化祭が金曜日、運動会が土曜日。
どちらにしろバラティエの書き入れ時だから、サンジの保護者が見に来ることは一度もなかった。
そんなこと特に寂しいとは思わないし、小学生じゃあるまいしとも思う。
もしこっそりパティやカルネが覗きに来たとしたら、恥ずかしさのあまり蹴り飛ばしてしまうだろう。
もう中学生なのだから、保護者なんて観に来なくていい。
意地ではなく単純にそう思っていたサンジだったのに、ふと視界に入った観覧席の一番端に見知った顔を見つけ、その場で飛び上がらんばかりに驚いた。
すぐにコーザに問い詰めに行きたいけれど、この場を離れることができない。
なぜなら、サンジは青組でコーザは黄組だったからだ。

ハンディカムを片手に身を乗り出して撮影する保護者達の後ろで、コーザの父親は腕を組んで楽しげに眺めていた。
チェックのシャツにチノパンと、随分とラフな格好でスーツ姿の時より若く見える。
スーツはスーツでカッコいいけど、これもいい。
自分が並んで歩いたって、さほど年齢差を感じさせないかもしれない。
って言うか、丁度いいくらいかもしんない。
サンジは競技そっちのけで、保護者席に目を奪われていた。

ようやく綱引き対戦で、コーザと擦れ違うことができた。
不自然でない程度に歩みを遅らせ、素早く耳打ちする。
「お父さん、来てるんじゃねえか?」
「え?嘘」
コーザは目を見開いて、恐る恐るといった風に観覧席を振り返った。
瞳を眇めて首を振る。
「どこだ?」
「いるじゃねえか、向かって左端の上から3番目」
擦れ違いの途中だったからそれ以上はなすこともできず、サンジはぷりぷりしながら綱を握った。
コーザめ、自分の父親だってのにすぐに見つけられないなんて息子失格だ。
自分は一目でわかったというのに。
その怒りのパワーからか、綱引きは青組が勝ってしまった。



ようやく昼休憩の時間になったが、生徒たちは午後の応援合戦の着替えも兼ねて体育館で弁当を食べた。
保護者席がどうなっているのか、ここではさっぱりわからない。
「運動会っつったら、普通家族で昼飯食うもんじゃないのか?」
「なに言ってんだ、去年も一昨年もそうだっただろうが」
俄かにあれこれと文句をつけるサンジに呆れつつ、コーザはでかい弁当箱を広げた。
コンビニのおにぎりのパックを開けて並べ、同じくコンビニパックの惣菜がこれまたそのまま詰めてある明らかに手抜きな弁当。
そう言えば、コーザはいつもこうだ。
今まで気にもならなかったものが、次々とサンジに見えてくる。
「これ、親父さんが作ってくれたのか?」
「や、作ってねえだろ明らかに。俺が買ってきて適当に詰めたんだ。小学校までは親父が買ってきて詰めてたけど、もう中学生だからな。自分のことは自分でしないと」
「自分でするって、買ってきて詰めてるだけじゃねえか」
つい口調が強くなって、態度を改める。
「いや、いいんだけどよ・・・」
「まあ、確かに同じ父子家庭でもサンジんとことは雲泥の差だよな」
厳密に言えば、サンジは祖父孫家庭だがゼフはもとよりサンジ自身が料理に関して玄人はだしだから、弁当も自然とバランスも彩りもよくなっていた。
両者の差は、並べて見れば一目瞭然だ。

「今度の運動会は、俺が弁当作るから」
サンジが真剣な面持ちで言うと、コーザはきょとんとしてから笑い声を立てた。
「今度って、もう3年生だぞ俺ら。これが最後の中学の運動会じゃねえか」
だから、親父は観に来たんだろうなあと続けて呟く。
「今まで来たことなかったのに、中学の運動会は最後だから・・・」
最後―――
この一年、ありとあらゆることが「中学最後」だ。
高校に上がっても学校の生徒であることに違いはないけれど、それでももう「中学生」とは違う。
「そっか、最後か」
「俺ら、自分で思ってるよりずっと早く、成長していってんのかもしれないな」
なんとなくしんみりした気分で、サンジは自分の弁当を噛み締めた。



応援合戦までの僅かな隙を見て、観覧席をそっと覗いた。
コーザの父親は同じ場所に座って、他のお母さん方に話しかけられながらコンビニおにぎりを齧っている。
ビニール袋の中には、まだ手を付けられていないおにぎりが5つと、剥がされたパックのビニールが山ほど。
一体どれだけ入っていたんだろう。
おにぎりばっかり。
―――俺が、いくらでも作ってやるのに。
ふっくらしたご飯で、具は色々変えて。
山ほどでも作って食べさせてあげるのに。

なんとなく悔しい思いで後ろ姿を覗いていたら、学年担任のサガ先生が話しかけてきた。
隣に座り、随分と親しそうに話し込んでいる。
「サガ先と知り合い、なのか?」
「ああ、同級生だってよ」
コーザはそう言って、そろそろ行くぞとサンジを誘う。
「サガ先と同い年なんだ」
サガ先生は結婚が遅かったのか、この間子どもが生まれたばかりだ。
コーザぐらいの年齢の子どもがいる父親と同い年とは、なんとも感慨深い。
「サガ先は、親父さんのことよく知ってるんだろうなあ」
「・・・?そりゃそうだろ、同級生で結構仲良かったみたいだし」
変な奴、と言いながらコーザは同じ黄組の仲間のところへ戻る。
サンジはそうっと気配を消して歩み寄り、父親とサガ先生の会話が聞こえる場所にまで移動した。



観覧席の端に並んで座った二人に近付くべく、サンジは腰を屈め前傾姿勢でコソコソと植木の裏側に回った。
なんとなくその場でしゃがみ、つつじの根元に生えた雑草を弄りつつ耳を澄ます。
「―・・・で、こないだ挨拶行ったらそこの校長がミホちんでよ」
「げ、マジか」
「名簿で知ってたからそのつもりで行ったけどよ、実際やり辛え」
「そうか、ミホちんが校長か」
「よくなれたよなあ、世も末だ」
「相変わらず、あんな感じで」
「そうそう、ぜんっぜん変わってねえ」
同級生同志だと気安くなるのか、サガ先生の声もまたいつもと違う雰囲気だった。
まるで学生みたいに快活で弾んでいる。
「そうだ、二人目できたんだって?おめでとう」
「おう、ありがとうな」
「上の子、マナちゃんだっけ。可愛いだろ」
「そりゃあもう、目に入れても痛くねえってほんとだな」
サガ先生の子煩悩ぶりは、生徒の間でも有名だ。
子どもの話になると、いつも厳しく強面の表情が一転して、目尻が下がり口元がにやける。
イケメンが台無しと女子生徒には評判が悪いが、一部にはギャップ萌えと呼ばれ受けていた。

「自分もこの年で人の親になってさ、つくづくと思う訳よ」
「ん?」
「子育てって、大変だよなあ」
「ああ」
「可愛いだけじゃねえしよ、心配だし困るし腹立つこともあるし」
「ああ」
「ほんと、子ども育てるって大変だ」
サガ先生の、長い溜め息が聞こえる。
「ゾロ、お前ほんと偉いよ」
「いや・・・」
「今頃人の苦労がわかるって、情けねえけどさ。お前ほんと、すげえ」
「ははは」
「今頃だけどな、ごめんな」
「んなことねえよ。それに俺は――−」
サンジはつつじの木陰でぐぐっと身を乗り出した。

「サンジーっ!」
突然大声で呼ばれ、サンジはその場で地面に手を着き、わたわたと方向転換する。
どうやら集合時間が過ぎてしまったらしい。
やばい、と伏せた状態で生垣を横断し反対側からひょこっと顔を出した。
「サンジー、どこだーっ!」
「こっちだ、悪りぃ」
手を振り返しながら、中央階段を小走りに駆け下りグランドに向かう。
「なにしてたんだお前」
「や、ちょっと」
「手に泥ついてんぞ。草むしりか?」
「まあそんなとこ」
「いま毛虫大発生してっから、あんまり生垣に近付くんじゃねえぞ」
「わかってるって」
パンパンと手を叩きながら青組の輪に加わり、サンジは先ほどのサガ先生との会話を思い出していた。

いいなあ、と純粋に思う。
サガ先生は同級生で、コーザの父親の若い頃をよく知ってる。
きっとサンジとコーザのように、一緒に馬鹿やったり笑い合ったり、時に喧嘩したりして過ごしてきたんだろう。
そしてコーザは、生まれた時からずっと父親が傍にいて、同じ時間を過ごしている。
親子だから当たり前だろうけれど、サンジにはそれがとてもとても羨ましかった。
サンジが知らない、彼の世界と今までの時間のすべてを共有してみたかった。
そんなことは叶わないのだとわかっていて、悔しくて寂しくてたまらなかった。


「青組のー健闘をー讃えーっ」
応援団長の朗々とした声が響き渡る。
3年生は最前列で、観覧席に向かって応援パフォーマンスをする。
サンジは学ランに青の鉢巻姿で、顔は真っ直ぐ前を向きつつちらりと視線だけ端に寄せた。
コーザは黄組だから、興味が逸れているかもしれない。
そう思ったのに、今は一人で端に座るコーザの父親はまっすぐサンジの方を見ていた。
「・・・あ」
あからさまに父親の方に顔を向けたら、サンジを見て頷き返してくれた。
「がんばれよ」と、その唇が動く。

―――見ててくれてる!
かーっと身体中の熱が高まり、血が滾った。
さきほどまでの気落ちはどこへやら、俄然張り切ってきびきびと手足を動かす。
一番の見せ場たる3年男子のトンボ返りでは、サンジ一人だけ前方宙返り2回捻りを達成してしまった。

サンジの頑張りが甲を奏したか、応援合戦でも青組が優勝してしまった。
お前本番に強いなとクラスメイト達に口々に褒められ、いやまあと言葉を濁す。
学年別混合リレーでも軽快な走りを見せたサンジは、いつものやる気のなさが嘘のようによく目立っていて華やかだった。
女子からの人気はうなぎのぼりだったが、今のサンジに意識は観覧席の端っこで手を叩く人物にのみ集中している。

最後のお楽しみ、フォークダンスはなぜか男女ペアになることもなく、流行の歌に合わせて組単位で輪になって踊る。
フォークダンスと言えば女子と手繋ぎだろ!と去年まで文句たらたらだったサンジは、今年は「保護者の飛び入り参加とかないのか」と思わないでもなかった。
が、ちらりと観覧席に目を転じれば、どこにもコーザの父親の姿がない。
―――もう、帰っちゃったのかな。
途端に意気消沈して、肩を落としながらステップだけを繰り返す。
それでも、一日全力を尽くした運動会の余韻で気分は高揚していたし、友人達もみんな笑顔で派手なパフォーマンスダンスを披露している。
サンジの気分も再び浮上し、お互いふざけ合いながら最後のフォークダンスを楽しんだ。

結局、コーザの父親とは一度も顔を合わせられず挨拶すらできなかったけれど。
一方的にでも少しだけ近付けた気になった、運動会だった。
その夜、サンジの首元から背中に掛けて毛虫による湿疹が出てしまったが、後悔はしていない。



End


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