月の輝く夜に 4

「なにぼさっと突っ立ってやがる。入るんなら戸ぐらい閉めやがれ、このクソマリモ」
こちらを見もしないで、人形が乱暴に言い放った。
言われて、静かに戸を閉める。
内側から鍵を掛けた。
「元気そうだな。」
「嫌味か、てめえ」
サンジは顔をしかめて、手に持ったタバコをくわえる。
先ほどの人物は幻だったのかと思わせる、ふてぶてしい表情。
「いや・・・そういうわけじゃねえ。」
ゾロは手近にあったイスを引き寄せ座った。
長居する気か・・・とサンジはますます嫌そうな顔をする。
「へたれた俺でも見に来たか。お生憎さまってやつだな。」
タバコをかみながらにやりと笑う。
いつもどおり饒舌なサンジ。
「別に、どってことねえさ。チョッパーのやつ大げさなんだ。」
ゾロから視線を外して、また外を眺める。

見ているのは海か、空か。
ゾロはなんと声を掛けていいかわからず、黙って座っている。
サンジもそれ以上何も言わない。
波の音だけが繰り返される。
時折吹く潮風が、サンジの髪を揺らす。
「・・・窓、閉めた方がいいぜ。」
不意にゾロが手を伸ばした。
ひくりとサンジの肩が震えた気がした。
何もなかったように体を斜めに構えて、サンジはまたタバコの火をつけた。
「余計なことすんな。風が気持ちいいんだよ。」
サンジの言葉など耳を貸さず、ゾロは勝手に窓を閉める。
「・・・緑頭。」
子供じみた悪態だ。
窓を閉めてまた座ったゾロに、サンジは小さく舌打ちをする。
用がないのなら出て行けと言えばいいのに・・・。
ゾロはその言葉を待っていたが、サンジは何も言わない。
しばらくの沈黙の後、サンジは根負けしたように口を開いた。

「あいつら・・・どうした?」
「殺した。」
間髪入れず答えるゾロに、サンジの肩が揺れる。
「なんだって?」
「全員殺した。」
サンジがごくりとつばを飲み込む音がする。
「・・・どうやって。」
「船を沈めた。」
「避難用のボートも全部壊した。誰も浮いてこねえ。」
指先が冷たくなるのをサンジは感じた。
短くなった煙草を灰皿に揉み消す。
「・・・ひでえこと・・・しやがる。」
さも心外だと言う風に、ゾロは片眉をあげてみせた。
「生かしちゃおけねえ。」
「なんで・・・」
言いかけて、それ以上言葉は続かない。
ここでゾロを責めるのは筋違いだ。
人殺し、と詰るヒューマニズムも持ち合わせていない。
黙って新しい煙草に火をつけた。
「つまり、お前がリセットしてくれたって訳か。」
煙を吐き出し、自嘲気味に笑う。
ゾロはそんなサンジに苛立ちを覚える。
こいつは甘めえ。
自分をマジで殺そうとした奴すら、話が通じれば許しちまう。
何でもなかったように忘れちまう。
どうしようもねえ阿呆か、調子のいいお人好しか。
――――いけすかねえ。

「ああ、そうだ。」
ふと思い出して、サンジがつぶやく。
「海軍のことなら、あいつら本部に連絡してねえっつってたから、多分大丈夫だと思うぜ。」
「・・・連絡してねえ?本部は知らねえのか。」
「うーん、あの時点ではそう言ってたから・・・多分な。」
なんらかの事故で、海の藻屑ってことでいーんじゃねえの。
海を見つめたまま、独り言のようなサンジの声には何の感情も感じられない。
「なぜ、本部に連絡しなかったんだ。」
「そりゃあ、あれだ。」
煙草を持った手をひらひらさせて、サンジがうすら笑う。
「本部に言えねーこと、してたからさ。」

ゾロの脳裏に、突然あの光景がフラッシュバックした。
薄暗い部屋と。
汚れた床と。
陵辱された赤い跡と―――。
思い出し始めると、止まらねえ。
ゾロの額を冷たい汗が流れる。
いきなり黙ったゾロの顔を見つめたまま、サンジは低く喉を鳴らす
「・・・なんてえ面してんだ。余計なこと思い出すな阿呆。」
他人事のように笑うサンジの白い顔を、殴りつけたくなる。
今、自分を支配しているのは怒りだ。
奴らを皆殺しにしても収まらねえ、怒り。
何に対して、だ。
俺は何に、眩暈を感じるほど憤っている?
「男に突っ込まれるのは、初めてじゃねえしな。」
たいしたことじゃねえ、そう言いながら灰皿に伸ばしたサンジの、細い手首を掴む。
火のついた煙草を指で揉み消し、手首ごと引き寄せた。
目の前に引き攣ったサンジの白い顔がある。
ああ、これか。

ゾロはサンジの首に手を掛け、ベッドに押し倒した。





ぐう・・・と唸り声を上げて、サンジの身体が沈む。
額の金髪を鷲掴んで、顔を仰け反らせた。
首が絞まったのか、軽く咳き込みながら、サンジは弱く抗う。
もう片方の手でシャツを引っ張ると、ボタンが飛んだ。
胸元が露になる。
月明りの下でいっそう冴えて蒼白い、肌に残る、暗い痣。
サンジは一言も発しない。
ただ、爪が白くなるほどゾロの腕を掴んでいる。
掛け布の上から馬乗りになっているので、サンジの足は動かない。
チョッパーが手当した脱脂綿も剥ぎ取る。
まだ赤い歯型がそこかしこに残っている。
ゾロは全身の血が煮え滾るのを感じた。
この跡をつけた奴らは殺した。
だが、この衝動は抑えきれない。

俺は何をしたい?
これ以上の傷跡をこいつにつけたいのか?
ゾロはサンジの首元に噛み付いた。
身体が跳ねる。
なんとかずり上がろうと、必死でゾロを押し返すが、びくともしない。
サンジの爪がゾロの腕に食い込む。
ゾロは構わず、サンジの身体に残った跡を唇でなぞり始めた。
「ゾ・・・ロ―――。」
サンジの声。
「・・・欲情したか、クソ野郎・・・」

泣いているのか、ふと思ってゾロは顔を上げた。
涙などない、ただ長い前髪の間からどこを見ているのかわからない眼が覗いている。
「それとも、同情か?」
また笑う。
その顔は癇に障る。
滅茶苦茶にしてしまいたくなる。
ゾロはサンジに乗り上げて、顔を両手で覆い額をつけた。
正面から真顔で睨む。
「てめえの方が、よっぽど悲壮感・・・漂ってるぜ。」
サンジの言葉にゾロは愕然とした。

俺は、このアホを助けた。
男に輪姦されて、ぼろぼろにされたこいつを。
同情しているのは俺か。
それともこいつか―――。

ゾロの心中の葛藤など意に介さず、サンジは言葉を続ける。
「言っちゃあなんだが、俺はこれでよかったと思ってる。」
腕を掴んでいたサンジの手は、柔らかく押し返すようにゾロの手に添えられた。
「もし、浚われたのがナミさんや、ロビンちゃんだったら・・・」
サンジの頤がぶるりと震えるのがわかった。
「俺は、きっと耐えられない。」
―――俺で良かった。
心底、ほっとしたようにサンジは呟いた。
瞬間、ゾロの血が逆流する。
気が付いたら、目を閉じたサンジの顔を張り飛ばしていた。
いきなりの衝撃で、サンジの身体は壁に打ち付けられ、そのままベッドに沈み込む。
ぐったりとしたサンジの頭を掴んで、上向かせる。
「アホかっ、てめえは・・・」
荒く息をついてゾロは搾り出すように叫んだ。
「何が良かっただ、馬鹿野郎!!」
仰け反る白い首をへし折ってしまいたかった。
サンジは抵抗せず、薄目を開けてゾロを見ている。
かすかに怯えた光が見える。
「男のくせに、野郎に突っ込まれやがって・・・」
気持ちよかったか、この阿呆!・・・
ゾロの腕が怒りで震えている。
腹わたが煮え繰り返る。
吐き気がする。
こいつの面など見たくねえのに、目が離せねえ。
とっ掴まったのは俺か。
サンジは苦しげに眉を潜め、浅く息を吐いた。
口の端に血が滲んでいる。
ゾロは、サンジの薄い唇を震える指でなぞった。

サンジは気づいている。
今誰より傷ついて、血を流しているのはゾロだ。
気の遠くなるような絶望の中で、慟哭しているのはゾロだ。

薄く開かれた口元の傷を、ゾロがざらりと舐めた。
そのまま唇を重ねる。
口中を舐めまわし、深く口付ける。
サンジは目を閉じて受け入れた。
絡めた舌から血の味が広がる。
ゾロは夢中で貪った。


不意にノックの音が聞こえ、我に帰る。

「ゾロ、時間だ。」
チョッパーの声に、名残惜しげに唇を離し、体を起こす。
サンジは仰向けに倒れたまま、身じろぎもしない。
もはや言い訳の出来ない状況だ。
ゾロは仕方なく、鍵を開けた。

まるでぬいぐるみのようなチョッパーは、静かにドアを開けてちょこちょこと中に入ってきた。
サンジの様子を見て、いきなり人型化する。
「ゾロ、どういうつもりだ!」
サンジの顔には殴られた跡があり、胸元もはだけ、脱脂綿は毟り取られている。
頭一つ大きなチョッパーに睨みつけられ、ゾロは憮然とした表情で腕組みしたまま黙っている。
「これ以上サンジを傷つけるのは、俺が許さないぞ!」
なおも言い募ろうとするチョッパーをサンジの声が止める。
「俺はこの程度で傷つく玉じゃねえぜ。ナイーヴなどっかの誰かさんと違うからな。」
寝転がったまま、にやにやと笑っている。
―――本当にむかつく奴だ!
ゾロはぎりぎりと歯噛みした。
チョッパーはそんな二人の様子をおろおろと見比べている。
あきらかに暴行を受けているのはサンジなのに、立場が逆転して見えるのはどういうことだ?
「ともかく、サンジの手当てをやり直すから、ゾロは出てってくれ。」
チョッパーの命令に素直に従い、出て行こうとして戸口でゾロは振り返った。
「一週間といったな?」
きょとん、として、それからチョッパーは頷いた。
「ああ、ドクターストップは一週間だ。」
「なら、この一週間はこいつをお前に預けておく。」
こいつ、と呼ばれたサンジとお前、と呼ばれたチョッパーは顔を見合わせる。
「だが、一週間たったらてめえはてめえの身を守れるか?」
サンジは訳がわからず、顔を歪めて「はあ?」と聞いた。
「これからもチョッパーに守られてえってんなら、今のうちに頼んどいた方がいい。」
「あんだよ。なんで俺が誰かに守られなきゃならねえんだ。」
むっとして言い返すサンジに、ゾロはにやりと笑って言った。
「ならてめえは、一週間たったら自分で身を守れよ。俺がどうしようが後で文句言うな。」
サンジは目を剥いて怒り出した。
「アホ抜かせ!このクソ腹巻、てめえなんざ今この場ででも本気出せばKOだ!
 できるもんならいつでも来やがれ」
「その言葉、忘れんなよ。」
捨て台詞を残して、ゾロは扉の向こうに消えた。

後に残ったのは、ぬいぐるみに戻ったチョッパーと、困惑したサンジ。
「サンジ、なんかやばくないか。」
「・・・知るか!あのアホは今ちょっとイカレてるだけだ。」
忌々しげに煙草に火をつける。
「どうせ鳥頭だから一晩寝りゃあ、忘れるさ。一週間も物事を覚えてられる脳みそなんざ、
 残っちゃいねえからな。」
ほとんど筋肉だし・・・そう言って、煙を吐き出ながら、軽く笑った。
人間って・・・いや、この二人ってよくわからない。
チョッパーはため息をついて救急箱を手に取った。



―――そして一週間後、
サンジは自分の愚かさを呪うことになる。


END

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