月見 -5-


「そっか、リヨさんだったか」
「よかった、お礼が言えて」
心底ほっとしつつ、どこかでお婆さんが転ばないかハラハラしながら、サンジは土手の上に昇りその小さな背中が見えなくなるまで見送った。

「隣の田んぼの人だよな。確か老夫婦二人で食べる分だけ作ってるって」
「そうだ」
だからゾロが見かねて、草刈りや雑草抜きを手伝っていると言っていた。
「変な話だけどさ。自分たちが食べる分くらいだったら、除草剤使ったりしてもいいんじゃねえの?」
畑にしゃがんで間引きを再開しながら、素朴な疑問を口に出してみる。
ゾロはそれがな、と鋤を打つ手を止めてやや深刻な顔つきをした。
「昨日抜いてもらった雑草とかは、薬が効かねえんだよ」
「え?」
「変化しやがった。どんな除草剤も効かねえ」
「・・・ウソ」
急に、昨日この手で抜いた雑草が不気味なものに思えた。
突然変異って奴か?

「元々、昔は時期や種類を変えて色んな除草剤を合わせて使ってたんだな。けど、一発で何にでも効く強力な種類が開発されて、しかも健康志向でなるべく除草剤を使う量を減らそうってんで楽なタイプだけを使っていたら、いつの間にかそれに耐性ができちまったんだ」
「ひええ」
「そしたら、その雑草はほかのどんな薬剤も効かなくなっちまってた。無敵だぜ。もうこうなったら手で
 引っこ抜くしかねえ。しかも、今はトラクターなんかあちこちで借り合って使うから雑草の種が運ばれて、今じゃそこらじゅう生え放題」
「・・・すげえ」
「だろ」
困った事態でありながら、ゾロの表情はどこか誇らしげだ。

「ったく、自然ってえのはすげえよな。自分が生き抜くためにいくらでも姿変えやがる」
「・・・そうだな」
そういう考え方もあるかと、はっとした。
自然であるべきものが形を変えるのは気味が悪いと思ったのだけれど、そもそもその「自然」ってものは、なんだろう。
「進化とか、そういうものとして考えればいいのか?」
「そうだろ。そうやって動物や植物は、昔から色んなものに形を変えたり適合したりしてきたんだ」
人間の健康志向が除草剤の量を減らせて、その結果、耐性の強い雑草が新たに生まれるのも皮肉なものだ。
「植物や自然ってのは、つくづくタフだと思うぜ。よく自然に優しいとか言うだろ。ありゃ違うって俺は思う。自然は優しくもないし人間のために機能したりなんかもしねえ。むしろタフで自己中で容赦なく厳しい。だから人間の分際で自然に優しくしようってのがそもそも傲慢だ」
「自然が自己中・・・」
ゾロの物言いはおかしいが、そん通りだとも思う。

サンジは顔を上げ、改めて田んぼを見渡した。
稲刈りが済んだ田んぼは、整然と稲株が並んでいる。
まだ刈り取られない穂波は陽光を受けて金色に輝きながら、風に撫でられ揺れていた。
美しい光景だと、見る度に癒される眺めだ。
けどこれは、豊かな自然と言えるだろうか。
「田んぼだって、人の手が作ったものだ」
サンジの想いを見透かしたように、ゾロが呟く。
「山を削り道を作り、川を整備して橋を渡したのも人間だ。田舎の景色を見て自然が綺麗だなんて、ほんとは
 おかしな話だよな」
本来の自然は、荒れた山と野原が広がるだけの殺風景なものだ。
そこに人が住んでこそ、景観は美しくなる。

「自然の前じゃ、人間なんてちっぽけなもんだなあ」
思わずついた溜息に、ゾロもそうだなと低く賛同した。
「ここに住んでからつくづく、そんな想いが強くなったよ」
多分ゾロだけじゃなく、たしぎやスモーカーや、コビー達なんかもそんな気持ちを抱いているのだろう。
そして元からシモツキで暮らしている村人達も、いつか気付く時が来るのかもしれない。
ほんの数回しかこの地に来たことがないサンジですら、自然に対する畏怖のようなものが、不意に生まれ出たように。


「ぼちぼち帰るか、栗飯炊くんだろう?」
ゾロの言葉に、サンジは間引く手を止めて、ウンと頷いた。
考え事をしながら作業していた自分と違って、ゾロは随分と仕事を進めている。
土に汚れた手をはたき、痛む腰を伸ばしながらゆっくりと立ち上がった。
いつの間にか真夏のような強い日差しが照りつけていて、剥き出しだった襟足がヒリヒリと痛む。
ちょっと間引きに来るだけのつもりだったから、農園フードを被って来なかったのが悔やまれた。

「帰るか」
「おう」
いつの間に採ったのか、持ってきた一輪車一杯に収穫物を載せて、二人並んでテクテクと農道を歩く。
目の前に広がる田園風景が、昨日までのそれとはまた違った光を纏っているような気がした。







チャーミングなお婆ちゃんに貰った栗は、確かにまだ若く甘みは足らなかったが美味かった。
ほっくりと炊けた栗飯を器によそい、具沢山の味噌汁と間引き菜のオムレツを添える。
小さなニンジンは軽く茹でサラダにし、残ったものは糠漬けにした。
「栗おこわみたいだな」
「古代米使ったんだ。あともち米も」
古代米の紫色に染まった飯はお世辞にも美味そうな色ではないが、健康にはよさそうだ。
「ああ、もちもちして美味い」
「やっぱ新米だしな〜」

夕食のために炊くつもりだったのに、結局帰りの電車用以外は食べ尽してしまった。
確保してあった分に塩を振り、軽く握ってお結びにする。
こうして帰り支度をしていると、ほんとに帰っちゃうんだなと実感されて急激に寂しさが募る。
都会の暮らしに不満がある訳ではないのに、どうしてか帰るべき場所が少しずつシモツキのこの家に
移行していくのはどうした訳だろう。

今日は寝過ごすといけないからと昼寝はせずに、掃除と洗濯物だけ片付けて帰り支度を終えてしまった。
なんとなく手持ち無沙汰になって、用もないのにウロウロと台所に足を運ぶ。
「晩飯は、鍋の中にあるのそのまま温めればいいから」
「おう」
「冷蔵庫のタッパの中に日持ちするもの入れてあるし、適当に食べるといい」
「おう」
「冷凍庫にまた、パプリカのスライスとトマトのピューレ小分けしておいたから」
「おう」
「ふりかけは戸棚の左上で、その下の棚にだしの素買い溜めといたし、ラップやキッチンペーパーは収納棚にまだあるし」
えーとそれから・・・と、宙を指差してあれこれ思い出そうとするサンジに、ゾロは苦笑を漏らした。

「まあ見りゃわかるから、心配するな」
それじゃまるで単身赴任先から帰宅する妻みたいだぞとは、軽口でも言えない。
「そうだな、見りゃわかるか」
目に見えてしゅんとしたサンジの丸い頭を、衝動的に撫でたくなった。
が、拳を握り締めじっと我慢。
長年培ってきた真の忍耐力がいま試される!とか、勝手に心中で己を鼓舞してみる。

「そろそろ出るか、時間だろ」
先に立って玄関へ歩き、軽トラの鍵をポケットに入れると、サンジは荷物を抱えたままちょっと項垂れて後ろから着いてきた。
ゾロから帰りを促されたことで、一層萎れてしまっている。
しょうがねえなとゾロは後ろ頭を掻きながら、両手が塞がったサンジのために助手席のドアを開けてやった。

「今度、いつ来るんだ?」
え?とサンジが驚いたような表情で顔を上げた。
「また来月か?予定とか・・・」
ゾロの言葉にサンジは口を半開きにしたまま、ぶんぶんと首を振った。
「来月とか思ってっけど、まだ日にちは決めてねえんだ」
「でも、定休日に合わせると土日は無理だろ?」
さらに激しく首を横に振る。
「今からなら、シフト組み換え可能だから大丈夫」
あまりに意気込んで喋るから、ゾロはまあまあと宥めるように背中を押して助手席に座らせた。
「じゃあ、10月の第3日曜とか、来れるか?」
「日曜日?土日じゃなくていいのか?」
バンと大きな音を立てて勢いよく扉を閉め、エンジンをかける。
「ああ、土曜日は準備で日曜日が本日なんだ。収穫祭の」
「・・・収穫祭」
実に魅惑的な響きだ。
「いくらなんでも土日丸々休み取るのはお前もきついだろ、日・月でどうだ?」
「OKばっちり任しとけ!」
楽しみだ〜と声に出してほくそ笑んでいるガキ臭い横顔を横目で盗み見ながら、ゾロは緩やかに農道を走り抜けた。
またこうして来月も二人並んで、この道を走れるだろう。

日にちを指定して誘えば必ず乗って来るとわかっていたからこそ、今までは却って言い難かった。
サンジの好意に甘えて、徐々に胡坐を掻いて行くようになるのではないかと、自分自身に危惧を抱いていたからだ。
だが結局はこんな方法でしか、サンジを喜ばせることができない。
そのことが歯痒いと、ゾロは思っている。




「んじゃ、また来月な」
「おう、18日にな」
晴れやかな笑顔で手を振って、スキップしそうな足取りで改札を抜けていく後ろ姿を見送って、ゾロはやれやれと一つ小さな溜め息をついた。
これでは、ずっといろよと引きとめようとしていたことと、なんら変わりないのではないか。
いつかこんな約束の取り決め方が、サンジを縛ることになってしまうのではないか。
一抹の不安を抱きつつも、やはり口元が綻んでくるのは止められないゾロだ。



「来月、18日か・・・」
むふふふと自然に緩んでくる口元を必死で引き締め、無意識に胸ポケットから煙草を取り出しかけた手を止めて、代わりにリュックをごそごそ引っ掻き回したりする。
向かい合わせの座席に背中を凭れさせ、スケジュール帳を取り出して18、19日にぐりぐりと丸をした。
この日は休む。
絶対に休む。
あーもう後1ヶ月もないよと一人ごちて、シフトを誰と代わってもらおうかと思考を巡らせた。
オーナーは、サンジがほぼ毎月休みを取ってシモツキに向かうことに、嫌な顔をしたりはしない。
なんでもサバサバものを言う気質のゼフから文句が出ないのだから、問題ないのだろう。

―――収穫祭って、何すんのかなあ
やっぱり祭りだから、屋台とか出るんだろうか。
それとも今度こそ、ゾロが売り手に回るのだろうか。
その時自分は、何か役に立てるだろうか。

考えている内にまたふへへへと唇が歪んできて、サンジは大きなリュックサックを両手で抱えた。
ふわんと、ラップに包んだ栗飯の香りが鼻先を掠める。
さっき食べたばかりだけど、電車が村を離れるにつれどんどんと乗客が増えて、モノを食べるのに
憚られる状態になるだろう。
その前に食べてしまおうかと、バンダナに包んだお握りを取り出した。
いつの間にか前に座っていたおばちゃんが、あら?とばかりに視線を走らせる。
サンジはもう日一つのお握りを取り出して掲げた。
「よろしかったら、おひとつどうぞ」
「ああ、いいええ」
ほんの少しシモツキを思わせるイントネーションを残しながら、おばちゃんは笑顔で手を振ってすぐに窓の外に視線を逸らせてしまう。
ここがシモツキだったら、見知らぬ人でも一緒にお握りを頬張ったりするんだろう。
けれど、走り出した電車の中はもうシモツキじゃない。
流れる風景も刻々と色を変えて、あと2駅も通り過ぎれば山並みは姿を消してしまうだろう。

「近いのに、遠いなあ」
どこにいても、サンジが住む街は近くて、シモツキが遠い。
けれどぱくりと口に含んだ栗飯のお握りは、まだシモツキのぬくもりを残すかのように温かだった。



END


back