■月明かりは秘密を誘う



凪いだ夜の静寂に、丸い月だけが煌々と輝く。
甲板から見事な満月を見上げ、ゾロはふと足を止めた。
こんな風に月が明るい夜は、誰にも言えない打ち明け話を囁きたくなると言っていたのは誰だったか。
多くの仲間達と修行に励んだ子どもの頃。
枕を並べて、眠いのに目を擦りながら他愛もないことを飽くことなく話していた。
好きだけど苛めてしまう子。
親にも内緒の悪戯。
誰にも言えない失態。
そんな、自分の中だけではオオゴトな、けれど人が聞いたらそれほどでもない些末な秘密を、月明かりの下でぼそぼそと囁き合った。
ゾロは特にさしたる秘密も後ろ暗い想いもなかったので、つまんねえこと言ってるなあと小耳に挟みながらとっとと夢の中に落ちて行った。
ただ、月明かりの下で人は饒舌になると実体験が残ったのかもしれない。

いま、ゾロは大いなる秘密を抱えている。
そもそも、秘めておかねばならない想いを持つ状況こそ、ゾロとしては不本意なことだった。
秘めたいというのはつまり、隠し事だ。
隠し事イコール、知られたくないこと。
知られたくないと思うのは、恐れであり弱みに繋がる。
つまりゾロはいま、弱みを抱えていることになる。
世界最強を目指す自分が弱みを見せるなど、言語道断。
そう断じたゾロは、今宵月が明るいことを理由にこの状況から脱することに決めた。

秘密など持たない。
秘密に当たるものを失くしてしまえばいい。
隠したいことを曝け出し、秘密で失くしてしまえばいい。
そう決意して、善は急げとばかりにラウンジへと足を向けた。
日付が変わる前に床に入ってしまう相手だ。
さっさと行動に移してしまわなければ、今日が終わってしまう。

寄ると触ると喧嘩になる、相性最悪なこの船のコックとは仲間内では犬猿の仲で知られている。
だが、ゾロ的にはそれほど嫌ってはいなかった。
むしろ密かに好ましく思っていた。
この「密かに」が曲者で、気風のいい奴だ、飯が上手い、強いから安心して背中を任せられる・・・などのプラス要素を口に出して並べ立てるのは性に合わない。
コックに限らず、船に乗り合う仲間達全員に、ゾロはそれぞれ一目置いている。
その長所をいちいち指摘して誉めそやさなくともいいように、コックに関しても特に言い表す必要などない。
そうわかっているのに、なぜかコックに関しては過度なほど、内心での評価を無意識に下げていることに気付いてしまった。
コックの態度が生意気で、常に喧嘩を売って来るからかもしれない。
そもそもが相性は悪いのだから、相手の力量を認めこそすれ慣れ合う状況にはない。
が、好感を抱いたことにさえ裏腹に悪態を吐き、からかいめいた言葉を掛けてコックの神経を逆なでしている自覚はある。
大人げないと、自分でも思う。

今宵明るい月を見上げ、ゾロははたと気づいてしまった。
これはあれだ。
好きな子を苛めてしまうと、月明かりの下で打ち明けたいつかの悪ガキと同じではないか。

そう気付いてしまったら、いても立ってもいられなかった。
こんな矛盾を身の内に抱えては、とても世界一の剣豪になどなれはしない。
取り敢えず、秘密を秘密で失くす必要がある。
つまり、コックに思いの丈をぶつけるのだ。
お前を見ていると苛々するがムラムラもするし、好きなように触りまくって揉んだり吸ったりした挙句ぶち込みたいと、己の欲望をそのままストレートにぶつけてしまおう。
それでコックがどんな反応を返すのかなんて、知ったこっちゃない。



傍迷惑な決意を胸にラウンジに赴くと、まだ明かりが点いていた。
ただ、サンジ一人ではなさそうだ。
ゾロは気配を消して、耳を澄ませた。

『月がめっちゃ明るいよな。こんな夜は不寝番もしやすいだろ』
サンジの声が聞こえた。
そう言えば、不寝番はローだったか。
返事はないが、無表情のまま佇むローの姿が見えるようだ。
『眠気覚ましに濃い目の煎れといたぞ、あとおにぎり』
別に腹は空いていないのに、握り飯と聞いただけで空腹を覚えた。
ローのための夜食だと思うと、なおさら惜しい。
会話に耳をそばだてても、サンジが話すばかりでローからの応えはない。
せめてウンとかスンとかくらい、相槌くらい打てばいいのに。
ゾロは自分を棚に上げて、苛々した。

『なーんか、こんな風に月が明るいと気が緩むっつうか、余計なこと言い出しそうになるな』
サンジが砕けた調子で切り出したので、ゾロは「お」と思って片眉を顰めた。
『そんなもんか?』
『そうだよ』
おのれローめ、なぜこのタイミングに限ってちゃんと返事をするのか。
これでは切り出したコックの話題に食いついたようなものじゃないか。
『俺さあ、ずっと隠してたことがあんだけどよ…』
まさか、ここでロー相手に打ち明け話か?
ゾロは息を殺して耳を欹てた。
全神経を聴覚に集中させる。
『――――・・・』
ローは何も言わない。
だがその沈黙こそが先を促す空気となっているようで、コックがためらいがちに口を開く気配がする。

『こんなこと仲間には言い出せなくて、たまたま乗り合ったお前だから言うんだけど』
なんだ、なにを打ち明けるんだ。
早く言え。
『俺、実は猫なんだ』
「―――――!!」
ゾロは思わず、両掌を扉にピタリと付けたまま固まった。

今、なんと言った。
自分がネコだと、告白したのか
ネコとはあれか。
同性同士でコトに至る場合、受け入れる側のアレか。
つまり、コックのケツは突っ込んでもいい器なのか!

ゾロの胸中が、一気に歓喜に満たされた。
これはもう隠し立てを危惧するまでもなくむしろ千載一遇の大チャンス!
実は俺はネコなんだ告白は、自分こそが受けるべきだ。
『なぜそれを俺に言う』
ゾロの心の叫びを冷静に代弁したかのごとく、ローの落ち着いた声が響いた。
そうだ、なぜそれをローに言う。
言うなら俺に言え。
『だってあんた、慣れてそうだし』
ぐぬぬぬ…とゾロは歯噛みした。
確かに、ローは自分達より年嵩であれこれと経験豊かそうな男ではある。
渋みまでは至らないが、酸いも甘いも嚙み分けた感は十分滲み出ていた。
もしかしたらソッチ関係も、慣れているのかもしれない。
がしかし、告白すべきはこいつじゃねえだろ!

ふと、衣擦れの音が響いた。
『おい、膝に乗るな』
ローの戸惑うような声が聞こえる。
なんだと?
膝に乗るなと言うことは、サンジは膝に乗ったのか?
ローの膝に?!
『擦り寄るな』
『いいじゃん、誰もいないし』
俺がいるだろうが!!
スリスリと、こころなしか衣擦れの音が大きくなる。
『俺さぁ、時々無性に構ってほしくなるんだよ』
コックの声に甘さが混じった。

―――もう我慢できん!
こうしてはいられないと、ゾロは身体ごとぶつかりながら扉を開け放つ。
「待て!ネコのことなら俺に任せろ!」
どーんと効果音まで背負う勢いでラウンジに飛び込んだ。
本当にローの膝の上に載っていたサンジが、そのままの状態で垂直に飛び上がった。
ローもローでさすがに驚いたのか、反射的にサンジの腰を両手で抱きしめる。
「なにをしてる、てめえら離れっ…」
怒気を含ませたゾロの声が、途中で途切れた。
サンジはと言えば、顔を真っ赤にしてうなじの毛を逆立て、肩を怒らせている。
「な、なんだよ!いきなり入ってくんなよ!」
「おま・・・なんだその耳」
見慣れたキンピカで丸い頭の上に、ビロードみたいに艶々で黒い耳がチョコンと付いていた。
しかもサンジの動きに合わせてピタンと寝たり、ピクピク震えたりした。
「ね、こ」
呆然としたゾロの前で、サンジは赤い顔のままローの膝から降りた。
「いまお前、猫のことなら任せろっつった?」
なんだっけ。
咄嗟に記憶が途切れたが、サンジの言葉になんとか気を取り直す。
そう、確かに言った。
ネコのことなら任せろと。
ゾロは取りあえず肯定すべく、ぶんぶんと大きく首を楯に振った。
必要とあれば、俺はいまから猫マイスターにだってなってやる。
「扱いは慣れちゃいねえが、猫が望むことはなんだってしてやる」
とりあえずサンジはいま猫なので、「猫」を強調して大告白をした。
「慣れてないんだ」
サンジの探るような視線に、失望の色が浮かばないかとハラハラした。
こんなことなら道場のあちこちで昼寝していた猫を、少しは構っておけばよかった。
「熟練の腕がないと、不満か?」
ともすれば探るような言い方になるのをぐっとこらえ、むしろ胸を張って腕を組み尊大な態度で聞いてやる。
こちらを窺うサンジの瞳は、よく見れば瞳孔が縦に細くなっていた。
攻撃態勢かと思いきや、見る間に大きく丸くなった。
「構って、くれんの?」
「なにをすればいいかわからんが、とにかくホレ」
ゾロはそう言って椅子に腰かけ、自分の太ももをポンと叩いた。
サンジはおずおずと近寄り、片手の指先を丸めてチョイチョイと空を掻く仕種をする。

「俺は、お役御免か」
サンジの腰を抱いていた形のまま両手を開いていたローが、ふんと鼻息を一つ吐いて立ち上がった。
「おう、すまねえ。どうせバレちまったらしょうがねえや」
サンジは振り返りもしないで、素っ気なく返事をする。
「お前の仲間にはクマみたいなのもいたし、動物の扱いに慣れてると思ったんだよな」
サンジの勝手な物言いに、ローはため息を吐いた。
「用がないなら、見張りに上がるぞ」
「ああ、お疲れさん」
ロー(の膝?)にすっかり興味を失くしたようで、今はゾロの腹巻にチョイチョイと爪を立てている。
ゾロはそんなサンジの背中に手を添えて、もう片方の手でしっしとローを追い払った。
ラウンジを出ていくローを、サンジの尻尾越しに見送った。
いつの間に生えたのか、ベルトを少し緩めてずらしたズボンの間から黒くて長い尻尾が出ている。
どうやらサンジは、黒猫らしい。

猫の扱いに慣れてはいないものの、ゾロは取りあえず目の前にある耳の付け根を軽く掻いてやった。
サンジは気持ちよさそうに目を眇め、それからゾロの胸に自分の頬を擦り付けて首を伸ばす。
「ぐるるるる・・・」
すりすりと、素肌を擦り付けるようにして顔を巡らせるので、ゾロは好きなようにさせながら尻尾の付け根も掻いてやった。
「あー、やっぱお前、いい匂い・・・」
サンジは満足そうに目を閉じて、ゾロが撫でるに任せてぺたりと身体を寄せてきた。



以来サンジは、満月の夜ともなると半猫状態になってゾロに懐くようになった。
その日以外は相変わらず、女好きでくるりとおかしな形に眉毛が巻いた、憎まれ口ばかり叩く反りの合わない喧嘩仲間だ。
だが満月の夜だけは気まぐれな猫と化して、ゾロの腹巻にじゃれ付いてゴロゴロと喉を鳴らす。
ゾロは月を眺めながらごろりと甲板に転がって、自分の身体の上で油断しきってでろんと伸びているサンジの身体を好きに撫でた。
そうしながらも、なんでこうなったかと思わずにはいられない。
自分の秘密を解消するはずが思いも掛けずサンジの秘密を暴露され、しかもそれを共有する羽目になってしまった。
けれどこうして、猫になったサンジを好きに構えるのは結構楽しい。
同じように秘密を知りつつ、懐かれないローのことを思えば随分と気分もいい。
好きなように撫でさすって舐めて噛んで突っ込みたい欲望は相変わらずだが、もう少しこうして純粋に愛でる時間も楽しみたい。
こんな気持ちを、サンジは未だ知らないままだ。

月明かりの下、幾重にも重なる夜の漣を眺めながら、ゾロは秘密を持つのも存外いいものだと思った。



End


***

素敵な夢ネタをくださいました、七瀬さんに捧げます。


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