クリスマス


メール着信を知らせるランプがチカチカと光るのを目の端で見て、サンジは億劫そうに手を伸ばした。
頭を擡げれば眩暈がして、すぐにシーツに顔を伏せる。
熱が上がってきたのか、背中から首筋にかけてゾクゾクと悪寒が走り、歯の根も合わない。
頭までずっぽりと布団を被っても、少しも温かいと思わなかった。
「う〜〜〜〜」
誰に憚ることもなく、低く唸って歯噛みする。
片目だけうっすらと開いてメールを見ると、案の定友達からだ。
コーザを筆頭にクラスメイトの男子達が、能天気な顔文字を使ってバンバンメールを送ってくる。

『大丈夫か?生きてるか?』
『こっちは盛り上ってるよ、ケーキ持って寄ろうか?(^皿^)ゞ』
『ノリでアツシがまゆゆに告白しちったよ、やべえよww』

サンジは文面を目で追って、ふーっと熱い鼻息を吐いてそのまま携帯を閉じた。
指が震えて、返信メールを打つなんてできそうもない。
手から力が抜けると、携帯は呆気なくシーツを滑り降りベッドから落ちた。
もはや、拾い上げる気力もない。

よりによってクリスマスという繁忙期に風邪を引くなんて、ついてない。
冬休みに入っても、みな受験勉強で忙しく遊ぶ約束などはしていなかった。
それでも、クリスマスくらい気晴らししようとクラスメイトでパーティーの予定だけは立っていた。
例年ならそれなりの戦力となっていたレストランの手伝いも今年は免除され、心置きなくクリパに参加できると思っていたのに。
「ついてねえ…」
サンジは喉の奥にマグマを溜め込んでいるような熱を感じながら、深い溜め息を吐く。
ゼフは「根性が足らねえからだ」と悪態を吐きつつ、気掛かりそうにしながらも店に出てしまった。
この時期、オーナーであるゼフも家族同然のスタッフ達もみな手一杯で忙しい。
サンジもそれはわかっているから、邪魔にならないように一人でちゃんと寝ていると約束した。
風邪を引いたせいで、ただでさえ忙しい時期に余計なことで煩わせたくない。
「あー…しくった…」
いつも勉強勉強であまり店を手伝えなかったから、せめてランチタイムくらいは気晴らしと称して店に顔を出したかったのに。
即戦力にはならなくても、猫の手くらいには役に立てたかもしれない。
それに―――

クリスマスだから、ランチタイムでもロロノアさん来てくれたかもしれない・・・
休みの日は、月に2回くらいのペースでランチ食べに来てくれるよな。
一人でふらりと現れたり、会社の後輩らしき人を連れてきたり。
可愛い感じの女性と一緒だった時もあったっけ。
けどあの時は、どうやら同じ職場の男性と恋愛関係にあるってディープな相談みたいなことしてたし、ロロノアさんは信頼されて慕われてるんだなって・・・色んな意味でほっとしたっけ。
でも―――
クリスマスだから、本命の彼女連れてきてるかもしれない。
そんな場面、もし目撃してしまったら平静でいられる自信はない。
そういう意味では、こうして風邪引いてぶっ倒れててよかったかも。
チラリとでもロロノアさんの姿を見られたら、それだけで凄く凄く幸せなのに。

もし、ロロノアさんの笑顔が俺の知らない誰か(しかも綺麗な女の人)なんかに向けられていたら、その場で俺の心臓は止まってしまうかもしれない。
わかっているのに。
そんなん当たり前だと、あんなカッコいいロロノアさんがモテないはずないじゃないかと。
何度言い聞かせてても、それでもきっと俺の心臓はその時動きを止めてしまうんだろう。

そこまで考えて、自嘲するように口元を歪めた。
なんでこんなに、あの人のことばかり考えてしまうんだろう。
気が付けば、ロロノアさんのことを考えている。
先月、一緒に焼肉を食べた時のこと。
その時のロロノアさんが持つ箸の、動きまでがすべてリアルに甦ってくる。
確かに、サンジの横にロロノアさんは座ってた。
腕が触れ合うくらい近くに。
ほんの少し香るコロンは大人の匂いがして。
近寄りがたいような、それでいてこのままいきなり懐に飛び込んでも受け入れてくれるような包容力を感じさせた。
思い出すだけで胸がきゅうっと締め付けられて、サンジは思わず胸元まで引き上げた布団を両手で握り締める。

好きなんだなあ。
なんでこんなに好きなのか、自分でもわからない。
年なんてめっちゃ離れているし、なにより親友のお父さんなのに。
もしコーザが、俺のこんな想いを知ったりしたら嫌われるだろうか。
気持ち悪いって思われるだろうな。
もし、もしもコーザがゼフのことを好きになったりなんかしたら俺だって・・・
正直、気持ち悪いって思っちまう。
そんなん身勝手だとわかってるのに。

好きだけど、だからどうこうしたいとまでは思わなかった。
姿を見て声を聞いて、眺めているだけでよかった。
ロロノアさんに振り向いてもらいたいなんて、露ほどにも思ってない。
好きですって告白したら「俺もだ」なんて応えて欲しいなんて、絶対絶対望んでない。
だってそんなの、あり得ねえもの。
息子と同級生の男子中学生の告白されて、喜んで応える保護者なんているはずねえもの。

それでも、ただロロノアさんの側に少しでも近付きたいだけなんだ。
顔を見て、声を聞いてできたら話し掛けてもらえて。
一緒にご飯食べたりどこかに出かけたり。
そんなの、コーザ抜きでできるはずないんだけれども、でもできたらいつか二人で・・・どこか、知らない場所にドライブとか、できたら、いいなあ・・・
「ぅぁああああああ」
想像したら恥ずかしくなって、思わず両手で顔を覆ってしまった。
なに考えてんだ。
我ながら恥ずかしくてやってられない。
同級生の女の子となら、もっともっと現実的な妄想とか広げられるだろうに。
休日にデートしてとか、ドキドキしながら手を繋いでとか、別れ際に離れがたくなるとか、夜の公園でぶつかるみたいに初キッスをキッスを・・・
「うぉぉぉぉぉぉお」
妄想している内に、女の子の顔がロロノアさんになってしまった。
恥ずかしい、なんだかめっちゃ恥ずかしい!
可愛い女の子がでかいおっさんに代わっただけでなにこの破壊力、この背徳感。
別に、ロロノアさんと具体的にどうこうと考えたりなんかしないのだ絶対に。
そもそも、自分は女の子が大好きなのだからして。
ロロノアさんじゃなきゃ、ただの野郎とドライブしたいとか考えたりなんかしない。
もし、もしなんらかのアクシデントがあって万が一にもロロノアさんといい雰囲気になったとしても、そこから先に進むなんて考えられもしなかった。
だって、男同士だぞ。
なにをどうするってんだ、まあキスくらいはできるだろうけど。
キス―――
ロロノアさんと、キス?
あの、時折ちょっと皮肉気に口端を歪めたりする、あの、引き締まった唇、に・・・
「んごぉぉぉおおお」
喉の奥からおかしな雄叫びが漏れてしまった。
ダメだ、これ以上熱が上がったら死んでしまう。

「んの、バカっ・・・」
声に出して呟いたら、喉が絡んで咳き込んでしまった。
重い身体をなんとか捩り、寝返りを打って顔を横向きにする。
まるで重病人のようだが、熱が上がっている途中のせいか、だる過ぎて思った通りに身体を動かせない。
―――もしかして、このまま死んじまうんじゃあ・・・

ゼフが戻ってくるのは、日付が変わってからだろう。
帰ってきたら、布団の中で冷たくなってたらビックリするだろうな。
でも、だからって風邪引いたこの身体でノコノコと出て行けないし。
もう起き上がることすらできそうにないし。
でもこのまま眠ったら、二度と目が覚めないような気がして怖い。
とろとろとまどろみたくても頭が痛くて、眠れないのに起き上がれなくて、どうしようもなくて気持ちが悪い。
布団をすっぽりと頭から被ってるのに、寒くてたまらない。
ああどうしよう、俺マジでこのまま死んじゃうんじゃあ―――


「サンジ君?」
ああ、やっぱりヤバイんだ。
幻聴まで聞こえてきた。
ロロノアさんそっくりな声が、どこからか降りて来る。
「サンジ君、大丈夫か?」
ほら、やっぱり。
どこか遠い、遠いところで。
「サンジ君、ここ開けてくれ」
ドドドドドン!
やや乱暴なノックの音に、サンジはようやく瞼を開いた。
床には散らかしっ放しの服とタオル。
昨夜寝たまま読んでた雑誌、ひっくり返ったペットボトル。
その向こう側で、ぴったりと閉じられた扉からドンドンとノックの音がする。
「休んでるところごめん、オーナーに頼まれて様子を見に来たんだ」
「・・・ろっ?ろろのあ、さん!?」
夢、じゃないのか。
夢じゃなくて、ほんとに本物の、ロロノアさんが?!
サンジはパニックになってその場で飛び起きた。
頭が付いて行かず、眩暈を起こしてその場で布団の上に倒れこむも、なんとか肘で身体を支えて足だけ床に下ろす。
「ロロノアさんが、なんで」
「ああ、大丈夫か。寝てたんならごめんな」
なんでなんでと混乱しながら、サンジは床に這い蹲ってとにかく散らかされた衣類を片っ端から手繰り寄せた。
ぐるぐる丸めて、ベッドの下に突っ込む。
雑誌も同じように押し入れて、慌てて手櫛で寝乱れた髪を整えた。
「一応玄関でチャイムも鳴らしたんだが、寝てたんだろ?」
ロロノアさんの声は、扉越しでも低くて優しい。
サンジはすぐさま鍵を開けようとドアノブに手を伸ばし、動きを止めた。

「ごめんなさい、気付かなくて」
「いいんだ、今日飯食いに行ったら風邪引いて寝てるってスタッフの人に聞いてね」
口の軽い奴はパティかカルネか、余計なことしやがって・・・畜生GJだ!
「店の方が忙しいってんで、俺から様子を見に行こうかって言い出したんだ」
「そんな、ありがとうございます」
「熱が高い時に一人で寝てるのは心細いだろう?」
コーザも、ずっと父親と二人暮らしだったと聞いている。
高熱を出して寝ているコーザの側に、付きっ切りで看病していたんだろうか。
それともゼフと同じように、後ろ髪引かれながらも一人で寝かせて仕事に出かけた思い出があるんだろうか。
「オーナーからおじやを預かったんだ、勝手に台所使わせてもらったよ」
「・・・あ」
「一応温めて、いま冷ましてる。食べられそうなら・・・」
まさか、あのロロノアさんが俺のために飯を用意してくれるなんて。
サンジは、あまりの幸せにその場で倒れそうになった。
実際、酷い眩暈でいつでも倒れられる自信はある。
けど、倒れている場合じゃない。
「起き上がれそうなら、ここ開けてくれたら手助けして下まで連れて行くよ」
ロロノアさんが、この扉の向こうにいる。
俺を解放して、飯を食わせてくれようとしている。
夢みたいだ。
もしかしたら、これ夢かも。
でも―――

「あ、りがとうございます。後で、行きますんで」
「やっぱり、いまは無理かい?辛いのか」
「いえ、あの・・・」
サンジは扉に当てた手で、軽く握り拳を作った。
「俺は大丈夫です、でも、いまロロノアさんと顔合わせたら風邪移しちまう」
「・・・そんなの、大丈夫だ」
「ダメです!一応連休中だけど、連休明けに仕事あるでしょ。年末で休めないでしょ」
「それはまあ、そうだが」
「それに、コーザにも移ったりしたら大変だ。お互い受験生だし」
「―――・・・」
「だから、扉越しで申し訳ないんですが、ありがとうございます」
「サンジ君・・・」
「後でちゃんと食べに行きます。あの、できたらテーブルの上に乗せておいて貰えますか?」
「わかった、すぐに食べられるようにセッティングしておくよ。そして俺はこのまま家を出るから、そうしたら下に降りておいで」
「ありがとうございます」
「本当は、手助けしてやりたいんだが」
「いいえ、もうこれで充分です。ほんとに、ほんとに嬉しかった・・・」
そこまで言って、声が詰まった。
誤魔化そうとしたら唾が絡んで、そのまま激しく咳き込んでしまう。
「ふぇっふ、ぐふっ・・・」
「大丈夫か?」
「だ、いじょうぶっ・・・ゲフっん、ですっ」
「じゃあ、お大事にな」
「・・・あ、は・・・い、ありがと・・・ございまぅっ」
扉に取りすがり、そのままズルズルと崩れ落ちる。
すぐ側で躊躇う気配があったが、やがてスリッパの音が遠ざかっていった。
耳を澄ませば、階段を下りて階下の扉を開ける音まで拾えた。

―――ああ、行っちまう・・・
せっかく、家まで来てくれたのに。
心配してくれて、おじやまで用意してくれたのに。
ゼフも、ロロノアさんを信頼して家に寄越してくれたのに。
でも・・・

サンジはぎゅっと目を瞑った。
その拍子にポロポロと、涙の粒が零れ落ちる。
後から後から湧いて出て、何度手の甲で拭っても流れが止められない。
ロロノアさんが来てくれたのに。
せっかく、せっかく来てくれたのに・・・

ひっふ、としゃくり上げながらサンジは床を這って窓辺まで進み、なんとか窓の桟に手を掛けて身体を起こした。
せめて、ロロノアさんの背中を見送りたかった。
なのに―――
ロロノアさんは玄関から出て、そのまま2階のサンジの部屋を見上げることができる通りに、立っていた。
バッチリと目が合って、思わず固まってしまう。
窓枠から首だけ覗かせて、肘で辛うじて張り付いてる姿なんて、なんてみっともないんだろう。
そう思うと尚更、両目からボロボロと涙が流れ出た。
拭うと泣いてるのがバレるかもと、目元を押さえることも躊躇われる。
こんなに距離があるから、遠いから、きっとロロノアさんには見えてないだろう。
透明な涙の雫なんて、きっと見えない。
そう思いたい。

なのに、ロロノアさんは窓の下でどこか痛いみたいに顔を歪め、目を細めた。
何度か躊躇う素振りを見せて、足を踏み出し、また踵を戻すを繰り返す。
それから溜息と一緒に肩を落として、改めてサンジの方に向き直った。
大きく手を挙げ、左右に振る。
サンジも、ボロボロ泣きながら肘を置いたまま手だけ起こした。

さよなら、ロロノアさん。
来てくれてありがとう。
―――ちゃんと寝てろよ。
ロロノアさんは、手を振ってから両手で自分の襟を掴む仕種をして、コートを引き上げ頭から被った。
布団を着て、寝ていろと言うことか。
サンジは微笑み、大きく頷き返す。

―――またな。
ロロノアさんの口が、その3文字の形に開いた気がして。
サンジは名残惜しげに窓辺から離れると、そのまま這ってベッドへと戻った。
布団の中に潜り込むのも一苦労して、なんとか身体を横たえる。
頭痛は酷いままだったけれど、いつの間にか悪寒は止まっていた。
熱は上がりきったのだろう。
このまま眠れるだけ眠って、今度目覚めたら下に降りてロロノアさんが用意してくれたおじやを食べるのだ。
それはいつになるかわからないけれど、冷めて乾いてしまっているだろうけど。
それでもきっと、食べたことがないほど美味しいに違いないと、そう思いながらサンジは眠りに就いていた。


End