ホワイトデー



家に帰ってもどこか夢見心地で、サンジはふわっふわしたままだった。
ぼうっとしている間に夜になって、夕食には少し遅いくらいの時間にパティが部屋まで呼びに来てくれた。
店に行けばスタッフ総出でご馳走を用意してくれていて、みんなでテーブルを囲んでお祝いしてくれた。
思いがけないことに驚いて、嬉しくて恥ずかしくて、なんだかもう訳わからない状態で顔を赤らめて。
それでもサンジは素直に祝福を受けた。
みんなの気持ちが嬉しかった。

口々に「まさかG校に受かるなんてな」とからかわれたけど、サンジ自身もそう思うから腹は立たない。
まさか、自分がG校生になるなんて。
ロロノアさんというきっかけがなかったら、ありえない進路だ。
けどこうして奇跡を起こせたのなら、この先の人生にだってもっと大きな奇跡を起こすことができるかもしれない。
G校合格はなによりも、サンジの自信へと繋がった。
やればできる。
きっと、頑張れば道は開ける。
ロロノアさんとだっていつか、両想いになれるかもしれない。
行きつく先は結局そこで、将来を夢見てニコニコしているサンジをスタッフ達も微笑ましく見守っていた。

楽しい食事を終えて自室に戻れば、携帯がピコピコ光っている。
コーザからメールだ。
おめでとうのメッセージの後、14日の夜にうちに来ないかと書いてある。
『親父がお前も一緒にお祝いしたいって、めんどくさいこと言うよなあ』
「そんなことない!」
サンジは思わず声に出して叫び、それから慌てて口を押えた。
部屋で一人で叫んでいては、ゼフに怒られる。

廊下の気配を窺ってから、再び携帯を開いた。
もう一度文面をよく読んで、深呼吸して気持ちを落ち着けてから返信する。
「ありがとう。ぜひお祝いしてもらいたいから、お前んちにお邪魔する」
厚かましいかなと思ったが、ロロノアさんが呼んでくれるなら喜んでいく。
もともとコーザには遠慮のかけらも感じない。
いくらだって押しかけてやろうじゃないか。

もう今日は嬉しいことだらけで、狐にでも抓まれてるみたいだ。
ふわふわと幸せな気分でベッドに入れば、疲れていたせいかすぐに眠りに落ちてしまった。


   *  *  *


合格したからといって、のんびりしてはいられない。
翌日には再び中学校に登校し、高校からの書類を受け取った。
ちゃんと合格通知が入っていて、ああ合格したんだなと改めて感激する。

「14日に制服採寸とか、マジかよー」
頭を抱えているのはコーザだ。
きっとビビとホワイトデーデートをするつもりだったのだろう。
家でロロノアさんを交えたお祝いが夜になったのも、昼間はビビと一緒に過ごすつもりだったからだ。
それなのにまさかの、制服採寸とは。
「しかも採寸時間、午後1時から3時とかサイアク」
「…ほんとだな」
これはさすがに、コーザに同情する。
「午前中に会うか、夕方にするかだな」
「ビビんち休日の門限6時だから、途中で待ち合わせするわ」
気の毒で言葉もない。

早めに採寸を終えビビとの待ち合わせ場所に向かったコーザと別れ、サンジもまたいそいそと買い物に勤しんだ。
夕食にお呼ばれしているが、差し入れ程度に料理を持っていくつもりだ。
「ロロノアさんが夕食に呼んでくれるなんて、なんか作ってくれるのかな…」
いや、それはないなと一人で首を振る。
いいとこ、出前のピザとかそんな程度だろう。
けれどサンジは、出前のピザとか食べたことがないから寧ろそういうのは大歓迎だ。
カップラーメンとかも、一度は食べてみたい。
なによりロロノアさんと一緒に過ごせるなら、何も食べなくったって胸もお腹もいっぱいだ。



約束の時間、午後7時ちょうどにコーザの部屋に着いた。
コーザは先に帰って来ていて、チャイムを鳴らしたらすぐさま扉を開けて出迎えてくれる。
「よう」
「おう」
お邪魔しまーすと部屋の奥に向かって声を掛け、靴を脱いだ。
前に来たことがあるから、間取りはわかっている。
玄関からすぐ左側にある台所へと足を向けると、案の定と言うべきか。
テーブルの上には宅配のピザとチキン、それに出来合いのオードブルが並べられていた。
「こんばんは、お邪魔します」
「いらっしゃい」
冷蔵庫を閉めて振り向いたロロノアさんの姿に、サンジのか弱い心臓はまたしても止まりそうになった。
今夜は白いシャツ姿だ。
第2ボタンまで外された胸元は浅黒い肌が覗いていて、これがまたセクシーでカッコいい。
まさに大人の男!

「サンジ君みたいに手作りできなくて悪いけど」
手を広げてテーブルを指し示したロロノアさんに、サンジは慌てて駆け寄った。
「いえ、お招きありがとうございます」
「どうしてもお祝いしたくてね、遅くに申し訳ない」
オーナーには、俺からちゃんと断っておいたから。
そう言い添えてくれるロロノアさんは、やっぱり気配りの行き届いた大人の応対で嬉しいけれどちょっぴり寂しくもある。
ロロノアさんと自分の間に横たわるのは、多分年の差だけじゃない。

「よかった、被らなかったかな」
サンジは遠慮しつつ、持参した風呂敷包みをテーブルに置く。
「もしかしたら多いかも・・・と思ったんですけど」
「なにか持ってきてくれたのか?」
コーザよりガキっぽい眼差しで覗き込んでくるのに、ドキドキしながら包みを解いた。
「散らし寿司と、簡単なサラダです」
持ち運びしやすいように透明なカップに入れて、カラフルに盛り付けてある。
サラダには、自家製のドレッシングをこの場で掛けた。
「美味そうだ。ほらな親父、やっぱこうじゃねえと」
「ああ、やっぱりなー」
なにがやっぱりかと目を転じれば、なるほどテーブルに並ぶ料理は茶色一色だった。
サンジが持ってきたサラダや散らし寿司のお陰で、一気に華やかな食卓になる。

「あと、デザートにロールケーキ作って来たんで冷蔵庫に入れておきますね」
「ありがとう、招待してるんだか食わせてもらってんだかわかんないな」
グラスと取り皿を並べるロロノアさんに背を向けて冷蔵庫を開けたら、こちらもまた案の定と言うかなんと言うか。
庫内の3分の2がビールだった。

――――やっぱり、俺がなんとかしてやんねえと。
ロロノア親子が知らぬ間に使命に燃え、決意を新たにするサンジだ。


「改めて、二人とも合格おめでとう」
乾杯の合図と共に、お互いにグラスをかち合わせた。
ロロノアさんはビール、コーザとサンジはコーラで乾杯だ。
「ほんとは寿司くらい取ろうと思ったんだがな、コーザが肉の方がいいと・・・」
「だってよー。握りセットとかだと、食えねえネタとかあるじゃん」
「俺は好き嫌いねえよ」
「じゃあ、今度は寿司を取ろうか」
思いがけないロロノアさんの言葉に、頬張っていたピザをぐっと喉に詰まらせる。
「・・・ん、コフッ」
「大丈夫か」
口元を押さえて咳き込んでいたら、ロロノアさんが優しく背中を擦ってくれた。
大きな掌があったかくて、このままずっと咳が止まらなくてもいいとか思ってしまう。
「落ち着いて食えよ」
非情なコーザの一言に、腹も立たない。
「だって、今度とか・・・」
「いいじゃねえか、いつもサンジ君には世話になってんだし」
「親父、サンジには大盤振る舞いだよなー。サンジだって、こんなおっさんに気に入られたって迷惑なだけだっての」
「んなことない!」
ムキになって否定してから、頬を赤くしてロロノアさんに向き直り、どうもと口の中でモゴモゴ言う。
そんなサンジの様子を、ロロノアさんはビールを傾けながら笑って見ていた。

「制服を着ると、いよいよ高校生だなって気分になるだろ」
「そう、ですね」
「や、感慨に耽ってる暇ねえよ。来週テストだし」
コーザの一言で、今度はコーラを吹きそうになった。
ロロノアさんとの夢のひと時を楽しむために敢えて忘却の彼方に追いやっていたのに、なんだってこんな時に思い出させるんだろうか。
「テスト?」
「来週早々登校日があって、学力テストするんだってさ」
「ああ、クラス編成か」
「ううううう」
サンジはグラスを握り締めたまま、その場で項垂れた。
受かったと浮かれている暇はないほどに、厳しい現実が待っている。
「でももう受かったんだからな、こっちのもんだ」
ロロノアさんが慰めるように言ってくれるから、サンジは目尻を拭いながら「はい」と頷いた。
「まあ来週のことは来週考えるとして、今は食え」
「食ってる食ってる」
「コーザも、ちゃんとサラダ食えよ。バランスを考えろ」
ロロノアさんもですよと厳しく目を配りながら、取り皿にサラダを追加した。
そんなサンジの手付きを眺め、思わずといった風にロロノアさんが呟く。
「サンジ君はほんとうに、いいお・・・―――」
――――お?
「・・・ムコさんに、なるな」
「なんだ、今の間は」
コーザが隣で笑い転げている。
その頭をぺしりと叩きながら、サンジは困ったようにヘラヘラしていた。



たくさん喋ってお腹いっぱい食べて、持ち込んだロールケーキも3人で完食した頃、丁度午後9時を迎えた。
「お、もう9時だな。そろそろ送っていこう」
ロロノアさんは、そう言いながらジャケットを羽織った。
テーブルの皿をシンクに運んでいるサンジが、慌てて振り返る。
「いえ、俺一人で帰れますんで」
「ダメだ、こんな時間に一人で帰す訳には行かないだろ。あ、片付けはいいから」
「でも、皿を洗うだけ・・・」
「そんなんコーザがやっとく」
「俺かよ」
文句を言いつつ、コーザはサンジを追い出すように台所に立った。
「しょうがねえ、俺が片付けておいてやっからサンジは帰れよ」
「ん、悪いな」
心底悪いと思いつつ、ロロノアさんに送ってもらえるのは素直に嬉しい。


  *  *  *


夜ともなれば、まだ空気が冷たい。
それでもよく晴れた空には星がきらめき、どことなく春の気配が感じられた。
「あーオリオンが見えますね」
「お、よく知ってるな」
「って言うか、オリオンしかわかんないんですけど」
サンジはロロノアさんと並んで歩きながら、ぐるぐるに巻いたマフラーに口元を埋め幸せそうに微笑んで見せた。
「送ってもらっちゃって、すみません」
「いやこっちこそ。ご馳走するはずが、すっかりご馳走になっちまって悪かったね」
「いえ、美味しかったです」
それに楽しかったと、頬を染めて付け足す。
そんなサンジの横顔を、ロロノアさんはじっと見つめた。

「バレンタインのお返しを、したかったんだが」
「いいですよ、そんなの」
「結局ケーキも食わせてもらったし、バレンタインもホワイトデーも俺のがもらってばっかだったぞ」
「食ってもらえるの、好きなんです」
並んで歩きながら、サンジは一人でうんと頷いた。
「俺、料理でもお菓子でも作るの好きだし、自分が作ったのを美味しそうに食ってもらえるの凄く嬉しいです」
「サンジ君は、人を幸せにするんだな」
「え?」
驚いて、振り返った。
「本当に美味いもん食うと、言葉なんか出ないけど自然と笑顔になるんだ。そういうのって、幸せだろう?」
素で聞くとこっ恥ずかしい台詞だが、ロロノアさんの口から聞けばクサくも気障でもない。
「G校に進んだことで、サンジ君の可能性はまた一つ、広く開けたんだと思う。同じ料理人を目指す道でも、もっともっと幅が広くなった」
「・・・」
「君はきっといい料理人になる。もしかしたらオーナーを超えて世界一の、人を幸せにする料理人に」
「・・・そんな、大げさですよ」
慌てて頭を振って、ポケットに手を突っ込んだまま身悶えした。
なんかもう、嬉しいけど恥ずかしくて恐れ多くてどうしていいかわからない。
「今夜俺達を笑顔にしてくれたんだから、俺が太鼓判押すよ」
「―――ありがとうございます」
サンジは首を竦め、顔のほとんどをマフラーの中に埋めてしまった。
もう、どんな顔をしてロロノアさんを見ていいかわからない。



「もう、ここでいいです。ありがとうございます」
角を曲がればバラティエと言うところで立ち止まり、ロロノアさんに向かって深々と頭を下げた。
「ご馳走様でした、楽しかったです」
「こちらこそ。今度は寿司を食おうな」
「・・・はい」
社交辞令とわかっていても嬉しかった。
また今度と、夢を見ることができる。

「しかし本当になんにも礼ができなかったな」
残念そうに呟くロロノアさんに、サンジはふと顔を上げた。
ここいら一体は緑に囲まれ、街の明かりもあまり届かない閑静な住宅街だ。
ロロノアさんの背後では、漆黒の闇夜に綺麗に星が瞬いていた。
その輝きがまるで自分を励ましてくれているみたいで、ついつるりと言葉が口から飛び出す。
「あの、よかったら・・・」
「ん?」
「よかったら、あの・・・」
「うん」
言い澱む様子のサンジを、ロロノアさんは辛抱強く待ってくれた。
「あの、あの・・・喝を入れるって言うか、励ましてもらうって言うか・・・」
「うん」
「は・・・ハグ、してもらえたら・・・な、って・・・」
「はぐ?」
咄嗟には意味がわからなかったらしいが、すぐに「ああ〜」と納得したような声が出た。
「ハグね、それでいいのか?」
「・・・は、い」
もう、心臓はバックバクだ。
自分でも調子に乗ってなんてこと言っちゃったんだろうと思うけれど、口から出た言葉は消せない。
ハグして欲しい。
ロロノアさんに、これからの高校生活を応援してもらう意味もこめて。
分不相応な高校に入っちゃって、自分でもどうするんだろうって途方に暮れてる俺に、喝を入れてもらう意味で。

「うし、んじゃがんばれ」
ロロノアさんはそう言って、両手をサンジの身体に回しぎゅっと力強く抱き締めてくれた。



ロロノアさんの身体は大きくて温かくて、いい匂いがした。
夢でもいいから、どうかこのまま覚めないでほしい。
時よ止まれと願いながら、サンジはそっと目を閉じた。


End