中間考査



五月病になる暇もなくテスト漬けで、タフさが取り柄のサンジもさすがに息切れしてきた。
ただ身体を使うだけならいくらでも乗り切れるのに、頭を使うとなると気力と体力、両方の消耗が激しい。
先週の英単語テストでは、予想通り不合格、再テストだった。
合格するまで再テストだから、まさに無限地獄。
2回目のチャレンジ結果を見る前に、今日から中間考査だ。
土曜日にテストはまあ許されるとして、問題は午後からのPTA総会だった。
午前中テストを終えて帰宅。
入れ代わりに午後、保護者来校。
「スレ違いじゃねーかよ!」
思わず抗議の声を上げたサンジに、新しく友人になった面々はうろん気な目を向けた。
なに言ってんだ?こいつ。
そんな感じ。

サンジは帰宅したら店を手伝うから部活には入らなかった。
コーザは趣旨を変えたのか、サッカー部に入った。
ビビがいるのに、なにもモテ部に入らなくてもと思うが、毎日ハードながらも楽しそうだ。
週末もゴールデンウィークも遠征試合とかで、サンジと日程が合わない。
テスト前は一緒に勉強してくれると言っていたのに、明日は家の都合で無理と言われ、コーザんちに遊びに(勉強に)行く口実が消えてしまった。
「ああ〜」
絶望の声を上げながら机に突っ伏したサンジを、友人達は同情と憐憫をこめて慰める。
「テスト、ヤバいよなあれ」
「マジ難しいわ、俺全然ダメ」
「そんなん、俺にはかなわねえって」
頭上を飛び交う友人達の言葉など、サンジの耳には届いていない。
彼の絶望は、ロロノアさんに会えない。
ただこの一点に尽きる。




走れば12時前の電車に間に合うと、走って帰る友人達から遅れて、サンジはだらだらと帰り支度を続けていた。
このまま校舎のどこかに隠れて、ロロノアさんを一目見てから帰ろうかなと思わないでもない。

―――顔を合わせるのは、正直ちょっと気が引けるんだよ。

誕生日と合格祝いとバレンタインのお返しに便乗して、ロロノアさんにハグをねだってしまった。
あの一瞬は、思い返せば今でも夢のようで、何度も思い出しては反芻し幸せな気持ちになっている。
けれど、あれからロロノアさんに会ってないし、面と向かって顔を合わせるとなるとどういう顔をしていいかわからない。
めっちゃおかしいだろ、お祝いがハグなんて。
しかも友達のお父さんに包容をねだるって、どうよ。
おかしいだろ、俺。

―――――ぎゃあああああ

思い出すと、髪を掻き毟りたくなるほど恥ずかしい。
けれど後悔はしていない。
だけど恥ずかしい。
でも幸せ。

「ああああああ」

見るからに不審な動きを続けているサンジを、クラスメイト達は遠巻きに見守りながら、一人、また一人と帰って行った。


いつまでぐずぐずしてても、仕方ない。
サンジは諦めて、校舎を出た。
寄り道して本屋にでも行くかと、通学路ではない住宅地を近道していると目の前からまさに想い人がいた。


「ロロノアさん?!」
思わず声に出して叫んでしまったら、ロロノアさんも気付いていたのか「よ」と片手を挙げている。
サンジは小走りで駆け寄って、正面から見上げた。
「どうしたんですか、こんなところで」
「今日はPTAの総会だっていうから、早めに出てきた」
「この辺に用事でも?」
「いや、駅から真っ直ぐ」
「―――…」
真っ直ぐではない、断じて。

「まあいいや、一緒に学校行きましょう」
「え、帰るんじゃないのか?」
「忘れ物をしました」
しれっと嘘を吐き、ロロノアさんの隣に並ぶ。
「でも、ちょっと時間早くないですか?」
「ああ、受付は12時50分からだな」
現在、時刻は12時ジャストだ。
「早すぎですよ」
「俺の場合、何事も早めに行動を起こすと、どう言う訳かちょうどいい時刻になるんだ」
「・・・わかる気がします」
友人のお父さんなのに。
まさに大人と子どもで、ものすごく年齢の開きがあるのに。
こんなロロノアさんは、突っ込みたいような庇いたいような面倒を見てやりたいような、なんとも言えない可愛らしさがある。
これがまた、たまらない。

実際に顔を合わせたらどんな表情をして言いかわからない・・・と危惧していたのに、思いもかけず自然な成り行きになってサンジ自身が内心ビックリしていた。
それもこれも、ロロノアさんの無自覚な迷子癖のせいだろう。
隙がなさ過ぎる人ならただ話をするだけでも気後れするが、ロロノアさんには妙に大人ぶったところがないからつい親しみを感じてしまう。
でもきっと、こういう人の方が本当の意味で「大人」なんだ。

サンジは時計代わりのスマホをポケットにしまい、ちょっと考えるように前を見た。
ロロノアさんも、サンジに並びながらふと前を見る。
「サンジ君、昼飯はまだだよな」
「ええ、ロロノアさんは?」
「会社から直で来たから、まだだ」
「昼飯抜きで、総会とか無理でしょ」
途中で腹が鳴りますよと真顔で言えば、ロロノアさんはぷっと吹き出している。
目尻に皺が寄って、これまたすごくチャーミングだ。
「じゃあ、どこかに寄るか。とはいえ、そうゆっくりはできない」
「あ、だったら俺、行きたいところがあるんです」
サンジはそう言って、高校までの道のりを若干逸れた。




サンジが連れて来たのは、ハンバーガーショップだ。
大通りから少し外れた場所にあるせいか、さほど混んでいない。
「一度入ってみたかったんですよね」
「生徒同士で、よく来るんだろ?」
「ここ通学路から外れてるし、実は俺は初めてなんです」
この店のみならず、サンジはファストフード店全般に不慣れで、友人に連れられでもしない限り来る機会はない。
それを察してか、ロロノアさんは率先してカウンターに行った。
「何でも好きなものを選べ」
「いいですよ、ここは俺が奢ります」
「高校生が生意気言うもんじゃない」
ロロノアさんに窘められた。
軽く感動さえ覚えてぽうっと見上げるサンジの前で、ロロノアさんはセットを2種類頼んだ。
「さ、サンジ君も」
「え?いまの、俺の分入ってんじゃないんすか?」
「俺の分だけだ」
しれっと言う口ぶりが、少しおどけていて可愛い。
こんな軽口が叩ける相手になれたことがなにより嬉しくて、サンジは紅潮する頬を意識しながら目に付いたセットを頼んだ。

並んでトレイを持って、向かい合わせに席に着く。
こうしていると、仲の良い親子のように見えるだろうか。
それとも、年が近そうだから兄弟か。
似てないから、家族には無理かな。
ストローを口にしながらアレコレと想像しているサンジの前で、ロロノアさんは口を大きく開けてハンバーガーに齧り付いている。
「ふもっほ、ほうふふふひはあ」
「・・・はい?」
ロロノアさんは頬袋を膨らませてモグモグ咀嚼した。
「いや、高校の制服姿だとまた見違えるなと」
「そう・・・ですか?」
シャツこそは自分の体形に合わせて買ったけれど、上着は成長することを考慮して大き目のを選んだ。
そのせいか肩や胸元が制服の中で泳いでしまうし、鞄を持つと襟元がずれてちょっとかっこ悪い。
「まだ、制服に着られてるみたいで・・・」
「すぐに大きくなるさ、いまのままでもよく似合ってる」
わーわーわー・・・
サンジは恥ずかしすぎて俯いて、ばくんとハンバーガーに齧り付いた。
一生懸命もぐもぐと口を動かすのに、火を吹きそうなほどに顔が熱い。
ジュースで喉を潤してから、照れ隠しにロロノアさんのポテトを摘まんだ。
「あ、俺のポテト」
「油断大敵」
子どもみたいに手で壁を作りながら、ロロノアさんが笑っている。
やっぱり、大人って言うより兄貴みたいな気安さだ。
この優しさに甘えて、こんな風にじゃれちゃってもいいんだろうか。
まるで夢みたいに幸せで、嬉しい。

「まだ15歳なんだよな」
ロロノアさんは、先ほど手で壁を作っていたはずのポテトを差し出し、代わりにサンジのサラダを摘まんだ。
「そうですよ、まだ15歳になったばっかです。コーザなんてもう16になって・・・」
そこまで言って、「あ」と口を開く。
「先週・・・だったのかな?コーザの誕生日」
「ああ」
「やっぱり、お祝いとかしたんですか?二人で」
ロロノアさんは目を丸く見開いて、それから眉間に皺を寄せた。
「俺とコーザが、二人でお誕生日おめでとー・・・とか、すると思うか?」
「・・・想像は、できないっすけど」
客観的に見て、結構寒い。
「まあ、コーザはビビちゃんにお祝いしてもらってるからいいでしょうけどね」
「そういうこった」
なぜかロロノアさんは拗ねたみたいに口元を尖らせて、ジュースをちゅーと吸った。
親心的には、一緒にお祝いしたかったのかもしれない。

「でも、誕生日って幾つになっても大事じゃないですか。そりゃ男同士の親子二人きりでお祝いは寒いかも知んないけど、でもいいと思うなそういうの」
実際、サンジもゼフとお互いの誕生日にはそれぞれケーキを作っている。
面と向かって「おめでとう」とか言い合わないが、一緒にもそもそケーキを食べるのが恒例だ。
「コーザがこの世に生まれてめでたい日だけど、ロロノアさんにとっても記念日でしょ」
「俺が?」
「ええ、だってロロノアさんがお父さんになった日だ」
サンジがそう言って目を上げると、ロロノアさんはちょっと驚いたように表情を止めて、ぱちくりと瞬きだけした。
「・・・そうか」
「お父さん記念日ですよ」
「そうだな」
表情が固まったのは一瞬で、すぐに柔らかな微笑に変わる。

「あ、そろそろ行った方がいいか」
「そうですね、最後のポテトもーらい」
ポテトを摘まんだサンジの手首を、ロロノアさんははしっと掴んだ。
そのまま顔を持っていって、サンジが摘まんだポテトをぱくりと食べる。
「そうはさせるか」
「――――・・・!!」
本気で顔から火を吹きそうだった。
ロロノアさんが!
ロロノアさんが!!
自分の手から、ポテト食ったー!!!

まるで餌付けに成功したようだがそれ以上にぐわあと体温が上がって、サンジはもう眩暈がするほどテンパってしまった。




「大丈夫か」
「ええ、大丈夫です」
ほとんど酩酊状態のまま、ふらふらと学校まで歩く。
総会は体育館で、すでに受付が始まっている校舎にはほかにもたくさんの父兄の姿があった。
これ以上案内する必要はないだろう。
「じゃあ、俺はここで」
「ありがとう、助かったよ」
「いえこちらこそ、ご馳走様でした」
「また、うちにも遊びに来てくれな」
ロロノアさんの言葉に、サンジはちょっと微妙な表情をした。
「今の試験の前には、コーザも一緒に勉強してくれるっつったんですけど、明日はお家の用事があるんですよね」
そう言うと、ロロノアさんは「ああ」と思い出したように頷いた。
「そうだな、明日はちょっと用事があるな。また別の日にでも」
「ええ、都合のいいときにお邪魔しちゃいます」
それじゃあとこれで、とぴょこんとお辞儀して、サンジはそのまま回れ右して校門を通り抜けた。
ロロノアさんはその金色の頭が見えなくなるまで見送っていたが、一人になると人差し指でポリポリと頬を掻く。

「―――やっぱ忘れ物したんじゃ、ないんだな」
自分を学校に案内するためにわざわざ付き合ってくれたのだと言うことくらい、ゾロにだってわかる。
息子と同じ年なのに、随分と思いやりに満ちた優しい子だ。
コーザは同年代の子どもより落ち着いて大人びてはいるが、人に対する思慮深さでは多分、サンジ君の方が勝っているだろう。

「父親記念日か・・・」
小さく呟いて、ゾロは空を見上げた。
そんなことは思いつきもしなかったが、確かにいま、ゾロはコーザの父親だ。
「それを言うなら、明日がそうだな」
誰にともなくそう言って踵を返すと、総会の受付をすべく校舎の中に入っていった。


End