バレンタイン


渾身の力作チョコの運命をゼフに委ね、サンジは期末テスト2日目を迎えた。
まあ、夜通し頑張って復習したから手応えはそこそこだ。
グランドライン高校を目指すと決めてから、自分なりに結構努力はしている。
でもそれはいずれも同じで、みんな頑張っているんだから学年順位が劇的に上がったりはしないけれど、平均点との比較は少しずつではあるが着実に良くなっていた。
高校への願書を提出するのも先生は特にアドバイスしてこなかったし、逆にやるだけやってみろと激励されて、頑張れば何とかなるかも・・・との前向きな気分になれた。

―――ちょっと上がり調子じゃね?
テストも終わり、晴れ晴れとした気分で教室を出る。
いつも一緒に帰るコーザは、今日はビビと約束しているから・・・と、本人が言い出すまでもなく察してサンジは先に帰ると声を掛けた。
ヤボな真似はしたくない。

バレンタインデーに、中学校でのチョコの受け渡しは原則禁止だ。
そうは言っても、放課後にわざわざ家を訪ねてまでチョコを渡してくる女子もおらず、どちらかと言うと成立したカップル同士が先生の目を盗んでこっそり渡しているのをフリー男子が羨ましそうに横目で睨むのがスタンダードだった。
サンジも毎年そうして涙を呑んできたが、今年はちょっと気分が違う。

今頃、あのチョコはロロノアさんの手に渡っただろうか。
それとも、ジジイが大人の判断で持って、忘れたふりをしてでも渡さなかっただろうか。
そりゃあ、祖父的立場としては、孫が男にバレンタインチョコを渡そうとするなんて現実は複雑だろうし、率先して応援しようって気にならないだろうことは理解できる。
サンジだって、ゼフがもしロロノアさんに惚れてチョコを渡そうとかモジモジしてたら、問答無用で家族の縁を着るかもしれない。
そんなこと、天地がひっくり返ったってありえないけど、まああくまで例えで。
それと同じことなのに、サンジの逡巡を察して自分から協力を申し出てくれたゼフには、心底感謝していた。
もし、ちゃんとチョコを渡されなかったとしても、ジジイのすることなら納得できるとそう思うほどに。

「・・・あの」
つい、物思いに耽っていて声に反応できなかった。
なにがあろうと女子からの声を聞き逃さないサンジにしたら、あるまじき失敗だ。
「サンジ先輩」
「え、あ、はい?」
慌てて振り向くと、すぐ側に女の子が立っていた。
サンジがあまりに勢いよく振り向いたから、驚いて2歩下がっている。
それでも逃げ出さないで踏みとどまり、両手で小さな紙袋を握って掲げた。

「あ、あの、これ・・・」
――――これ?
サンジの思考は、しばしフリーズした。
これ、これってなんだろう。
昨夜自分が用意したものに似てるな。
白い紙袋から覗くのは、綺麗な青いリボン。
大き過ぎなくて、鞄の中にそっと入れられるちょうどいい大きさ。
これって・・・

「あの、チョコ、受け取ってもらえますか?」
蚊の鳴くような声を耳にして、サンジはどえええええ?!っと頭の中で叫んだ。
「あ、え、はいっ」
慌てて両手を差し伸べ、それから中空に泳がせる。

なんてこった、この展開は予想していなかった。
去年までのサンジなら、寧ろ誰かチョコをくれないかな・・・なんて夢想ばかりしたものだ。
もしチョコをくれた場合のシミュレーションとか、脳内でアレコレ考えてそのどれもが空振りに終わった虚しさを抱き締めながら帰途に着くのが常だったのに。
なんでまた、よりによって今日。
まったく予想さえしていなかった今日、こんなミラクルが起こるのか!

「あの・・・これ、俺に?」
つい確認してしまえば、女の子は怯えたような目でそれでも健気に頷いてくれた。
見覚えはないけれど、提げている鞄の色から恐らく1年生だろうと推測される。
まだ小学生の名残が見える小柄さに、あどけない顔立ち。
パッと見、目を引く美少女ではないけれど瞳がくっきりと明るくて、もう少し成長したらきっと魅力的な女性になるに違いない。
こんな可愛い子が、俺に、チョコを・・・
「お、おおおお」
思わず雄叫びを上げそうになって、危うく耐える。
時間にしたら僅か数秒間だろうが、サンジの思考は目まぐるしく回転した。

生まれて初めて、女の子からマジチョコ貰っちゃった。
小学校の時もたくさん貰ったけれど、あれは大体友だちの女の子からホワイトデーのお返し狙いで貰えた義理チョコばかりだ。
こんな、面識のない女の子から貰うなんて初めてのことで。
しかも大人しそうな子なのに、思いつめた表情で差し出してくれている。
きっとすごく勇気を出して、声を掛けてくれたのだろう。
紙袋を持つ手だって、細かく震えている。
早く受け取って安心させてやりたいのに、サンジの手は中空で止まったままだ。

どうしよう、俺ロロノアさんが好きなのに。
ロロノアさんはコーザのお父さんで。
俺なんかとはとてもつりあわない、大人の男性で。
そもそも男同士だからバレンタインもクソもないんだろうけど。
そんな高嶺の花で望みのない相手より、こんな可愛い後輩ちゃんが告白してくれたんなら、こっちの方がいいんじゃないか。
年相応の、等身大の相手がせっかく言ってきてくれているのに。
俺、いい加減目を覚ました方がいいんじゃないのか。

ぐるぐると、色んなことを考えた。
女の子の健気な瞳も、小さな手に掲げられた紙袋も。
昨夜、あれこれ悩んで一生懸命作った自分のチョコも。
ゼフの渋い顔も。
さっきまでロロノアさんのことばかり考えていた、切ない気持ちも。
考えて考えて考えてそれでも、サンジの指は紙袋に触れなかった。

「あの・・・」
「は、はい」
「俺、好きな人がいるんだ」
「―――・・・」
あ、後輩ちゃんの顔が歪んだ。
瞳が萎んで口元がきゅっと引き結ばれて、泣きそうだ。
どうしよう、女の子を泣かせたくないのに。
「ごめん、ごめんね」
「・・・いえ」
項垂れて、手を下げようとするのに咄嗟に紙袋を掴む。
後輩ちゃんは、びっくりして顔を上げた。
拍子に涙の粒がポロリと目尻から零れたのに、サンジは気付かないふりをして真剣な眼差しで紙袋を見つめる。
「俺、ほかに好きな人いるけど、それでもよかったらこれ貰ってもいいかな?」
「―――・・・」
後輩ちゃんは目を見張ってから、笑顔になった。
「はい」
「いい?ごめんね厚かましくて」
「いえ」
言葉少なに、ぶんぶんとかぶりを振る仕種は本当に幼くて可愛らしい。
「あの、ほんと嬉しかった。ありがとう」
「いえ、ありがとうございます」
お互いにぺこぺこと、頭を下げながらお礼を繰り返す。
「じゃあ、いただきます」
「・・・どうぞ」
後輩ちゃんははにかんだように笑ってから、くるりと振り返ってそのまま走り去る。
校舎の影に待っていたらしい友達が、手を広げて後輩ちゃんを出迎えていた。
きっとこのまま、彼女達の胸で後輩ちゃんは泣くかもしれない。
サンジはなぜだかもらい泣きしてしまって、紙袋を握った手の甲で目元を拭きながら学校を後にした。

もしかしたら、一世一代のチャンスだったかもしれないのに。
まともな恋愛道に立ち返る、最後のチャンスだったのかもしれないのに。
自分から棒に振っちゃったなと、自嘲しながらも貰った紙袋を大切に胸に抱く。
勿体なくて、きっと食べられない。
嬉しくて切なくて、自分自身が寂しくて。
サンジは一人、甘酸っぱい想いを噛み締めていた。


   * * * 





予約時刻ぴったりに店を訪れたゾロは、若い男女二人を連れていた。
ゼフがそれとなく様子を窺う限り、どうやら仕事の打合せと称して二人の仲を取り持っているらしい。
若い男の方はしきりに課長、課長とゾロを頼り、女性の方はチラチラとゾロを意識しつつも男性に秋波を送っているように見える。
ほどなく二人の話がまとまったのか、若者だけで会話するようになった。
ゾロはほぼ空気になって、ひたすら食事に専念している。

デザートとコーヒーまで飲み終えて、それではと男女はモジモジしながら席を立った。
「俺はまだ時間があるから、もうちょっとここで休んでくよ」
「じゃあ、お先に失礼します。あの、ほんとにご馳走様でした」
「ご馳走様でした、ありがとうございます」
二人は並んできっちりと頭を下げると、スタッフ達にも会釈をしながら店を出て行った。
寄り添うように歩く二人の後ろ姿を窓越しに眺めながら、ゾロはコーヒーのお代わりをゆっくりと味わう。
さらに10分ほど経ってから、テーブルに着いたままそっと手を挙げた。
「お愛想お願いします」
いつもはスタッフがテーブルにやってくるのに、今日はゼフが顔を出したから軽く目を瞠る。
「今日も美味しかったです」
「いつもご贔屓に預かり、ありがとうございます」
他人行儀に挨拶を交わしてから、ゾロは釣銭の必要がないようきっちりと支払った。
「ご馳走様でした」
「あ、ちょっとお待ちください」
ゼフは片手に隠し持っていた紙袋を突き出した。
「これは、うちの孫から預かったもんです。ロロノアさんにと」
「え、俺にですか?」
思いもしなかったのだろう、目をぱちくりと瞬かせてから柔和な笑みを浮かべる。
「サンジ君は本当に優しい子ですね。俺みたいなおっさんにも気を遣ってくれて」
ありがたくいただきますと、両手で押し抱くようにして受け取った。

「サンジ君にお礼言っといてください」
「そりゃあ、あんたから言ってやってくれ」
「そうですね」
ゾロは苦笑してから、うん・・・と困ったように首を傾けた。
「どうやって伝えましょうか。コーザに伝言頼むと・・・ややこしくなるのか?」
この紙袋には、コーザの分は入ってないのだろうか。
と言うか、サンジ君から貰ったと言うとコーザは「なんで?」と疑問に思うだろう。
別に隠す必要はないが、取り立てて言いふらすこともない。
なんだかややこしいことになりそうだ。

「じゃあ、今夜にでもゼフさんの携帯に掛けます」
「ああ、その時孫に代わろう」
それじゃあと、ゾロは何度も会釈しながら店を出た。
しゃんと伸びた後ろ姿を見送って、ゼフはふんと鼻息を荒くする。
「ありゃあ、なかなか手強いぞチビなす」
誰にともなく呟いて、緩く首を振りながら厨房へと戻っていった。


   *  *  *


サンジは家に帰った後、すぐさま厨房の冷蔵庫を開けて中にプレゼントが残ってないのを確認した。
それから、ゼフになにやら言いたそうにしばらくウロチョロしていたが、夕食の仕込みに忙しいスタッフの邪魔になりそうになって結局何も言わないまま部屋に引っ込んだ。
そんなサンジの様子を横目で見ながら、ゼフはふんと仏頂面で鼻を鳴らすばかりだ。

店じまいを終えひと風呂浴びてビールを飲んでいる時に、携帯が鳴った。
「ロロノア」の名前を見て、ゼフはしばらく手の中で携帯を弄んだあと通話ボタンを押す。
「もしもし」
『夜分失礼します、ロロノアです』
「ああ、ちょっとお待ちくださいよ」
それから、リビングで宿題しているサンジに携帯を差し出した。
「ロロノアさんだ」
「・・・えっ!」
サンジはガバっと身を起こすと、その場でワタワタと髪を整え始めた。
「え?なんで、なんでロロノアさんが、ジジイの携帯に?」
「いいから出ろ、電話だ」
うんざりとしたゼフの声に促され、サンジは引っ手繰るようにして携帯を手に取った。
そうしながら胸に押し当て、すうと一つ深呼吸をする。

「はい、サンジです」
『こんばんは、今日はチョコレートありがとう』
「あ、は、いや、あの、いえ」
しどろもどろで、何度も携帯を持ち替えてしまう。
『早速いただいた、すごく美味しかったよ』
「そ、そうですか?」
『ああ、酒が入ってんのかな?香りがよくて味も深くて舌に沁みた。実に美味しかった』
「うわーそうですか、よかった・・・」
あんまり嬉しくて、涙が出そうになった。
実際じんわりと目に何かが染み出して、鼻の奥がツンとする。
『あれ、サンジ君の手作りなんだろ?すごいなあんなの作れるなんて、さすが将来料理人を目指すだけある』
「いえ、そんな・・・」
『おじいさんに教わったりしたのかい?』
「いえ、俺一人であれこれ考えてみて、レシピとかも見て」
『そうかすごいな。どうもありがとう、ご馳走様でした』
「いえ、食べてくれてありがとうございます」
『ホワイトデーは奮発させてもらうよ、勿論卒業祝いと合格祝いも兼ねて』
「あ・・・」
そうか、来月はもう進路が決定しているのだ。
「盛大にお祝いしてもらえるよう、頑張ります」
『その意気だ、楽しみにしててくれよ』
「はい!ありがとうございます!」
『じゃあ、勉強頑張って。おやすみなさい』
「はい、がんばります。おやすみなさい」

サンジはその場で最敬礼して、恭しい手付きで通話を切った。
頬を紅潮させて、ほうと大きく溜め息を吐く。
「ようし、俺がんばるぞう」
一人気力を漲らせつつ、ゼフに携帯を返すとそのまま台所の冷蔵庫を開けた。
何事か見守るゼフの前で、可愛らしい包みを取り出してくる。

「俺、今日一年生の女の子にチョコ貰っちゃったんだ」
「ほお」
これは驚いた。
こんなアホの子にも、慕ってくれる女の子がいたのか。
「俺あんまり嬉しくて、これはこのまま大事に冷凍保存しようとか思ったんだけど、やっぱり止める」
丁寧な手付きで包み紙を開ければ、少し歪な形のトリュフがコロリと6つ、可愛らしく並んでいた。
「想いを込めて作ったチョコは、食べてもらえるのが一番嬉しいもの。俺もありがたくいただくよ」
お裾分けにどうぞと一つ目の前に置かれ、夜は間食をしない主義のゼフも今夜ばかりは断らない。
「なんて言って受け取ったんだ」
「うん、俺好きな人いるって言った。それでもよかったらってこれ貰った」
「そうか」
それならまあ、いいだろう。

ゼフは手早くカフェオレを作って、ノートを広げたサンジの手元に置いてやる。
「いただきます。あ、美味しい」
「ふん、まあまあだな」
二人で口をモグモグさせながら、温かいカフェオレを啜る。
甘い湯気に頬を擽られながら、サンジは明日、後輩ちゃんになんてお礼を言おうかなとあれこれ考えた。




End