ロロノアさんの誕生日



11月11日。
部屋のカレンダーには、赤マジックで大きく花丸が描いてある。
サンジにとって、それはとても大切で大事な日。
けれどそれは誰にも言えない、サンジだけの“特別”なのだ。

「11月だなあ」
「ああ」
カサカサと枯葉が舞う音を聞きながら、サンジはぼそっと呟いた。
コーザと言えば、生返事だ。
模試の結果を睨んで、真剣な面持ちで考え込んでいるコーザと同じくらい、真剣な顔でサンジは色づく樹々を眺めている。
頭の中に、模試の結果なんてかけらも入っていない。
考えるのは、間もなく迎える11日のこと。
「もう11月になっちゃったぞ」
「ああ」
「11月なのになあ」
さすがにコーザも、顔を上げた。
「11月になんかあったか?」
素で聞かれて、サンジは慌てて首を振った。
「いや別に、ただ、11月だなあって」
「―――― ・・・」
コーザは手にしたペンをくるくる回し、ははーんと顎を上げた。
「親父の誕生日だな」
「は?!や?!な、ななななに言ってくれてんのコーザ?!」
思わず声がひっくり返ってしまった。
明らかな挙動不審に、コーザは勝ち誇ったように鼻息を荒くする。
「焼肉屋の誕生日割引が目当てだろ。生憎だが、今年はないぜ」
「―――はあ?」
そこは、サンジの想定外だった。
そういえば去年は、誕生日割引を使って焼肉を食べに連れてってもらえたんだっけ。
サンジの生まれて初めての焼肉体験は、ロロノアさんのリスみたいな頬袋の記憶で満たされている。
あれはほんとに可愛かった。

「いや、焼肉とかそんなん別にいいよ」
「いやー悪いな。夏の間に世話になったから焼肉くらい(親父が)奢ってやりたいとこだけど、今年は大食らいの友達が来るってんでそっちに使うってさ」
結局、焼肉屋には変わりないんだな。
そうかそんならいいんだと言いつつ、とにかく俺は別に焼肉が目当てじゃないからなと釘を刺す。
「…ただ、ほら、ロロノアさんの誕生日、なんかするのか?」
「は?する訳ねえだろ」
あっさり否定されて、思わず涙目になる。
「なんでだよ、男手ひとつでお前をここまで大きく育ててくれたお父さんじゃないか。お前が祝ってやらなくて、どうする」
「別に、特別誕生日にかこつけなくてもいつでも感謝してるし、第一そんなのこっ恥ずかしいじゃないか」
「恥ずかしいことなんてない!」
サンジにとってはなんとももどかしい話だ。
いっそコーザと立場を代わってもらいたい。
もし自分がロロノアさんの息子だったら、毎年それはそれは盛大に豪快に全力を尽くしてお祝いするのに。

「親父だっていい年して誕生日もクソもねえだろ。なんだったら、バラティエに食いに行くだろうし」
「お前は行かないのか?」
「俺は別に、親父と行くんなら居酒屋とかそんなのが気楽でいいや。あ、バラティエがやだってんじゃねえぞ。ああいうとこは大学行ったら、ビビと二人で行くとこだ」
コーザのある意味正しい捉え方に、サンジも納得した。
「そりゃまあそうだけど・・・そっか、誕生日割引か」
ピカーンと天啓がひらめいた。
バラティエから日頃のご愛顧に感謝して、誕生日割引を進呈したらいいんだ。
そうしたら、ロロノアさんが食べに来てくれるかも。
いいアイデアに思えたが、すぐに意気消沈した。
ロロノアさんが店に来てくれたって、それが夜なら会えない。
ランチタイムだって、サンジが手伝える土日に来ることはめったになく、むしろ平日に仕事相手と利用する方が多いだろう。
どちらにしろ、擦れ違いばかりだ。

「あーそういや11日って来週か」
コーザは鞄を探って、プリントを取り出した。
「俺、10日から13日まで研修で泊まりなんだ」
「へ?そんなんあるの」
「ああ、特進科だけだろ」
さすが進学科と感心しつつ、サンジは更に胸を痛めた。
つまり、ロロノアさんは自分の誕生日をたった一人で過ごすってことか。
そこまで思って、いやいやいやと考え直す。
もしかしたら、束の間の独身生活とばかりにガールフレンドを連れ込むかもしれない。
ロロノアさん、モテるだろうしな。
誰だってよりどりみどりだろうし、ここぞとばかりに押し掛ける女性も一人や二人――――

そこまで考えて、サンジはがーっと髪を掻き毟った。
いきなりの奇行に、コーザがぎょっとして身を引いている。
「心配だ!お前がいない間、ロロノアさんが自堕落な生活をしないかっ」
「意味わかんねーよ、いきなり切れるなよ」
ああどうしようとぶつぶつ呟くサンジを気味悪そうに見つめ、それからコーザはまた模試の結果に目を落とした。

11月に入ってしまうと、11日なんてあっという間に来てしまう。
サンジはあれこれと迷っていたが、意を決して11日当日に“突撃お宅訪問”を決行することにした。
いつもお世話になっていることは紛れもない事実だし。
誕生日だと知っているのもわかっているし、当日ケーキくらい差し入れたって不自然じゃないだろう。
コーザが留守だってことも、わかっている。
わかっているから世話を焼きに来たんだと、言い訳もちゃんと立つ。
そうと決めたら、がぜん忙しくなった。
一応、差し入れはケーキがメインだけどきっと一人だとろくな食生活になっていないだろうと察して、お惣菜もタッパに詰めて運ぶことにした。
軽く温めたら美味しく食べられるよう、種類を多めに量は少なめに。
ケーキは、ロロノアさんが一人で食べきれるサイズだといい。
あくまでさり気なく、証拠を残さない程度の量でスマートに手渡せたら、いいなあ。

学校から帰ったら、早速ケーキ作りに取り掛かった。
ココア生地にコーヒーリキュールをたっぷりと滲みこませ、香ばしくカラメリゼしたプラリネクリームを塗りスポンジを重ねる。
ビターなチョコムースを流し込んでしばし冷やし、ふんわりスポンジを重ねてから滑らかなグラサージュでコーティングした。
「…うっし、見た目は完璧」
直径12センチの小さなサイズだ。
ロロノアさんなら、一口で食べ尽くしてしまうかもしれない。
ようく冷やして艶々した表面に、シンプルな飾りを施す。
大人なロロノアさんをイメージして、シックなデコレーションで決めてみた。
意識的にリキュールも大目にして見たけど、お酒に強そうなロロノアさんには気付いて貰えないレベルなのかもしれないなあ。
そう想像して、一人で笑う。
食べてもらえたら大成功だ。
実際は、食べてもらうどころかこのケーキを持ってロロノアさんちまで出かけられるかどうか危うい。
勢いで作ってはみたものの、直前で怖気づいてしまいそうだ。
サンジは冷蔵庫の中に鎮座しているケーキを睨み、気を取り直して差し入れ用の惣菜をタッパに詰め始めた。
紅茶の煮豚、マリネサラダ。
ちょっと摘まめるようにカラフルな手毬寿司と、おつまみ用のディップ。
ロロノアさんが留守でも、ドアの外に置いておけばこの気温ならまず大丈夫だろう。

作っている間は夢中になっていて考えもしなかったが、いざ荷物をまとめて外に出ると気おくれしてきた。
こんなに作って、どうしよう。
ロロノアさん、迷惑がったりしないだろうか。
自分の誕生日だからって、息子の友人がいきなり料理を持ってきて押しかけたら、普通困るよな。
そうでなくとも誕生日なんだから、気になってる女性とか誘って飲みに出かけてるんじゃないだろうか。
それとも、誕生日にかこつけて向こうから強引に誘われてるかもしれない。
コーザは留守なんだから、それを断る理由なんてどこにもないだろう。

ロロノアさんのマンションへは、夏に毎日通ったから慣れた道だ。
けれど、距離が近づけば近づくほど、どんどん足が重くなってくる。
もし行って、部屋にいたらどうしよう。
いなかったらどうしよう。
当たって砕けろだと何度も思ったのに、どうやってぶち当たればいいのかわからなくて迷いが生まれる。
料理はともかく、ケーキまで用意するなんてさすがにやり過ぎじゃないか。
もしくは、ケーキだけなら「日頃の感謝の気持ち」で済むとしても、料理までだとちょっと押し付けがましくないか。
ロロノアさんは他の誰かと、もっともっと美味しくて豪勢な食事をお腹いっぱい食べてるかもしれないのに。
のこのこ出かけて行って、いらないものを押し付けるなんて、やっぱりまずいんじゃないだろうか。

マンションが見えた角で、足が止まった。
やっぱり、行かないでおこう。
ここで引き返そう。
余計なことなんて、しない方がいい。
ロロノアさんの誕生日を大ごとだと思ってるのは自分だけで、ロロノアさん自体はさほど気にしてないかもしれない。
コーザを介して以外でさほど接点のない、俺みたいな子どもにサプライズで祝われたって嬉しくない。

一歩後ずさり、サンジはやはり動きを止めた。
手に提げた紙袋が、ずっしりと重く感じる。
けれどこの中には、ロロノアさんに食べてもらいたくて作った煮豚とかディップとか手毬寿司とかマリネとかが出番を待って待機しているのだ。
ちょっぴりビターなショコラケーキも、ロロノアさんの口に合うよう何度も試行錯誤を重ねて出来上がった逸品。
今夜この日に、1年でたった一度の11月11日にしか出番がない、この日のためだけのケーキ。
俺が恥を掻くのは構わないが、せっかく作られたこの子たちの出番がないのは不憫ってもんじゃないか。

食料への愛情が、サンジの背中を押した。
躊躇いつつも一歩踏み出し、よろよろとよろけながらマンションのエントランスを抜ける。
通い慣れた道、いつもの部屋の前。
深く深呼吸してから顔を上げ、意を決してインターホンを鳴らした。

ピンポーン…



当然のように、応えはない。
留守ですか、やっぱり留守ですか。
時刻は午後7時過ぎ。
普通、仕事してたらまだ帰ってこない時間だよな。
夏休みの間は、この時間には帰ってきていたけど、あれは俺がいるってわかってたから気を遣ってやりくりしててくれてたのはわかっている。
でも今日はコーザもいなくて。
数日の一人暮らし状態だから、こんな早い時間に帰ってくることの方がまずないと思わないと。
うん、留守だ。
これもまた想定内。

サンジは紙袋をドアノブの下に置いた。
今夜も冷える。
冷蔵庫になんか入れなくても大丈夫なくらい外気温は低い。
もしロロノアさんがこのまま今晩帰らなくて、明日の朝にこの紙袋を見つけたとしても中のものは傷んだりしてないだろう。
ケーキも溶けない。
きっと大丈夫。

うんうんと一人頷き、紙袋を置いて後ずさった。
ロロノアさんに会えなかった時のこともちゃんと想定して、紙袋の中にはメッセージカードが入れてある。『お誕生日おめでとうございます。サンジ』とだけ書かれた文字で、きっと理解してくれるだろう。
ちょっとキモいと自分でも思うが、お祝いの言葉だけでも届けられたら満足だ。
願わくば、ロロノアさんが迷惑に感じたりしませんように――――

両手を合わせ祈るように目を閉じてから、踵を返した。
やっちゃったーとの想いから気分が高揚し、エレベーターを使わずに階段を跳ねるように駆け下りる。
足はどんどん速くなり、ロロノアさんの部屋からもどんどん遠ざかっていく。
距離が広がれば広がるほど、もう後戻りできない気がして、逆に腹が据わってきた。
ただ純粋に、ロロノアさんの誕生日をお祝いしたかっただけだ。
何も変なことないし、迷惑だったら捨ててもらったらいいから。
ゴミを作り出しちゃったらごめんなさい。
でも、俺はただお祝いしたかった――――

突然、ポケットに入れたスマホが振動した。
このタイミングで誰だろうと手にすると、見覚えのない番号だった。
冷たくかじかんだ指で、恐る恐る電話に出てみる。
「―――もしもし?」
『サンジ君?』
ロロノアさんの声に、はっとして立ち止まった。
「え?ロロノアさん?なんで俺の携帯知ってんっすか?」
『コーザに教えてもらった、悪かったかな?』
「いいえちっとも、全然!」
思いも掛けないロロノアさんからの電話に、先ほどまで凍えそうに冷え切っていた身体が一気に熱くなる。
「あの、俺、ロロノアさんに…」
『うん、俺も君に話したいことがあるから、とりあえず家に来ないか?』
「へ?」
驚いて振り返った。
駐車場からマンションを見上げれば、さっきまでサンジが立っていた階にロロノアさんの姿が見える。
『いま帰ってきたとこだ。すれ違いかな』
「う、そ―――――」
思わずスマホを抱いたまま、その場でへたり込みそうになった。


転びそうになりながら、階段を駆け上った。
ロロノアさんはドアを開けて待っていてくれて、息せき切って中に飛び込む。
「あの、すみません!」
「いや、いま暖房掛けたところだからまだ寒いだろ?」
パタリと背後でドアを閉められ、すうと深く息を吸い込む。
なんだか懐かしい、夏に通い詰めたロロノアさんちの匂いがする。
「ちょうど帰ってきたら紙袋があって、もしやと思って携帯掛けたんだ」
捕まってよかった。
そう言うロロノアさんに、サンジは慌てて靴を脱ぎながらついて歩く。
「いえ、まさかこんなに早く帰ってくると思わなくて…」
「最近、早帰りの癖が付いたんだよなあ。コーザがいなくても関係なく、こんくらいの時間にきっちり戻る」
「それは…よかった」
小さく呟いてから、テーブルの上に置いてある紙袋を開けた。
「あの、せっかくなんでちゃんと食べられるように準備しますね」
「悪いね、着替えてくる」
「はい」
なんだか、夏の頃に戻ったみたいで嬉しかった。
ただ、夏と違うのはここにコーザがいないこと。
ロロノアさんと二人きりだという事実が、サンジを緊張させている。

部屋に行きかけて、ロロノアさんは足を止めた。
「サンジ君は、夕食はまだか?」
「え、はい。あ、でもこれ、ロロノアさんの分しかないんです」
先走って言ってから「しまった」と口を抑える。
「あーいやあの、別に俺も一緒にとか思ってなかったから」
「ああそうか。いや実はな、自分用にコンビニで弁当買って帰って来たんだ」
そう言ってビニール袋を掲げて見せるのに、サンジはくわっと目を見開いた。
「そんなの!ダメです、誕生日に一人でコンビニ弁当とか!」
あああよかったーと、サンジは心底安堵した。
勇気を出して、ロロノアさんちに来て本当に良かった。
危うく、ロロノアさんに寂しい誕生日を迎えさせるところだった。
「そう思うんなら付き合ってくれ、持ってきてくれたご馳走の代わりにコンビニ弁当じゃ申し訳ないんだけど」
「いいえ、ありがたくいただきます。どうせならそれもちょっと手を加えて調理しますね」

勝手知ったる台所で、手早くコンビニ弁当と持ち込んだ惣菜を広げた。
寒い場所でも大丈夫なようにと、冷えたものしか持ってこなかったことに気付く。
弁当のおかずを利用して即席で汁物を作り、テーブルを整えた。
ランチョンマットや洒落た皿などがないのは残念だが、そこそこお祝いっぽい雰囲気はできた。

「いい匂いがするな」
ロロノアさんがラフな格好に着替えてきて、グラスを出すのを手伝ってくれた。
「ジュースくらい、買っとけばよかったな」
コーザがいないからか、冷蔵庫の中は見事にビールだけだ。
「いいですよお茶で」
「ちょっとだけ、飲むか?」
「いいんですか?」
缶ビールを翳されて、目を輝かせる。
「…やっぱダメだ」
「けちー」
こんな軽口を交わせるなんて夢みたいだ。

ふわふわした気分で食卓に着き、ビールとお茶で乾杯した。
「お誕生日、おめでとうございます」
「ありがとう」
持ち込んだ料理は、どれも「美味しい」と言ってすごい勢いで平らげてくれる。
サンジもコンビニ料理を温めたものを摘まんだが、ロロノアさんの健啖ぶりを眺めているだけで幸せでお腹はいっぱいになった。
「ケーキも、持って来たんですよ」
「嬉しいな、サンジ君の作るケーキはまた格別なんだよなあ」
「えへへ、ありがとうございます」
ああもう、本当に夢みたいだ。
もしかしたら、夢かもしれない。
ビールなど舐めてもいないのに、頬が熱くて頭がクラクラする。
幸せすぎて、呼吸するのすら忘れそうだ。

「去年は、一口サイズのケーキだったな」
「覚えてくれてんですか、今年はあれよりもうちょっと大きいです」
「二人で食べきれるくらいか?」
「ロロノアさんなら、一人で食べられると思うけど」
サンジがそう言うと、ロロノアさんは悪戯っぽく微笑んだ。
「せっかくだから、二人で食べよう」
――――ああ、もう本当にどうしよう。
ロロノアさんがかっこよくて優しくて、胸がキュンキュンし過ぎて倒れそうだ。

9時までには自宅に帰さなければと、夏の時と同じようにロロノアさんが気を遣うから、食後すぐにデザートを出した。
HappyBirthdayのプレートを乗せた小さなチョコレートケーキ。
艶やかなコーティングに躊躇いなくナイフを入れ、ちょうど二つに切り分けた。
「美味そうだ、いただきます」
「どうぞ」
一口頬張って、ふわりと笑う。
「ああ、滑らかで甘い。それに、酒の風味がいいね」
「あ、わかります?ちょっと意識してふんだんに使ってみました」
サンジもケーキを口にすると、濃厚な洋酒の香りがふわんと鼻から抜けた。
「うん、美味い。これはいくらでも食べられそうだ」
「こんなことならもっと大きなサイズで作ればよかった」
頬を赤くしてご機嫌なサンジを、ロロノアさんはじっと見つめた。
その視線に気づいて手を止めて、それからサンジは思い出した。
「そう言えば、ロロノアさん俺になにか話があるって…」
「ああ、あれは嘘だ」
「へ?」
あっさり言われて目を丸くする。
「君が俺の誕生日用の料理を持ってきてくれたのがわかったから、口実に引き留めた」
「そう、なんですか」
結果的には、こうして二人でお祝いできたからサンジにとってもラッキーだった。
と言うより、ロロノアさんに引き留めて貰えたのがものすごく嬉しい。
ちょっとでも、自分のことを気にかけてくれているということだ。
「まあ、あながち嘘ということでもないかな」
そう言って、ロロノアさんはコーヒーを煎れるために立ち上がった。

キッチンに立ちコーヒーを煎れるロロノアさんの背中を、サンジはドキドキしながら見上げた。
肩幅が広く、がっしりとして厚みのある大きな背中だ。
それでいて決して太ってはいない。
むしろしなやかで細身の印象があって、背広を脱いだ時の思わぬ逞しさとのギャップがたまらない。
少しくたびれた感のあるシャツの皺さえ魅力的で、正視できないほど胸が高鳴るのに目が離せなくて動悸だけが高まっていく。

「サンジ君が、来るかなと思ったんだ」
「――――は、へ?」
しまった、ちゃんと聞いてなかった。
キョドって聞き直すサンジの前に、ロロノアさんはそっとコーヒーカップを置いた。
「今日は俺の誕生日だから、もしかしたら君が家に来てくれるかと期待していた」
「…え?」
どうしよう、俺舞い上がり過ぎてとうとう幻聴まで聞こえるようになっちゃったんだろうか。
こんな、都合のいい展開にそうそうなるはずが――――
「そうしたら本当に、君が来てくれていた」
「――――・・・」
立ち昇る湯気が鼻孔を擽り、これが夢でないことを自覚させてくれた。
けれどやっぱり夢みたいだ。
こんな、ロロノアさんからまるで俺を意識してるみたいな言葉が出るなんて。
こんな――――

「期待、してくれてたんですか?」
喉を絡ませながら、サンジはようやく声を絞り出した。
「ああ」
応えるロロノアさんは、いつもと同じ穏やかな笑みを湛えたままだ。
自分みたいに頭が真っ白になったり、舞い上がったりしていない。
ただの世間話みたいな、それでいてそっと悪戯を告白するような、密やかな囁き声。
「だから、定時に帰ってきた。同僚に飲みに誘われていたんだが、それも断って」
「そう…なんだ」
「もし君がいたら、と思うと落ち着かなくてね。帰ってきてよかった」
「…はい」
ダメだ、まだふわふわしている。
とても今の展開が、現実のものとは思えない。
「俺も、ロロノアさんが帰ってきてくれてすごく嬉しいです」
言ってから、しまったと口を開く。
調子に乗って変なこと言っちゃった。
「いえ、あの、いつもお世話になってるんで誕生日くらいお祝いしたいなとか。コーザいないから寂しくないかなとか。いえ、別にロロノアさんが可哀想だからって来たんじゃなく、もちろんお仕事で遅くなるとか会社関係の人と飲みに行かれるとか彼女と…」
そこまで言って、ぐっと言葉に詰まった。
そう彼女、彼女だ。
「いい人が、いらっしゃるんじゃないか、とか…」
最後の方は、口の中でもごもごと不明瞭に消えた。
膝に手を当ててシュンと項垂れたサンジに、ロロノアさんは困ったように片眉だけ上げて見せる。
「残念ながら、浮いた話もねえよ」
「ほんとですか?!」
途端、表情を明るくしてがばっと顔を上げたサンジは、あまりにもわかりやす過ぎる。
「俺はもう、いい年したおっさんだぞ」
「そんなことないです!確かに大人だけど、すごくカッコいいしロロノアさんだったら絶対モテるのに…」
そこまで言って、サンジは耳の上あたりを所在なさげに指で掻いた。
「でももしそうだったら、こうして俺の料理食べたりしてくれないから、やっぱり…ロロノアさんがモテなくてよかった」
「おいおい」
苦笑するロロノアさんに、またサンジはすみませんと頭を下げる。
「俺、なんかもう調子に乗って余計なことばっか喋ってる。なんだろ、酔っぱらっちゃったかな」
ロロノアさんと分け合って食べたケーキは、自分が食べることなんて想定してなかったからこれでもかとばかりに洋酒を使った。
さっきから顔が熱くてふわふわするのは、きっとこれのせいだ。
「未成年に酒飲ませちまったか」
「飲んでないです、舐めた程度」
えへへと笑って、サンジは赤い頬に両手を当てた。
「でも嬉しいです、ロロノアさんをお祝いできてすごく嬉しい。ロロノアさんが俺のこと気にかけててくれたの、嬉しくて泣きそうです。ありがとうございます」
いつもより素直に正直に、つらつらと言葉が滑り出る。
やっぱりちょっと酔っているようだ。
ロロノアさんに優しい言葉を掛けられて、うっかり舞い上がって箍が外れた。

「誕生日だから、おめでとうってお祝いしたかった。大好きだから、お祝いしたかったんです」
「うん」
へへ…と一人で笑ってから、サンジは冷めたコーヒーカップを持ち上げようとして手を止めた。
――――あれ?いま、俺なんか言っちゃった?

「えーと…あの…」
「うん」
「あの、ですね」
「うん」
ロロノアさんはいつもと変わらぬ優しい瞳で、じっと見つめてくれている。
これは、聞き流してくれたのだろうか。
いま、うっかり口が滑っちゃった一大告白を、さらりと流してくれちゃったのだろうか。

サンジはもう一度手を膝に戻して、表情を引き締め顔を上げた。
「ロロノアさん」
「ん?」
「好きです、誕生日おめでとうございます」
「…ありがとう」
真顔の告白に若干面食らいながらも、ロロノアさんは頷きながらコーヒーを口に含んだ。
こくんと飲み下し、静かにカップを置く。
「―――す、好きなんですよ?」
「うん」
「あの…」
「知ってる」
「へ?」
「気づいていたよ」
「へ…」
そうでなくとも紅潮していたサンジの頬が、火を噴くほどに真っ赤になった。

「き…気持ち悪く、ないですか?」
上擦った声で尋ねられ、ロロノアさんははっとした顔をした。
「うーん…そう言われれば、そういうのはなかったな」
「ほんとですか?」
「ああ、言われて初めてそのパターンもあるかと気付いた」
親子ほど年の違う、男の子とは言え可愛いサンジだ。
好かれて悪い気はしないこそすれ、気持ち悪いとか厄介だとは思わなかった。
「え、でもだって俺…もし、俺がロロノアさんの立場だったらうわあとか思うと思う」
「そうか?」
「そりゃそうでしょ、男に告られるなんてふざけてんなら蹴り飛ばすし、マジなら全力で逃げます」
ロロノアさんは声に出して笑った。
「じゃあ、俺に告られたら?」
「え?!そ、そそそそんなの大歓迎です!」
わふっと両手でテーブルを叩いて腰を浮かしたサンジに、ロロノアさんは腹を抱える。
「じゃあ、いいじゃないか」
「あ…そうですね、それはいいんですけど、いいんですけども…いいんですか?」
しどろもどろになりながら、再び椅子に座り直した。
「俺、男ですよ?こんななのに、ロロノアさんのことす…すすす好きとか、言っちゃうし」
「うん、正直なところ、そう悪い気はしていない」
「ほんと、に?」
「ああ」
それはよかった…と喜ぶべきか安堵すべきか、サンジは複雑な気分になった。

「えっと、じゃあ…ロロノアさんは俺のこと、どう思ってますか?」
ロロノアさんの、あまりにも動じない表情に勇気をもらって、恐る恐る聞く。
「いい子だなと思う。何事にも一生懸命だし真面目だし、よく気が付いて優しいし」
「―――それは、人間的には褒めてもらってると思うんですが、恋愛方向ではちょっと違うような…」
「うん」
じわじわと、嫌な予感がしてきた。
ロロノアさんの反応はあまりに淡泊すぎるし、これはもしかして「いい人」=「どうでもいい人」のパターンになるんじゃないかと…
「す、好きじゃないですか?」
つい焦って、悲痛な声を出してしまった。
ロロノアさんは少し考えて、うんと頷く。
「好きだよ。君のことは見ていて温かい気持ちになるし、面白いし」
お、おもしろいのか。
「ただ確かに、恋愛感情でどうかと言われると正直、よくわからない。たとえば君を、今夜コーザがいないことにかこつけてこのまま帰さない…という選択肢は、いまのところ俺には湧いてない」
「――――・・・」
これは、ほっとしていいのかガッカリしていいのか。
蒼褪めて硬直するサンジに、ロロノアさんは宥めるように優しい声音で言った。
「なにより、君と俺とでは年が違い過ぎる。単に年齢の開きがあると言うだけでなく、その間にいろんな差異があるんだ」
「えっと…ジェネレーションギャップ、とか?」
たどたどしいサンジの言葉に、ロロノアさんは柔らかくほほ笑んだ。
「もちろん、それもある。それだけじゃなく、例えば経験の差だ。いま、君は俺に決死の告白をしてドキドキしているだろうが、俺も同じようにドキドキして緊張している訳ではない」
「…あ、はい」
わかっていたはずなのに、サンジは明らかに落胆してしまった。
そうなのだ。
この展開に舞い上がってるのは自分だけだ。
「けれど、俺だって嬉しくない訳じゃない。実際かなり気持ちが浮き上がってるし、これでも結構胸が弾んでいる…というか、とてもいい気分になってる」
「そうです、か?」
ロロノアさんがあんまり平然としているから、それらも全部サンジを慰めるための気遣いじゃないかと邪推した。
「ただ、君みたいにストレートに感情を表に出せない。これも、もういい年した大人だからだ。これは多分、この先そう改善されることはないだろう。むしろ、俺はもっともっとリアクションの薄い、年寄りになっていくだけだ」
「そんなこと、ないです」
確かに、ロロノアさんはとっても大人で年上だけどきっと年を取ったってずっとぐんと素敵さを増すだろう。
「ありがとう。だが経験の差と言うのはこういうことだ。俺は君よりもたくさんの経験を積んで“妥協”や“諦め”の仕方を知っている。なにもかもかなぐり捨てて感情のままに突っ走ることもないし、社会的地位や世間体の大切さも身に染みている」
「――――・・・」
「だから、君との温度差があるのは当たり前なんだ。君はそれでも、俺のことを好きでいてくれるかい?」
その問いかけには、まっすぐ目を見て大きく頷き返した。
「はい。ロロノアさんがどれだけ枯れた大人だろうが面白味もないおっさんだろうが、俺やっぱりロロノアさんが好きです」
一気に身も蓋もない言い方になって、ロロノアさんは思わず噴き出した。
「え、あ、すみません」
「いやいいよ、まさにその通りだ。だから、もし俺達がこれから付き合ったとしても、君が先に幻滅したり見限ったり愛想を尽かしたりすることはあるだろうけど、逆に俺からはないよ」
「はい…いや、そんなこと…って言うか、え?」
ちょっとよくわからなくなって、サンジは混乱したまま目を見開いた。
「え、あの、付き合って…くれるんですか?」
「君さえ、それでよければ」
「ふえええ?!」
思わぬ急展開に、サンジは今度こそひっくり返りそうになった。


「ほんとに?ほんとにロロノアさん、俺とお付き合い、してくれるの?」
「ああ」
にっこり笑って頷かれ、サンジはその場で自分の頬を撫でた。
抓ってみるなんてベタなことはできないけど、上気した頬に緊張で冷たくなった指先がひやりと心地よい。
やっぱりこれは、夢じゃない。
「あの!あの!よろしくお願いします!!」
「こちらこそ」
やっぱりロロノアさんは平然としていて、まるで狐にでも抓まれたような気分だ。
「ええ…いいんですか?俺、ロロノアさんの恋人になりたいんですよ?」
「ああ。とは言え、ここはちゃんと釘を刺しておかないとな」
ロロノアさんは真面目な顔で人差し指を立てた。
「君が俺を好いてくれていることが嬉しくて、いわゆるお付き合いをしたいと俺は思った。だが、あくまで君はまだ未成年だ。だから一緒に出掛けたり食事をしたり、その程度のお付き合いに留めたい。それから、君の保護者であるオーナーに最初にきちんとお話をすべきだと思う」
「あ、それは大丈夫です。ジジイはもう、俺の気持ち知ってるし」
「え?」
ロロノアさんの目が、大きく見開かれた。
初めて見る、ロロノアさんの素の驚きの表情は意外と子どもっぽく見えた。
「今日、俺がこの料理の準備してんのも、全部わかってますよ」
「そうなのか?いや、参ったな」
狼狽えて後ろ頭を掻くロロノアさんは、予想外に可愛らしかった。
つい、この反応に気をよくして笑顔になってしまう。
「なので、ジジイに遠慮はいりません」
「わかった。だが、俺からもきちんとご挨拶させてもらう。それが大人の付き合いってもんだ」
「はい」
ここは神妙な表情で同意しておいた。
これでもう、晴れて二人は恋人同士だ。

「俺、これからは堂々とロロノアさんに“会いたい”って言えるんですね」
「ああ、だから毎回何かと理由を付けたり、こうして料理を作ってくれたりしなくていいよ」
「…え?」
一瞬寂しげな表情になったサンジに、ロロノアさんは諭すように言った。
「君だけが苦心して、俺に合わせることはないんだ。もちろん、君も学校の行事や…なにより勉強という本分があるんだから、俺にだけ合わせてられないだろう。俺もそうだ、仕事もあるし家庭もある。お互いのプライベートを尊重しつつ、会いたい時に会うでいいじゃないか」
それはとても理想的な付き合いのような気がした。
けれど、いつでもどこでもロロノアさんに会いたくて傍に居たいサンジには、物足りない。
「俺、ロロノアさんに自分の料理を食べてもらえるの、すごく幸せなんです」
「そうだな、俺も君の料理を食べると気持ちが軽くなって力が出る気がする。実際に、体調もすこぶるいい。けれど、そうして君が俺に尽くしてばかりじゃいけないと思うんだ」
高校生男子を相手に“尽くすな”とか、すごい会話になってるなと思いつつ、サンジは真面目な顔でうんと頷いた。
「俺、そういうのなりがちかも」
「うん、性分なんだろうな」
実際、ロロノアさんに恋するまでは女の子が大好きだったし、幼稚園でも小学校でも中学校でも、好きになった相手にはひたすら一途だった。
一途にあれこれ尽くすだけで、まともに相手にしてもらえたことはなかったのだけれど。

「君がしたいようにすればいいが、決して無理はしないと約束してくれ。それから、きちんと勉強はすること、学校の友人付き合いを大切にすること」
「ロロノアさん…なんか、父親みてえ」
「実際、どちらかというと父親気分なんだ。仕方ないだろ」
少し拗ねたような口ぶりに、サンジの胸がトキンと鳴った。
ロロノアさんは、時折どうしようもないくらい可愛らしい表情を見せてくれる。
「そして、とにかくサンジ君はサンジ君の人生を大切にしてほしい。言ってる意味が、わかるかな?」
「―――?」
無意識に首を傾げたサンジを、ロロノアさんは真剣な眼差しで見つめた。
「俺と交際を始めるけれど、それは君が俺を慕ってくれたからだ。だから、もし君の気持ちが薄れたり他に好きな人ができたのなら、正直にそう言ってほしい」
「…そんなこと!」
いきり立つサンジを遮るように、ロロノアさんは声を被せる。
「今は、恋に似た気持ちが強くて気分も昂揚してると思う。けれど、人の心は変わるし状況が変わってくることもある。もし、君の気持ちが俺から離れたなら、その時は遠慮しないでいいと言うことだ」
「恋に似た…じゃないです、俺、真剣にロロノアさんに恋をしてます!」
「ありがとう。俺ももちろん、君の気持ちを疑っている訳じゃない。その直向きさは嬉しいよ」
やはり、言葉であしらわれていると感じた。
なにより、付き合う前から“終わり”を考えるなんて、そんな後ろ向きな恋愛をサンジはしたくない。

「ロロノアさん」
「ん?」
サンジは少し悲しげな瞳で、ロロノアさんを見つめた。
「経験を積んで大人になるって、妥協や諦めも学ぶって言ってましたよね」
「ああ」
「それは、慎重になると言うことは、それだけ臆病にもなるって…ことですか?」
“臆病”という言葉は侮蔑の意味を含んできついかと思ったが、ロロノアさんは真面目に受け止めてふむと考えてくれた。
「そうだな。確かにそれもある」
「俺に捨てられるのが怖くて、最初から予防線貼ってる?」
「――――・・・」
今度こそ絶句して見せてから、ロロノアさんははははと乾いた声を出した。
「それも…あるかもしれないな、確かに」
こうして、自分の不利となることでも余裕を見せて認められることが大人なのだ。
サンジがどう逆立ちしたって敵わない、それこそ経験の差はどう足掻いても埋められないだろうけど、サンジにはサンジの若さという武器がある。
「俺がロロノアさんから離れなきゃ、その逆はないって言いましたよね。ってことは、ロロノアさんの方から俺に別れを告げることとか、ないですよね」
「ないな」
即答されて、ぶわっと総毛立った。
嬉しい、単純にすごく嬉しい。
「じゃあ俺、自分の気持ちの赴くままに生きます。ロロノアさんのこと、ずっと好きでいます。もちろん、先のことはわからないけど、今はとてもとても大好きだから…」
「ああ」
「だから、いつかロロノアさんが安心して俺に甘えてくれる日まで、俺はロロノアさんに愛情を注ぎ続けます」
「―――――・・・」
今度こそ、ロロノアさんは固まってしまった。
まさかこう来るとは、思ってもみなかったのだろう。
サンジの若さと勢いを、甘く見てはいけない。

サンジは「よし」と一人頷いて、席を立った。
「そろそろ9時だし、俺もう帰りますね。お邪魔しました」
「あ、ああ。送るよ」
続いて立ち上がったロロノアさんを、サンジは手で制した。
「大丈夫、一人で帰れますから、ロロノアさんには後片付けお願いします」
そう言ってさっさと玄関に向かい、靴を履く。
ロロノアさんはうろうろとその後に従った。
「本当に、一人で大丈夫か?」
「大丈夫です、家に着いたら電話しますね。SMSで俺のメアドも送ります」
コートを羽織ってマフラーを巻き、ロロノアさんを見上げた。
上がりかまちに立つロロノアさんは、普段でもサンジより頭一つ高いのに更に大きい。
サンジはロロノアさんのシャツを引っ張って、屈ませた。
両手を首に回して抱き寄せ、その頬にぷにっと唇を押し付けすぐに離れる。

「ロロノアさんにとって、いい年になりますように」
頬を真っ赤にしながらそう言って、それじゃあと慌てた様子で踵を返す。
「またね、ロロノアさん。おやすみなさい」
「…おやすみ、気を付けてな」
笑顔のままぱたりと扉を閉めて、サンジはマンションを後にした。



扉越しに足音が遠ざかっていくのを、ロロノアさんはしばらくぼうっと突っ立ったまま聞いていた。
それから部屋に取って返し、寝室に直行して窓のカーテンを開ける。
しばらくして、駐車場をサンジが歩き去っていくのが見えた。
外灯に照らし出される影はいつもよりなお細く、頼りなく見える。
けれどサンジの足取りは堂々として揺るぎなく、振り返らずともその笑顔が見えるような軽やかさだ。

ロロノアさんは、先ほど柔らかな唇を押し付けられた頬を、そっと掌で擦った。
口端が引き上がって、ともすれば顔が緩んでしまう。
込み上げてくるニヤニヤ笑いをなんとか飲み下し、掌でゴシゴシと顔を擦って敢えて仏頂面を作る。
「…早まったかな」
声に出して呟いてから、また誤魔化すように口元を抑えた。
他に誰もいないのに必死で平静を装わなければならない自分が、我ながら滑稽だ。


End





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