夏休み



決して体感温度だけでない、むしろ実際の気温が殺人的な数字を叩き出している今夏。
頭の上に生卵割って歩いたら目玉焼きになるんだろうなと、非現実的なことを考えつつゾロは定刻通り家路に着いた。
夏バテならぬ夏ボケした担当者の尻拭いであちこち奔走したけれども、なんとか全て解決させて気持ちよい疲労が全身を覆っている。
いつもならコンビニで適当に夕食を見繕い、缶ビールを呷って即寝コースだが今年の夏はちょっと違った。

「ただいま」
「お帰りなさい、風呂沸いてますよ」
にっこり笑顔で出迎えてくれたのは、愛息ではなくその友人サンジだ。
ピンクのエプロンがよく似合う出で立ちで玄関まで出迎えてくれ、鞄を受け取ろうと手を差し出してくる。
「あ、いや、どうも」
「暑かったでしょう、お風呂から上がったらすぐご飯にしますね」
「・・・どうも」
なんだかなーと思いつつも、しっかり冷房の効いた空気が心地よくて、ゾロは顔から噴き出す汗を拭いながら廊下を歩いた。
甲斐甲斐しいサンジとは対照的に、我が愛息は「おかえり」の声もなく机に向かったまま背中を向けている。
「ただいま」
「おー」
コーザは肘を着いて、手にしたシャーペンをピコピコ振った。
これで「おかえり」のつもりらしい。

一番風呂でさっぱりして上がってくると、部屋の中は食欲をそそる匂いで満たされている。
「今日は休肝日にした方がいいと思うんですよ、だから勝手ながら丼にしました」
「・・・ああ」
風呂上りに冷えたビールは至福の喜びだが、サンジにそう言われては大人しく従うしかない。
自分の家なのにしゃちほこばってテーブルに着くと、サンジは手際よく料理を並べていった。
そうしながら廊下に向かって伸びあがり、声を大きくする。
「コーザー、飯だぞ」
「うーす」
夕食の支度を友人にまかせっきりにして自室に篭っていたコーザが、どこか不貞腐れたような顔で出てくる。
そのままモノも言わず椅子に座り、箸を手に取った。
「いただきます」
ゾロはすかさずいただきますを唱え、それでようやくコーザも気付いたか口の中でモゴモゴと呟いてから丼を持つ。

「毎日暑いでしょ、ちょっとは精をつけてもらわなきゃって、豚バラ丼です」
「・・・ん――――」
「っん、まっ」
ゾロとコーザは揃って目を見張り、次いで丼の中を見下ろした。
柔らかく蕩ける豚バラ肉は甘辛く味付けられ、シャキシャキレタスとほんの少しの青紫蘇がいい風味を出して爽やかだ。
そこに半熟卵がぽったりと乗せられて、箸で混ぜて口に運べば喉の奥から手が出て引っ張るほどの勢いで食が進む。
「・・・うんまっ、うまっ」
「―――・・・」
コーザは中途半端な歓声を上げながら、ゾロはひたすら黙って丼を掻き込む。
まるで欠食児童のような親子を、サンジはニコニコ顔で見守った。
「お代わり!」
「・・・あるかな?」
当然のように突き出されるコーザの丼と、遠慮がちなゾロの丼を順番に受け取って、サンジは会心の笑みを見せた。
「もちろん、たんと召し上がれ」



息子の友人がなぜか、ほぼ毎晩家で夕食を作ってくれている。
ゾロ自身、どうしてそういう話の流れになったのかわからないが、夏休みに入ってからサンジが頻繁に入り浸るようになった。
昼間はコーザと二人で勉強し、そのまま夕食を作って一緒に食べ、9時までには帰宅する。
コーザが彼女と待ち合わせしたり用事があって出かける時はさすがに来ないが、コーザの都合が付く限りは毎日やってくるつもりらしい。
迷惑ではないし、むしろ毎日美味い夕食を食べれるからゾロ親子にすれば大歓迎だが、大事な他人様の子どもをまるで家政婦みたいに働かせるのは気が引ける。
なので、サンジの保護者たるゼフに連絡したが、サンジ自身が行きたがっておりロロノア家で迷惑でなければ使ってやってくれと逆に頭を下げられてしまった。
食費はきちんと払うと約束をつけ、サンジの無理のない範囲でお願いすることで一応の決着は着いたが、ゾロはやはりどこか狐にでも抓まれたような心地が否めない。
疲れて帰ってきたら、美味い飯が待っているのだ。
こんな美味しい話はないだろう。
サンジがきちんと9時までに帰れるよう、ゾロの帰宅も可能な限り定刻通りを心がけている。
早寝早起き美味い飯で、連日の猛暑ながらゾロの体調はすこぶるいい。


コーザからゾロとの親子関係の真実を聞いて、サンジの中で一つの殻が割れた。
真実を知った以上、この親子は放って置いちゃいけないという使命感が湧き上がったからだ。
折りしも記録的な猛暑が続く夏。
共にデキる男ではあるものの、自分の関してはモノグサな部分があるこの親子は、下手すると夏バテして共倒れする危険性がある。
そう判断して、サンジは勝手に毎日押しかけてはあれこれと面倒を見ている。
主に食事面で気を付けてさえやれば、お互いに気持ちよく快適な夏休みを送れるだろう。

開き直ったサンジは無敵だ。
物怖じせずロロノア家に押し入って、積極的に家事を行いいつの間にか自分の居場所を作ってしまった。
いまではコーザはサンジが家にいるのが当たり前のようになっているが、まだゾロの方は抵抗があるようで、他人行儀な態度が崩せない。
それが大人と言うものなのだろうけれど。

食後の後片付けは、コーザの役目だ。
だるそうに台所に立つ背中を眺めながらゾロは新聞を捲り、サンジは食後の一服を―――
「サンジ君」
「あ、わ、やっべ!」
無意識に取り出したのだろう煙草を慌てて懐に戻すのに、ゾロは有無を言わさず手を突っ込んで奪い取った。
「煙草は吸ってはいけない」
「…はい、すみません」
ションボリとうなだれるサンジが、こうしてゾロに叱られるのは3回目だった。

可愛らしくて気立てのいいサンジが慣れた仕草で煙草を吸っているのを見たとき、ゾロは軽くショックを受けた。
その場で叱り煙草を没収したら、サンジは泣き出さんばかりに萎れて素直に応じたのに、未だに喫煙の習慣が抜けていないらしい。
二度目に叱った時にゼフに連絡したら、これはゼフも承知のことだった。
ゼフ自身は、未成年だし料理を作る上でも舌が鈍るから喫煙には反対だが、そう目くじらを立てるほどではないだろうと思っているようで、ゾロほど神経に指導しようとは思わないようだ。
だが、ゾロは喫煙には厳しい。
本当は毎日、顔を合わせる度に煙草チェックしたいくらいだ。
未成年が煙草を吸うのは好ましくないし、第一身体に悪い。

「サンジ君は、自分で煙草を止めようという気がないのかな」
「いえ、あの…すみません」
「謝るのではなく、止める気があるのかないのか、聞いている」
腕組みをして問い質すゾロは、かなり怖い。
特に目が、怒っている
「すみません…」
サンジは今にも、泣き出しそうだ。

「オヤジにゃ関係ねえだろ」
ここでコーザが口を挟んだ。
洗い物を終えて、手を拭きながらテーブルに戻ってくる。
「こうして美味い飯食わせてもらってんだから、煙草の一本や二本、見逃してやれよ」
「それとこれとは話が違う」
ゾロは、憤然と言い返した。
「サンジ君はまだ15歳だ、当然喫煙が許される年齢じゃない。なにより、身体に悪い。背も伸びなくなるし、脳にも肺にも悪影響がある」
背が伸びなくなる…で、サンジはぴくりと反応した。
それは困る。
ロロノアさんに追い付けない。

「俺…煙草止めます」
「以前もそう言っただろう?」
「ほんとに、ほんとに止めます!」
ゾロに疑いの目で見られて、サンジは怖くて悲しくて胸が潰れそうだった。
「だから、そんな風に頭ごなしに言うなよ」
コーザが助け船を出すのに、ゾロの目はギロリとコーザに向けられた。
「まさかと思うが、コーザ。お前も喫煙してねえだろうな」
「親父!俺まで疑うのか」
サンジは居たたまれなくなった。
自分のせいでロロノアさんとコーザが喧嘩になってしまう。

「コーザは煙草吸ってません!俺だけなんです、間違ったって、自分の息子疑っちゃダメです!」
サンジはコーザを庇うように立ち上がって、ゾロと対峙した。
「俺みたいな不良が、コーザと付き合うなって言われたら、俺、俺もう来ませんから。だからコーザのことを疑ったりしないでください」
「サンジ君…」
ゾロは困ったように眉を寄せ、コーザに視線を移した。

「疑って悪かった。お前が煙草なんざ吸ってねえのは、俺が一番よくわかってる」
「…」
コーザは黙って、その場で席に着く。
「サンジ君も、座りなさい」
「…はい」
うなだれて座るサンジに、ゾロは優しく声を掛けた。

「煙草を吸うから不良だとは、俺は思ってないよ。むしろ君は、とても心が優しいいい子だと思ってる。だからこそ、煙草は止めて欲しい」
「…はい、あ、いえ…そんな」
サンジは頷いていいのか謙遜していいのか、しばし混乱した。
「君のような子が煙草に依存しているのは、多分なんらかの原因があるんだろう。俺はそこも含めて、できればサポートしたいと思う」
「…え」
ゾロの意外な言葉に、サンジははっと顔を上げた。

「本気で禁煙する気があるなら…いや、その気がなくとも、俺は君を叱り続ける」
「…ロロノアさん」
「君がうんざりだと音を上げるまで、な。だから、覚悟しなさい」

それは、見捨てないということだ。
サンジが煙草を手放せないチェーンスモーカーだからと言って、息子に悪影響があると遠ざけたりせず、むしろ親身になって力になってくれようとしてくれている。
そのことが、サンジには涙が出るほど嬉しかった。

「…叱って、ください。俺、自分で止められないみたいなんです。ロロノアさんに叱って貰えないと、タメかもしれない」
「そんな弱気でどうする。それじゃ俺から雷が落ちるばかりだぞ」
人を叱るのだって、大変なことだ。
それこそ、叱るゾロの側のがうんざりするだろう。
だけど、サンジはやはり嬉しくてたまらない。


ゾロは、コーザと同じくらいサンジを大切に思っている。
サンジは、ゾロが自分を見捨てないでいてくれることがすごく嬉しい。
コーザは、サンジが煙草を止めてまで自分の傍にいたいと思うのかと、複雑な気分だ。

三者三様の思惑は決して混じることなく、夏の夜は更けていった。

高校の夏休みは短い。
7月いっぱいまで毎日課外授業があったし、8月もお盆過ぎから課外が再開された。
そして9月を待たずして、来週月曜日はもう始業式だ。
「ああ〜〜〜〜なぁつ、やすみ〜〜〜〜」
サンジは机に広げたノートにぺたりと頬を付け、調子っパズレな声で呻いた。
例によってコーザの部屋だ。
今日はロロノアさんも朝から家にいて、昼食も夕食も腕を揮えて楽しくはあったが、こうして過ごせるのももうあと少し。
「サンジ君には本当に世話になったね、ありがとう」
「今からそんなこと言わないでください、ほんとに夏休み終わっちゃう気がする!」
サンジがガバッと起き上がり悲痛な声を上げるも、向かいでシャーペンを走らせるコーザは顔も上げないで突っ込んだ。
「遅かれ早かれ、今週で終わりだろ」
「うあああ〜〜〜無情〜〜〜〜〜」
両手で頭を押さえ突っ伏すサンジに、ロロノアさんは優しく労いの言葉を掛けてくれる。
「俺達はサンジ君のお陰で美味しく健康な夏を送れたが、サンジ君はあんまり遊びにも行けなくてつまらなかっただろう?」
「そんなことっ、ないです!」
再びガバッと顔を上げ、サンジはゾロの顔を覗き込むように伸び上がった。
「俺はもともと、春休みも夏休みもバイトを兼ねて店の手伝いぐらいしかしてないし、ジジイも忙しいし休みだからってどこ行くこともないし・・・」
「そうだな、夏なのになー」
コーザもコロンとシャーペンを転がして、胡坐を掻いたまま床に後ろ手を着いた。
「課外と部活以外、ろくに外出てねえなあ」
「祭りは雨降って散々だったしな」
ああ夏の思い出・・・と切ない溜め息を吐きつつも、サンジにとってはそう悪い夏休みではなかった。
と言うか幸せいっぱいで、永遠に続いて欲しいとさえ思える夏休みだった。
だって正々堂々とこの家に通えて、ロロノアさんに手料理を食べてもらえていたのに。

「別に、夏休み終わったってこうしてコーザに勉強教えてもらるの、ありがたいなあ」
ちらっと、ロロノアさんにではなくコーザに思わせぶりな視線を投げた。
「俺、夏休みの宿題を期間内に終わらせたの初めてだし」
「そんなん、自慢にもなんねえぞ」
そもそも夏休みの宿題と言うものは、9月に入ってからその科目の授業が始まる1分前までに出来上がればいいと思っていた。
しかも自分で解くのではなく、時間が許す限り駆け足で誰かのプリントを書き写すのが常だったのに。
それが、高校は夏休み期間が短く、しかも気安く頼れる友人も少ない状況にあってコーザの存在は本当にありがたかった。
夏休みの宿題など7月中に終わらせるべきと、サンジとはまったく違う思考回路を持つコーザに厳しく指導され、サンジもめでたく宿題諸々をすでに終わらせてしまっている。
「そしたら、夏休みとか平日とか休日とか関係なく、俺も飯作りに来れるのに」
「―――・・・」
これには、コーザの気持ちも少し揺らいだようだ。
なんのかんの言って、生活水準は高いのに食生活が非常に貧しかったロロノア親子の胃袋をがっちり掴んだ自信はある。
サンジなりに精一杯工夫を凝らして日々の夕食を作ったし、二人はいつもすごい勢いで残さず綺麗に平らげてくれている。
ギブアンドテイクってことで、この生活スタイルを続けていくことはお互い損な話ではないはずだ。

「ダメだぞ」
二人の表情をニコニコ顔で見守っていたロロノアさんが、笑顔のまま口を開いた。
「サンジ君がうちで食事を作ってくれるのは、夏休みの間だけの約束だ。いつまでも甘えてちゃいけない」
口調は穏やかなれど、有無を言わせず一刀両断だった。
サンジはへにょんと眉尻を下げ、コーザも口をへの字に曲げて黙る。
「・・・俺、二人に食べてもらえて幸せなんです」
「そう言ってくれるのは嬉しいが、学生の本分は勉強だろ?学校が始まったら、サンジ君はまず自分のことを優先させないとな」
ロロノアさんの言うことはいちいち正論で、高校生の自分じゃとても太刀打ちできない。
大人だなあとも思うし、その容赦のなさが少し冷たく、怖くもある。
もし、万が一にもロロノアさんに想いが通じたり、千に一つも願いが叶ったりしたとしても、いつか別れ話が持ち上がったら大人の論理でスパッとあと腐れなく捨てられそうだ。

「――――・・・」
まだ進展すらしていないのにもう別れの想像が湧き上がってしまって、鼻の奥がツンとしょっぱくなった。
そんなサンジの表情をどう見て取ったか、ロロノアさんも困ったように眉を顰めている。
「二人とも、ほんとに宿題も感想文も済ませたのか?」
「はい」
「おう」
「自由研究は?」
「そんなんねえよ」
はっとバカにしたように笑うコーザの前で、ロロノアさんはふうんと何か考えるように視線を彷徨わせ頬を掻いた。
「なら、明日も俺は休みだし三人で海にでも行くか?」
「ええっ」
「えー」
サンジは目を輝かせ、コーザは明らかに嫌そうに顔を顰めた。
「いい年して、なんで海になんか・・・」
「い、行きたいです!俺、海なんてもう何年も行ってない!」
これは本当だ。
記憶を遡れば、バラティエの慰安旅行で海水浴に行ったのは、確かサンジが小学生の時だった。
以来、遠足ぐらいでしか生の海を見ていない。
ロロノアさんはにこっと笑った。
「じゃあ決まりだな」
「はい、海、行きましょう!」
えー・・・とまだ不満そうなコーザを押し倒して、サンジは両手を上げて万歳した。


「Love」の強奪品ページに、あみちゃんちからDLF作をいただいてきちゃいました!!10万hitおめでとうございます!!DLF作をありがとうv

んでもって、年の差シリーズ↓
うっかり海に行くことになったら、なんだか長くなりそうですよ?


   * * *


夏休み最後の日に、思いがけないプレゼントが飛び込んで来てサンジは舞い上がった。
ロロノアさんと、海!
単純に海に行けるのは嬉しいし、なにより大好きなロロノアさんとだ。
夏休みが終わったら、会える時間も少なくなる(もしかしたら、なくなる)かもと思うだけで胸が塞がる気持ちだったのに、これで一気に浮上した。

「ジジイ!明日、ロロノアさんに海に連れてって貰うんだぁ!」
帰って早々、キッチンに飛び込みながら叫ぶサンジを、ゼフは苦虫を噛み潰したみたいな形相で迎えた。
「…おかえり」
「ただいま〜…なに着て行こうかなあ。あ、水着あったっけ。学校のは無地だしー」
ろくに会話もしないで、もう明日の準備に夢中になっている。
「えーどれにしよう。つか、これ柄が気に入ってっけどちょっと小さいんだしなあ。けどこっちは地味?いや、派手よりいいか?」
早速クローゼットから水着を引っ張り出してきて、あれこれと身体に当ててみる。
と、スマホが鳴った。
コーザからメールで、一瞬中止になったかとぎくりとする。
開いてみれば、明日ビビも一緒でいいかとのお伺いでほっとした。
「もちろんもちろん、大歓迎だってえの」
いくらロロノアさんと海にいけるとは言え、男三人で海なんてちょっと寒いと思ってたから、ビビちゃんが居てくれたら大助かりだ。
あの可愛いビビちゃんの水着姿が側で拝めるなんてのも至福だし、単純に女の子と海に行けるのも嬉しい。
「すっげえ楽しみ!弁当、なに作ってこうか」
あれもこれもとメニューを考えたが、この暑い盛りに大量の弁当を作って持って歩くのはやはり危険だと判断した。
その代わり、ちょっと摘まめる程度に小さめのお握りを作っていこう。
お握りだけじゃつまらないから、その分具に拘って見ようか。
「えっへへ・・・楽しみだなあ」
まるで遠足の前の日の小学生みたいに、サンジはその夜なかなか寝付けなかった。


   * * *


「晴れた〜〜〜〜」
サンジの願いが通じたか、夏休み最後の日曜日はピーカンだった。
気温も高く陽射しはきついが、ギリギリ猛暑日とはならない。
まさに行楽日和。

ゼフが呆れるほど早くから起きたサンジは、台所でせっせとお握りを作り、クーラーボックスに詰めて準備は万端だった。
これ持って電車に乗るのはちと重いかな〜と思わないでもないが、海に行ける嬉しさが先に立って苦にならない。
「んじゃ、行ってきまーす」
「はしゃいで、ロロノアさんに迷惑掛けんじゃねえぞ」
ゼフの苦言もそこそこに、サンジはクーラーボックスを担いでバピュンと家を飛び出していった。
待ち合わせは、最寄りのイースト駅だ。
改札前かと思ったら、駅前でコーザが待っていた。

「悪い、待たせたか?」
「いや、すげえ荷物だな」
「あ〜〜〜〜ちょっと、色々考えてたら増えて…」
さすがに気恥ずかしいと頭を掻くと、コーザは丁度いいと駐車場を指差す。
「親父が車借りて来てんだ。あっち」
「・・・車?」
サンジは驚いて、棒立ちのまま視線だけ振り向いた。
丁度、駅前駐車場から車が一台出てくるところだ。
運転席には、ロロノアさんがいる。
「ロロノアさん・・・車」
「おう、海行くのに車いるだろって」
頓着していないコーザが先に立って歩き出したから、サンジもすぐに追いかけた。
「おはよう、いい天気になったな」
「おはようございます、今日はよろしくお願いします」
クーラーボックスを抱えてぺこりと頭を下げるサンジに、ロロノアさんはすぐに手を差し伸べた。
「それ、トランクに積むか。飲み物だけ手元に置いて」
「あ、はいお願いします」
この大荷物を抱えて電車を乗り継がなくて良かったが、それにしてもロロノアさんが車を運転するとは思わなかった。
そう信じ込んでいた自分が情けない。
サンジが思っているよりずっとずっと、あの事故は遠い昔で、ロロノアさんは強い人なんだろうに。

「サンジはこっちな」
「うん」
コーザと並んで、後部座席に座った。
サンジは運転席側。
すぐ目の前に、ロロノアさんの緑頭がある。
「あ、ビビちゃんは?」
「ビビは丁度、蒼ヶ浜の別荘にいるんだってよ。だからあっちで合流」
サンジはぱっと表情を明るくさせた。
「蒼ヶ浜に行くんだ」
「サンジ君は、初めてかい?」
「はい、海自体小さい頃バラティエの慰安旅行で行ったきりで、いいとこプールぐらいで」
「蒼ヶ浜はちょっと距離があるけど、いいところだよ」
「はい!」
「その代わり、帰り混むだろうなあ」
コーザがうんざりとした口調で、座席に凭れ掛かった。
「まあ、ぼちぼち帰ろう。もうシーズンは過ぎてるからそれほど混まないだろ」
「だといいけどね」
ウォークマンで早速軽快な音楽を流し始めたコーザの横で、サンジはドキドキしながら目の前にいるロロノアさんの後頭部を凝視していた。
惜しい。
これでコーザの座席位置だったら、運転するロロノアさんが斜め前でばっちり見られたのに。
でも―――

サンジは、空いた助手席が気になった。
ロロノアさんは、もしかしたら助手席には誰も座らせないのかもしれない。
コーザと二人で出かける時は、必ずコーザを自分の後ろの席に座らせるのかもしれない。
今日は自分が、その特等席に座っているのかもしれない。

そんな、愚にも付かない妄想みたいな考えが頭を過ぎって、サンジは一人「ばかだな・・・」と呟いた。


目的地手前で渋滞に巻き込まれ、駐車場に停めるのにやや時間が掛かったが比較的早く海に着いた。
ドアを開けると、少し湿った汐の匂いが流れ込んでくる。
アスファルトの上はすでに砂に塗れていた。
「海だー!」
窓から海が広がる景色を眺めていただけでテンションが上がったサンジは、駐車場に降り立つとすぐ両手を挙げて叫んだ。
もう、嬉しさが内側から迸ってしまう。
「恥ずかしいヤツ・・・」
車から降りずに他人のふりをするコーザに苦笑しつつ、ロロノアさんはトランクを開けた。
「陽射しきついから傘いるだろ、あとシートと」
「パラソルって言えよ親父」
荷物の運び出しを父親とサンジに任せ、コーザはスマホを弄くった。
「ビビ、第一駐車場にいるって。こっちに来る」
「そうか」
「待ってないで、こっちから迎えに行ってやれよコーザ」
サンジに言われ、しょうがねえなとコーザは渋々歩き出した。
それでいて、どんどん早足になっていくのが遠目にもわかる。
「ちっ、コーザの奴かっこつけやがって」
サンジは手で庇を作りながらそんなコーザの背を見送りつつ、ロロノアさんと二人きりになれた喜びに打ち震えた。
コーザとビビ、それに俺とロロノアさんってまるで・・・ダブルデートみたいじゃね?
自然と緩みそうになる口元をなんとか引き締め、横目でチラチラとロロノアさんの姿を盗み見る。

以前からロロノアさんには極度の方向音痴癖があるとコーザから聞いてはいたが、ナビが丁寧に指示するにも関わらず2回は曲がり角を真逆に曲がったのには、笑った。
他の親父がこんなことすると舌打ちレベルで苛々するだろうに、ロロノアさんって超可愛い。

「盆が過ぎてるのに、人が多いね」
「ほんとですね、やっぱり暑いからかな」
どぎまぎしながら、ソツなく応える。
ロロノアさんはパラソルやシート、その他の荷物を肩に担ぎ、さらにサンジのクーラーボックスまで持とうとした。
慌てて抱え込む。
「いえ、これは俺が持つんで」
「大丈夫か、重そうだぞ」
「ロロノアさんこそ、手一杯じゃないですか。俺も持ちますよ」
手を差し伸べるサンジに、ロロノアさんは一番軽くて嵩張らない折り畳んだシートを渡してくれた。
ああ、ロロノアさんって優しい。

じわっと感動していると、松林に囲まれた歩道からコーザがビビの荷物を抱えてやってきた。
長い髪をポニーテールにし、パーカーの下にビキニを着たビビはことのほか可愛い。
「こんにちは」
「こんにちはー」
「ビビちゃ〜ん、今日はまた一段と可愛いね」
つい条件反射でクルクルと回転しながら前に躍り出たサンジに、すでにそんな動作に慣れっこなビビはウフフと笑っている。
むしろ、ロロノアさんのが目が点だ。

「おじさま、ご無沙汰してます」
「こちらこそ、いつもコーザのことをありがとう」
サンジはへえ、と感心した。
「もう、ビビちゃんのこと親父さんに紹介済みなんだ?」
「あ?や、え」
珍しくキョドるコーザに、ロロノアさんとビビが揃って噴き出す。
「いや、元々ビビちゃんのお父さんとは顔見知りでね。ビビちゃんのお父さんは大きな会社を経営していて、俺が以前、経済雑誌の編集に携わっているときにインタビューしたことがあるんだ」
「以来、なぜか意気投合して飲み仲間になったんですよね」
気安く話す二人は、これもまた仲の良い親子のようだ。
親同士が知り合いなら、嫁舅問題も起こるまい。
「いいだろ、さっさと行こうぜ」
「こらコーザ、お前も荷物持てコラ!」
ロロノアさんから荷物を奪い取り、抱えながら追いかけるサンジと逃げるコーザ。
その二人を笑って眺めながら、ビビとロロノアさんはゆっくりと後に続いた。



「海だ!ビーチだ!!水着美女だ!!!」
青い空と青い海、どこまでも続く白い砂浜にはカラフルなパラソルとシートが、まるで花開くように点在している。
その間をゆっくりと、縫うように歩く大胆な水着姿。
キラキラ光るへそピアスにも、サンジの目は釘付けだ。
「あー・・・や・・・っぱり、海はいいなあっ」
「サンジさん、そんなに溜めなくても」
「あ、いやもちろん、ビビちゃんの水着姿が一番素敵だよほ〜〜〜〜〜!」
「はいはい、いいからお前黙ってろ」
コーザにいなされビビに笑われても、サンジのテンションは下がらない。
だってやっぱり、基本的に女の子が大好きなのだ。
サンジスコープは自然と海岸にたむろする男共が排除され、女性のみクローズアップされている。

「ひゃっほ〜〜〜〜い」
「こらこら、海に入る前にまず、手首足首だけでも回しておきなさい」
ロロノアさんの声に、すぐ現実に引き戻された。
はあいと優等生的返事をして振り返り、そのままぐぎっと固まった。

ロロノアさんは、ゆっくりとTシャツを脱いでいた。
その白い服の下から、浅黒く滑らかな肌と厚い胸板、それに引き締まった腹が現れる。
そこに大きく斜めに走った、深い傷跡。
「――――― …っ」
硬直したサンジの隣で、ビビはほうと小さく息を吐いた。
「ロロノアさんって、素敵ですねえ」
こんな風に、素直に声に出して称賛できないのが哀しい。
それほどまでに、ロロノアさんは「いい身体」をしていた。

確かに、普段接していても上背はあるし肩もがっちりしてるし腕も太かったから、相当鍛えてるんだろうな〜ってくらいは想像できていた。
けど、水着姿を目の当たりにしてこんな、見惚れるくらい綺麗な身体って、初めて見たかも知れない。
それでいて、胸元の傷はあまりに大きく鮮やかだ。
けれどロロノアさんは何も気にすることなく、水着一枚になって屈伸運動をしている。

「これだから、親父と海やらプールやらくんの、やなんだよ」
コーザがぽつりと呟く。
それに、ビビがはっとしたように振り返った。
「コーザも、水着姿がとっても素敵よ」
「いいよ、とってつけたように」
「そんなことないってば」
拗ねた恋人を必死でフォローするカップルは横においておいて、サンジはいまだロロノアさんの背中から目が離せない。
心なしか、周囲にいる女性達の視線も一心に集めているようだ。
けっしてムキムキマッチョではないのに、とにかく筋肉のつき方のバランスがいい、見ていて気持ちのいい身体だ。
背中なんか特に綺麗で、多分一日中眺めていても飽きないんじゃないだろうか。

「親父って着やせすんだよな」
サンジが父親に見入っていても、それがさほど不自然だと思わない程度に父親の身体のよさに自覚があるのだろうコーザが、まるで説明するように声をかけてきた。
「元々運動ばっかりしてるし、いまでも定期的にジムに通ってメンテしてんだよな。年が年だから自分でも気にしてんだろ」
「・・・ふ、う〜ん・・・」
我ながら気のない風に相槌を打ったが、実際コーザの言葉の半分も耳に入っていない。
どうしよう、男の裸を見てドキドキするなんてこと、初めてだ。
鍛え上げられた肉体を見て素直に綺麗だと思うし、命を取られても不思議でないほどの深い傷跡にもショックを受けた。

「でもその内、親父だって腹が出てきてその辺のトドと同じになんだよ」
コーザの憎まれ口につられて視線を移せば、なるほどところどころにトドがいる。

「バカ!ロロノアさんは、ああはならねえよ!」
「なにキレてんだよ」
「おーい、海は入らないのか?」
サンジ達がごちゃごちゃ言ってる間に、ロロノアさんは準備体操を済ませさっさと海に入っている。
サンジは慌ててその後を追った。

久しぶりの海は楽しかった。
ザブザブ泳いでコーザと競争して、みんなでビーチボールしてビビちゃんが笑って、ちょっと目を離した隙にロロノアさんが沖に出ててコーザが大声で呼び戻したりして。
サンジは特に海育ちでもないが、小さい頃から泳ぎが得意だった。
なので、砂浜でイチャコラしているコーザとビビをそっとしておくべく浅瀬でゆったりと背泳ぎしていたら、いつの間にかロロノアさんが真上から見下ろしていた。
「綺麗なフォームだな、水泳部なのか?」
うっかり慌てて起き上がろうとして腰から沈んだ。
「わっぷ」
「おっと」
脇の下に手を入れて、まるで子どもでも抱き上げるようにロロノアさんの目線まで持ち上げられた。
「驚かせたか、ごめん」
「…いえ」
素肌にロロノアさんの手のひらが触れていて、ドキドキする。
「水泳部、じゃないです。オリジナルで…」
「すごいな、サンジ君はなんでもできるんだな」
そんなことない。
なんでもできるってのは、コーザのことを言うんだ。
勉強はできるしスポーツ万能だし、人当たりもよくて無駄に敵を作らない。
先輩にも先生にも受けがいい。
でも――――
ロロノアさんの目は、まるで子どもみたいにキラキラ輝きながらサンジを見つめていた。
相手が子どもでも、すごいと認められることは素直に賞賛する。
大人だからと偉ぶったり上から目線になったりしない、ほんとの余裕があるからこそ、客観的に他者を認められるんだろう。

「…好きだなあ」
「ん?」
「あ・・・」
思わず口に出してから、サンジはかっと赤くなった。
「あ、いえ、あの、す・・・好きなんです!泳ぐのがっ!!」
「そうか、好きこそものの上手なれだな」
ロロノアさんは特に引っ掛かることなく納得してくれた。
それに心底安堵しつつ、それでも顔のほてりが鎮まらない。
できることなら、このまま海の底深く沈んでしまいたいほどに恥ずかしい。

「日焼け止め、塗ってるか?」
「・・・は?」
「肩も顔も、真っ赤になってっぞ」
そう言って今度は背中を撫でられた。
ひやっと身体を竦めたのは、ロロノアさんに撫でられたという事実+ぴりりと痛みが走ったからだ。
「いえ、特に何も・・・」
「ダメじゃないか!」
ロロノアさんはことさら大きな声を出し、その場でサンジを横抱きにする勢いで腰を掴んだ。
「直射日光舐めんなよ、火傷になるぞ」
「大丈夫です!コーザだって、なにも塗ってない」
「コーザや俺はいいんだ、肌の質が違う」
「わかりましたから、離してくださいっ」
波を蹴りながら逃げるサンジを、ロロノアさんはしつこく掴もうとはしなかった。
まるで追い立てるように、笑いながら背後から水を掛ける。
言われて初めて肩も背中もヒリヒリ痛むことを自覚したけれど、それよりも心臓が高鳴りすぎて口から出そうだ。

ロロノアさんに、触られちゃった。
しかもこ・・・腰とか掴まれちゃったりして!
やばい、やばいぞこの感触。
なんかずっと、忘れられなさそう。
でも、ちょっとゴツっと来たかな腰。
痩せて腰骨張ってるから、ゴツゴツしててみっともないなあ。

アレコレ考えながらヨロヨロ歩いて砂浜に到着すると、途端に焼けた砂が足裏を刺激した。
「アッツ・・・」
「すっげえ陽射しだな、やっぱまだ夏か」
二人してピョンピョン跳ねながら、ビビとコーザの元へ戻る。
途中で、コーザが笑いながらビーサンを投げてきた。

「ビビちゃん、日焼け止め持ってるかな」
「はい、ありますよ。ああサンジさん真っ赤っか」
大変、とビビは膝に掛けていたバスタオルを広げてサンジを頭から覆った。
「ちゃんと塗ってなかったんですね。これはヤバイですよー熱持ちますよ」
今からでも遅くないと、ひんやりクールな日焼け止めをヌリヌリと塗ってくれる。
ビビみたいな美少女に肌のケアをしてもらえるなんて、もう今日は嬉しいことがありすぎて思い残すことないかも。

「俺もちょっと塗り足しとくか」
「え、コーザ塗ってたのか?」
「いまどき、海行くんなら常識だろ」
しれっと言われ、自分がいかに無防備だったか思い知らされて再びがっくり来た。
肩を落とすサンジの背中を、いつの間にかロロノアさんの大きな掌が撫でてくれている。
「うし、こんくらい塗ればいいか。でももっと中に座って、日陰にいなさい」
「・・・あ、ありがとうございます」
その隣で、コーザが砂を撒き散らしながら胡坐を掻いた。
「腹減ったなー」
「海の家でなんか食うか」
「あ、俺・・・」
思い出して、重かったクーラーボックスに手を掛ける。
「ちょっと、おにぎりだけ持ってきたんですけど」
「お!」
「やりぃ、サンジのおにぎり」
「わあ、食べてみたかったんです」
途端に、食いついてくれるのが嬉しい。
保冷剤と日陰の場所がよかったか、開けるとまだひんやりしている。
「お弁当とかだと傷むの怖かったんでお握りだけなんですけどー・・・」
言いながら、小さめに作ったお握りをどんどん出していく。
「中身は色々です。梅干に昆布におかか、高菜と塩麹鮭、牛肉の時雨煮、味噌豚に海老マヨ、チーズ明太子とツナ、炊き込みご飯と煮卵丸ごと・・・」
「すっげー」
「わあ」
「おお」
こっちが恥ずかしくなるほどクリアな反応を見せて、サンジの周囲を取り囲んだ。
「わあ、どれにしようかなあ」
「やっべ、俺全部食いたい」
「こんなにたくさん、種類も豊富で。大変だっただろ?」
ロロノアさんに労われ、サンジはいやあと後ろ頭を掻く。
「どれもサイズ小さいから、食べきりですよ」
「嬉しいです、いただきますー」
「おう、食うぞ」
早速お握りを囲んで小休止となった。

「美味しい〜」
「うまっ、うまっ」
「―――・・・」
ロロノアさんは相変わらず黙って食べているが、頬袋がパンパンに膨らんでいてリスみたいでものすごく可愛い。
サンジはニコニコしながら自分が作ったお握りを頬張る様子を眺め、お茶を汲んだりおしぼりを渡したりと忙しい。
「海に来ると、なぜか塩っ気のあるもの食べたくなりますよね」
「海の水もしょっぱいのにな」
「もっとたくさん、作ってくればよかったかな」
瞬く間になくなったお握りの山を、困惑しつつ嬉しく眺めていたら目の前に焼きソバが差し出された。
「はい、サンジ君はほとんど食べてないだろ」
「あ、どうも」
「ほらお前らも」
いつの間にか、ロロノアさんは海の家に行ってアレコレ買い足してくれていた。
さすが気配り上手な大人だ。

「お握りも美味かったけどな」
「美味しかったです、私あんなに美味しいお握り初めて食べました」
「また、ゆっくり食べたいな」
「今度お握りパーティ、しようか」
「いいねえ」
ゆっくりと腹ごしらえして、少し休んで。
それからちょっとだけ海で遊んで、少し早めに帰途に着いた。



「送っていただいても、いいですか?」
現地集合したビビだったが、家族は一足先に別荘を後にしたらしい。
親父の車で送るよとコーザが勝手に請け負っていて、ビビも一緒に帰ることになった。
が、ロロノアさんは浮かない顔だ。
「もちろん、いいよ」
口ではそう言いつつ、ビビ達に背を向けて少し考え込んでいる。
帰り支度をしているコーザ達は気付いていないから、サンジはそっとロロノアさんに近付いた。
「あの、帰りは後部座席にビビちゃんとコーザで、俺助手席座っていいですか?」
そう言うと、ロロノアさんはあからさまに眉間に皺を寄せた。
「後部座席に三人じゃ、きついかな」
「多分、荷物もありますし。それに、野郎三人とかならまだしも、ビビちゃんにくっ付くの俺悪いし」
「・・・そうだ、な」
言いながらも、まだ逡巡している。
「それなら、コーザが助手席に座ってサンジ君と・・・」
「ダメですよ、つかヤですよ俺。コーザに恨まれる」
あくまで軽く、茶化すように笑った。
「俺、助手席でちゃんとナビしますし」
「しかし・・・」
「あのね、ロロノアさん」
サンジはロロノアさんの正面に回って、真っ直ぐに見上げた。
「俺ね、すっごい丈夫だし身体強いし、反射神経だってめっちゃいいんです。なにより俺って運がいいんです」
「―――・・・」
「だから、大丈夫です」

必死だった。
なぜだか必死になっていて、自分の言ってることが的外れなんじゃないかとか、出すぎた真似をしてるんじゃないかとか。そういう危惧や躊躇いを持ってる暇はなかった。
笑顔なのにどこか一生懸命なサンジをロロノアさんはじっと見つめ、ふっと表情を和らげる。
「・・・そうか、じゃあお願いしようか」
「はい!」
「なにしてんだ親父ー、駐車場行くぞ」
「おう」
「あ、ビビちゃん荷物持つよー」
サンジは慌ててビビに駆け寄り、その両手から荷物を奪い取った。
コーザが自分の分もと押し付けてくるのから逃れ、競争するように走る。

「楽しかったですね」
ビビの歩調に合わせ、ロロノアさんもゆっくり歩いた。
「そうだな」
前を向けば、コーザと追いかけっこするサンジの金色の髪がキラキラと光って見えた。



―――憧れの、助手席!
サンジは、きっちりとシートベルトをしてロロノアさんの隣に座り、緊張の面持ちで前を向いた。
すぐ側に、ロロノアさんがいる。
ハンドルに掛けた腕や、ギアに触れる手が間近で見られる。
しかも滑らかなステアリング。
どこかに立ち寄る時、バックするのに助手席に腕を回したりなんか、してくれないかなあ。

高まる期待で胸が膨らんで、心臓はさっきからバクバク鳴り通しだ。
一日中陽に晒された肌は、いま頃熱を持ってぴりぴり疼いてきた。
それでいて、身体全体がだるく内側から募る火照りがどこか心地よい眠りを誘っていく。

これはまずいと首をめぐらせば、後部座席に座った二人はすでに夢の中だった。
「海から上がると、すっげえ眠くなるよな」
そう言って笑うロロノアさんは、真剣な表情で前を向いてしっかり運転している。
夕陽がバックミラーに反射して、セピア色の柔らかな影が車内を満たしていた。

―――ああ、楽しかったな。
そう思ううちにいつしかまどろんで、サンジの意識もその辺りで途切れた。


なんとかナビに導かれ無事帰宅できたのは、それから6時間後のことだった。


End




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