文化祭



今日の高校は近かった。
毎回変わる駅からの距離に戸惑いつつ、ゾロは満足気に一人頷いた。
長い時は1時間、早くとも30分はかかる駅から高校への道程は、コーザに言わせれば徒歩10分だと言う。
だが今日は5分で来れた。
途中、余所の家の庭を横切った気もするが気にしない。

今日から高校の文化祭で、休みが取れたのを幸いにこっそりと足を運んだ。
「親父はぜっっっっっっったいに、来るなよ!」と厳命されてもどこ吹く風だ。
周囲を見渡せば、保護者や家族らしき団体が列をなして門を潜っている。
たとえ高校生といえども、親が文化祭を見に来るのはなんら不自然なことはない。

実際、ゾロはいまコーザの父親たる役割をこなすのが、楽しくてならなかった。
コーザがまだ小さかった頃は正直、面倒だと思うことも多かったが、いつの間にか大きくなり手も掛からなくなってくると、逆に寂しいような手持ち無沙汰な気分で余計なことにも首を突っ込みたくなる。
けれど多分、他の保護者達だって同じような気分なのだろう。
文化祭を見学に来るのが少数だったらゾロだって少しは躊躇ったが、こんなにたくさんの“お客さん”がいるなら、堂々と紛れるというものだ。


「お…」
遠目に、きらりと光る髪を見つけ目を細めた。
コーザの友人、サンジ君だ。
コーザとはクラスが違うから一緒に行動していないようで、ゾロが知らぬ友人達と楽しげに話しながら歩いている。

ああしていると普通の今どきの男子高校生なのに、なぜかどこかが違って見える。
基本、他人に興味のないゾロはたとえ待ち合わせをしていたとしても相手を見つけることが苦手だが、サンジ君は探してもいないのにすぐに目についた。
やはりあの金髪が目立つのか。
ゾロだけでなく誰の目も引いてしまうだろう、容姿だからだろうか。
じっと見ていると視線に気づいたか、サンジ君はふと首をめぐらしてゾロを見た。
途端、ボボボボボッと発火音でも聞こえそうなほどあからさまに、頬を赤く染める。

「こんにちは」
「こんにちは、先日はお世話になりました」
耳や首まで赤く染めて、サンジは友達に手を振った。
「先行っててくれ」
「OK、遅れんなよ」
「交代、1時からだぞ」
時計は12時50分だ。
もう行かなければならないだろうに、サンジはゾロの前でもじもじしている。
「こないだ、すみませんでした。俺ちゃんとナビしようと思ってたのに、寝ちゃって」
「いやいいんだ、それより日焼けは大丈夫か?今もまだ相当、肌に赤味が残ってるようだが」
そう言って顔を近付けると、サンジは一瞬首を竦めてからまたカーッと赤くなった。
普段は白い肌がどこまで赤味を濃くするのか、限界を見てみたいような意地悪な気分にもなる。

ゾロは一歩足を踏み出し、サンジの首元に顔を埋めるように近付いた。
息がかかるほど近くに鼻先を持っていき、しばし動きを止める。
その間、サンジはまさしく硬直していた。
片方だけ覗く目は丸く見開かれ虚空を凝視し、瞳孔まで開いてしまっている。
まさに何が起こっているのかわからず、呆然としているようだ。

「うし、大丈夫だな」
「…な、な、に、が?」
前を向いたまま声を上擦らせるサンジの耳に、そっと囁く。
「煙草の匂いがしねえ。ちゃんと禁煙の約束、守ってるみてえだな」
白く柔らかそうな耳朶がピンク色に染まっていて、不覚にも美味そうに思ってしまった。
「あ…たばこ…や、た、ばこ」
ゾロの方が気を遣って声を潜めているのに、サンジはそこまで頭が回らないのか「たばこたばこ」と連呼してからトーンを落とした。
「…だいじょうぶ、です。あんまり吸ってない」
「あんまり?」
「いえ、出掛けにはってえか、昼休憩にも、極力」
「極力」
「いえ、あの、あのっ」
可哀想に、そうでなくとも茹でダコみたいに真っ赤に染まった顔をさらに赤くしたり青くしたり、額に汗まで掻いて慌てている様が非常に可愛らしくも不憫だ。
助け船を出すつもりで、腕時計を見る。
「もう1時だよ、交代の時間だろ」
「あ!いっけね…あ、あの、行きます!」
「おう、がんばれよ」
ぱっと弾かれたように身を翻し、サンジは駆け出してからすぐに足を止めた。
赤い顔のまま振り返り、エヘヘと照れ笑いをする。
「うちのクラス、占いの館やってるんでぜひ!」
「おう、わかった。あとで回らせてもらうよ」
やた!と小さく叫んで、サンジは踊るような足取りで校舎の中に駆け込んでいった。


まったく、なにをしていても可愛いなあと思う。
コーザと同じ年頃だからまだまだガキだが生意気盛りだし、体格的にも大人になっていく頃だろうに。
サンジ君はどうにも可愛らしさが先に立つ。

――――まいったなあ。
可愛らしいとはいえ、相手は健全な男子高校生だ。
あのくらいの年頃は、時に同性相手でも憧憬に似た思慕を持つことも珍しくないかもしれない。
だから、一過性のもだと楽観視もしている。


――――俺のこと、好きなんだな。

ゾロは、昔から非常にモテた。
それこそ女性だけに留まらず、男性から思い余って告白されたことも数度だけだがないことはない。
だから、割と早い段階から気づいてはいた。
サンジが、自分のことを恋に近い感情で意識していることに。


いまだ独身を貫いているゾロだったが、特に主義主張があってそうしている訳ではない。
コーザが幼かった時は育てるのに夢中だったし、ようやく手が離れた今でもまだ思春期で、難しい年頃だと用心している。
だからコーザが大学に進学するか、成人を迎えた後にでも婚活をしてみるかと考えていた。
あと、たかだか5年ほどのことだ。
それまでにいい感じの人が現れたら、ゆっくりと関係を築いていければいいと思い始めてもいる。

ゾロの性嗜好はノーマルで、いわゆる身体だけのお付き合いの相手も女性だけだ。
同性から告白された経験はあっても応えたことはないし、今後もそのつもりはない。
―――はずだったが、相手がサンジ君だと少々話が違ってくるか…と思わないでもなかったが、そこはあまり深く考えないようにした。
なにせ相手は息子の友人だ。
まさに親子ほど年が離れているし、コーザの気持ちを思えばいかにサンジ君が慕ってくれようともそれに応えることは親として、そして人として許されないだろ。

最初は、サンジ君はファザコンなのだろうと思っていた。
詳しく聞いた訳ではないが、幼くして両親を亡くし祖父であるオーナーゼフと二人暮らしだという。
厳格なゼフの元でしっかりと躾けられたせいか、実に気立てが良くてしっかり者だ。
家事をきちんとこなした上で、祖父の店も手伝っているなど感心することしきりで、コーザも見習わせたいくらいだ。
コーザは良い友人に恵まれたと思う。

だが、いくらしっかり者とはいえまだ15の子ども。
亡き親が恋しいこともあるだろう。
身近な大人として、また父親代わりとして慕われるのもアリだろうと温かく見守っていたが、それにしてはサンジ君が自分を見つめる瞳に熱が籠り過ぎていた。
声を掛ければ頬を染めるし、少し近づけば身体全体で硬直している。
決して、嫌悪からくる拒否反応ではないことは言葉にせずとも伝わってきた。
悪趣味かと思いつつ、先月の終わりに海で軽くスキンシップを取ったら反応はあからさまなほどだった。
下心などなく、ただ純粋に彼の肌を心配して背中に日焼け止めを塗ってやった時、掌越しに強い鼓動が伝わってきた。
あの時確かに、彼の中で脈打つ心臓の響きがダイレクトにゾロの心にも響いたと思う。
自惚れでもなんでもなく、彼は自分のことが好きなのだろうと確信した。
そう考えれば、半ば押し掛け状態で美味い飯を食わせてくれた、夏休みの間の行動も理解できる。
すべてわかった上で、ゾロはゾロなりに考えていた。

実際、夏休み期間だけとはいえあまりにも充実していた食生活で、胃袋はがっつり掴まれてしまっていた。
さほど味覚にうるさくなく食べられるならなんでも食べる主義だったのに、彼の料理が恋しくてならない。
もちろん料理だけでなく、仕事から帰ったら笑顔で出迎えてくれるサンジ君の存在力は半端なかった。
コーザの無愛想具合と比べるべくもなく、3人で食卓を囲む場の雰囲気の温かさは今でも恋しい。
コーザも、こちらは主に食事面のみ恋しがっているようだが、ことあるごとに「サンジの飯食いてえ」「サンジ呼ぼうぜ」と言っている。
それに賛同したいのは山々だが、そこは大人の分別でもってぐっと堪えていた。
サンジ君の好意に甘えていてはいけないという想いと、過度に期待を持たせてはいけないという戒め。
彼とは、新学期が始まったのを契機に少し距離を置いた方がいい。
それが、お互いのためなのだ。


ゾロは、校内の案内状を片手に適当に校舎内をウロついていたがなぜか目的のコーザの教室にはたどり着けなかった。
表示通りに進んでいるはずなのに、気が付くと屋上に出ていたりして実にわかりにくい学校だ。
戻ってみれば先ほどとは違う廊下に出て、カレーやら生どら焼きやら売っていたからとりあえずそこで休憩する。
さすがに、保護者の中にも中学の時ほど顔見知りはいない。
それでも何人かが親しげに声を掛けてきたから、誰ともわからぬままソツなく世間話を交わした。

「コーザ君は学級委員も勤めて、課外活動もリーダー役を買って出たりして積極的に取り組んでるって聞いてますよ。すごいですよねえ」
「へえ、そうなんですか」
実際、我が子のことながら他人から入る情報の方が多かったりする。
コーザは高校に上がってからめっきり口数が少なくなり、必要なことも話さなくなってきた。
食事の時間帯もまちまちで、平日は下手をするとまったく顔を合わせない日もある。
男親に息子なんてこんなものなのだろうが、他に家族がいない二人暮らしだからなんらかの繋がりも緩衝剤もないのが心配だ。
その点、夏休みの間はサンジ君が入り浸ってくれたお蔭でコーザとの関係も不自然でなく穏やかなものだったなあと、つい懐かしく思い起こしてしまってゾロは一人首を振った。
いつまでもサンジ君に甘えてはいられないと思いつつ、つい脳裏に浮かぶのは彼の屈託ない笑顔ばかりだ。


あの日、海からの帰り道。
ゾロが内心で逡巡していたことを、彼はズバリと言い当てた。
コーザはゾロによく似ているといわれるが、本当はゾロの兄に生き写しだ。
年々、年を経るごとに兄そっくりになっていくコーザ。
そんなコーザを助手席に座らせて車を運転することは、できれば避けたいことだった。
ふと横を向けば、あの日の兄の最期の顔を思い出してしまうかもしれない。
我ながら女々しいと思うけれど、どうしても過去の記憶は消えず、時折唐突に脳裏に浮かんで時にゾロを苛める。
運転するという行為は克服できても、助手席にコーザを座らせることだけは、多分一生できないだろう。

かと言って、あの場面で他人様の大切な子どもであるビビやサンジを座らせることもできなかった。
さりとて、正直に理由を話して3人で後部座席に座ってもらうよう頼むこともできなかった自分の不甲斐なさが情けない。
そんなゾロの心の内を読み取ったように、サンジ君はそれとなく、けれど率先して助手席に座ってくれた。

『―――俺は、運がいいんです』
何度も言われた。
ただ、運が悪かったのだと。
そう慰められる度に、或いはほかの誰かが『運よく助かった』的な言葉を口にすると、兄夫婦の不運を思い出してやり場のない憤りが込み上げてくることもあった。
なぜあの事故に遭わねばならなかったのか。
なぜ運が悪かったのか。
誰の責任でもなかったと言うなら、なぜ彼らは愛息を遺して逝かなければならなかったのか。

いっそ自分のせいだと、詰られた方がよかった。
あの日あの時、もう少し病院を出る時間が早かったら。
あるいは遅かったら。
信号で止まらなかったら、交差点を曲がらなかったら。
たった一つのきっかけで、すべては回避できていたかもしれない。
いつもなら迷うはずの道も、兄のナビですんなりと通れた。
あの交差点までノンストップで、一度も赤信号に捕まらなかったことが“幸運”ではなかったと、気が付いたのはずっと後のことだ。
たった一つの歯車が狂ったことが、或いは狂わなかったことが運命を分けた。
それを何度も、思い出さずにはいられない。

けれど、サンジはそんなゾロの中の悔恨や憤怒や悲哀を、決して露わにしたりしていないのに敏感に感じ取った。
そうしてごく自然な態度で自ら助手席に座り、大丈夫だとゾロに言葉で語りかけてくれた。
コーザと同い年の、むしろ幼ささえ感じさせる年齢の子どもなのに。
時にドキリとさせるほど大人びて、肝心な部分をさくっと理解してくれる豊かな感受性を持ち合わせている。
彼のそんな部分には、いい年をした大人であるはずのゾロでもはっとさせられ、心魅かれた。

海からの帰り道、ふとした折に助手席に目を向けると、口端から涎を垂らして幸せそうに眠るサンジの寝顔があった。
安心し切って眠る薔薇色の頬に、自然と気持ちが和んだ。
あの時あの瞬間に、ゾロはどこか心の奥で初めて、救われた気分になった。



食べ終わったカレー皿をじっと見つめ思案に耽っていたが、やがて顔を上げた。
もう、帰ろう。
せめてコーザのクラスは覗いてみたかったが、それでコーザに見つかると後で小言を言われそうだし、うっかりサンジ君のクラスにも行き当たってしまうと、また彼の気持ちを刺激してしまうことになる。
やはり、徐々にでも距離を置いて行った方がいいのだ。
彼の、自分への想いは若気の至りと表現するに相応しいものだし、大人としてこれ以上彼の心を振り回すことは許されない。
もう、帰ろう。

そう思ってトレイを返却口に戻し、玄関と思しき方向へと歩いた。
が、なぜか中庭に出てしまう。
このまま突っ切ればいいだろうと木陰をサクサク歩いていたら、こともあろうに正面からサンジ君が走り寄ってきて手を上げた。
「あ、やっぱりいた!」
「・・・サンジ君?」
さすがに驚いて足を止める。

「交代って、当番かなにかじゃなかったのか?」
思わず尋ねるゾロに、サンジはへへへと得意げに笑い返した。
「占いの館の受付係してんですけど、あんまりロロノアさんが来ないから。また絶対迷ってるって」
だから、迎えに来たんです。

ロロノアさん来ないな。
絶対来るって言ったのに、来ないな。
一体いつ、来るのかな――――

ソワソワしてドキドキして、浮足立ちながらもじっと待っているサンジではなかった。
迷っているなら、迎えに行けばいい。
躊躇ってるなら、強引に連れて行けばいい。
傍にいたいから、傍に行くのだ。

「俺のクラスこっちですよ、コーザはその隣の隣だから一緒に行きましょう」
ゾロはサンジの顔を見て、それからふと上向いた。
校舎に囲まれた中庭の空は四角く切り取られ、鮮やかな青と白い雲が描かれた絵のようだ。
――――迎えに来られたならしょうがない。
捕まっちまったならもう、仕方がない。

「うし、んじゃ行くか」
「はい!」
なにかを吹っ切ったように、空に向かって息を吐いて。
ゾロは笑顔でサンジに向き直った。


End




back