常し方  -1-


サンジが好きな秋の色。
すかんと晴れた空は抜けるような青で、雲ひとつ見えない。
連なる山々は赤や黄色、オレンジ色と燃え盛るように鮮やかな彩りに包まれていた。
「すっげー」
「絶景だな」
手動で開けた窓から身を乗り出し、サンジは歓喜の声を上げた。

山また山の景色の中を、シモツキ線と変わらぬレトロな電車が通り抜けていく。
一日三本しか運行がない超ローカル線は、平日にも拘らず行楽客でほぼ満席だ。
誰もが艶やかな錦秋の景色に目を奪われている。
「綺麗だなあ。シモツキの山も綺麗だと思ってたけど、こっちは格が違う」
「紅葉以外、見所は特にねえ田舎の温泉宿だがな。この時期だけは観光客で賑わうそうだ」
「この景色見るためなら、遠くからでもわざわざ足を運ぶって」
すげーと再びため息を吐きながら、硬い背凭れに身体を倒す。
膝の上に乗っているのは前の駅で買ってきた駅弁。
まだホカホカと温かい。
駅弁を買って食べるのも初めてで、サンジは遠足に来た小学生のように朝からはしゃいでいる。
着替えの詰まった鞄を2人で1つ、持っただけの気軽な旅。

電車は山間の谷をゆっくりと進み、陸橋から渓谷を渡った。
サンジのみならず、居合わせた客達も一斉に歓声を上げる。
「おおーすげえ」
「川の色が深い緑だな」
「水面に紅葉が映ってる、まるで写真みてえな景色」
ここにウソップがいたら、きっと夢中でシャッター押すだろうな。
そう呟いて、慌てて携帯を取り出した。
カシャリとかすかな音を立て、撮影した画面をサンジは難しい顔で眺めた。
「・・・ダメだ、この色を全然撮り切れてねえ」
「写真は諦めろ。そん代わり、じっくりこの景色を目に焼き付けとこうぜ」
「だな」
携帯弄ってる時間のが勿体無いやと、サンジは顔を上げて窓辺に肘を乗せた。
少し伸びた髪が風に煽られ、陽射しを弾くように輝きながらその横顔を縁取る。
「綺麗だな」
「ほんとになあ」
ゾロが見つめていた先を知らず、サンジは流れ行く景色に目を細めた。



ローカル線に揺られること2時間。
殆どの客が終着駅で降りた。
鈍行の旅は退屈かと思いきや、次々と現れる雄大な自然の芸術にすっかり心を奪われ、あっという間の2時間だった。
「こっから路線バスで30分ほどらしいが」
「ふうん、まあ急がなくていいだろ」
サンジは鄙びた駅前をきょろきょろと眺めた。
「シモツキより都会だ・・・あ、足湯があるぜ」
「これ逃すと次のバスは30分後だぜ」
「1時間後よりマシじゃねえか、足湯入っていこう」
さすがに温泉町らしく、そこここから温かそうな湯気が立ち上り、駅前には無料の足湯を設えた東屋が作られていた。
サンジは目敏く饅頭屋を見つけ、ゾロの分と一つずつに温かい缶コーヒーも買って戻って来る。
「寒い日の缶コーヒーって、めっちゃ温まるよな」
「そうだな」
靴と靴下を脱いで透明な湯に足を浸ける。
最初は熱いくらいの湯音がちょうどよくなってきて、身体の芯が解けるような倦怠感に包まれた。
「あー気持ちいいー」
「これ美味いぞ、もっと買ってくればよかったな」
饅頭を一口で食べてしまったゾロが、齧り掛けのサンジの饅頭に手を伸ばしてきたから慌てて口に放り込んだ。
「ふぁっふぁく、ふだんもふひもへえ」
「落ち着いて食え」
「ほまへがひうあ」
東屋を風が吹き抜けて、黄色いイチョウの葉がひらりと舞った。





のんびりと湯に浸かり、足を拭いて身支度を整えた頃次のバスがやって来た。
急ぐ旅ではないからと余裕があるせいか、暇を持て余すこともやたらと焦ることもない。
いいタイミングばかりだ。
「このバスは、先に金を払うのか後なのか」
「小銭だけ出して乗るか」
一本遅らせたお陰か、車内は空いていた。
サンジは吊革に捕まりたがったけれど、山道を進むから危ないとゾロに諭され仕方なく椅子に座った。
今度は車内に取り付けられた降車ブザーを見つけ、これは俺が押すんだとゾロにのみ宣言する。
そう言うのは他のお客さんに向かって言った方がいいんじゃないかとは思ったが、ゾロはそこまで助言しなかった。

再び、紅葉に彩られた山道をゆっくりとバスで進む。
いくら眺めても見飽きない光景に、サンジは窓に齧り付いて「すげー」とか「きれー」とかを連発していた。
そんなサンジの姿は「初めて日本を訪れた外人さんが喜んでいる」と見えるのか、乗り合わせた数人の客達はみな視線が温かい。
下車予定の停留所がアナウンスされて、サンジが真剣にブザーを押そうとする時も、何故か全員固唾を呑んで見守っている雰囲気があった。
「次は〜野の里〜野の里前〜」
独特の節回しのアナウンスが終わると共に、ブザーが押す。
やたらと力を入れたからか、指先が白くなっている。
「うし」
何かをやり遂げた感満載で誇らしげに振り返るサンジが可愛らしくて、公衆の面前でありながら頭を撫でてしまいそうだ。
そんな衝動をぐっと堪え、ゾロは網棚に載せておいた荷物を下ろす。
バスはほどなく、目的地である温泉宿の前に着いた。





ゾロが予約してくれた宿は、豪勢な離れだった。
部屋に通されるまでまるで一口も口を利くまいと決意したかのように唇を閉じていたサンジが、作務衣を着た案内人が下がるのと同時に、堪えていた息を吐き出すみたいに歓声を上げた。
「なんかすげー、すげー部屋―」
「そうだな」
ゾロもやや興奮した口調で窓辺に歩み寄っている。
「見てみろ、この眺め」
「うっわ、すげえ。モミジの錦だ」
離れの奥は渓流になっており、川向こうに連なる山々は秋色に染まっている。
「え、こっち温泉?これが露天か」
桧と畳の匂いが気持ちいい部屋を横切り、脱衣所を覗けば一段下はもう風呂だった。
豊かな湯が滔々と流れている。
「おおおおおお贅沢!」
「こりゃ、すぐにでも入らねえと勿体ねえな」
夕食前に一風呂浴びておくもんだ。
ゾロにそう言われ、サンジは部屋に備え付けの茶を淹れるのも惜しんで、適当に荷物を出し始めた。
「飯は浴衣着て食堂に、だっけ」
「食堂も全部個室らしいな。明日着る服だけ箪笥に吊っといて、この後はずっと浴衣でいいだろう」
ウキウキと動き回るサンジに、まあ茶でも飲めと茶托に湯飲みを載せた。
「この後特に予定はねえし、ゆっくりしようぜ」
「ん、そうだな」
肘置きつきの座椅子に正座して、ほうと伸びをするように凭れ掛かる。
ふかふかの座布団が座椅子の上を滑ってずり落ちてしまった。
「なにこれ、座りにくい」
「まあ、そんなもんだ」
すげえ面白えとはしゃぐサンジは、ほとんど修学旅行生のようだ。
さしずめゾロは、引率の先生か。

「こんなすげえとこ、高かったんじゃねえのか?」
熱い茶と、またしても添え菓子を食べてサンジは思い出したように煙草に火を点けた。
全面禁煙でもない場所を見つけてくれただけでもありがたいのに、こんなに豪勢な宿とは思わなかったのだ。
「まあそれなりの値段はするようだが、なんせここまで来るのに時間が掛かる場所だしな。姉貴がなんたらって倶楽部の会員になってっから、普通より安いんだよ」
「へえ、お姉さまに感謝だな」
そう言えばゾロは兄弟が多かったのだと思い出す。
「正月にお邪魔する時、お礼言わないと」
「いいぜそんなの」
そう言いながら、ゾロは思わずにまりと表情を緩めてしまった。
正月にゾロの実家に行こうと誘ったことを覚えていてくれたことが単純に嬉しい。

「とりあえず、先に風呂入って来いよ」
サンジは仰向いて白い煙を吐き出しながら、前髪を掻き上げた。
「俺、後でいいし」
てっきり一緒に入るとか言い出すかと思ったのに。
ゾロはほっとしたような少し残念なような、複雑な気持ちのまま腰を上げた。
「じゃあお先に」
タオルだけ持って脱衣所に入る。
少し日が暮れかかり、空はいつの間にか筋雲が棚引いて黄金色に光っていた。
方向が違うのか、夕日は見えない。
早く交替してやらないと、サンジがこの景色を見逃してしまうのではないか。
そう思うと気が急いて、折角の絶景露天風呂だったのにいつも以上に早風呂になってしまった。

「お先」
「・・・早っ!」
驚愕のあまり目と口を同時に開けて、サンジは溜めまで入れて呆れた声を出した。
「なんでまたこんだけ早いんだ。露天風呂だろ?絶景だろ?」
「だからだろうが、今夕焼けですげえキレイな空だぞ」
早く入って見てみろと急かされて、サンジは灰皿に煙草を揉み消した。
「じゃあお言葉に甘えて、ちと行ってくるか」
バスタオルを腰に巻いただけのゾロと入れ替わりに立ち上がり、ふと後戻りして浴衣を手に取る。
「一緒に入ってたら2人でゆっくり楽しめたのにな」
ごめんな、と呟きその場でかがんでゾロの唇にキスをする。
「後でゆっくり、入ろうな」
意味深な微笑を残して、サンジは風呂場へと消えた。

ゾロは胡坐を掻いたまましばし動きを止めて、曇りガラスの向こうにかすかに移る影を凝視した。
―――後で、ゆっくり
「やっぱ、入る気か」
困ったような嬉しいような複雑な境地ながら、やはり口元がにやけて来てしまう。
なにせ昨夜は旅行前だからと、ご褒美タイムはなかったのだ。
やはり今夜は、たっぷりしっぽりご褒美をいただけるに違いない。
一緒に風呂に浸かって、夜風に吹かれながら星を眺めてじっくりと・・・
つい不埒な妄想に耽りそうになるのを戒め、ゾロはさっさと浴衣に着替えた。
まだまだ夜は長いのだ。



「お先ー・・・と」
きっちり浴衣を着て出てきたサンジは、畳に転がってガアガア眠っているゾロの枕元に立った。
「ちょっと目え離すと、すぐに寝てんだな」
呆れながらもこんなゾロの習性がおかしくてたまらない。
思えば電車の中でも移動中のバスでも、ゾロは居眠りしていなかった。
いつもならコンマ2秒で爆睡する男が、夕方まで一睡もせずにいたことの方が奇跡に近い。
「俺に付き合って、くれてたんだよな」
そのまま腰を下ろし、少し伸びた髪を手慰みに梳く。
温泉に浸かったせいか、ゾロのシャープな頬の線がより滑らかになっている気がする。

夏場は体重が減って痩せ狼みたいになっていたのに、秋の到来と共に順調に体重も戻った。
お前の飯が美味いからと褒めてくれていたが、正直ほっとしたのも事実だ。
身体が資本なのだから、ある程度がっちりしていてくれないと心配でたまらない。
額を撫でてそっと顔を近付けた。
ふが、とか鼻を鳴らしたのがおかしくて愛おしい。
そのまま唇を重ねると、少しカサついた感触がすぐにしっとりと潤う。
目の端に映るゾロの喉仏が大きく上下した。
いつの間にか後頭部を掴まれ、腰にも腕を回されて引き倒される。
「・・・狸?」
「いや、今目が覚めた」
サンジの頬にぺったりと自分の頬を引っ付けたまま、大口を開けて欠伸をする。
そんな仕種もどこか大型犬っぽい。

「そろそろ飯食いに行くか」
「ああ、もうそんな時間か」
立ち上がろうとしたらゾロに背中を掴まれて、ずれた襟元から鎖骨が覗いた。
そこに戯れに口を付け、不意にきつく吸う。
「・・・て」
痛えよと軽く押し退けた。
赤く色付いた痕に満足そうに目を細め、ゾロが不遜に笑う。
「今夜は、てめえが見られねえところにまで全部、印付けてやる。俺のモンだってな」
耳元で低く囁かれ、湯上りのサンジの頬に更に赤味が増した。
「…ば、かやろ」
俺だって付けてやる、とゾロの首に噛り付いた。
どう付けていいかわからず、歯を立ててカジカジ噛んでいたら突然部屋付きの電話が鳴り響く。
「はい、はい、わかりました」
慌てて受話器を取ったゾロは、サンジを首に引っ付けたまま見えない相手に頭を下げた。
食事の時間だ。



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