知音 -3-


「一体これは、なんの騒ぎだ」
「はい、パガヤの後を追って長屋まで来まして、暫く表で様子を見ていたら中が騒がしくなったので踏み込みました。そしたら丁度このパガヤが首を吊ろうとしてるところを、ちょぱ庵とおコニが止めに入ってるのに出くわしたんです。それで、全員落ち着かせて座らせておきました」
なるほど、それで梁からこんな物騒なものがぶら下っているのかと、得心して改めて向き直る。

「私がすべて悪いんですはい、申し訳ありません」
おコニの隣で同じように畳に額を擦り付けていたパガヤが、震えながら顔を上げた。
「殺されたのはおコニだと嘘をつきました。すべて私が悪いんです。おコニは何も知りませんでした。後からそのことを知ったんです」
「いいえ、おとっつぁん」
おコニが泣きながらパガヤの肩に縋る。
「私が、私が悪いんです。咄嗟に家の中に隠れたりして、あの時私はここにいますと表に出ればよかったのに」
「いいや、勝手におコニが死んだことにしてしまったのは私です、すみません」
「いいえ私こそ」
親子でぺこぺこ頭を下げ合う二人に、ヘルメッポが十手を翳しながらおいおいと歩み寄った。
「おコニが生きてるってことはわかった。それで、死んだのはどこの娘だ。顔つきだって、このおコニと
 そっくりだったじゃねえか」
「はあ、それが・・・」
パガヤは元から困ったような顔を更に困らせて、コーザを仰ぎ見た。
「私達もどこのどなたかわからないのです。はあ、すみません」
「わからない・・・って」
呆れたコビーの前に、今まで黙って座っていたちょぱ庵が割り込んだ。
「検視をしたのは私です。私が嘘をついてお上を騙してしまいました。申し訳ありません」
深々と頭を下げる巨体の隣に、コーザが腰を下ろす。
実直な町医者だと思っていたが、とんだ食わせ物だったのか。
警戒するコーザを、ちょぱ庵は身体に似合わぬつぶらな瞳で見上げた。
「ちょぱ庵、お前が見てあの死体は誰だったんだ」
「はい、誰かはわかりませんが女でなかったのは確かです」
「・・・なんと!」
その場にいた全員が、はっと動きを止めた。
「あれは、娘さんではなかったのですか」
「ええ、刀傷を調べるのみで着物を脱がせはしていなかったのですが、骨格や体付き・・・そして一部を確かめましたら男でした。顔は特殊な化粧をしてましたから、変装だと思われます」
「変装、だと?」
「死んでいるのに顔色が綺麗なままでしたから、相当分厚く化粧を施していたと思われます」
もしそれが本当だとすると、只者ではないことになる。

「そんな怪しい者を、おコニと偽って寺で埋葬したのか?」
「申し訳ありません」
パガヤがまた平伏した。
「おコニは、おコニは死んだことになった方がいいと、そう言ったのは私でございます」
すべては私の咎に、と申し出るパガヤにおコニが取りすがり、その前にちょぱ庵が立ちはだかる。
「医者の身でありながら偽りを申し上げたのは私でございます。責任は私に」
「いいえ、私自身が死んだことになっていたのですから、私に罪があります」
「いいえ私が悪いんです、すみません」
ごちゃごちゃと3人が団子になっているところに、表が騒がしくなってもう一人飛び込んできた。
「こら、いまお調べ中だっ」
「おコニちゃん!」
血相変えて飛び込んできたのは、若い男だ。
コーザは一目見て、これが噂に上がっていたおコニと親しげに話していた若者かと合点が行った。
なるほど、着物を着崩して一見遊び人風だが、ヘルメッポ達の前に立ちはだかり真剣な眼差しで
対峙してくる様子は、心底おコニの身を案じているように見える。

「おコニちゃん達に罪はありません。逃げようって言ったのは俺です」
「お前は誰だ」
「は、ワイパーと申します」
きちんと居住まいを正し頭を下げるワイパーは、おコニの幼馴染だと名乗った。
コーザはその場の人間をじろりと睨み渡すと、パガヤに向き直り低い声で命じた。
「もはや今から慌てても遅い。とにかく事の次第を話せ」
「ははっ」



パガヤの説明によると、ヘルメッポ達の調べ通り元々空島屋の商いは芳しくなかった。
そこへ、おコニを見初めた江煉屋から縁談が舞い込み、店のためにおコニはその話を承諾する。
しかし、密かにおコニに想いを寄せていたワイパーが駆け落ちを持ちかけ、ワイパーを憎からず思っていたおコニの心は揺れ動いた。
父親と店を捨てて逃げることも叶わず、思い悩むおコニに気付いたパガヤが江煉屋に破談の申し入れをしようと思っていたところ、おコニが斬り殺されたといきなり聞かされたのだ。
「あの時は本当に驚きました。なにせおコニは台所で朝ごはんを作ってましたからねえ、はい。そのおコニが殺されたと聞いて、すっかり気が動転してしまったのです、すみません」
おコニを家に置いて番屋に駆けつけてみれば、なるほど確かにおコニそっくりの娘の死体があった。
それを見て、いっそおコニが死んでしまったことにすれば話は早いと、そう思ってしまったのだ。
「江煉屋さんは、何かと怖い噂をお持ちの大店ですので、下手に話を拗らせると恐ろしいとの思いもありました。すべて私が不甲斐ないせいなのです、すみません」
深々と頭を下げるパガヤに、ヘルメッポが十手で肩を叩きながら歩み寄った。
「幸か不幸か、その江煉に手入れが入ったぜ。南町のスモーカー様の捕り物だ」
「ええ?」
「本当ですか?」
驚くパガヤ親子に、コーザも頷いてみせる。
「まあ、遅かれ早かれ江煉屋がお縄になるってんなら、縁がなかったってえ話だな。下手に細工を施して、お前らも骨折り損だった」
ヘルメッポの皮肉に、パガヤが深く頭を下げる。
「本当に、皆さんをお騒がせしてご迷惑をお掛けして、ちょぱ庵先生まで巻き込んで・・・一体何をして
 いたことやら、申し訳ないことです、すみません」
「それで、なぜお前は首を吊ろうとしたのだ」
「はい、店を畳んで一人でどこかへいくのも不自然だと思いまして、いっそ私がこのまま首を吊ればおコニの後を追ったと思われるでしょうし、そうすればおコニとワイパーさんは、二人で何処へでも逃げられると思ったんです、すみません」
「おとっつぁん!」
おコニは小さく叫んで、パガヤの肩を叩いた。
「おとっつぁんのバカ、なんで・・・なんでそんなことを」
「ごめんよ、おコニさん」
悄然と項垂れるパガヤ親子の横から、ちょぱ庵が進み出た。
「先ほどの、おコニに化けていた怪しい者の亡骸は、実は埋葬を済ませておりません。寺に預かってもらっておりますので、まだお調べはできると思います」
「そうか」
コーザは頷き、ヘルメッポにすぐに寺に向かうよう指示した。

それから、伏せたままのおコニに向き直る。
「おコニ」
「はい」
おコニは小さく震えながらも、青褪めた面を上げてコーザの前に手を着いた。
「今回そなた達が引き起こした騒ぎは、お江戸の町を揺るがし、お上をも謀った許しがたいことだ。その方、わかっておるな」
「はい」
おコニは気丈にもコーザの目を見つめ返し、しっかりと頷いた。
ワイパーやパガヤ、ちょぱ庵が何か言い出すのをコーザは目で制す。
「しかし、何より許しがたいのは私の妻、おビビを悲しませたことだ。そなたが死んだと聞いて、どれほど嘆いたと思うておる」
「あ・・・」
おコニが白い手を挙げて、口元を覆った。
大きな瞳から、涙がぽろぽろと零れ落ちる。
「おビビさんっ」
泣き崩れるおコニの肩を、ワイパーがそっと抱いた。

家の外で何事かと集まって来た長屋の連中は、おコニの無事な姿を見るとみな涙を流して喜んでいた。
それだけでも、今回の狂言がいかに罪深かったか分かるというものだ。
「そなたがこれ以上不幸な身の上となっては、おビビが悲しむ。お前に化けた者が何者であったかが分かれば、あるいはお前達は他の事件に巻き込まれただけのこととなるだろう」
ちょぱ庵がはっとして顔を上げた。
「調べの沙汰があるまで、この家で待機しておれ。くれぐれも妙な気を起こさぬように」
「ははあっ」
パガヤの返事と共に、一斉に平伏した。
これにて一軒落着と、コビーが胸の中で密かに呟く。




釣瓶落としの日が暮れて、誰もが急ぎ足で家路に向かう四つ半刻に、コビーは組屋敷でおビビの手料理を味わっていた。
「それで、おコニちゃんに化けていた者の正体はわかったんですか?」
おコニが生きているとわかったビビは、すっかり元気を取り戻していた。
あれ以来、青白い顔をしながら無理に元気そうに振る舞っていたから、気鬱の病にならねばいいと心配していたのだ。
そんなビビを愛しげに眺めながら、コーザは杯を傾ける。
「うむ、ちょぱ庵がきちんと検視し直しておったからな。どうやら怪しげな妖術を使って変装し、殺しを請け負う盆暮之輔という男であった」
「まあ」
ビビは口元に手を当て、痛ましげに眉を顰めた。
「殿方でも、おコニちゃんそっくりに化けることができるんですか」
「そこが怪し者と言うべきか。恐らく人斬りの命を狙って娘に化けたものの、返り討ちに遭ったという
 ことだろう」
「蓋を開けてみれば同業者ってことだったんですね、おコニさん達は巻き込まれたようなものですよ」
コビーの言葉に、ビビは胸元に手を当ててほうと息を吐いた。
「それでもおコニちゃん達は、それに乗じてお上を騙したことに変わりありません。でもどうか、厳しいお沙汰でなければよいのですが・・・」
「盆暮之輔の死体はそのままであったから、奉行所からも何人か検案してその変装の見事さに驚いておった。これならば身内も騙されるだろうと判断して、パガヤには人騒がせとの厳重注意はあるものの、
 取り立てて罪にはならぬ」
ぱっと表情を明るくさせて、ビビがコーザの前に手を着いた。
「寛大なお計らい、ありがとうございます」
「何、私の手柄ではない。お奉行様のご判断だ」
そう言いながらも、コーザは満更でもないような顔をして杯を傾けている。

「しかし、このままその者の正体がわからなければおコニさんは一生日陰の身。パガヤだって、あの
 気の弱さでは早々に首を吊ってたかもしれません。やはりおコニさんの死体に疑問を持ったコーザ様は慧眼ですよ」
感心するコビーに、コーザはいや・・・と口を濁した。
「おコニの死体に最初に疑問を持ったのは、私ではないからな」
「あら、どなたですの?」
ビビの素朴な問いに、口元に持っていった酒が噎せそうになった。
「ああ、いや・・・」
「そう言えば、結局下手人は人斬りだったんですが、殺されたのはおコニじゃなかったんですからこの殺しのお調べはないんですよね。そのことを、太夫に報告しなくていいんですか?」
「太夫・・・」
「あ、ああいや」
さりげなく聞き咎めたビビは、口元に微笑を浮かべたままコーザに酒を注いだ。
「一体どちらの?」
「いえあの、人斬りが懇意にしているってえ花魁に聞き込みに行ったんですよ。勿論、私も一緒に」
「そうだ、そうだなコビー」
二人して頷き合うのを前にして、ビビはクスクスと笑い出した。
「お仕事ですから、妙な悋気はありませんよ」
「当たり前だ」
ぶすっとして酒を含むコーザに、ビビの笑いが止まらない。

「けれど、その花魁もさぞかし心配なさったでしょうね。ご贔屓の方に嫌疑が掛かったわけでしょう」
「そうですね。やはり今回、人斬りの捜査は打ち切ったくらい、知らせてあげたらいかがでしょうか」
コビーが生真面目に進言するので、コーザはうるさそうに片手を振った。
「嫌疑も何も、盆暮之輔を殺したのは人斬りに間違いないのだから、本来は無罪放免とは言えまい」
「けれど、殺し屋の男を斬るのと堅気の娘を斬り殺したのとでは違いますよ」
「人の命には、変わりありませんのにね」
心配そうに顔を見合わせるビビとコビーに、コーザはふんと鼻息を漏らして杯を空けた。
「案じずとも、あの太夫は何もかも知っておるような顔をしておったわ。惚れた男のことは、女の方がよく知っておろう」
そう呟くと、ビビは神妙な顔つきで大きく頷いた。
と、コビーが箸の動きを止める。
「旦那、あれは女じゃありませんぜ」
「ああそうだった」
「・・・はい?」

きょとんとしたビビに、事の仔細を話し出す。
長い夜になりそうだ。





行灯の灯りがそよ風に吹かれ、チラチラと揺れる影を作り出す。
「寒うなりんした」
火鉢に翳す手を背後から取って、そっと己の胸元へと引き入れた。
指先にまで沁み込むような温かさに、サンジの口からほうとため息が漏れる。
「冬場には、手放せねえなあ」
いつもとは違う声音で、その脇腹にまで腕を回し己の身体に摺り寄せた。
「こんなにあったけえのに、世間でてめえは堀川小町を斬り殺した、冷血漢だってよ」
俺の元にまで瓦版が届いたぜと、背中に軽く爪を立ててみる。
「ほんとは、娘じゃねえんだろ?」
ぼこぼこと歪な傷痕を残す胸に頬を当てて、サンジは黙って酒を飲む男の顔を仰ぎ見る。
「だったらどうする?」
「別に、俺は可愛い娘さんが死んでさえいなきゃいいんだ」
ゾロの懐に入り込むように凭れ、腕を伸ばして煙管を吸った。
「けど、堅気の娘を斬り捨てたってえ、人斬りの評判はがた落ちじゃねえか」
一人ごちれば、ゾロはくっくと喉の奥で低く笑う。
「人斬りに評判もクソもあるか。人殺しには違いねえ」
そう言って、サンジの腰に腕を回し一層深く抱き寄せた。

「お前だけが知っていれば、それでいい」
火鉢に煙管を打ち付けて、何か言いかけた唇を塞ぐ。
窓を掠める風の音とささやかな衣擦れだけが、夜を満たした。





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