地上の天使 -4-


「しかし参ったな〜」
サンジは何度目かの独り言を呟いて、がしがしと頭を掻いた。

昨日の計画通り、リゾー島を見つけ無事入港できたのはよかったが、本当にゾロとサンジを豪奢なホテルに放り込んで、みんな立ち去ってしまったのだ。
こんな綺麗なホテルとなれば、ナミやロビン達が「やっぱり一緒に泊まる〜」ってことになると想定していたのに。
その潔さに感心するより、なんだが不気味だ。

「ああ〜、こんな部屋に二人きりなのが、ナミさんかロビンちゃんだったら最高なのに・・・」
先ほどから同じ台詞を何度も繰り返して、その度深い溜め息をつきながらベッドに埋もれ足をジタバタさせている。
タコができそうな耳を小指で穿りながら、ゾロは窓辺のイスに所在無さげに胡座を掻いていた。
「だから、今からでもナミだかロビンだかを呼び戻して代わってやるっつってんだろが」
「馬鹿言え、折角の好意を無碍にできるかってんだ。大体てめえが二人を追い掛けて無事戻ってこれる保証なんかどこにもねえだろ。つか、それだけで貴重な一晩が終わっちまうわ!」
うがーっと吠えて、また枕に顔を埋めた。
「ああ勿体ねえ、こーんな夢見たいなホテルにムサイ野郎と二人きり。しかも情緒もへったくれもない筋肉マリモ〜〜〜〜」
自分でも相当しつこく愚痴を言ってると自覚はあるのだが、こんなことを呟いてでもいないと“間”がもたないのだ。
だって本当に、ゾロと出会った夜以来初めての、まさしく二人きりの空間をいきなり与えられたのだから。





リゾー島はその名に恥じぬ、壮大な造りの人口島だった。
中心に店やホテルが集中した街があり、島の片側には人工林が植えられキャンプ場や渓流地などが設えてある。
もう片方は巨大遊園地で、遠目からも巨大な観覧車が目を引いた。
島のぐるりは砂浜に囲まれていて、浜辺に建てられたコテージには個々にプライベートビーチがあり、まさに一つの島ですべてのリゾート気分が満喫できる夢の島だ。

「ほんっとに、グランドラインってなんでもありだよな」
ルフィ達は当たり前のように遊園地に向かってすっ飛んでいったし、女性陣はショッピングにエステ・カジノと慌しく出かけてしまった。
ゾロとサンジの二人だけがホテルのフロントに取り残され、後を仰せつかったらしいホテルスタッフに案内されて、部屋に通されたまではよかったのだが―――

「なんじゃこりゃ〜〜〜〜」
思わずサンジが絶句したのも無理はない。
誕生日だからとデラックスルームを奮発したのはまだわかるとして、何で中央にどんと一つキングサイズのダブルベッドが鎮座しているのか。
しかも総レースのベッドカバーの上には赤い薔薇の花びらが散らされ、サイドテーブルにはウェルカムフルーツとシャンパンまでスタンバイ。
一体どこのカップルむけバースディ・プランだ、おい。

誰かに突っ込みたくても傍らにはゾロしかおらず、ばちっと目が合えば怒るより先に気恥ずかしくなって、サンジは「うがあああ」と唸りながら勢いで花びらを蹴散らし、ふかふかのベッドにダイブしたのだ。
それから煙草ばかり吸い続け、そろそろ小一時間が経とうとしている。

「・・・腹、減ったな」
先ほどまで窓辺を黄金色に染めていた美しい夕暮れがしっとりと陰を落とし始め、時刻に合わせるようにゾロの腹の虫がググ〜っと鳴った
「ああもう、飯どうすっかな」
あんまりな部屋の内装に呆けていたが、よく考えたらこのまま夜を迎えるまで、本当に手持ち無沙汰だ。
いや、だからと言って夜を迎えたら暇じゃなくなる訳じゃないんだけど。
つうか、このまま夜を迎えたらどうすればいいんだ。
つか、ならどうかすればいいのか。
ってか、どうかするってどうすんだよ。
つか何をする気だよ。
つか、なんかするのかよ。

またしても一人で思考がどうどう巡りを始めるが、誰も止めてくれない。
ゾロは景色を眺めながらシャンパンとフルーツを平らげ、それでもひだるそうに腹なんか撫でている。
一旦サニー号に帰って、米でも炊いてこようかななんて阿呆らしいことを考えていたら、ノックの音がした。
「―――はい?」
ナミかロビンが帰って来たのかと喜んでドアに飛びついたら、予想に反して銀のワゴンが恭しく運ばれて来た。
「ルームサービス・ディナーでございます」


「・・・は、いいいいい?」
サンジはその場で膝をつきそうになったのを、辛うじてドアノブに縋って踏み止まった。
ルームサービスですと?
この部屋で、この雰囲気でゾロと差し向かいでディナー?

サンジの当惑を他所に、出張ウェイターは持ち込んだワゴンをテーブルに早代わりさせ、あっという間に二人だけのロマンティック・ディナーを完成させてしまった。
「こちらはサービスでございます」
とか何とか言いながら、赤ワインを開けてペア・グラスに注ぐ。
ほとんど魂が抜けた状態で椅子に腰掛ければ、正面には同じく当惑顔のゾロ。
前菜がサーブされ、ウェイターは脇に控えた。
これから食事のペースに合わせて、傍らで給仕してくれるというのだろうか。

ゾロがワイングラスを持ち上げ、軽く口を開いた。
何かを言い出す前にサンジは正面から殺気のこもった目線で精一杯睨み付け、辛うじてその動きを止める。
ここで何かひと言でも、ゾロの声を聞いたら爆死する。
つか、憤死する。
そんな気がしたからだ。

沈黙と羞恥に塗れた、ある意味拷問のようなディナータイムが始まった。
前菜からデザートまで、向かい合う男が二人黙々と、まるで義務のように平らげていく。
今更お天気の話なんてあり得ないし、これ美味いなとかこっちもいけるぞとか、気軽な世間話すらできやしない。
海賊である以上、仲間内の話なども憚られるし職業上も勿論だ。
とは言え共通の話題があるでなし、何よりいつもは饒舌なサンジが赤い顔をしたままひたすら食べることにばかり没頭していたのだから、普段から無口なゾロから話し掛ける訳もない。
結果、沈黙と咀嚼のみの、あまりに息苦しく陰鬱な夕食は1時間足らずで終了した。

手際よく片付け、最後に「Happy Birthday」と描かれた小さなホールケーキとシャンパンを置いて、ウェイターは恭しく一礼すると部屋を出て行った。
それからさらに1分後、ようやくサンジがほっと安堵の息をつく。


「・・・お、終わった―――」
精根尽き果てたようにベッドに倒れこむサンジを横目で見ながら、ゾロは勝手にシャンパンの封を開けて軽く笑い声を立てた。
「飯食うぐらいになんでそんなに緊張してんだ、いつもはうるさいほどくっちゃべってる癖に」
「うるさいたあなんだ。そもそもお前と差し向かいで食事するのが、これほど気詰まりだとは思わなかったんだよ!」
うがっと吠えてから、やや怯えたように首を竦めた。
その表情の変化に、ゾロは瓶に口をつけたまま片眉だけ上げて見せる。
「なんだ?」
「・・・なんでもねえよ」
拗ねたようにそっぽを向くから、ゾロはベッドに投げ出していた両脚を下ろして、改めて座り直した。

一緒の船に乗って生活をして、少しだけだがゾロにもわかってきたことがある。
サンジは感情がすぐ顔に出るように、基本的には単純で素直でわかりやすい性格をしているのに、ことゾロに対してだけは何故か真逆の反応をしてみせるのだ。
仏頂面になったから怒ってるのかと思いきや、実は喜んでいたり。
落ち込んでいるときに限ってヘラヘラと笑ってみせたり。
最初は掴みどころがなくて戸惑ったが、単なる天邪鬼だと思ってみれば、至極わかりやすくなった。
今のサンジの表情は、実は申し訳ないとか思っている顔だ。

「別に、俺は気を悪くなんかしてねえぜ」
多分、自分で気詰まりだと口走ったことを後悔しているのだろう。
そんないらない心配はできるのに素直に感情を言葉にできない、随分と苦労性だと思う。
「俺だって、別に気分が悪いわけじゃねえ」
ゾロが姿勢を正してサンジを見詰めているのに、寝転がって応じるほど横着でもないサンジは、ぎこちない動きで身体を起こした。
けれどゾロとは視線を合わせられない。
靴を履いたままの足をブラブラさせて、赤い顔をしながら床を見詰めている姿はまるで途方に暮れた子どものようだ。
口ではそう言っているが、実際ゾロと二人で過ごすのが気詰まりなのだろう。

ゾロが無言で立ち上がると、びくんと身体を震わせてその後を追うように顔を上げた。
なのに視線はどこか微妙に逸れて、壁辺りを見ている。
ゾロの動きを追いたいのに、それを悟られるのが嫌なのだ。
「街に飲みに出てくる」
「馬鹿言え!」
サンジは慌てて叫んだ。
「お前が一人で出て、無事に帰って来れっかよ」
「ならお前も来るか」
サンジは一瞬考えたが、緩く首を振った。
「折角みんながプレゼントしてくれた宿なんだから、無駄にしたくねえ」
ゾロはサンジの言葉の意味を図りかねて、一旦腰を下ろした。
ほっとしたような気配が伝わったので、自分はここにいてもいいのかと判断する。

「なら、風呂に入ってくる」
「おう」
サンジはなんでもない振りをして、銀のフォークでケーキのクリームをすくっている。
ゾロはふと歩みを止めて、気配を殺したまま背後から覗き込んだ。
「一口くれ」
「うわあっ」
派手なリアクションをして、椅子ごと後ろに引っくり返りそうになった。
けれどゾロがぴったりと寄り添っているから、自然腕の中に倒れこむ形になる。
「な、なにっ?」
サンジの動揺を他所に、ゾロは肩越しにあーんと口を開けて見せる。
ゾロの顔と手元をきょときょとと交互に見てから、サンジはやけくそみたいにケーキにフォークを突き刺して大きな塊ごとゾロの口元に持って行った。
口端にクリームがつくのもかまわず、ゾロはぱくりとサンジの指まで食らい尽くす勢いで齧り付き、モグモグと頬袋を動かしながら風呂場へと向かった。
その背中が消えてしまってから、サンジは無意識につめていた息を吐き出す。

「・・・び、ビビった・・・」
まだ心臓がバクバク鳴って、口から飛び出そうだ。
フォークを握り締めたままの指は硬直していて、節にまでクリームがついてしまっている。
それを舌で舐めようとして一旦動きを止め、誰もいないのに視線をきょろきょろと左右に流してから、改めて舌で掬った。
じんわりと、口の中に甘さが広がる。
その味の中にゾロの名残りを探す自分に気付いて、顔から火を噴きそうなほどに一人赤面した。



自分でもわかっているのだ。
必要以上に、仲間以上にゾロを意識していることを。
出会いのインパクトが強すぎたせいだけじゃなく、多分あの古城で初めて会ったときから、ゾロはサンジの“特別”になってしまったのだろう。
だからゾロが目の前から崩れ去ってしまったとき、あんなにも衝撃を受けた。
もう二度と、会えないと思った。
やっと触れられる身体になったのに、掌に残った感触は滅び去った塵だけで。
大切なものを喪った悲しみに打ちひしがれて、あんなにも悲嘆に暮れて。
あの夜のことを思い出すだけで、いつでも涙が込み上げてくる。

以前の自分はこうじゃなかった。
何かが少しずつ変わっていくのが率直に恐いと思う。
相手が麗しいレディだったり、運命を変えるような劇的な出逢いだったら望むところだったのに、こんな風にただ切ないだけの不毛な想いにさえ容易く押し潰されそうだ。

サンジは愛らしく飾られたケーキの横に肘をついて、頭を抱えた。
自分にとって特別な相手である以上に、恐らくゾロにとってサンジはより“特別”な存在であり得るのだろう。
なんせ200年かそこら彷徨った末に、ようやく回り逢えた「言葉の通じる相手」だった。
結局サンジの尽力のお陰で、ゾロは蘇る事ができたのだし、まさに命の恩人と呼ばれてもおかしくはない関係だ。
だからこそ、サンジは踏ん切りがつかない。

200年孤独を流離った亡霊が、ようやく言葉を交わし己の呪縛を解き放たれた喜びを思うと、サンジに
傾倒するのは無理がないと思える。
多分、自分が逆の立場だったら、きっとゾロに特別な恩義を感じずにはいられないだろう。
例え一度は肉体が滅びて、新しく産声を上げ人生をやり直したとしても、記憶が残っていたならきっとサンジだってゾロを探す。
もう一度ゾロに会いたいと願い、その通りに行動するだろう。
そして思惑通りにゾロに逢えたら?
そうしたなら、やはり運命だったと更に思い込むだろうか。
面と向かって正直に、ゾロに思いの丈を打ち明けてその胸に飛び込むだろうか。
積年の想いに突き動かされて。
ゾロの気持ちなんて蔑ろにして。

サンジはいつも、そこまで考えてそっとため息をつくのだ。
多分逆の立場なら、そんな風に暴走してしまう自分が安易に想像できる。
でも、ゾロは違う。
いつも冷静に判断して、自らは行動しない。
今だって、この前だって、そのまたずっと前だって。

ゾロと再会した(と言っても、サンジにとっては一夜離れていただけのことなのだが)あの日以来、ゾロはずっと穏やかな眼差しで自分を見つめ続けてくれている。
けれど決して己から何かを欲しない。
サンジがあれこれ気を回して、握り飯とか好きな食べ物とか、そういったことでしかゾロの気持ちを汲み取れない。
けど本当は、別に欲しいものがあるんじゃないだろうか。
そう推し量るのは、自分の思い上がりだろうか。
だからと言って、それを察して自ら飛び込むってのは、やっぱり浅はかなんじゃないだろうか。

ここまで考えて、いつも堂々巡りだ。
ゾロはきっと、自分のことが好きだろう。
それは何よりも代え難い、“命の恩人”だからだ。
ゾロにとって、サンジと出会えたあの瞬間からすべてが変わったのだろう。
そんな“刷り込み”に胡坐を掻いて、己の身勝手な想いをぶつけてもいいのだろうか。
折角生まれ変わったのなら、ゾロにはゾロの運命があるはずなのに。
サンジとの再会と旅立ちだけのために、彼の人生は随分と狂わされてしまっているんじゃないのだろうか。
その上、自分とゾロとが恋人同士なんかになっちゃったりなんかしちゃったりしたら・・・
なんか色々、間違ってない?
つか、考え過ぎ?

この辺りで、サンジの思考は混乱を極める。
一見、ゾロを思いやっての気遣いのようにも思うが、現実から目を逸らすための方便ともいえないこともない。
一体俺は、なにをしたいんだろう。
ゾロは、何を望んでるんだろう。
こんな風にぐだぐだ一人で悩むくらいなら、いっそのこと押し倒してくれたらいいのに―――

「おい」
「うわあっ!!」
座ったまま飛び上がって横倒しになりそうになった。
傾いだ椅子の背をがっつり掴んで、ゾロが不審そうな顔をしている。
「風呂上がったぞって、聞いてなかったのか?」
「うあああ、はいはいはい。わかったよ畜生」
ゾロが裸の肩にタオルだけ掛けて、まだ湯気の残る出で立ちで背後から覗き込んでいた。
サンジは慌てて立ち上がり、サイドテーブルに蹴つまずいたりしながらアタフタと洗面所へ飛び込む。
ちらりと視線の端で捕らえれば、ゾロは腰にバスタオルを巻いただけだ。
なんですか。
もしかして、なんと言うかその気ですか。
俺は、ゆっくりじっくり風呂に入って、隅々まで洗ってくればいいんでしょうか。

動転したまま扉を閉めて、後ろ手にドアを押さえたままスーハーと深呼吸を繰り返した。
―――考えすぎ
よく考えたら考えすぎだ。
半裸でウロウロするのは船の上でも当たり前のことだし、腰にバスタオル巻いてるだけマシって状況かも。
大体、男同士なんだからさ。
風呂上りにどきっとしたり、風呂って単語にびくっとしたり、あり得ねえだろう普通は。

そう思うのにやっぱりドキドキが止まらなくて、サンジは鏡に映る自分の顔さえまともに見られなかった。







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