天狼


三寒四温というけれど、このところの気候の不安定さは異常じゃね?
普段、天気予報など気にしたことのないサンジが店の新聞を斜めに見ながら呟いた。
そもそもサンジが新聞に目を通すこと自体が珍しくて、古参のスタッフなどは驚きを隠せない。
「確かにまあ、こないだは妙に暑かったよなあ」
「半袖のお客さんもいたぞ」
「それに比べて今朝は寒いったら」
パティがでかい身体を揺らして呟くと、サンジはふふんと鼻で笑うように息を吐いた。
「こんなんで寒いっつってたら、シモツキじゃ暮らせねえな」
「俺はシモツキで暮らすつもりはねえ」
すかさず切り返されて、サンジは横を向いたままゴニョゴニョと口の中で呟いた。
何か言い返したいが、言葉にならないらしい。
代わりにぺらりと新聞を捲り、中に目を通さずすぐに閉じて畳んでしまう。
「そういやあ、三寒四温って本来の意味とは違うってナミさん言ってたか」
せっかく聞いたのに忘れてしまったと嘯きながら、ラックに戻した。
さてと立ち上がり、一服がてら表の掃除へと向かう。

バラティエにとって、クリスマスシーズンと並んで稼ぎ時となるヴァレンタイン・フェアも無事終わり、店はまるで祭りの後のような倦怠感に包まれている。
先月からやけに張り切ってあれこれ頑張っていたサンジも、その反動からか今は半腑抜け状態だ。
今日はオーナーが独立した元スタッフの店に顔出しに行って留守のため、余計気が緩んでいる。

「しかしまあ、サンジが新聞に目え通すなんて珍しいこともあるもんだ」
「しかも天気予報だってよ。雨が降ろうが槍が降ろうが我関せずだったのに」
「天気予報つったって、ここらの天気じゃねえぜ」
「だよな」
なあと顔を見合わせて、訳知り顔で頷き合う。
「なんにせよ、ちびナスが外のことに興味を持つようになったのは、いいことだ」
「もしかすると、テレビを見る日も近いかもしれねえな」
「そりゃあどうかな。未だに大好きなナミさんの番組も見られねえじゃねえか」
「そんかわり生で拝めるからいいって言ってたのに、最近はそっちもすっかりお見限りだ」
「いいんじゃねえか。ナミさんとやらは引退報道も入ってるし、ちびナスは余計なこと知らねえ方が」

表で手早く掃き掃除を済ませたサンジが、おお寒いと身体を縮こませながら中に入って来た。
すかさずパティが、「そんなんじゃシモツキに住めねえぞ」と声を掛ける。
途端、咥え咥え煙草のまま目を吊り上げて口をへの字にした。
「うっせえな、てめえらこそいつまで団子になって油売ってやがる!」
やはりろくな反論もできないで、てめえら早く準備しろとがなり立てる。
「おっかねえ副料理長だ」
その剣幕に誰もが首を竦めながらも、にやけた口元をそのままに開店準備に取り掛かった。



先月、シモツキから帰って来たサンジは、風邪でも貰ってきたのかと思ったほど赤い顔をして、いつになく無口だった。
なにやら塞ぎこんでいるようにも見えて当初は心配などもしたが、よくよく観察すれば一人でニヤけていたりして挙動不審なことこの上ない。
しかもやたらとオーナーの様子を窺い、何か言いたげにじっと見詰めていたりするから余計気持ち悪くて、スタッフの方がそわそわと落ち着かなかった。
ほとんど時を置かずして「言いたいことがあるならさっさと言いやがれ」とオーナーに一喝され、二人だけで長いことスタッフルームを占領された。
それからサンジは吹っ切れたのか、今は生き生きと振る舞い仕事に専念している。

ヴァレンタイン・フェアの前にはせっせとデザートの研究などして、いくつか試作品を作っていたようだが、いずれもパティ達の口に入ることはなかった。
その内オーナーから「あれは、シモツキに移住したいんだとよ」と打ち明けられ、吃驚したのが半分、ああなるほどと納得したのが半分といったところか。
今までテレビや新聞の類に一切触れなかったサンジが、遠く離れたシモツキの情報を知りたくて少しずつでも手を伸ばすようになったのは、喜ばしいことだといえる。

こんな風にサンジを変えたのは、シモツキではなくそこに住む男だろう。
誰もがそれをわかっていて、けれどサンジには「シモツキが恋しい」んだよなとからかうに留めている。
オーナーが何も言わないのなら、それ以上のことを意見する権利は誰にもない。




開店時刻の少し前に、オーナーが帰って来た。
コツコツと、独特のリズムを刻む足音がするだけで、自然とスタッフの背筋が伸びて厨房に緊張感が走る。
「今帰ったぞ」
「お帰りなさいやせ!」
フロアに待機していたサンジがひょいと顔を覗かせ、お帰りと口に出さずに顎だけ下げている。
なぜ素直に出迎えられないのかとパティの方が気を揉んでいるのに、ゼフは仏頂面のまま「ちびナス」と呼んだ。
「ちびナス言うな!」
「いいからこっち来い」
呼びつけられて、渋々厨房に入ってくる。
「今日あっち覗いて来たら、向こうもピーク過ぎたんで1人こっちで修行させて欲しいって言ってきやがった」
なんのことかと、サンジの背後でスタッフ達が顔を見合わせる。
「明日から1人入るからな、散々扱き使ってやれ」
おおう、と地響きのような返事がいっせいに上がった。

「それで、俺が教育係か?」
「んなもん、100年早え」
無碍に言い切って、ふんと見下すように顎を上げる。
「半端とは言え一応使えるもんが1人増えるんだ。てめえの休暇は2、3日伸ばして構わねえぞ」
ぽかんと口を開けてから、サンジはああ?と間抜けな声を出した。
誰ともなく、壁に掛けられた予定表へと視線を移す。
明後日から2日間、大きく赤丸をつけられたサンジの予定欄には「休暇」の文字。
「そんなん、別に・・・」
いらねえよとまでは言えず口ごもるサンジの背中を、カルネがどやしつけた。
「丁度いいや。今後の段取りもあるんだろ、じっくり話し合って来い」
「おうよ、うちはいつでも新入り大歓迎だからな」
「んなこと言って、すぐさま尻尾巻いて逃げ出す根性なしかもしれねえぜ」
ガハハと笑う大男達の中で、サンジはちっと舌打ちして横を向いた。
「いくらフェアが終わったからって、気い抜いてんじゃねえや」
「気もそぞろになってるてめえより、使いモンになるだろ」
違いねえと笑われて、サンジはぎりぎり音がしそうなほど歯を噛み締めている。
けれど「いらない」とは決して言わない。
乱暴だけど温かい、ゼフ達の気遣いがありがたい。

「んなら、ちょっくらバカンスしてくらあ」
「おうおう、ゆっくりして来い」
「まだあっちは雪があるかもしれねえなあ」
「ドカ雪でさらに2.3日帰るの遅れても、誰も困らねえぞ」
「うっせえよ!」
毛を逆立たせて怒るサンジを放って置いて、オーナーはこれで話はしめえだと手を翳した。
「野郎共、今日もキリキリ働けい!」
「うおっす」
どこの体育会系かと見まがうような合図とともに、店は開店した。
それと同時に、店の電話が鳴る。
丁度傍にいたオーナーが受話器を取った。
それを耳に残しながら、サンジはフロアへと向かうため厨房を出る。


「サンジ」
オーナーゼフの常にない呼び方に、サンジは驚いて振り返った。
尋常ならざる気配を感じて、パティ達も動きを止める。
ゼフは手にした受話器を掲げて、無言でサンジを呼びつけた。












ゾロ
悪いけど、野暮用でシモツキへ行けなくなった。
また来月な。
サンジ





END


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