天命

抜けるような空の中を、無遠慮に鳩が飛び交う。
その中の一羽を目で追って、少女は小走りで駆け出した。

降り立ったのは、緑の芝生。
ではなく、それに見まごうような鮮やかな髪。
頭頂でクルックーと鳴く鳩を珍しげに見つめてから、少女はおずおずと視線を落とした。


日に焼けた彫りの深い顔立ちそのままに、眉間に皺を寄せて男は目を閉じている。
よく見ればいくつもの細かな傷がそこここに走り、一直線な眉や目元、頬に、色の違う筋を残している。
一見して恐ろしげな、いかつい男。
けれど不思議と恐れはなくて、少女はまじまじと正面から見つめていた。

ぱちりと、音が鳴るように瞼が開く。
切れ長の瞳は一瞬陽光を反射したかのように琥珀色に煌いて、驚くよりも見入ってしまった。
気配に気付いたか鳩は頭上から飛び立ち、それを二人同時に仰ぎ見た。



「いい、天気だな。」
今気付いたかのように、男が呟く。
少女は立ったまま見下ろして、首を傾げた。

「おじちゃん、旅の人?」
「ああ。」
腰掛けたベンチの横には、ぼろぼろの袋が一つだけ。
着古した服はあちこち擦り切れて破け、みすぼらしい。
よく見れば憐れなほどの出で立ちだが、乞食にはとても見えない。
何より男の逞しい体躯が、その雰囲気を払拭していた。

腰につけた三本の刀を見つけて、少女は初めて目を丸くした。
見たこともないような、綺麗な刀。
よく手入れされて、子供の目から見ても宝物のように美しい。
こんな武器を三本も携えているなんて、この人は闘う人に違いない。

「おじちゃん、剣士?」
「ああ。」
簡潔な返事を気にするでもなく、少女は隣に腰掛けた。
「すごい刀ね、触ってもいい?」
「ちょっとだけだぞ。」
いかつい顔に似合わず、男の声は柔らかだ。
もの凄く太い腕はやはりあちこち傷だらけで、どう見たって怖い人なのにちっとも怖く感じない。

「どこまで行くの?」
「わからねえ。」
「どこから来たの。」
「イーストブルーだ。」
「そこって遠い?」
「さあな。」
ふうんと少女は呟き、男と同じように前を向いた。
「おうちはないの?」
「まあな。」

なんだか、哀しくなってきた。
私にはおうちがあるのに。
帰りたい場所もあるのに。

「会いたい人、いないの?」
男は初めて少女を見た。
なんだか、ぽけっとした顔をしている。

「好きな人、いないの?」
「・・・いる。」
「会いたいでしょ。」
「ああ。」
「いつ、会えるの?」

男はしばし考えた。

「旅が、終わったらな。」
「いつ終わるの。」
ふと、無精髭の生えた口元が緩んだ。
「旅を終えようと思ったら、いつでも終わる。」
「・・・」
そんなものなの?
「なら、もう止めて帰ったらいいじゃない。」
男はゆっくりと頭を振った。

「のこのこ帰ると、叱られっからな。」
「そうなの?」
「ああ。」
「その人に、会いたいのに?」
「ああ。」
「その人も、会いたいのにね。」
「そうだな。」

男の人の瞳は、なんだかとても嬉しそうに眇められている。
きっとその人のことを思い出しているんだろう。
思い出すだけでそんな表情になるなんて、とてもとても大切な人なんだ。

「早く、終わるといいね。」
「そうだな。」
私は、早くおうちに帰れるおまじないを口の中で唱えて、ベンチから立ち上がった。

「私は帰るね。ママが待ってる。」
「ああ、元気でな。」
「あなたもね。いい旅を。」



石畳をスキップしながら駆け出して、首だけ巡らして振り向いた。
もう、腕を組んで目を閉じている。

鮮やかな緑の芝生に、また鳩が舞い降りた。

END

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